【密林の遺跡と眠る巨影】
密林の遺跡と眠る巨影
旧赤道直下エリア、通称「第7樹海」。
かつて文明都市が存在したその場所は数世紀にわたる植物の爆発的な侵食により、コンクリートと鉄筋が樹木に飲み込まれた緑の魔境へと変貌していた。
「……暑い。ねぇメイ、今の外気ってサウナより酷くない?」
ロード・インパルスのコクピットで、フレンダは不快そうにインナースーツの襟元を引っ張った。
バイザー越しに見える世界は圧倒的な緑と、澱んだ湿気に支配されている。
巨大化したシダ植物が視界を遮り、天を突くような巨木の枝葉が日光を遮断しているため、昼間だというのに海底のような薄暗さが漂っていた。
外気温は40度。湿度は計測不能。
まとわりつくような濃密な水蒸気が、機体の放熱フィンを結露させ、センサーの有効範囲を著しく低下させている。
腐葉土の甘ったるい腐敗臭と、名もなき熱帯植物が放つ強烈な花粉の匂いが、空調フィルター越しにすら感じられた。
『外気湿度、飽和状態。機体冷却効率、危険域まで低下中。放熱板に付着した藻類と苔が、排熱を阻害しています。戦闘機動を行う場合、連続稼働時間は雪原の時の半分以下……いえ、30%が限界です』
「あーもう!寒いの次は灼熱地獄とか、完全に嫌がらせでしょ!私の肌が乾燥したと思ったら今度はふやけてカビが生えそうなんだけど!」
『文句を言わないでください。今回の任務は、この遺跡群の最奥で確認された異常エネルギー反応の調査です。ガルド班長が徹夜で直してくれた機体です。また壊したら今度は竹馬どころか逆立ちで基地を周回させられることになりますよ?』
「うっ……。わ、わかってるよ!大事に乗りますーだ!」
フレンダは慎重に操縦桿を操作する。
泥濘んだ地面は、かつてのアスファルトが砕け、沼地のようにヘキサギアの脚を掴んでくる。
絡みつく蔦を引きちぎり、錆びた道路標識を踏み越えて進むロード・インパルス。
周囲からは、正体不明の鳥の金属的な鳴き声と、巨大な羽虫の羽音が、不気味な不協和音となって響き続けていた。
数時間の過酷な行軍の末、視界が唐突に開けた。
そこは巨大なドーム状のスタジアム跡地だった。
天井の鉄骨は崩落し、内部が露出したその「広場」には、異様な光景が広がっていた。
「……うわぁ。これ、全部ヘキサギアの残骸?」
広場の地面を埋め尽くすのは、無数の機械部品の墓場だった。
苔むして岩のようになった装甲板、赤錆に覆われ朽ち果てたシリンダー、コクピットブロックの空洞から極彩色の花が咲いている残骸。
それらはまるで何者かに破壊され、この場所の主に捧げられた「供物」のようだった。
『警戒レベル最大。フレンダ、前方注視。あの奥に鎮座する蔦に覆われた巨大な構造物。ただの瓦礫の山ではありません』
メイの警告に従い、フレンダは視線を上げる。
広場の最奥、巨大樹の根が幾重にも絡みつき、一体化している「小山」のような影。
よく見れば、それは自然物ではない。
人工的な直線のシルエット。大地に膝をつき、うなだれるようにして眠る、鋼鉄の巨人だ。
「……デカい、何あれ?移動要塞?」
全高15メートル以上。
分厚い装甲板は、長い年月を経て苔と錆で迷彩色のようになっているが、その威圧感は周囲の空気を歪ませるほどだ。
右腕には建物解体用のような超質量のハンマー、左腕には風化した多連装グレネードランチャーであろうなにか。
『データ照合……該当なし。いえ、部分的にバルクアームの設計思想が見られますが、規格が違いすぎます。おそらく、試作されつつ実戦投入されることがなかった拠点防衛用超大型ヘキサギアでしょう』
その時。
フレンダの背筋に、冷たい電流が走った。
野生の勘。あるいは、眠れる獅子の尾を踏んだという、生物としての根源的な恐怖。
「……メイ、エンジン始動!全速で離脱するよ!」
『え?調査はまだ……』
「いいから!起きるよ、あいつ!!」
フレンダが叫んだ瞬間、巨人の胸部にあるスリットから、どす黒い噴煙と共に赤い光が漏れ出した。
ズゥゥゥゥン……ゴォォォォォ……!
重低音と共に、広場全体が波打つように振動する。
巨人に絡みついていた太い蔦がブチブチと音を立てて引きちぎられ、樹液を撒き散らしながら弾け飛ぶ。
錆びついた関節が数十年ぶりに稼働し、鼓膜を引き裂くような金属の悲鳴を上げた。
『高エネルギー反応!炉心、臨界突破!ターゲット、覚醒します!推定出力、ロード・インパルスの12倍!』
「やっぱり!私が近づくとロクなことが起きない!」
グオォォォォォォォッ!!
巨人が立ち上がる。
その姿は、森そのものが意思を持って動き出したかのような錯覚を覚えさせた。
頭部にある巨大なモノアイがレンズの絞りを調整しながらギョロリと回転し、足元の小さな黒い獲物ロード・インパルスを捕捉した。
それは、古代の亡霊。
守るべき拠点が森に飲み込まれてもなお、侵入者を排除し続けるだけの、哀しき殺戮機械。
ドォォン!!
巨人が右腕を振り下ろしただけで、衝撃波が巻き起こった。
超質量のハンマーが地面を叩き、広場のアスファルトがクレーターのように陥没する。
舞い上がった土砂と瓦礫が散弾のように周囲へ降り注ぐ。
「危なっ!ちょっと、動きが鈍重そうに見えて速いんだけど!」
フレンダはスラスターを全開にし、横っ飛びに回避する。
直撃していれば、ロード・インパルスなど一撃で鉄屑のパンケーキになっていたろう。
飛び散る石礫が装甲を叩き、カンカンと高い音を立てる。
『敵武装、右腕部にギガント・クラッシャー。フレンダ、正面からの撃ち合いは不可能です。装甲厚が違いすぎます。こちらの小口径弾では塗装を剥がすことすらできません』
「わかってる!あんな鈍器で殴られたら、今度こそガルド班長に殺される!」
巨人が再び腕を振り上げる。
その影が、フレンダを飲み込むように覆いかぶさる。
風を切り裂く轟音。逃げ場のない質量攻撃。
だが、フレンダの碧眼は恐怖に染まるどころか、獰猛な光を宿していた。
「デカい図体して……。ここが足場の悪い密林だってこと、忘れてない?」
巨人のハンマーが振り下ろされるコンマ数秒前。
フレンダはロード・インパルスを垂直に跳躍させた。
狙うのは敵の懐ではない。頭上を覆う「樹海」そのものだ。
「アンカー射出!」
シュパァッ!
両肩から射出されたワイヤーアンカーが、ドーム天井に残る鉄骨と、巨大樹の太い枝に深々と突き刺さる。
ウインチを一気に巻き取り、その張力を利用して振り子のように空中へと舞い上がる。
「そこっ!」
三次元立体機動。
地上の敵しか想定していない巨人のモノアイが、空を仰ぐようにぎこちなく動く。その死角。
フレンダは遠心力を利用して加速し、巨人の肩口に着地した。
さらにそこを足場にして、敵の背後へと回り込む。
『背面へ回りますか?コクピットを狙うには装甲が厚すぎます!』
「ううん、あいつの弱点はそこじゃない。ここだよ!」
フレンダが狙ったのは、巨人の背中ではない。
長年の放置で装甲が腐食・剥落し、太い蔦が食い込んでいた左膝関節の隙間だ。
そこには、剥き出しになったシリンダーと、赤錆びた油圧パイプが見えている。
「一週間ぶりの感触……味わいなさい!」
ガシャァァァン!
落下速度と機体重量、すべての運動エネルギーを一点に集中させた大型刺突剣の一撃。
切っ先が、錆びついた関節の隙間に深々と突き刺さる。
装甲を抉り、内部構造を破壊し、シリンダーを貫通する。
ガギィィィン!!
ブシュゥゥゥッ!!
金属が噛み合う不快な断末魔。
そして、高圧の油圧パイプが破裂し、どす黒いオイルが動脈血のように噴き出した。
「ビンゴ!どんなにデカくても膝が折れればただの鉄屑!」
フレンダは突き刺した剣を強引にこじり、内部メカをさらに破壊して離脱した。
ズズズズズ……ドガァァァァァン!!
左膝の制御を失った巨人は、自重を支えきれずにバランスを崩し、スローモーションのように横倒しになった。
地響きがジャングル全体を揺らし、数百年耐えてきた古木をなぎ倒す。
衝撃で舞い上がった土煙が、しばらくの間、視界を覆い尽くした。
巨人は何度か腕を動かして起き上がろうとしたが、泥濘んだ地面と自重が仇となり、さらに破壊された膝関節が悲鳴を上げるだけで、蟻地獄に落ちた昆虫のようにもがくだけだった。
『敵機、行動不能を確認。関節の劣化箇所を一点狙いとは。相変わらず素晴らしいの観察眼ですね』
「ふふん!伊達にクラーケン鮫を探してないっての!食材の鮮度と機械の錆び具合を見抜くのは得意なんだから!」
フレンダは倒れた巨人の頭上、静止したモノアイの上に着地し、泥だらけのロード・インパルスで勝利のポーズを決める。
モノアイの赤い光が無念そうに数回明滅し、やがて完全に消灯した。
再び、森に静寂と湿気が戻ってくる。
「ふぅ……。さて、調査データを回収してさっさと帰ろう。この湿気で髪の毛が爆発しそうだし、インナーの中までビショビショで気持ち悪い!」
『了解です。帰還後のリクエストは?スープ類は今の気温では不適切ですね』
「んーとね……。冷た~いマンゴーかき氷!特大盛りで!シロップたっぷりで、頭がキーンってなるやつ!」
『……承知しました。雪原のスープとは真逆ですね。また経費申請で少佐が頭を抱える姿が目に浮かびます』
静寂を取り戻した遺跡に、フレンダの明るい声が響く。
眠りを妨げられた巨人は、再び深い緑と泥の中へと沈み、今度こそ永遠の眠りにつくのだった。
白堊理研・第八基地リトルベース執務室。
時刻は午前2時を回っている。
基地内の喧騒はすでに消え、聞こえるのは空調の低い唸り声と、ヴァネッサ・ヘルシング少佐がタブレット端末をタップする乾いた音だけだった。
「…………」
ヴァネッサは、眉間に深く皺を刻みながら、デスク上のモニターを睨みつけていた。
彼女の美しい顔立ちを歪ませているのは、敵軍の侵攻報告ではない。
もっと凶悪でもっと頭の痛い問題、部下であるフレンダ・ディーコン少尉から提出された、今月分の経費精算申請書の山だ。
「……またか、あいつは。私の血管を何本切れば気が済むんだ」
少佐はこめかみを指で強く揉みほぐしながら、冷めきった泥のようなコーヒーを一口啜った。
胃が痛い。カフェインとストレスで、胃壁が悲鳴を上げているのがわかる。
まず一枚目。
『案件番号:LP-04-Curry』
『品目:緊急時カロリー補給・特別食』
『摘要:LA海軍輸送船「ブルー・ホエール」食堂利用料』
『金額:……』
「……3人前だと?」
少佐の声が震える。
添付されたレシートには、特製牛すじ煮込みブラックカレー・特盛 × 3という、乙女の食事量とは思えない数字が印字されていた。
『補足事項』として、メイからのコメントが添えられている。
『ガバナーの血糖値が危険域に達したため、緊急措置として摂取。なお、本食事によりガバナーは精神的安定を取り戻し、輸送船クルーとの友好的関係構築に寄与しました』
「……精神的安定、か」
少佐はペン回しのように電子ペンを弄ぶ。
確かに、あの時フレンダがいなければ輸送船は沈んでいた。積み荷の医療物資の価値を考えれば、カレー3杯などタダ同然だ。
だが、問題はそこではない。
「『備考:おかわり自由じゃなかったのが残念』……この書き込みはなんだ。ここは交換日記のコーナーじゃないと言っているだろう!」
少佐は赤ペンで二重線を引き、却下。私的感想は不要と書き殴った。
しかし、その下の承認ボタンにはしっかりと親指を押し付けた。
二枚目。画面をスワイプする指が重くなる。
『案件番号:SF-N9-Chowder』
『品目:寒冷地用バイタル維持食』
『摘要:基地食堂「特製クラムチャウダー(パンの器付き)」』
これ自体は可愛いものだ。
問題は、その下にクリップされている関連経費だ。
『案件番号:LI-Repair-Hell』
『品目:ロード・インパルス・緊急修理費』
『摘要:ジェネレーター全交換、加熱コイル換装、人工筋肉繊維再編、ガルド班長の精神慰謝料(菓子折り)』
桁が違う。
カレーの数百倍、いや数千倍の金額が並んでいる。
「…………はぁ」
深いため息が、執務室の空気を重くする。
ガルド班長からの怒りのメッセージ音声が添付されていた。
『少佐!今度あいつに雪山行かせるなら、機体にカイロ100個貼ってやれ!エンジンで暖を取るバカがどこにいる!!』
少佐は頭を抱えた。ズキズキと脈打つ頭痛。だが、彼女は知っている。
フレンダの体質「検体F」としての宿命を。
極寒の中で彼女が生き延びるには、それだけの熱量が必要だったのだ。
機体を壊してでも、体温を守ろうとした判断。それは生存戦略としては間違っていない。
……軍人としては落第だが。
「……仕方あるまい。私が『雪だるまになっていなければいい』と言ったのだからな」
彼女は震える指で、修理費の請求書に承認印を押した。
その代償として、自身の今月のコーヒー豆ランクを一つ下げることを心の中で決意しながら。
そして、最後の一枚。
『案件番号:JG-07-Mango』
『品目:熱帯地域における熱中症対策・冷却材』
『摘要:移動販売車「トロピカル・ヘブン」・マンゴーかき氷(メガ盛り・シロップ増量)』
「……冷却材?」
ヴァネッサ少佐は眼鏡の位置を直した。
何度見ても、品目は冷却材として申請されている。
だが、画像データに映っているのは、毒々しいほどオレンジ色のシロップが掛かった、山のような氷塊を前にピースサインをするフレンダの満面の笑みだ。
『メイ補足:ガバナーの脳内温度および機体排熱によるストレスを緩和するために必須。急速冷却効果により、頭痛が発生しましたが、本人は「キーンとして気持ちいい」と供述しています』
「……あいつが頭痛を楽しんでいる間に、こっちは本物の頭痛で死にそうだぞ」
少佐は引き出しから頭痛薬の瓶を取り出し、水なしで二錠飲み込んだ。苦味が喉に広がる。
この密林の任務で、フレンダは旧時代の大型ヘキサギアを単独で撃破した。
その功績ボーナスを考えれば、かき氷の一杯や二杯、小銭のようなものだ。
わかっている。理屈ではわかっているのだ。
だが、このなめた申請書の書き方だけは、教育が必要だ。
少佐は電子ペンを走らせた。
『承認。ただし、以下の条件を付与する』
『条件1:次回の報告書は誤字脱字ゼロを目指すこと』
『条件2:虫歯になった場合、治療費は自腹とする』
送信ボタンを押す。
「既読」のマークが即座についた。
深夜だというのに、あいつ(あるいはメイ)も起きているのだろう。
直後、メッセージが返ってきた。
スタンプ画像だ。
デフォルメされたフレンダが、敬礼しながらウィンクしているふざけた画像。
『ありがとうございます、少佐!大好き!』
「…………ふん」
少佐はモニターの電源を乱暴に切った。
暗転した画面に、自分の顔が映り込む。
……笑っていた。
眉間の皺は消え、口元が微かに緩んでいる自分自身と目が合い、彼女は慌てて表情を引き締めた。
「……甘いな、私も」
彼女は椅子に深く体を沈め、天井を見上げた。頭痛はまだ少し残っている。
だが、それは不快な痛みではなかった。
「生きている証拠だ。あいつが食べて、壊して、笑っているなら、この程度の頭痛は安いものだ」
少佐は空になったコーヒーカップを置き、静かに目を閉じた。
明日もまた、胃の痛む一日が始まる。
そしてきっと、その痛みの分だけ、あの騒がしい部下は戦果を上げて帰ってくるのだろう。
執務室の時計が、午前3時を告げた。




