【錆色の港と空腹の獣】
錆色の港と空腹の獣
リバティー・アライアンス(LA)とMSGヴァリアントフォース(VF)。
両勢力圏が交錯し、どちらの支配も及ばないグレーゾーン。その海岸線に位置する中立交易都市、「ラストポート(錆港)04区」。
潮風には重油と鉄錆の臭いが混じり、空は常に鉛色の雲に覆われている。
違法なヘキサグラム取引、密輸、傭兵の斡旋あらゆる欲望が渦巻くこの街の雑踏を、一人の少女が歩いていた。
「くん、くん。うん、間違いない!この路地の奥だ!」
非番を示すラフなジャケットを羽織ったフレンダは、雑踏を縫うように進んでいた。
彼女の碧眼は、敵影ではなく、屋台から立ち上る煙に向けられている。
『……フレンダ。貴女の現在位置は、治安維持レベルEの危険区域です。非番とはいえ、単独行動は推奨されません』
耳元のインカムから、呆れたメイの声が響く。
「大丈夫だって、私を誰だと思ってるの?それに、この街に来たら絶対に食べなきゃいけないものがあるんだから!」
フレンダが足を止めたのは、古びたドラム缶を改造したコンロの前だった。
浅黒い肌の老人が、巨大な鉄板で何かを豪快に炒めている。
「おじさん!『クラーケン鮫の爆薬炒め』、大盛りで一つ!辛さはマックスでお願い!」
「あいよ!嬢ちゃん、見た目に似合わず度胸があるねぇ!」
老人が笑い、真っ赤な香辛料を大量に投入する。
刺激的な香りが爆発し、フレンダの胃袋が歓喜の声を上げた。
『……成分分析。カプサイシン濃度が致死量に近いです。貴女の特殊な代謝機能でなければ、一口でショック死しますよ』
「それがいいんじゃない!刺激こそ人生!生きてる証!」
熱々の容器を受け取り、フレンダは路地裏の木箱に腰掛けた。
フォークを突き刺し、真っ赤に染まった鮫肉を口に運ぼうとした、その時だった。
ズドォォォォン!!
「……え?」
轟音と共に、地面が激しく揺れた。
衝撃で手元が狂い、フォークから鮫肉が滑り落ちる。
スローモーションのように、真っ赤な塊が泥だらけの地面に落下し、転がった。
「…………」
フレンダの動きが止まる。
路地の外、メインストリートの方から、人々の悲鳴と怒号、そしてヘキサギアの駆動音が聞こえてきた。
けたたましいサイレンが鳴り響く。
『緊急アラート。港湾区画にて爆発確認。所属不明の武装集団が、停泊中のLA輸送船を襲撃しました。フレンダ、直ちに帰還し、出撃準備を――』
「……メイ」
フレンダが低く呟いた。
その声の冷たさに、メイが一瞬言葉を詰まらせる。
フレンダはゆっくりと立ち上がり、地面に落ちた鮫肉を見下ろした。
そして、手に持っていた容器を、ベキベキと音を立てて握り潰した。
「……許せない」
『フレンダ?』
「私の休日を、私のクラーケン鮫を……邪魔する奴は絶対に許さない!!」
彼女はジャケットを脱ぎ捨て、インナーの戦闘服姿になると、爆心地に向かって走り出した。
その碧眼は、空腹と怒りでギラギラと燃え上がっていた。
「メイ!ロード・インパルスを遠隔起動!私が着くまでに暖機運転を済ませなさい!合流したら即暴れるわよ!」
『了解です、フレンダ。やれやれ、今度の敵は運が悪いですね』
錆びついた港町に、空腹の獣の咆哮が響き渡ろうとしていた。
「どけぇぇぇぇッ!!」
ラストポート04区、第3倉庫街。
黒煙が立ち上るメインストリートを、一人の少女が疾走していた。
その速さは、常人の短距離走のトップスピードを維持したまま、瓦礫の山をパルクールのように飛び越えていく異常なものだった。
「おい、なんだあの女!」
「民間人か?構わん、撃て!」
LAの輸送船を襲撃していた武装集団、所属不明の傭兵部隊のガバナーたちが突っ込んでくるフレンダに気づきアサルトライフルを構える。
ダダダダダッ!
乾いた銃声が響く。
だが、フレンダは減速しない。
弾丸が着弾するコンマ数秒前、彼女は本能的な勘だけで上半身を捻り、あるいはスライディングで射線を潜り抜けた。
「はぁっ!?」
傭兵の一人が驚愕の声を上げた瞬間、懐に飛び込んだフレンダの蹴りが、彼のアーマーの顎をカチ上げた。
ガゴォッ!
「ぐあぁっ!?」
「一人目! 次!」
フレンダは倒れた傭兵を踏み台にして跳躍。
空中でジャケットを脱ぎ捨てると、インナーの背中にあるコネクタが露わになった。
そこへ、呼応するように爆音が近づく。
「メイ!!」
『到着しました、フレンダ!最適戦闘ルート算出。……目前の敵性体をすべて排除しますか?』
倉庫の屋根を突き破り、黒い獣ロード・インパルスが落下してきた。
その背中は、空中のフレンダを迎え入れるように正確な位置へとスライドする。
ガシャン!
着地と同時に、フレンダのコネクタと機体がリンクする。
神経接続完了。思考が機体へと拡張される。
フレンダの「空腹」と「怒り」が、ダイレクトにロード・インパルスのゾアテックス(獣性)へと流し込まれた。
「当たり前でしょ!あいつらのせいで……あいつらのせいで!!」
フレンダは操縦桿を握りしめ、血走った目で叫んだ。
「私のクラーケン鮫が泥まみれになったんだよぉぉぉッ!!!」
『……動機が個人的すぎます。ですが、怒りによるシンクロ率上昇を確認。ゾアテックス・レベル、危険域へ突入』
「な、なんだアレは!第三世代か!?」
「鮫……?何を言っているんだ!?」
傭兵たちが混乱する中、黒い獣が動き出した。
それは戦闘機動と呼ぶにはあまりに粗暴で、しかし回避不能な暴走だった。
ズバァン!!
ロード・インパルスの前脚が、目の前にいたアーリーガバナーを裏拳のように薙ぎ払う。
金属と肉が砕ける鈍い音が響き、敵兵がボロ雑巾のように吹き飛んだ。
「返してよ!私の800クレジット!」
旋回。
太いトリックブレードが鞭のようにしなり、背後から忍び寄ろうとした敵ガバナーの首を絡め取る。
「ぐっ、が……!?」
「そして何より! あのスパイスの香りを返せぇぇぇッ!!」
ブォォォォン!!
メインスラスター噴射。
フレンダはトリックブレードで敵を掴んだまま、機体を急加速させた。
遠心力で振り回された敵兵は、仲間のヘキサギア・スケアクロウへと人間の砲弾となって叩きつけられた。
ドガァァァァン!!
「ひ、ひぃぃッ! 化け物だ!」
「撃て! ミサイルだ! 距離を取れ!」
傭兵たちがパニックに陥り、無差別に火器を乱射する。
だが、空腹で感覚が研ぎ澄まされたフレンダには、それら全てが止まって見えた。
「遅い!止まってる暇があったら代わりの鮫を持ってきなさいよ!」
フレンダは大型刺突剣を展開。
機体の前部ブースターを不規則に噴射させ、ジグザグの軌道を描きながら敵陣の中央へ突っ込む。
右の敵を刺突で串刺しにし、左の敵を機体の体当たりで粉砕。
そこにあるのは戦術ではない。
ただ、邪魔なものを退かすという原始的な欲求の具現化だった。
「くそっ、このバルクアームで踏み潰してやる!」
敵の隊長機らしき重装甲ヘキサギアバルクアーム・αが、瓦礫の陰から姿を現し、主砲を向けた。
至近距離。回避不能のタイミング。
だが、フレンダは笑った。
その笑顔は、獲物を見つけた肉食獣のそれだった。
「メインディッシュのお出ましだね!硬そうだけど、殻を剥けば中身は食べられる!」
『フレンダ、それは比喩ですか?それとも本気で食べる気ですか?』
「どっちでもいい!メイ、全エネルギーを機体前面へ!」
『了解、オーバードライブ!』
ロード・インパルスが獣の咆哮を上げる。
バルクアームの主砲が火を噴くより早く、黒い影が懐へと潜り込んだ。
「いただきまぁぁぁぁす!!」
ズドォォォォォッ!!
下から上へ。
一撃がバルクアームの装甲の継ぎ目、コクピットハッチの下部を正確に貫いた。
巨大な質量が宙に浮き、そのまま後方へと弾き飛ばされる。
「が、は……っ……」
隊長機の沈黙を確認し、フレンダは大型刺突剣を振ってオイルを払った。
周囲には、動く敵影はもう一つもない。
壊滅的な被害を受けた武装集団の残骸と、荒い息を吐くフレンダだけが残されていた。
『戦闘終了。エリア内の敵性反応、消失。所要時間、3分12秒。凄まじい殲滅速度ですね、空腹パワーは』
メイが感心したように、しかし少し呆れ気味に告げる。
フレンダは大きく息を吐き、ヘルメットのバイザーを上げた。
その碧眼から、ようやく殺気が消えていく。
「はぁ、はぁ……。当然でしょ。早く終わらせないと、お昼の時間が終わっちゃう」
『……残念なお知らせですが、フレンダ。先ほどの戦闘の余波で、あの屋台のおじさんは既に避難しました。本日のクラーケン鮫は売り切れです』
「…………」
フレンダの動きが凍りつく。
そして数秒後、ラストポートの空に、敵を倒した時よりも悲痛な叫びが響き渡った。
「嘘でしょぉぉぉぉッ!!私のお昼ご飯んんんんんッ!!」
グゥゥゥゥゥ……。
盛大な腹の虫の音が、虚しく残響した。
「……終わった。私の休日、私の鮫……」
壊滅した武装集団の残骸が散らばる倉庫街。
その中心で、フレンダはロード・インパルスの前脚に額を押し付け、項垂れていた。
さっきまでの鬼神のような戦いぶりが嘘のように、その背中は小さく丸まっている。
『……フレンダ。バイタルサイン低下。血糖値が危険域です。このままでは戦闘不能どころか意識を失います』
「もういい……。どうせこの街の店はみんな閉まっちゃったし……。軍用レーションを齧って寝るよ……」
フレンダがいじけたように呟いた、その時だった。
プシュゥゥゥン……。
背後の岸壁に停泊していたLAの大型輸送船のハッチが開き、昇降タラップが降りてきた。
中から数名のクルーと、制帽を被った初老の船長が駆け寄ってくる。
「お、おい!そこのガバナー、無事か!?たった一機で敵部隊を壊滅させるなんて……!」
船長は興奮気味に声を掛けたが、フレンダは力なく手を振るだけだった。
「……あー、どうも。お礼なら結構です。今は誰とも話したくない気分なんで……」
「そ、そう言うな!君は我々の命の恩人だ!せめて何か礼をさせてくれ!」
「お礼なんて……」
フレンダが断ろうとして顔を上げた瞬間。
湿った海風に乗って、それは漂ってきた。
クミン、コリアンダー、カルダモン、そして炒めた玉ねぎの甘く濃厚な香り。
鉄と油の臭いが充満する戦場において、それはあまりに異質で、しかしあまりに暴力的な文明の香りだった。
「……ん?」
フレンダの鼻がピクりと動く。
碧眼がカッと見開かれた。
『……嗅覚センサー反応。揮発性芳香成分を検知。これは……』
「カレー……?しかも、ただのカレーじゃない。じっくり二日間は煮込んだ、牛すじ肉の欧風カレー……!?」
フレンダがガバッと船長の方を向く。その気迫に、船長がたじろぐ。
「せ、船長!今、船の中で何を作ってますか!?」
「え?あ、ああ……。今日は金曜日だからな。海軍の伝統で『カレーの日』なんだが……」
「食べさせてください!!」
フレンダは船長の両手をガシッと握りしめた。
「お礼ならカレーで!カレーがいいです!大盛りで!いや、鍋ごと!!」
「え、ええっ!?い、いいけどよ……」
輸送船「ブルー・ホエール号」の食堂。
清潔なステンレスのテーブルに、フレンダは行儀よく、しかしソワソワと座っていた。
目の前には、銀色の巨大な楕円皿が置かれている。
「お待たせしたな。これがウチの料理長自慢の『特製・牛すじ煮込みブラックカレー』だ」
船長が合図をすると、湯気を立てるカレーが運ばれてきた。
その色は限りなく黒に近いダークブラウン。
粘度の高いルーが、白く輝くライスの山脈に、とろりと掛けられている。
具材はシンプルだ。形がなくなるまで煮込まれた野菜と、ゴロリと存在感を放つ牛すじ肉の塊だけ。
「……美しい」
フレンダは思わず呟いた。
さっきまで泥だらけの鮫肉に執着していたのが嘘のように、目の前の黒い宝石に心を奪われている。
「い、いただきます!!」
スプーンを突き入れる。
ルーのとろみが、スプーン越しに指に伝わる。
ライスとルーを黄金比率ですくい上げ、口へと運ぶ。
――爆発。
「んんん~~~~っ!!!」
フレンダがのけ反り、天井を仰いだ。
最初に舌を打つのは、焙煎されたスパイスのほろ苦さと、鮮烈な辛味。
だが、次の瞬間に訪れるのは、大量の玉ねぎとフルーツチャツネが生み出す深淵のような甘みとコク。
そして何より、牛すじ肉だ。
(噛まなくていい……!舌の上で解ける……!)
ゼラチン質がトロトロに溶け出した牛すじは、口の中の熱だけで繊維がほぐれ、肉の旨味がルーと一体になって喉を駆け抜けていく。
「おいひい……!おいひいです船長ぉぉ……!」
「ははは、そうかそうか!若いのにいい食いっぷりだ。見ていて気持ちがいいな!」
涙目でカレーを掻き込むフレンダを見て、船長や周りのクルーたちも相好を崩す。
彼女の異常な代謝機能は、摂取したカロリーを即座に熱エネルギーへと変換し、冷え切った身体を芯から温めていく。
『……フレンダ。先ほどのクラーケン鮫への執着はどこへ行ったのですか?「一生許さない」と言っていたはずですが』
インカムからメイの冷静なツッコミが入る。
フレンダはスプーンを止めず、心の中で答えた。
(過去は振り返らない主義なの!それに、このカレーには鮫にはない「優しさ」がある……!)
「おかわり!ルー多めで!」
「あいよ!どんどん食え!」
結局、フレンダは特大皿で三杯を平らげた。
満腹と満足感で、彼女は食堂の椅子に深く背を預けていた。
「はぁ……生きててよかった……」
「満足してもらえたかな、救世主さんよ」
船長が食後のコーヒーを差し出す。
フレンダはそれを受け取り、少し照れくさそうに笑った。
「救世主なんてやめてくださいよ。私はただ、通りすがりの腹ペコガバナーですから」
「ハハッ、違いねぇ!だが、君が通りかかってくれて本当に良かった。この船には前線の基地へ届ける医療物資が積まれていたんだ。君のおかげで多くの命が助かる」
船長の真摯な言葉に、フレンダは少しだけ真面目な顔になり、コーヒーを一口啜った。
「そっか。なら、私の暴走も少しは役に立ったってことですね」
「ああ。最高の働きだったぞ」
窓の外、ラストポートの空にはいつの間にか雲の切れ間から夕陽が差し込んでいた。
鉛色の海が今は黄金色に輝いている。
『フレンダ。帰還命令が出ています。少佐が、貴女の現在位置と「摂食カロリー」をモニターしているようです』
「うっ……!少佐、見てたの!?」
『はい。「また経費で食い散らかしたな」と仰っていますが、声色は穏やかです』
フレンダは苦笑いをして、最後のコーヒーを飲み干した。
お腹は満たされた。命も救った。そして何より、最高に美味しいカレーに出会えた。
これ以上ない休日だ。
「船長、ごちそうさまでした!またこの港に来たら、寄らせてもらいます!」
「ああ、いつでも歓迎するよ!今度は鮫じゃなくて、最初からウチに来なさい!」
フレンダは元気に敬礼をして、輸送船を後にした。
その足取りは軽く、夕陽に照らされたロード・インパルスが待つ岸壁へと向かっていく。
(さて、帰って報告書書かなきゃ!今日の夕飯、カレーじゃないといいけど)
そんな贅沢な心配をしながら、フレンダの休日は幕を閉じた。




