12
翌朝、リリーは妖艶な美女メイクのまま街を歩き回っていた。
(やばいわ。あれから、また人相書きの貼り紙が増えてるわよ)
あいつらは血眼になってリリーを捕らえようとしている。包囲網をかけられているようで何だか焦る。
今すぐにでも、この島からおさらばしたい。
フーコック島に帰る事も考えたけれど、あそこも危険だ。
ロークという男もやばいが、ギャバ一味がフーコック島まで乗り込むとやっかいである。
(ほとぼりが冷めるまでは、あたしも王都で過ごすのがベストだわ)
アーサーはロークから命を狙われている。
本当に変装しないとヤバイのはアーサーの方だ。
(何とかしなきゃ。アーサーもメイクしてあげようかな)
そんな事を思いついてホテルに戻ろうとした時、継母を殺したロークとぶつかったのだった。
ロークの声は優しかった。
「失礼、お嬢さん」
ロークはリリーに謝罪すると、ふと、おもむろにアーサーの似顔絵を見せてきた。
「この島で、こういう顔の若い男を見かけたことはありませんか?」
「し、知りません。誰ですか?」
リリーは、この時、心臓が破裂しそうなほどのプレッシャーを感じていた。
(この男は誰? 敵なの? 味方なの?)
揺れ動く心を隠したままミステリアスな美女の微笑みを返していく。
「もしかして、あなたの息子さんかしら?」
「いいえ。犯罪者のお尋ね者ですよ」
「えっ?」
まさか、こいつは、バティスト商会の手下なのだろうか。でも、奴等はアーサーの顔を知らない。その時、リリーはピンときた。
ひょっとすると、こいつか継母を殺したロークなのか? 金髪の優男風のイケおじだ。その癖、どことなく変質的な色気もある。
(なんつーか、ロシアのハンサムなマフィアみたいな顔だわ)
こいつがロークならヤバイじゃないかと思い、おおいに焦っていた。
(微笑みながら女をぶん殴るタイプよ。それで、血がついた手をハンカチで丁寧に拭ったりするのよ)
妄想を加速させていくリリーはハラハラしながらも何も知らないフリをする。
「わたくしは見ておりませんわ」
「そうですか」
その後も、ロークは、いかにも旅行者という感じの若い男の人に声をかけたところ、旅人は答えた。
「ああ、そいつなら四日前に港近くの安宿で見かけたたぞ。若い女と一緒に歩いてたな」
「女? どんな女だ? 背は高いのか? 歳は?」
「いや、若い女だったとしか言いようがないなぁ」
そんな会話を盗み聞きしながら団扇で襟元を扇いでいると旅人がリリーを指さした。
「ちょうど、あのお嬢さんみたいな背格好だよ。ほっそりとしていて、金髪で、ちょっと気の強そうな小娘と、この男が仲良さそうにしてたぜ。あっ、思い出した。今朝も見たよ」
「ど、どこで見たんだ?」
「ライネルト通りを歩いてたぜ」
リリーの薬を買った場所である。そして、そこはホテルからも近い。
(やばいじゃん。アランに知らせなきゃ)
身の危険を感じたリリーは慌てて走り去ろうとする。
その時、たまたま振り返ったロークと目が合った。
ビクッ。まるで雷に打たれたようにリリーの顔に動揺が広がった。
それを察知したロークの眼光は鋭い。リリーの肩が震えた。
(あわわ、こりゃ逃げるしかない)
急に走り出したリリーを見て不審に思ったのか追いかけてきた。
逃げなくちゃ。
(こいつに殺されたくないわ)
人ごみでごったがえす市場を駆け抜けていきながら額に汗を滲ませる。このままでは殺される。そんな恐怖に足がもつれてしまい石畳の坂道で転倒していた。
集合住宅の狭い路地の頭上にはロープにかけられた洗濯物がはためいている。
ロークに捕まりたくないと怯えながら何度か振り返る。心臓に悪い。
あと数メートルのところまで迫ってきた。やばいと感じた直後。
ロークの頭の上にバケツを落とした女がいた。
ゴンッ。
ロークが痛みに悶絶していると、三階の窓からこっちを見下ろしていた中年女が、とっとと逃げなとジェスチャーで示した。
リリーの知り合いでも何でもないが助けてくれたようだ。
リリーは感謝しながら路地ら通りに出ると、すぐさま箱型の馬車に乗り込んだ。
そして、古着屋まで連れて行ってもらう。
(あたしとアーサーの変装アイテムを買わなくちゃ……。もう、妖艶な女にもなれないわ)
ここから脱出する為には知恵と工夫が必要だ。
リリーはその場で男性の衣装に着替えると、何とかアーサーのいるホテルに戻った。
「おまえ、なんで外出先で衣装を変えて帰ってきたんだ?」
アランはキョトンとしている。
「あなたを探している人がいるのよ。そいつ、多分、ロークだと思うの。そいつに目をつけられて追いかけられたの。もう、セクシーマダムの扮装も使えない」
継母のベアトリスを殺した男は、金髪で透き通るような青い瞳の男だとジャンは言っていた。
年齢もジャンの言っていた男と合致している。
「その男、左右の眼の色が違ってるか?」
「そう言えば、ブルーの瞳なんだけど右の方が淡いわ」
「それなら、そいつはロークだな」
とにかく、リリーの顔を知られてしまっている。リリーは、念のために髪をバッサリと切り落とす事にした。
傍で見ていたアーサーが感心している。
「随分、思い切ったことをするんだな」
「あなたはホテルの部屋に籠っていてね。その男は街のあちこちで、あなたの似顔絵を手にしてるのよ」
リリーは、古着屋で買った鬘をアーサーに渡しておいた。
赤毛の鬘だ。それに、赤毛の口ひげと眼鏡もある。
「どうしても、外に出る事になったら、この鬘と髭を付けてね。それと、この変装用の眼鏡をかけたら、かなり印象は変わると思うわ」
ロークの目は誤魔化せなくても、一般の人達の目なら欺けるだろう。
「ありがとな。リリー」
急に頭をクシャッと撫でられてしまい、どぎまぎしていた。
「そ、そんなの別にいいわよ」
何だか急に照れくさくなってきた。
「アーサーが歩くと目立つわよ。男装のあたしが船のチケットを買いに行くわ。なんとしても、島から脱出しないといけないものね」
今のシーズンは王都に向かう人が多いが、それでも、キャンセルする人がいるかもしれないと思い、チケットを入手しようと焦っていたのだが……。
船会社の建物に近付くことも出来なかった。
(あいつらの顔に見覚えがあるわ。ギヤバの手下だわ)
リリーを見つけようと監視している奴等が船会社の外側から見張っているようである。
いくら巧妙に男装をしても、リリーは女だ。じっくりと顔を覗き込まれたらバレる可能性もある。
ここから王都に向かう船は二種類。
人を運ぶのを主体としている高速櫂船と、わずかに客室もある貨物用の帆船。どっちの会社にもリリーを逃がすまいとして、ギャバの手下が見張っている。
(どうしたらいいのよ。船以外に移動する手段なんてないじゃん)
飛行機は、この世界にはない。
(あたしが天才化学者や物理学者なら、ヒョイと海を渡れるような立派な気球を作るところだわ)
しかし、出来ない事を夢見ても空しいだけだ。
がっかりしながらホテルに戻ると、リリーはこう言った。
「とりあえず、ピエールにチケットを買いに行かせようかと思うんだけど、どう思う?」
「駄目だ。あんな小さな子を危険に巻き込む訳にはいかない」
「そっか。そうよね。だったらこうしましょう。あなたが女装するのよ」
「こんな背の高い女がいたら逆に目立つから却下する」
はてさて、どうしたものか。このままでは船に乗れない。
「いっそのこと、開き直って、ここに一か月ほど住めばいいんじゃない? そしたらも向こうも忘れてくれるかもしれないじゃん」
「オレは父上の誕生日までには帰らねばならない。でないと、護衛官のラーソンが罰として降格される」
「それじゃ、ラーソンとやらに迎えにきてもらえばいいじゃん」
「そうはいかないから困っているんだよ。あいつは宮殿に出仕する義務がある。それに、オレの正確な居場所はラーソンにも知られてはいけない。オレを殺そうとする奴等に囲まれたら大変な事になるからな。なるべく、単独行動がいいんだよ」
「王子も色々と大変なのね……」
☆
アーサーが帰還する方法を考えている頃。
バティスト島の北側の大陸にあるアストラ王国の王都では、麗しき第三王子のリュカが父王の部屋を訪れていた。
「父上、お加減はいかかですか?」
「前と同じだよ。コボッ。わたしも、そう長くはないようだね」
「お父様、しっかりして下さい。僕がついております」
数年前から、王は肺の調子が悪いのだ。だから、政治は宰相達が行っている。宰相は、王の従弟にあたる人物なのだ。
リュカは宰相のことが気に入らない。というのも、宰相はリュカの母親、つまり、ソフィーの事を裏で娼婦の子供だと吹聴して侮蔑しているからだ。
リュカは子供の頃、母親に尋ねたことがある。
『僕のおばぁ様は本当に娼婦だったの?』
『ええ、本当よ』
その言葉にリュカは衝撃を受けた。そんなの嘘だと言って欲しかった。
そんな女が自分の母方の祖母だなんて認めたくなかった。
『だけど、おぱぁ様はバティストの王女様だったの。これは誰にも内緒よ。要するに、あなたは、二つの王家の血を受け継いでいるのよ。誰よりも高貴な存在なのよ。あなたこそが、アストラの王になるのに相応しいのよ。きっと、あなたは王になれますよ』
『そ、そうだよね』
このようにして、リュカは幼い頃から、ソフィーによって洗脳されてきたのである。
『でも、あなたの王位継承を阻む人達がいます。彼等の動きには気を付けなければなりませんよ』
リュカにとって最も憎らしい存在はアーサーである。
子供の頃、家庭教師は、わざとらしく溜息をついていた。
『アーサー様は九歳の時には、この本の中味を理解しておられましたよ。十三歳になったというのにリュカ様は読むことすらままならないのですか。ああ、嘆かわしい』
家庭教師は、ことごとくリュカを否定してきたのである。
だが、数年前、リュカはロークに頼んでこの学者を亡き者にしてもらっている。
リュカを馬鹿にした家庭教師は寒い冬の日、河に落ちて死んでいる。
(そうさ。邪魔なものは消してしまえばいいのさ)
こくんなふうにして、リュカは努力することなく我儘に育ってきたのだ。
これまで、母と王だけはリュカを否定しなかった。というのも、最初から、王は何も期待していなかったからだ。
リュカは子供の頃から誉め言葉に飢えていた。
勉強はからっきし駄目。武術も得意ではない。リュカにあるのは母親譲りの美貌だけである。
ダンスの上手さなら、上の兄達には負けないと自負していたのだが、ある時、珍しくパーティーに顔を出したアーサーのせいで、自分の唯一の自慢ポイントも失ったのだ。
(あいつ、マジで目障りなんだよな)
そ以上にリュカの心を乱しているのはこれだ。
「なんで、マルゴットは僕の誕生日に会いに来てくれないんだよ? ちゃんと、招待したのに……」
マルゴットというのはアーサーの婚約者である。彼女はリュカより一歳年上の貴族で、宰相の姪にあたる人物である。
アーサーとマルゴットを結び付けようとしているのは宰相だ。
宰相は、第三王子のリュカのことを、『頭の悪い子犬』と呼んで軽蔑している。
そして、ソフィーのことは『下町の雌狼』と侮蔑している。
マルゴットの両親は、さすがに、そこまで辛辣ではないが、あまりリュカの事を好ましく思っていないのは明らかだ。
簡単に言うと、派閥が違うのだ。
ソフィー王妃の派閥と宰相の派閥。
それぞれが政治の中枢に食い込もうとやり合っている。
従者は機嫌を損ねないようにリュカの顔色を窺いながら言った。
「そ、それは、マルゴット様がアーサー様の婚約者なのでアーサー様もいない状態でリュカ様と王宮で会うのは控えたいとおっしゃりまして……。というか、マルゴット様は、三日前から、出産を終えたお姉様の嫁ぎ先におられるそうてございます」
「それなら、僕が、マルゴットの姉君の家に行くのはいいのか? 僕も王子として出産を祝いたい」
「いえ、それは、あちらが招待しない限りは無理ではないかと……」
いくら王子でも産後間もない女性に会うのは非常識とみなされるのだが、従者は閃いたかのように言った。
「旅の途中、馬車が壊れたとか、馬の調子が悪いという理由があれば、立ち寄っても受け入れられるのではないかと思います」
「うん。そうだよね、そうしよぅ」
リュカの顔がパーッと華やいだ。
とにかく、リュカはマルゴットに会いたい。
ストーカー気質なのだ。
(僕の行動を見張るロークがいないから楽勝だよ。城から出てもバレないよね?)
リュカは浮き浮きしながら城を抜け出していく。
その青い瞳は熱に浮かされたように潤んでいる。リュカは愛するマルゴットの美しい顔を想うだけで胸がキュンとなる。
(きっと、マルゴットも僕に会いたいよね……?)




