【雪原の白い悪魔】
雪原の白い悪魔
リバティー・アライアンス管轄、北方凍土帯「エリアN-9」。
視界すべてが白一色に染まるブリザードの中を、漆黒のロード・インパルスが雪を掻き分けて進んでいた。
外気温はマイナス45度。吐く息すら瞬時に凍りつく絶対零度の世界だ。
「……寒い……。無理……もう動けない……」
ロード・インパルスの背中の上で、フレンダは暖房を最大にしているにも関わらず、ガタガタと震えていた。
極地仕様の防寒スーツを着込んでいても、彼女の身体は悲鳴を上げていた。
通常の兵士なら「寒い」で済むが、彼女の場合、体温維持のために莫大なエネルギーを消費してしまうのだ。
『警告。ガバナーの深部体温、35度台へ低下。血糖値の急速な消費を確認。予備のチョコレートバーを摂取してください』
「もう……全部……食べたよぉ……」
フレンダの目から光が消えかけている。
空腹。それは彼女にとって死へのカウントダウンだ。
「……帰りたい。暖かいお風呂に入って……熱々のクラムチャウダーを飲んで……パンの器ごと食べたい……」
『フレンダ、意識を維持してください。目標ポイントまであと2km。このエリアに出没する「白い悪魔」の正体を突き止めるまで、帰還は許可されません』
「……ううっ、少佐の鬼ぃ……」
その時だった。
ヒュンッ!
風切り音すら凍りつくような鋭い音が、フレンダの耳元を掠めた。
直後、ロード・インパルスの右肩装甲が弾け飛び、火花が雪原に散った。
「っ!?敵襲!?」
フレンダの生存本能が、眠気と空腹をねじ伏せて覚醒する。
反射的に操縦桿を倒し、機体を雪の中に滑り込ませる。
『被弾確認!超長距離からの電磁加速砲です。熱源探知……反応なし!敵は環境温度と同化しています!』
「熱源がない!?幽霊か何かなの!?」
フレンダはモニターを凝視するが、映るのはノイズ交じりの吹雪だけ。
どこだ?どこから撃ってきた?
ドォォン!!
二発目。
今度はフレンダが隠れていた氷塊が粉砕された。
正確無比。そして位置が特定できない。
これが、北方部隊が恐れる伝説の狙撃手、白い悪魔の手口だった。
「メイ!弾道計算から逆探知!」
『計算終了。方位2時の方向、距離1500の稜線です!映像補正、出ます!』
モニターの一部が拡大される。
吹雪の切れ間、白い雪山を背景に、それは佇んでいた。
純白の装甲に身を包んだ、四脚獣型のヘキサギア。ウィアード・テイルズのカスタム機だ。
排熱を極限まで抑えるステルス迷彩塗装が施されており、肉眼では雪と区別がつかない。
「……綺麗な白。でも、気に入らないね」
フレンダは唇を噛み、ロード・インパルスのスラスターを点火した。
「こっちは寒くて死にそうなのに……!アンタだけ涼しい顔して隠れんぼなんて、ズルいじゃない!!」
ロード・インパルスが雪煙を上げて突撃を開始する。
だが、雪上の機動は鈍い。足場が悪く、いつものスピードが出せない。
『フレンダ、正面突破は無謀です!相手は高機動機、しかも地形を熟知しています!』
敵機はフレンダの接近を嘲笑うかのように、背中の「スペード・ロワー」を展開した。
三本の刃が蛇のように宙を舞い、フレンダに襲いかかる。
「くっ……!足元が……!」
氷に足を取られた一瞬の隙。
スペード・ロワーの一撃がロード・インパルスの脇腹を浅く切り裂いた。
「寒い……お腹すいた……動けない……」
フレンダの意識が再び遠のきかける。
寒さが思考を鈍らせる。
だが、その極限状態で、彼女の脳裏にある「欲望」が閃いた。
(……待てよ。あいつ、排熱してないってことは……)
「メイ!全リミッター解除!ジェネレーター出力を限界まで上げて!」
『なっ!?この気温でそんなことをすれば、吸気口が凍結してエンジンがバーストします!』
「いいからやって!私の『熱』を、あいつに分けてやるんだから!!」
ゴォォォォォッ!!
ロード・インパルスの機体から、猛烈な熱波が噴き出した。
本来ならオーバーヒートの原因となる廃熱を、あえて強制排出したのだ。
周囲の雪が一瞬で蒸発し、水蒸気のカーテンが生まれる。
「見えたッ!!」
サーモグラフィーが一変する。
周囲の温度が急激に上がったことで、冷却し続けていた敵機の姿が、逆に冷たい影としてくっきりと浮かび上がったのだ。
『敵機の輪郭を捕捉!』
「ごちそうさまでしたぁぁぁッ!!」
フレンダは蒸気の煙幕を突き破り、驚愕に硬直した「白い悪魔」へと肉薄した。
大型刺突剣ではない。
フレンダが選んだのは、最大出力で赤熱化したトリックブレードだ。
ジュワァァァァッ!!
超高温の尻尾が、敵機の極低温装甲に巻き付く。
急激な温度差による熱膨張。
金属にとって最悪の破壊エネルギー。
パキィィィィン!!
甲高い音と共に、白い悪魔の装甲がガラス細工のように砕け散った。
機能不全に陥った敵機が、雪原に崩れ落ちる。
「……ふぅ。どう?少しは温まった?」
フレンダは荒い息を吐きながら、動かなくなった白い残骸を見下ろした。
自身の機体からも湯気が立ち上っていた。
『敵機、沈黙。戦闘終了です。無茶苦茶な戦法ですね。エンジンが焼き付く寸前でしたよ』
「勝てばいいの、勝てば……」
緊張が解けた瞬間、フレンダの腹が雷鳴のような音を立てた。限界だ。今度こそ本当に限界だ。
「メイ……帰ろう……。私、もう指一本動かせない……」
『了解。輸送機を要請しました。それと、朗報です。帰還後のメニューに貴女の要望していた特製クラムチャウダーが追加されました』
その言葉を聞いた瞬間、死にかけていたフレンダの碧眼に生命の灯火がカッと点った。
「……本当!?」
『はい。少佐からの通信です。「雪だるまになっていなければ、温かいスープを用意して待っている」とのことです』
「やったぁぁぁぁ!!メイ、急いで! エンジン全開!焼き付いてもいいからマッハで帰るよ!!」
『……先ほど「動けない」と言ったのはどの口ですか』
極寒の雪原を、黒い獣が猛スピードで駆け抜けていく。
その背中には、どんな寒波よりも熱い「食欲」という名の炎が燃え盛っていた。
白堊理研リトルベース・第2整備ハンガー。
巨大な防爆シャッターが上がり、牽引車によってゆっくりとそれが運び込まれてきた。
ロード・インパルスという黒い獣。
だが今の姿は、見るも無残な鉄屑のオブジェだった。
機体表面には霜と煤がこびりつき、装甲の隙間からはまだ白い蒸気と異臭が漏れ出している。
関節部分は焼き付き、駆動音はギチチ……という悲鳴のような軋み音しか発しない。
「…………」
ハンガーに集まった整備兵たちは全員が作業の手を止め、絶句してその残骸を見上げていた。
その中心に、油汚れと煤で顔を黒くしたフレンダが、恐る恐る立っていた。
「あー……。た、ただいまです……?」
フレンダが引きつった笑顔で手を振る。
その瞬間、ハンガーの空気が凍りつき、そして爆発した。
「ふざけるなぁぁぁぁッ!!」
スパナを握りしめ、顔を真っ赤にして怒鳴ったのは、整備班長のガルド老人だった。
彼はフレンダの親ほどの年齢のベテランで、この基地の全ヘキサギアの主治医だ。
「貴様!一体どう乗ったら、たった一回の出撃でここまで壊せるんだ!?」
「い、いやぁ、ちょっと寒かったから……暖房代わりにエンジン吹かしたというか……」
「暖房だと!?暖房でメインシャフトが歪むかボケェッ!!」
ガルド班長はロード・インパルスの腹部パネルを乱暴に開けた。
そこから、ドロドロに溶けたケーブルの束が垂れ下がる。
「見ろこのザマを!マイナス45度の環境で強制排熱?急激な熱膨張?金属疲労って言葉を学校で習わなかったのか!?装甲が収縮と膨張の繰り返しで悲鳴を上げとるわ!」
「で、でも敵は倒したし!私も生きてるし!」
「機体が死んどるわッ!!」
班長の怒号がハンガーに響き渡る。
周囲の整備兵たちも、半泣きで被害状況を報告し始めた。
「班長!第3シリンダー溶解してます!交換用パーツの在庫がありません!」
「人工筋肉が全断裂!繊維がボロボロです!」
「トリックブレードの加熱コイル、焼き切れてます!これもう全取っ替えですよ!」
「あはは、……えーっと……」
「聞けフレンダ!これなら新車を一から組んだ方がまだ早いわッ!」
フレンダは縮こまりながら、助けを求めるようにインカムへ小声で囁いた。
「ちょっとメイ!あんたからも何か言ってよ!『不可抗力の戦闘機動でした』とかさぁ!」
『……了解。客観的事実を報告します』
メイの合成音声が、ハンガーのスピーカーから冷静に流れる。
『本戦闘において、ガバナー・フレンダは警告を無視し、意図的にエンジン・リミッターを解除。
さらに、敵機への密着状態で最大出力を180秒間維持しました。これはマニュアルの推奨限界値の、およそ450%に相当します』
「450%だと?」
班長がゆっくりと振り返る。その目には、修羅のような光が宿っていた。
「うっ、裏切り者ぉぉぉッ!」
「貴様……この機体を『使い捨てカイロ』か何かと勘違いしてんじゃねぇだろうな……」
「ち、ちが……!ほら、ロード・インパルスって頑丈が売りだし!?あーいや、メーカーも想定内かなって!」
「想定するわけあるかァッ!!アースクラインの設計者が聞いたら卒倒して泡吹くわ!」
班長はスパナを振り上げたが、ため息と共にそれを下ろした。
彼は愛おしそうに、ボロボロになったロード・インパルスの前脚を撫でた。
「……だが、よくパイロットを守り切った。これだけの無茶をされて、爆散せずに帰ってくるとはな。とんでもない駄馬だが、根性だけは一級品だ」
「……でしょ?私の相棒だもん」
フレンダが少しだけ誇らしげに胸を張る。
班長は呆れた顔で、顎で出口をしゃくった。
「わかったらさっさと消えろ。貴様の顔を見てると血圧が上がる。修理には一週間かかる。それまで貴様は徒歩だ」
「えっ、一週間!?次の任務は!?」
「知らん!竹馬でも乗って行け!」
「……は、はーい。……お願いしまーす」
フレンダは脱兎のごとくハンガーから駆け出した。
これ以上ここにいたら、スパナで整備されかねない。
背後からは、再び整備兵たちの悲鳴と、班長の怒号が聞こえてくる。
「おい、予備のジェネレーター持ってこい!」
「徹夜だ!今夜中にバラすぞ!」
「くそっ、あのじゃじゃ馬娘め……!」
フレンダは廊下の角を曲がったところで足を止め、ハンガーの方を振り返って小さく手を合わせた。
「ごめんね、整備班のみんな。あとで差し入れ持っていきます」
『フレンダ。ガルド班長は文句を言っていますが、彼の生体反応はやりがいを感じて活性化しています。彼は壊れれば壊れるほど燃えるタイプです』
「わーお、変なの。……ま、類は友を呼ぶってことかな!」
フレンダは食堂の方角へ向き直る。
そこには、約束されたパンの器に入った熱々のクラムチャウダーが待っているはずだ。
その香りを想像して、フレンダの足取りはスキップに変わった。
ハンガーに響く怒号は、ガバナー達にとっての凱旋のファンファーレのようなものだった。




