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 リリーは、その翌朝、ノックの音で目覚めていた。

「おい、リリー、入るぞ」

 アーサーは痛み止めの煎じ薬の入ったコップを持ってきてくれたのである。

「それ、あなたが煎じたの?」

「いや、薬局の薬師に頼んでやってもらった。夜中に行くべきだったが、さすがに、それは無理だと思って朝にした。ほら、これを呑むと痛みは和らぐぞ」

「アーサー、まじでありがとう」

 優しさに目頭がジンと熱くなる。

「おまえも、オレが熱を出した時、ちゃんと面倒を見てくれたからな。朝飯も持ってきたぞ」

 出されたのは魚肉のフライトを挟んだパンだった。

 リリーは、それをペロリとたいらげていた。

「監禁されている間、なーんも食べてないのよ。昨日の夜も背中の痛みはもちろんだけど、腹が減って死にそうだったのよ」

 リリーがそう言うと、アーサーがプスッと吹き出した。


「まだ食い足りないような顔をしているな。ちょっと待ってろ」

 数分後。アーサーは宿の側にある屋台で焼き菓子を買ってきてくれたのだ。

 それは、そば粉のクレープだった。中にはソースを絡めた海老とキノコが入っている。いわゆる惣菜系のクレープだ。

「ありがとう。マジで美味いわ」

 リリーの食べっぷりは豪快そのもので、アーサーはベッドの縁に座ったまま、リリーの様子を楽しそうに見つめている。

「かなり顔色が良くなったな。昨夜は、死にそうな顔をしていたから心配したぞ」

「そりゃ、あたしも人間だもの」

 リリーは食べ終えると真面目な顔で言った。

「ギャバの手下達は、きっと、あたしの事を死に物狂いで探しているわよね?」

 頷いた後、アーサーは宿の窓を少し開く。

「アーサー、どうしたの?」

「いや、フクロウの鳴き真似の声が聞こえたんだ。あれは、ピエールの声だ」

 真下にはピエールが不安そうな顔で立っている。何か言いたいことがあるようである。

 アーサーが路上に向かうと、ピエールがビラを差し出してきた。

「大変だよ。お姉ちゃんの似顔絵が出回っているよ。ジャンっていう男とお姉ちゃんを捕らえた人には賞金が出るってさ。みんな、興味津々だよ」

「そうか……。知らせてくれてありがとう。ピエール、頼まれてくれないか?」

 アーサーはピエールに耳打ちしていた。

「この父娘は傷だらけのまま西側に走っていったと言ってくれ。ただし、ギャバに直接言うなよ。お喋りな誰かに向けて無邪気な顔で言うんだ。おまえを出し抜いて賞金を得ようとするズルい大人の前で話せ」

「うん。分かった」

 バティスト島の北には埠頭がある。南は塩田。そして、西には、長閑な牧草地帯と漁師町がある。

 西側の海の沖合には何個か灯台があり、そこには灯台守の住む家がある。

 そういう場所に親子が潜伏していると思わせておきたい。

「うん。分かった」

 立ち去ろうとしたピエールにアーサーは追加でこう告げていた。

「それと、おまえの母親に言って、リリーの着替えを用意してもらいたい。下着からドレス、それにリリーの金髪を隠すための鬘や手袋や靴を頼む」

 アーサーはポンッと金貨を渡すとピエールは頷いた。

「任せておくれよ」

 これまでは、二人とも地味な服装で過ごしてきたけれど、敵の目を欺く為には見た目を変える必要がありそうだ。

 今、着ているリリーの継母の紫色ドレスには、令和の感覚で言うと、『おばちゃんの服』のデザインだ。襟元まできっちり詰まっており、レースも少ない。

 イメチェンする必要があるとアーサーは判断していた。

 アーサーが念押しするように言う。

「豪華なドレスを用意してくれ」

 

       ☆


 とりあえず、リリーは傷が痛む間は宿で休むことにした。その間、アーサーは船会社へと出向いた。

 すぐにでもバティスト島を出発したいところなのだが船の空きがない。困った事になったとアーサーは顔をしかめる。

「それがですね。もうじき、王様のお誕生日ってことで、バティストの名士の方達が、かなり前から船の予約を入れているんですよ」

 彼等の多くは商人で王に贈り物を持参して上京する。

 ちなみに貧乏人は風任せの帆船に乗るが、金持ちは快速のガレー船に乗る。

 ガレー船には櫂がある。漕げば、王都まで三日以内に着く。

(どうも、ギャバの長男も快速船に乗るようだな)

 ギャバの子息や部下も、リリーの人相画を見ているに違いない。そいつと鉢合わせになるのは避けたいものである。

 往路と同じように帆船で帰るしかないようだが、それさえも満杯だと言われて愕然となる。

(クソッ。オレが王子だと明かせば何とかなるのかもしれないが……。しかし、ここで明かすと自分の身が危ない)

 何しろ、ここは反政府派の坩堝。

 アストラの王子であるアーサーを殺せば英雄になれるという事で無茶をする奴もいるだろう。


(絶対にオレの身分を悟らないようにしないとヤバイな)

 そんな事を思いながら、コソコソと目立たぬように街中を歩いてると、リリーについて人々が噂していた。

「ジャンって男とその娘を差し出せば大金がもらえるらしいぜ」

「父と娘、親子で犯罪に関わってるそうだ。ギャバ様の船を襲ったのは、そいつらだ。娘は金髪で紫色のドレスだとさ」 

 そんな話を小耳に挟むと、アーサーの胸にも焦りが滲む。

 ギャバの野郎。ぶっ叩いてやりたい。

(あいつら、勝手に話をすり替えやがった)

 ガラクタを搭載した船を襲っていたのはギャバの手下達である。

(下手するとジャンにすべての罪を着せられてしまう。いずれ、処刑されてしまうぞ)

 今、泊っているのは客室が四部屋だけの小さな宿。

 宿の従業員に気付かれると非情にマズイ。

 午後、再びアーサーが宿に戻った。

「リリー、体調は戻ったか?」

「ええ、まぁ、背中の痛みは我慢できる程度になったわよ。薬が効いたのね」

「よし、それなら、すぐにここを引き払うぞ」

 アーサーはリリーを連れ出す前に、ピエールから受け取ったドレスや鬘を手渡した。

「このドレスに着替えてくれ。鬘も付けろ」

「何を言ってんのよ。いきなり変装して部屋から出たりしたら宿の人達に怪しまれるわよ。着替えるのは後でいいわ」 

「だが、宿以外、どこで着替えるんだよ」

「普通に、人がいない場所でパパッと着替えたらいいんじゃない? あたしとジャンが幽閉された倉庫、昼間でも人がいなかったわよ」

 あそこは盗難防止の為に一般人は立ち入り禁止となっているエリアである。

「ギャバの管理する倉庫街の近くで着替えるなんて無茶なこと言うなよ」

「そうかな。意表を突いてていいと思うんだけどな。あっ、そうだ。あたし、いい方法を知ってるんだ」

 こう見えて、元アイドル。

 凛々子にはストーカー的なファンなどいないし、週刊誌に追われるような事もなかったけれど、不倫や恋愛スキャンダルで追われているアイドルは、人目を避ける為に色々な策を弄していたっけ。

「あたしをトランクに詰めて外に出るといいわ」

「はぁーーー。そっちの方が宿の女将は不審に思うぞ。入った時、二人なのに出る時はオレだけって事になると妙だと思われるぞ」

「それじゃ、やっぱり、宿を出る時は、普通にニコニコ笑いながら出ましょうよ。で、次はどこに行くの?」

「もっと部屋数の多い高級なホテルだ。貴族や大金持ちだけが泊まるようなホテルに行こうかと思っている。まさか、そんなところに放火犯の小娘がいるとは誰も思わないだろう?」

 ふうん。なるほど。

「そのプラン、気に入ったわ」

 とりあえず、チェックアウトを済ます。人通りの多い市場の脇を過ぎると、少しひとけが少ない脇道に入った。そこで、ササッとドレスを着替えて栗色の鬘を装着したのだ。

 髪色変えると、かなり印象が変わる。

 リリーは顔の半分を覆うベールのついた豪華な帽子を被ると、アーサーと共に表通りに出た。そして、辻馬車に乗り込む。

「リベラホテルまで頼む」

 アーサーが言うと、御者がリリー達をホテルへと届けてくれた。

「アーサー、このホテルのすぐ隣にメイク用品を売る店があったわ。メイク用品、一式、部屋まで持ってくるようにコンシェルジュに言って」

「ああ、分かった」

 リリーはノリノリだった。

 前世、メイク動画で再生回数を稼いでいる。

 すっぴんとメイク後のギャップに誰もがどよめいていたのを昨日のことのように覚えている。

 今のリリーは儚い雰囲気だ。イメチェンしよう。

「メイクでゴージャスでエロイ女になってやる」

 リリーは鏡に向かうと念入りにメイクを施していいた。

 バラドルの頃、アンジェリーナジョリーの物真似メイクで喝采を浴びたこともある。

(いい仕上がりね。日本人の頃よりもアンジーに近いわ)

 一時間かけて出来上がった顔は匂い立つような妖艶な美女である。鼻の孔に小さな棒を縦に入れて鼻筋を高くする。猫目のアイライン。ぽってりとした唇。これで七歳ぐらい年上に見える。

「アラン、どうかしら」

「おまえ、すごいな」

「あたしは金持ちのアバズレ女で、あなたは、あたしと不倫をしている下男という設定でどうよ」

「ああ、それでいいんじゃないか。それなら、どこにも行かずに部屋にこもっていても不思議がられないからな」

 とはいうものの、ずっと部屋にいると退屈だ。

 アーサーが留守の間、リリーは妖艶なメイクの力を信じて部屋の外へと出ていった。


(そう言えば、エリーゼはどうしているのかしら)

 そんな事を気にしながら、ホテルの向かいにある帽子屋に入ると、エリーゼが好きそうな帽子を買った。

 長年、暮らしてきたのでエリーゼの好みは熟知している。

(王都で買い物をした時、あたしが転んで帽子を無くしたからね。埋め合わせをしないとね……)

 差出人の名前は継母の名前にして、フーコック島のエリーゼ宛てに届けるように店員に指示しておいた。

 今すぐ配達してもらえば夕方までには着くと思うのだ。

 まさか、昨日の午後に継母が殺されてていたなんてリリーは夢にも思っていなかった。

 セレブ御用達の帽子屋を出てホテルに戻ろうとしていると、ホテルの周辺で男達が聞き込みをしている姿が目に入った。

 二人組の男がリリーの人相書きを手にしたまま、街の人達に聞きまわっている。

「おい、こういう顔の若い女を見てないか? 身長はこれぐらいで初心な子鹿みたいな顔の若い女だ」

 そんなふうに説明しているのを聞いて、リリーは笑いたくなった。

(あたしの変装はバッチリね)

 香水の匂いをプンプンと漂わせながら、そいつの横を通り過ぎたというのに気付いていない。

 ホテルのドアマンは妖艶なリリーに会釈してリリーをホテルへと通してくれた。

 すると、そいつらもホテルのロビーに入ってきたものだからドキッとした。

 しかし、ホテルの支配人がホテルをうろついてる男達に向けて言った。

「おい、うちのホテルの前てうろうろするな。景観が損なわれるだろう」

「うっせぇ。これはギャバ様の命令でやっているんだぞ」

「だとしても、うちのホテルに泊っているのは大金持ちだけだ。探したいなら、安宿に行け」 

「もう調べたさ。そしたら、この小娘に似た女はもう宿を変えていたんだよ。だが、まだ島からは出ていない。絶対にまだこの近くにいる。人相書きを貼らせてくれ」

「いや、このホテルにはそのようなものは貼れない。だが、スタッフには見せておく。見かけたら連絡する」

 そんな会話を耳にしたリリーはヒヤヒヤしていた。

 あいつらは、かなりしつこく探しているようだ。

 今後は、妖艶なメイクを死守しなければならない。

 早く島から脱出しよう。

 いつまでも、こんな所にいる訳にもいかない。

 その翌日。

 アーサーが報告してきた。

「ギャバの息子が乗る船に空きが出来た。少し危険だが、その船に乗るか? そのメイクならば奴等にバレないかもしれないぞ」

「そうね。そうしましょうか」

 アーサーとリリーがコソコソと人目を気にしながらホテルにある食堂で朝食を食べていると、そこに、赤毛の大柄な男が現れたのだ。この豪華なホテルに相応しい優雅な装いである。

「よう、ここにいたのか。探したぜ」

 誰?

 その声に聞き覚えがあった。

 なんと、現れたのは髭をそり落として髪を整えたジャンだったのだ。

 顔を強張らせていたアーサーも、ジャンと分かった途端、目を丸くしている。

「おまえ、ジャンなのか。見違えたぞ。その服はどうした?」

「これは自前の衣装だ。変装する時は、こういう恰好をするのさ」

 こうやって改めて見てみると、ジャンはイギリスの俳優のショーンコネリーに似ている。そう、つまり、イケおじ。いい男なのだ。

 律儀なジャンはフーコック島で起きた事を報告しに戻って来たのである。

 かつて愛した女の死を目の当たりにしたショックは大きいのか、声がかすれている。

 アーサーは険しい顔で尋ねている。

「ソフィー王妃の護衛官と言ったのだな……。ロークは王族の護衛部隊の責任者で腕が立つ。あんた、よく無事だったな」

 すると、ジャンが言った。

「オレはベアトリスの父上の運送会社にいた頃から、用心棒をしていたからな、腕には自信があるのさ。街道筋の追いはぎやら倉庫に入る泥棒やら、いろいろとやり合ったもんさ。あんたは王子だ。あいつの本当の狙いはあんたで、ベアトリスは巻き添えを喰らったという事になるのかい?」

「さぁな。オレにも、ロークがベアトリスを殺す理由はよく分からんな」

「……もしかしたら、あんたが生きている事を世間にバラされると困るので口封じをしたんじゃないのかな?」

「ああ、そうなのかもしれないな」

 アーサーは頷く。

「ロークは油断ならない相手だ。あんた、よく無事だったな」

 リリーは言った。

「エリーゼは無事なのね」

「エリーゼのことは父親のオレが守る。大事な娘だからな」

「それにしても、あたしがここにいるって、よく分かったわね。みんなに聞きまわったの?」

「そんなことする訳がねえよ。オレは、エリーゼ宛てに送られた帽子店の住所を見てピンと来た。エリーゼが言ったんだ。帽子に添えられたカードの筆跡はリリーだってな」

「そっか。それで、この近くにいるかもしれないって思ったのか?」

「帽子店の女が教えてくれたんだ。エリーゼに帽子を贈ったのは妖艶な女だってな。しかも、その女はこのホテルにいると言った。それで、ここが分かったんだ。どんなに化粧をしていてもオレの目は誤魔化せないぜ」

 なるほど。そういうことか。


「リリー、そのロークって奴に気をつけろよ」

「ジャンこそ、気を付けてよ。ロークって奴が、また殺しに来るかもしれないわよ」

「ふふっ、不審者は城には入れないよ。撃ち殺してやる」

 頼もしい限りである。

 ホテルの部屋に戻るとアーサーがリリーに打ち明けてくれた。

「実は、王妃ソフィーとオレの間には確執がある」

 まだ、アーサーの母が生きていた頃、母の飲み物にソフィーが何か入れていたのを見た事があると言われて、リリーは固唾をのんだ。

 王妃としての重圧に苦しむ母はソフィーを頼りにしていたのだが、当時からアーサーは疑っていた。

 あの優しい微笑みの裏には何かあると思い続けてきたという。

 少しずつ精神が蝕まれていく。そんな薬をアーサーの兄にも飲ませていたのではないか。

 そんな不安から、アーサーは自分が信用する者から得たものしか口にしていない。

 ソフィは元々は貧民窟で暮らしていた。ソフィーが宮廷に入ったのも、たまたま王妃のお気に入りの女官が急死したからだった。

「今思うと、その女官も毒殺されたのかもしれない」

 色々と胡散臭いソフィーだが政治的な後ろ盾がある訳ではない。

 大臣や名門貴族を自分の派閥として取り込む様子もなかった。

 だからこそ、アーサー以外の者はソフィに対して警戒心を抱いていない。

 そんな話をリリーに語るとリリーは肩をすくめた。

「悪女は天使に擬態するわ。本音を隠すのが上手いものなのよ。あたしの継母は、本音がダダ漏れよ。分かり易くて良かったわ」

 継母の悪口を言おうとしたのだが、死んだと聞かされてからは心がズシンと重たい。

 好きではない相手だが、無残に殺されるとなると気の毒だ。

 それに、継母は、案外、男の趣味がいい。ジャンは実に立派だ。

「甘えん坊のエリーゼに優しい父親がいて良かったと思うわ。ジャンっていい人だもの。きっと、エリーゼを守り抜くわね」

 その夜、リリーとアランは互いの子供の頃の思い出を語った。

 いつもは、何かと喧嘩になる二人なのだが、アーサーが素直に謝ってきたので調子が狂う。

「おまえの背中に鞭の痕がついてしまったな。すまなかった。おまえが結婚できなくなったら責任をとる」

「そうね。いい相手を紹介してもらうからね」

 そんな軽口を叩きながらもリリーはどきまぎしていたのだ。

 今夜も背中に塗り薬を塗ってくれた。

 ふと、奇妙な沈黙が舞い降りてきた。振り返るとアーサーがリリーの顎に手を添えて顔を寄せてきた。

 咄嗟にリリーは目を閉じる。

「えっ」

 アーサーはその手を放すと、おどけたように言った。

「しかし、すげぇな。おまえの本当の唇の二倍ぐらいの面積を塗ってんだな。しかも、鼻筋も前よりも高く見える」

「なによ。悪い?」

「いや、感心したんだ。どうやって鼻を高くしている?」

「ああ、鼻に小さな棒を詰めて高くしたのよ」

「はぁーーーー。マジか? こえーな」

 どれどれと言いたげに鼻の穴を覗き込もうとしている。

「やだぁ、恥ずかしい。見ないでよ」

「急に色っぽい声を出すなよ」

「だって……。そんなところ、人に見せたくないもん」

 その夜は何もなかったけれど、何となく、お互いが意識し始めていたのだった。






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