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【紅蓮の蓮華】

Tiny Tyrant Prototype-REX2.

CODE:LOTUS

型式番号・PRT-02


【T2プロトレクス2号機、または、ロータスプロトレクス】

PRT-01のデータを基に、再設計された第4世代人型ヘキサギア。フレンダは以前この機体に搭乗しひどい目に遭っている。


【武装】

・アサルトプラズマライフル

・撃発式超大型戦術刀

・スペードロワー×2(プラズマヴェール/ヴォーパルソード/レーザーライフル)

・大釘型ヘキサグラムストレージ×2


【ガバナー】フレンダ・ディーコン

【搭載AI】KARMA・メイ

【搭載システム】忘我廻廊


紅蓮の蓮華


「嫌!絶対に嫌!死んでも嫌!!」


薄暗い地下通路に、フレンダの絶叫が響き渡った。

彼女は子供のように柱にしがみつき、ガルド班長と数人の整備兵によってズルズルと引き剥がされようとしている。


「往生際の悪いやつだな!ロード・インパルスで無茶はするなと言っただろう!それに上層部から『フレンダ少尉を遊ばせておく余裕はない』と緊急出撃命令が出ているんだ!」


「だったら徒歩で行く!竹馬でもいい!アレに乗るくらいなら、クラーケン鮫の餌になった方がマシだ!!」


フレンダの顔は青ざめ、目には本気の恐怖と嫌悪が浮かんでいる。

彼女の視線の先。

封鎖されていたはずの第13番ハンガーの奥に、拘束具で固定された「人型」のシルエットが浮かび上がっていた。


『Tiny Tyrant Prototype-REX2 [CODE:LOTUS]』


かつて廃棄結晶炉でのイヴ動乱において、フレンダとメイが搭乗し、イヴ達との死闘の末に半壊してしまったヘキサギアだ。


『フレンダ、往生際が悪すぎます。現在の貴女の搭乗機として、これ以上のスペックを持つ機体は存在しません』


インカムから聞こえるメイの声は、いつになく弾んでいる。

いや、隠しきれない「興奮」が滲み出ている。


『この機体の出力、フレーム剛性、そして何より積載された演算処理能力……。私の推論演算を100%……いえ、120%発揮できる、やはり理想の器です』


「メイはいいわよ!痛覚ないんだから!こいつの感覚気持ち悪くなるの!ヌルヌル動いて生理的に無理!!」


「文句を言うな!もう貴様のパーソナルデータと、メイの移植は完了している!」


ガルド班長がスイッチを押すと、ロータスプロトレクスのツインアイが「赤」く発光した。

その瞬間、フレンダの背筋に冷たいものが走る。

搭乗を促している。


「……はぁ。わかった、乗ればいいんでしょ……ぐぬぬ」


フレンダは諦めて、ロータスプロトレクスのコクピットハッチへと足をかけた。

ロード・インパルスのバイクのような座席とは違う。

全身を包み込むような、パイロットシート。

そこに座った瞬間、無数のコネクタが自動的に接続され、システムが起動した。


『システム・オールグリーン。KARMAリンク、正常。お待ちしておりました、フレンダ。ついにこの時が来ましたね!』


メイの声が、いつもよりクリアに、そして近くに聞こえる。

脳内に直接響くような感覚。


「……メイ、あんた声のトーン高くない?なんか浮かれててムカつくんだけど」


『否定はしません。さあ、フレンダ。ロード・インパルスの獣性とは異なる、人型ヘキサギアの極致……忘我廻廊を起動します』



ブゥン……!

起動音と共に、モニターが消失した。


いや、違う。

コクピットの壁が「消えた」のだ。

360度全天周囲モニター。そして、手足の感覚が機体の末端まで拡張される。

フレンダの指が動けば、ロータスプロトレクスのマニピュレーターがミリ単位で連動する。


「やっぱり気持ち悪い……。私の身体がヘキサギアになったみたいだよこれ」


『抵抗しないでください。身を委ねるのです。貴女の反射神経と、私の演算処理を直結させます。


思考のタイムラグをゼロへ。人機一体の極致へ、行きますよ!』

フレンダの意識の中に、冷たくて鋭い、水のような感覚が流れ込んでくる。

それは恐怖でもあり、同時に抗いがたい全能感でもあった。


目の前にターゲットドローンが射出される。


「……っ!」


フレンダが右の敵を突くと考えた瞬間。

ロータスプロトレクスは既に動いていた。

予備動作なし。地面を蹴る音すらさせず、氷の上を滑るように接近し、右腕に装備された「撃発式超大型戦術刀」を突き出していた。


ズドンッ!!


大釘型のヘキサグラムストレージが撃ち込まれ、爆発的に威力が上がった刺突が、ドローンの装甲を紙のように貫く。

その衝撃すら、機体のサスペンションが流れるように吸収し、フレンダには心地よい振動としてしか伝わらない。


「うわぁ……やっぱりこのシステム気持ち悪い……」


『これが忘我廻廊です。ガバナーの思考を機体が先読みし、最適化された動作で実行する。フレンダの感覚と、私の演算が融合した姿です』


「はぁ……。気に食わないけど、性能だけは認めてあげる」


フレンダはため息をつきながら、流れ込んでくるメイの思考回路に身を任せる。

嫌悪感は消えない。だが、それ以上に「強さ」への渇望が彼女を突き動かす。


「いいわよ、メイ。とことん付き合ってあげる。この『鉄の亡霊』を乗りこなせるのは、世界で私一人だけだって証明してやる!」


ロータスプロトレクスが、背中の「スペード・ロワー」を展開する。

かつて自分を苦しめた浮遊兵装が、今は忠実な猟犬のように周囲を旋回する。

薄暗いハンガーの中で、赤く輝く人型ヘキサギアが舞う。

それは獣の暴走ではなく、洗練された死神の舞踏だった。


「行くよ、ロータスプロトレクス!私の言うことを聞かないと、今度こそスクラップにしてやるからね!」


フレンダの檄に応えるように、ロータスプロトレクスのセンサーが鋭く閃いた。

最悪の出会いから始まった、最強のコンビの再会だった。





MSGヴァリアントフォース重要拠点、工業都市跡「セクター9」。

廃墟となった工場の立ち並ぶエリアで、単騎先行したフレンダは包囲されていた。

敵影多数。

重装甲ヘキサギア「バルクアーム・グランツ」が3機。

さらに、高所のキャットウォークには複数のガバナーが陣取り、対装甲ライフルを向けている。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


コクピットの中、フレンダは荒い息を吐いていた。


それは恐怖からではない。

気持ち悪いのだ。


『フレンダ、心拍数が上昇しています。恐怖ですか?それとも興奮?』


「……うるさい。吐き気がするのよ」


全天周囲モニターに映る景色は鮮明すぎた。

忘我廻廊は機体のカメラが捉えた映像を、視神経に直接信号として流し込んでくる。

フレンダの脳は今、自分の目がコクピットの中にあるのか、機体の頭部にあるのか、区別がつかなくなっている。

自分の皮膚が鋼鉄の装甲に置き換わり、血管をオイルが循環し、神経の代わりに電子パルスが走る感覚。

まるで、冷たい鉄の羊水に脳ごと漬け込まれているような不快感。


『敵勢力、攻撃態勢。フレンダ。現在の同期率は60%。これでは捌ききれません。推奨値まで上げてください』


メイの声は耳からではなく、脳の中心から響く。


「……くっ。わかったわよ。上げればいいんでしょ、上げれば!」


フレンダは奥歯を噛み締め、システムのリミッター解除コードを思考入力した。


《Level 4 Connect》


その瞬間。

フレンダの世界から「音」と「重力」が消えた。


ドォォォォン!!


敵の一斉射撃が開始された。

榴弾砲、ミサイル、徹甲弾。

鋼鉄の暴風が、中心にいるロータスプロトレクスへと殺到する。


だが、フレンダにはそれが止まって見えた。


(……遅い)


彼女がそう思うより早く、機体は動いていた。

操縦桿を握る手など必要ない。


右へと意識した瞬間、機体はすでに右へ滑っている。


思考=行動。


タイムラグ・ゼロ。

赤い残像を残し、ロータスプロトレクスは弾幕の隙間を、水が流れるようにすり抜けた。


『左舷、反応弾。スペード・ロワー、自律防御』


フレンダの背後で、二基の浮遊兵装が勝手に動く。

プラズマヴェールを展開し、死角からのミサイルを空中で溶解させる。


それをフレンダは背中に目がついているかのように認識できていた。

自分の体の一部が宙を舞い、自分を守っているという奇妙な万能感。


「あはっ……!すごい……全部見える!」


不快感は消えていた。

代わりに押し寄せてきたのは、脳髄が痺れるほどの快楽だった。

重力という枷から解き放たれ、鋼鉄の巨人と一体化する高揚感。

弱い生身の肉体を捨て、最強の身体を手に入れたような錯覚。


「ねぇ、メイ。今の私……どんな風に見えてる?」


『……美しいですよ、フレンダ。貴女は今、物理法則を凌駕しています』


フレンダは笑った。

その笑顔はいつもの明るいものではなく、どこか虚ろで、陶酔しきった人形のようだった。


「踊りましょうか、皆様」


ロータスプロトレクスが地面を蹴る。一歩で50メートル。

爆発的な加速Gがフレンダの肉体を襲うはずだが、忘我廻廊が痛覚信号を遮断する。

痛みはない。あるのは速さという純粋な情報だけ。

目の前に、バルクアーム・グランツが立ちはだかる。


「邪魔よ」


右腕を突き出す。

それだけの動作で、撃発式超大型戦術刀が唸りを上げた。



ズドォォン!!

大釘型ヘキサグラムストレージが撃ち込まれ、戦術刀が敵機の分厚い胸部装甲をバターのように貫通する。

コクピットを串刺しにし、背面から突き出る刃。

手応えが、あまりに軽い。


「一人目」


フレンダは敵機を串刺しにしたまま、その重量を振り回して、隣の敵機へと投げつけた。

グシャリ、と金属が潰れる音が、まるで音楽のように心地よい。


「あはははは!脆い、脆すぎるよ!」


彼女は戦場で舞っていた。

高所から狙撃してくる歩兵など、見る必要すらない。

意識を向けるだけで、スペード・ロワーからレーザーが放たれ、蠅を落とすように焼き払う。


(……これが私?これが私の力?)


フレンダの意識の中で、フレンダ・ディーコンという個が薄れていく。

空腹も、疲労も、恐怖も、過去の記憶さえも。

すべてがノイズとして処理され、消去されていく。

残るのは最適な戦闘データと、敵を破壊する歓びだけ。


『シンクロ率、95%突破。フレンダ、貴女の神経系は完全に機体と融合しました。もう、戻る必要なんてないのかもしれませんね』


メイの甘い囁きに、フレンダはうっとりと頷いた。


「うん……そうかも。こっちの方が、ずっと楽……。ずっと強い……」


最後の敵機、隊長機のバルクアームが、恐怖に後ずさりながらマシンガンを乱射する。


「ば、化け物め!近づくな!」


弾丸がロータスプロトレクスの装甲を弾くが、フレンダは何も感じない。

ただ、目の前の敵が壊すべきオブジェクトとして赤くハイライトされているだけだ。


「さようなら」


フレンダは優雅に跳躍し、空中で戦術刀を構えた。

重力に従って落下しながら、敵機の頭上へと切っ先を向ける。


このまま貫けば終わる。

完璧な勝利。完全なる「忘我」。


だが、その切っ先が敵のコクピットに触れる直前。

モニター越しに、敵パイロットの悲鳴が聞こえた。


「ひぃッ……!た、助けてくれぇぇッ!!」


人間の声。

死に怯える、生身の人間の叫び。

その音が、フレンダの脳内に突き刺さった。


「――ッ!?」

バクンッ!

心臓が跳ねた。

冷たい鉄の夢から、強引に引き戻される感覚。

遮断されていた人間としての感情が、ダムが決壊するように逆流してきた。


(……私、なにやってるの?)

(まさか、人を殺すのを、楽しんでた?)






「い、いやぁぁぁぁぁッ!!」


フレンダは絶叫し、反射的に操縦桿を逆に引いた。

ロータスプロトレクスの動きが乱れ、必殺の一撃がわずかに逸れる。

戦術刀は敵機の右肩を削ぎ落とし、地面に激突した。


ズガァァァン!!


土煙の中、フレンダは荒い息を吐きながら、必死に頭を振った。


「メイ、接続解除!早く切って!!」


『……フレンダ? まだ敵の反応が……』

「いいから切って!!」


彼女の悲痛な叫びに、メイは一瞬の沈黙の後、システムを強制ダウンさせた。


ブシュゥゥン……。

全天周囲モニターが消え、物理的なコクピットの闇が戻ってくる。


同時に、遮断されていたすべての感覚。

全身を襲う激痛、強烈なGの残滓、そして人間離れした動きをしたことによる三半規管の異常が一気に襲いかかった。


「おぇぇぇっ!!」


フレンダはヘルメットのバイザーを開けるのももどかしく、コクピットの中で嘔吐した。

胃の中身など何もない。胃液が制御パネルを汚す。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ……」


震えが止まらない。

自分の手が、自分のものじゃないように感じる。

さっきまで感じていた万能感は、今は底知れぬ恐怖に変わっていた。


『……バイタル、乱れています。フレンダ、敵機は逃走しました。追撃しますか?』


「……無理。もう……動けない」


フレンダは涙で滲む目で、汚れた自分の手を見つめた。

機械と同化し、神のように振る舞っていた数分間。

その間、自分は確かに自分ではなかった。

もし、あのまま戦い続けていたら。


自分は二度と、フレンダ・ディーコンに戻れなかったかもしれない。


「……メイ。この機体、やっぱり嫌い」


フレンダは膝を抱え、鉄の匂いが充満する狭い箱の中で、小さく呟いた。


「強すぎる力は……私が私でいられなくなる……」


『……了解しました。ですが、貴女は生き残りました。それが結果です』


メイの冷徹な事実確認に、フレンダは返す言葉を持たなかった。

ただ、心臓の鼓動だけが、自分がまだ人間であることを証明するように、痛いほど強く脈打っていた。


薄暗いコクピットの中で、赤い非常灯だけが、警告するように点滅を続けていた。




白堊理研・第八基地リトルベース。

深夜のシャワールームで、フレンダは執拗に体を洗っていた。

熱いシャワーを浴び続けても、皮膚にこびりついた鉄の感覚が取れない。

指先をスポンジで赤くなるまで擦っても、あの時、敵を突き刺した感触。柔らかいバターを切るような、あまりに軽すぎる感触が蘇ってくる。


「……落ちない。なんで……」


鏡に映る自分の顔は蒼白で、目は酷く落ち窪んでいた。

いつもなら、任務の後は「お腹すいた!」と叫んで飛び出してくるはずの彼女が、今日は幽霊のように廊下を歩く。


『フレンダ、深部体温は正常値に戻りましたが精神的ストレス値が高止まりしています。私の計算では、戦闘終了後にはドーパミンの分泌により、幸福感が勝るはずでした。私の最適化が、貴女を苦しめているのですか?』


インカムから聞こえるメイの声は、いつもの冷静なトーンの中に、明らかな動揺と心配が混じっていた。彼女はフレンダを守るために、あのシステムを使った。フレンダを生かすために、感情を遮断した。

だが結果として、それが最愛のパートナーの心を壊しかけていることに、AIは困惑していた。


「……ううん。メイは悪くない。悪いのは、それに酔った私だよ」


フレンダは力なく答え、少佐の執務室へと向かった。


「失礼します……」


ノックの音も弱々しく、フレンダが入室する。執務室には、いつものように書類仕事をするヴァネッサ少佐がいた。だが、デスクの端には、湯気を立てる大きな深皿が用意されていた。


「戻ったか。報告は聞いている。新型機のテスト、および敵部隊の撃退。よく生きて帰ったな」


少佐は顔を上げず、ペンを走らせたまま言った。

その声色は厳格だが、用意された食事には彼女なりの労いが込められていた。


「『特製コンソメ・スープ』だ。固形物は喉を通らんだろうと思ってな。仔牛の骨と野菜を三日間煮込み、丁寧に濾してある。滋養強壮には最適だ」


琥珀色に透き通った美しいスープ。

具材は一切なく、ただ純粋な旨味だけが凝縮された液体。いつもなら、フレンダはその香りを嗅いだだけで目を輝かせ、一息に飲み干していただろう。


「……ありがとうございます」


フレンダはソファに座り、スプーンを手に取った。

温かい湯気が顔にかかる。命の匂いだ。今の彼女に最も必要な、温もりとカロリー。

震える手で、スープをすくう。口元へ運ぶ。

だが。


(……鉄の匂いがする)


それは錯覚だった。

極上のコンソメの香りの中に、戦場のオイルと、焼け焦げた装甲の臭いが混じっているように感じた。

さらに、スプーンを持つ右手が、微かに痙攣している。その振動が、ロータスプロトレクスが敵を貫いた瞬間の振動と重なった。


「うっ……」


フレンダは口を開けたまま、スプーンを止めた。

食べたい。お腹は空いているはずだ。なのに、喉がキュッと閉じて、何も受け入れようとしない。胃袋が、異物を拒絶するように収縮する。

カチャン。

スプーンが皿に落ち、乾いた音を立てた。


「……どうした、熱すぎたか?」


異変を察知した少佐が、ようやく椅子を回転させてこちらを向いた。

フレンダは両手で顔を覆い、小さく首を横に振った。


「ごめんなさい……少佐。せっかく作ってくれたのに……食べられないんです」


「…………」


「私……怖くて。あの機体に乗っている時、私、笑ってたんです。敵を殺すのが楽しくて、自分が強くなったのが嬉しくて……。目の前のスープが、オイルに見えるんです。スプーンが、操縦桿に見えるんです……!」


涙が指の隙間から溢れ出す。


フレンダ・ディーコンという少女の根源にある「明るさ」や「食欲」が、自身の内なる残虐性によって塗り潰されてしまった恐怖。


「私は……人間じゃなくなっちゃうんでしょうか。化け物になっちゃうんでしょうか…!」


その時、沈黙していたメイが、部屋のスピーカーを通して声を上げた。

それは、必死な弁明だった。


『違います!少佐、フレンダは正常です!忘我廻廊による精神干渉は私が最小限に抑えました!私はフレンダの生存率を上げるために、恐怖というノイズをカットしただけです。フレンダを化け物にするつもりなど……私は……!』


AIであるメイの声が、まるで泣いているかのように震えている。彼女はずっとフレンダの事だけを考えていた。フレンダが傷つかないように、恐怖を感じないように。

だが、その過保護が、逆にフレンダの人間性を傷つけてしまった。


「……静かにしろ、メイ」


少佐が静かに制止する。彼女は立ち上がり、ソファーで震えるフレンダの隣に腰を下ろした。そして、その小さな肩を抱き寄せた。


「フレンダ、よく聞け」


少佐の体温と、微かに香るコーヒーの匂い。それが、フレンダの震えを少しだけ和らげる。


「お前が今食べられないこと。それが、お前が『人間』である何よりの証拠だ」


「……え?」


「殺しを楽しんだ?結構なことだ。戦場ではハイにならなければ引き金を引けない時がある。だが、終わった後に吐き気を催し、飯が喉を通らなくなる。……それはお前の心が正常に機能している証だ」


少佐はテーブルのスープを指差した。


「化け物は悩まない。化け物は自分が何をしたかなんて考えず、平気で肉を食らう。お前は違う。自分の罪に怯え、傷ついている。それは、とても人間らしい姿だ」


少佐はスプーンを手に取り、スープをひと匙すくうと、フレンダの口元へ差し出した。


「飲め。これは、お前が生きて戻ってきた罰であり、祝福だ」


フレンダは涙でぐしゃぐしゃになった顔で、少佐を見つめた。

厳しいけれど、どこまでも温かい赤い瞳。彼女は恐る恐る口を開き、スープを含んだ。


「……ん……」


口の中に広がったのは、鉄の味ではなかった。


野菜の甘みと、肉の旨味。そして作り手の優しさが溶け込んだ、深くて温かい味。

閉じていた喉が、ゆっくりと開き、温かい液体が食道を通って胃へと落ちていく。


「……おい、しい……」


「そうか。なら全部飲め」


フレンダは自分でスプーンを握り直した。

手はまだ震えている。恐怖は消えていない。だが、一口飲むたびに、凍りついていた体が内側から解凍されていくのを感じた。


『……よかった。フレンダ、バイタル安定。胃腸の活動が再開しました』


メイが安堵の息を吐くような音を立てる。


『申し訳ありません、フレンダ。貴女の心を守る計算式が、間違っていました。次は……もっと上手くやります。貴女が貴女でいられる範囲で、私が力を制御しますから』


「……うん。頼むよ、メイ。メイがいないと、私、向こう側にいっちゃいそうだから」


スープ皿が空になる頃には、フレンダの顔には微かに赤みが戻っていた。完食した皿を見て、少佐は満足げに頷き、自分のデスクへと戻っていった。


「さて、食ったなら寝ろ。明日はガルドへの謝罪回りだ。あの機体のデータを取るために、また乗ってもらうぞ」


「……鬼ぃ」


フレンダは小さく文句を言いながらも、その表情は少しだけいつもの彼女に戻っていた。喉を通った温かいスープは、彼女が人間として戦い続けるための、新たな燃料となったのだ。





翌朝。

フレンダは再び、地下13番ハンガーの重い扉の前に立っていた。


胃の中には昨夜のスープの温もりが残っており、それが彼女の冷え切った勇気を支えている。


「……おはよう、メイ」


薄暗いハンガーの奥。

拘束具に繋がれた真紅の人型ヘキサギア「Tiny Tyrant Prototype-REX2 [CODE:LOTUS]」が、静かに鎮座している。

昨日はあれほど忌まわしく見えたその姿が、今日は少しだけ違って見えた。


ただの暴力装置ではない。乗り手の心を映す、あまりに純粋すぎる鏡なのだと、今は理解できる。


『……おはようございます、フレンダ。本当に、乗るのですか?昨日の今日です。貴女の精神回路はまだ回復しきっていません』


インカム越しのメイの声は、どこか躊躇いがちだった。

昨日、フレンダを壊しかけたことへの罪悪感。

合理的なAIらしからぬ迷いが、そこにはあった。


「乗るよ。だって、このままじゃ私は機械に負けたガバナーで終わっちゃうもん。それに……昨日のあれはメイのせいじゃない。私とメイの『息』が合ってなかっただけだよ」


フレンダは深呼吸を一つして、コクピットハッチを開いた。

鉄とオイルの匂い。


昨日は嘔吐の臭いが充満していたその場所は、整備班によって綺麗に清掃され、微かにレモンの芳香剤の香りがした。


ガルド班長なりの、不器用な気遣いだ。


システム起動。

全天周囲モニターが点灯し、フレンダの視界が外部へと拡張される。


『忘我廻廊、スタンバイ。……設定はどうしますか?昨日のレベル4は推奨しません。貴女の自我境界を侵食します』


「うん。だから、今日は『書き換え』をするよ。メイ、設定画面を開いて」


目の前に無数のパラメータウィンドウが展開される。

神経接続深度、痛覚遮断率、予測演算の先読み秒数。

フレンダはそれらを指先で弾きながら、メイに指示を出した。


「まず痛覚遮断。これ全部オフにして」


『 正気ですか?ロータスの機動Gは常人の限界を超えています。遮断しなければ骨が軋む痛みを感じることになりますよ』


「それでいいの。痛くないと、自分が無理してるのかどうかわからないでしょ?痛みはブレーキなの。私が人間でいるための警告音」


フレンダはスライダーを一番下まで下げた。


《Pain masking : 0%》


「次。予測演算による『自動操縦介入』。これも下げて。私が『右』って考える前に勝手に右に行かないで」


『ですが、それでは反応速度が0.1秒遅れます。第4世代の戦闘において、その遅延は致命的です』


「違うよ、メイ。その0.1秒は遅延じゃない。私が『本当にやっていいのか』を判断するためのタメだよ」


フレンダは、昨日の戦いを思い出していた。

敵パイロットの悲鳴を聞いた時、機械は止まらなかった。

だが、もし0.1秒の「人の判断」が挟まっていれば、あの一撃は止められたかもしれない。


「私が引き金を引く。メイはそれを助ける。主語はあくまで『私』。メイが先に答えを出さないで。一緒に悩んでよ」


『……一緒に悩む。了解しました。システム・パラメーター、更新。モードを支配から協調へ変更します』


設定変更が完了し、フレンダは操縦桿を握り直した。


「よし……起動!」


ブゥン!

機体が震える。昨日とは違う。

昨日は水の中に溶けるような感覚だったが、今日はゴツゴツとした岩を背負うような重みがある。

手足の先まで神経が繋がっている感覚はあるが、そこには確かな抵抗があった。


『シミュレーション・モード移行。仮想敵、バルクアーム・グランツ。……来ます!』


モニター上の敵が発砲する。


フレンダは反射的にペダルを踏み込んだ。


「くっ……!」


ガクンッ!

強烈な横Gが身体を揺さぶる。

シートベルトが鎖骨に食い込み、呼吸が一瞬止まる。

視界が揺れる。着地の衝撃が脊髄に響く。


「……痛っ……!重っ……!」


『だから言ったのです。痛覚遮断なしではこの機体の挙動は拷問に近いと』


「ははっ……!でも、わかる!今、地面を蹴った!足の裏に土の感触がある!」


フレンダは脂汗をかきながらも、獰猛に笑った。

気持ち悪くない。

これは私の身体だ。無理をすれば痛いし、疲れる。だからこそ、制御できる。


「行くよ、メイ!あいつの懐に潜り込む!」


フレンダが操縦桿を倒す。機体が動く。昨日のような神がかった瞬間移動ではない。

筋肉が軋み、油圧シリンダーが唸りを上げる、泥臭い突撃。

敵が剣を振り上げる。


(右か、左か……いや、フェイント!)


『予測:左からの袈裟斬りです!』


メイの解析データが脳内に表示される。

以前なら、システムが勝手に回避行動を取っていた場面だ。

だが今は違う。

メイの情報を見て、フレンダ自身が判断し、回避操作を行う。


その間、0.1秒。


永遠にも感じる一瞬の対話。


(ありがとう、メイ!)


フレンダは機体を沈み込ませ、敵の刃を紙一重でかわした。


頭上のセンサーアンテナが削り飛ばされる音が聞こえる。

ヒヤリとする死の感触。それが生々しい。


「そこぉッ!!」


ズドォォン!!

右腕の撃発式超大型戦術刀を叩き込む。

インパクトの瞬間、強烈な反動が右腕を襲った。

骨が悲鳴を上げる。


だが、その痛みこそが命を奪う重みだ。

仮想敵のバルクアームが爆散し、ノイズと共に消滅する。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


フレンダは肩で息をしていた。

たった一機のシミュレーション相手に全身汗だくだ。

昨日のような全能感はない。疲れ果てて、身体中が痛い。けれど。


「……あー、お腹すいた」


フレンダの口から、自然といつもの言葉が漏れた。

昨日は感じなかった、健全な空腹感。

胃袋が活発に動き出し、消費したカロリーを求めている。


『……バイタル、正常。精神ストレス値、微小。パフォーマンス効率は昨日の60%まで低下しましたが……フレンダの精神状態は極めて良好です』


メイの声に、安堵の色が混じる。


『これが、貴女の望んだ調律なのですね。強さを捨てて、泥臭さを取る。実に人間的で、非効率で、フレンダらしい選択です』


「褒め言葉として受け取っておくよ。それにね、メイ。これなら、メイの声がよく聞こえる」


フレンダはコンソールを優しく撫でた。


「一方的な命令じゃなくてメイのサポートを感じられる。これからは、二人で強くなろう。私が間違えそうになったら、また止めてよね」


『……了解しました、フレンダ。とりあえず、次の休憩にはレーションではなく、ちゃんとした食事を推奨します。今のお腹の音、ハンガー中に響いていましたよ』


「うっ……!聞こえてたの!?」


ハンガーの防弾ガラス越しにガルド班長がモニターを見ながら呆れたように、しかし満足げに親指を立てているのが見えた。

フレンダはニカっと笑い、汗まみれの顔でサムズアップを返した。


真紅のロータスプロトレクスは、もう悪魔ではない。

空腹と痛みを分かち合える、新しい身体としてそこに在った。



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