【大地の牙、紅蓮の散華】
大地の牙、紅蓮の散華
墜落したアグニレイジが黒煙を上げる谷底に、地響きが近づいてくる。
絶望的な重量感。
煙を割り、ブロッケード・アイビーが姿を現した。
だがその姿は以前とは違っていた。
六本の脚部すべてに、追加のアンカーユニットが増設され、装甲の隙間からは冷却蒸気が噴き出している。
『……見事だ。空の王を地に堕とした手腕、認めよう』
ゼクトの声は静かだった。
だが、その静けさは嵐の前の海のように重い。
『だが、同じ手は二度と通じない。貴様の戦術は解析済みだ。質量を利用した投げ技。ならば、大地そのものと一体化する。貴様ごときに何ができる?』
ガションッ!!
ブロッケード・アイビーが六脚すべてのパイルバンカーを大地に突き刺した。
さらに、関節部がロックされ、機体が岩盤と完全に同化する。
絶対不動の要塞。
これでは、テコの原理を使おうにも、支点ごとへし折れるだけだ。
「……やっぱりね、あんたみたいな石頭はそうくると思ったよ」
フレンダはボロボロのロータスの中で、血まみれの唇を吊り上げた。
恐怖はない。
あるのは、これから始まる最高の食事への期待だけ。
「行くよ、メイ!これが……アイツとの最後のダンスだ!」
ギュオオオオオオン!!!
ロータスプロトレクスが咆哮する。
エンジンの臨界音。もはや帰りのエネルギーなど残していない。
真正面からの特攻。
『愚かな、正面突破など……!』
ゼクトが嘲笑い、迎撃システムを起動する。
バイティング・シザース、機銃、そして背部のスナイパーキャノン。
弾幕の嵐がロータスを襲う。
「当たらないッ!」
フレンダは機体を左右に振るのではなく、地面を滑るように低空突進させた。
左腕が吹き飛ぶ。
肩の装甲が弾け飛ぶ。
だが、止まらない。
肉を切らせて骨を断つ、捨て身の突撃。
(もっと……!もっと深く!あいつが勝ったと確信する距離まで!)
フレンダはアイビーの懐、アンカーで固定された脚部の中心へと飛び込んだ。
『捕まえたぞ』
ゼクトがトリガーを引く。
巨大なハサミが、ロータスの胴体を挟み込もうと迫る。
回避不能のタイミングだが、フレンダは避けない。
彼女は、コクピットの中で叫んだ。
「そこが墓場だ、ゼクトォォォッ!!」
フレンダは、コンソールに増設された「起爆スイッチ」を拳で叩き割った。
「穿て、土竜!!」
一瞬の静寂。
そして、世界が下から弾けた。
ドッゴォォォォォォォォォン!!!!
ブロッケード・アイビーの足元。
ゼクトが絶対の安定と信じてアンカーを打ち込んだその地面の下には、ガルド班長が用意した指向性対ヘキサギア地雷が十数個も埋設されていたのだ。
固定された脚部には逃げ場がない。
地雷から噴出した超高温・超高速のメタルジェットが、下から上へと突き抜ける。
『なっ……!?バカなッ!?地面が……!?』
ゼクトの驚愕は衝撃にかき消された。
自慢の重装甲も底面からの貫通攻撃には無力。
六本のうち四本の脚が、根元から切断され吹き飛んだ。
「動かないなら……地面ごと吹き飛びなさい!!」
支えを失った巨体が自重によって崩れ落ちる。
要塞が崩壊する。
だが、ゼクトは死んでいなかった。
崩れ落ちながらも、アイビーのモノアイが怪しく光る。
胴体に直結されたスナイパーキャノンの砲口が、目の前のロータスを捉えた。
『貴様だけは……道連れだァァァッ!!』
「上等ッ!!」
フレンダは退かなかった。
盾もない。回避もしない。
残った右腕にすべてのエネルギーを注ぎ込む。
ズドンッ!!
ドガァァァァァァン!!!
二つの轟音が重なった。
アイビーの零距離砲撃と、ロータスのパイルバンカー突き。
相反するエネルギーが衝突し、光の津波となって谷底を飲み込んだ。
スローモーションのような時間。
フレンダの視界の中で、愛機が分解していくのが見えた。
左半身が消し飛ぶ。
モニターが砕け散る。
装甲が剥がれ、むき出しのフレームが炎に包まれる。
メイの声が、途切れ途切れに聞こえる。
『……フレンダ……脱出……を………ありがとう……ござい……まし……』
プツン。
メイとのリンクが切れた。
ロータスプロトレクスは完全に沈黙した。
ただの鉄屑になった。
だが。
その鉄屑は、まだ勢いを失っていなかった。
最後の瞬間に放った右腕のパイルバンカー。
その杭はスナイパーキャノンの砲身を内側から突き破り、そのままアイビーのコクピットブロックへと到達していたのだ。
爆風が収まる。
もう、動くものは何もなかった。
アグニレイジの残骸。
脚をもがれ、腹部を貫かれたブロッケード・アイビー。
そして、そのアイビーに突き刺さったまま、上半身の半分を失い、黒焦げになったロータスプロトレクス。
静寂。
風の音だけが響く。
『……ガハッ……』
アイビーの残骸から、苦しげな咳が聞こえた。
緊急ハッチが弾け飛び、ゼクトが這い出してくる。
オイルまみれだが、生きている。
「……怪物め、相打ち……か」
ゼクトは震える手でハンドガンを抜き、沈黙したロータスのコクピットに向けた。
装甲は融解し、中がどうなっているか分からない。
だが、生きていられるはずがない。
「……私の勝ちだ、ドブネズミ」
彼が引き金を引こうとした、その時。
キィィィィ……
焼け焦げたロータスのハッチが、内側から蹴り開けられた。
「……誰が……ネズミだって?」
煙の中から現れたのは亡霊ではなかった。
全身傷だらけで、アーマーもボロボロ。
額からは血が流れ、片目は塞がっている。
だが、残った碧眼はギラギラと、あまりにもギラギラと輝いていた。
フレンダ・ディーコン。
彼女は右手に、機体のコンソールから引き抜いた非常用ナイフを握りしめていた。
そして、左手には……。
「……なっ」
ゼクトは目を疑う。
彼女の左手には、半分溶けた「エネルギー・レーション」が握られていた。
彼女はそれを、バリボリと齧り付いた。
「んぐっ……!はぁ、はぁ……。お腹……すいた……!」
機体を失い、メイを失い、死の淵に立ちながら。
この少女は、まだ「食欲」を「生への執着」を失っていなかった。
「……っ、化け物がッ!!」
ゼクトは恐怖に駆られて発砲する。
だが、その手は震えていた。弾丸は外れ、岩肌を削る。
フレンダはナイフを構え、ふらつく足で一歩、また一歩と近づいていく。
その姿はヘキサギアを操るガバナーではない。
一匹の飢えた野生動物だった。
「……おかわりだ、ゼクト。あんたの命を……よこしなさい!」
夕陽が二人の影を長く伸ばす。
鉄の巨人が死に絶えた荒野で、最後に立っていたのは、最も強く「生」を渇望した、小さな一人の人間だった。
夕闇が迫る第4渓谷の底。
ゼクトは腰が抜けたように岩盤にへたり込んでいた。
彼の目の前には、非常用ナイフを逆手に持ったフレンダが立っている。
「……ひっ、うぅ……」
ゼクトはヴァリアントフォースのエリートだ。数多の戦場を潜り抜け、多くの敵を葬ってきた。
死ぬ覚悟はできているつもりだった。
だが、今の状況は戦死ではない。捕食される直前の小動物の恐怖だ。
フレンダの瞳には、慈悲も、躊躇いも、あるいは憎しみさえもない。
あるのは、獲物の急所を見定める、冷徹で透き通った観察眼だけ。
(殺される。喉を裂かれる。心臓を穿たれる)
ゼクトは目を閉じた。
フレンダが腕を振り上げる気配がした。
風切り音。そして、衝撃。
ドスッ!!
「あ……が……っ!?」
痛みはなかった。
首が飛んだわけでもない。
ゼクトがおそるおそる目を開けると、フレンダのナイフは彼の首の皮一枚横、アーマーのベルトポーチに突き刺さっていた。
「……え?」
フレンダは無造作にナイフを捻り、ポーチのベルトを切断した。
そして、ゼクトの腰から「ヴァリアントフォース将校用サバイバルキット」をひったくった。
「寄越せ」
彼女はゼクトを無視して、キットの封を歯で食い破る。
中から出てきたのは、真空パックされた天然水と、高カロリーのチョコレートバー、そして高級なドライフルーツだった。
「……んぐっ、ごくっ、ごくっ……!」
フレンダはボトルのキャップをねじ切り、一気に喉へ流し込んだ。
乾ききった体に、冷たい水が染み渡る。
続いて、チョコレートを包装紙ごと齧り付く。
「……はぁ、生き返る」
彼女は口元についたチョコを舌で舐めとり、恍惚な表情を浮かべた。
ゼクトは呆然としていた。
命乞いをする暇もなく、ただ食糧を奪われたのだ。
「き、貴様……。私を……殺さないのか?」
震える声で問う。
フレンダは残ったドライフルーツをポケットにねじ込みながら、冷ややかな目で見下ろした。
「殺してほしいの?」
フレンダが小首をかしげる。
その仕草は無邪気だが、言葉の裏にはナイフのような切れ味があった。
「あんたさ、今すごい顔してるよ。恐怖で青ざめて、汗まみれで、脂汗でギトギト」
彼女はゼクトの頬を、ナイフの腹でペチペチと叩いた。
「少佐が言ってたんだ。『恐怖した獲物の肉は、酸っぱくて硬くて不味い』って。今のあんたの命、すっごく不味そう」
「な……っ!」
ゼクトの顔が屈辱で赤く染まり、そして再び青ざめた。
命を助けられたのではない。
食べる価値もないと見捨てられたのだ。
エリートとしてのプライドが、根底から踏み躙られた瞬間だった。
「それにさ」
フレンダは、アグニレイジとアイビーの残骸を指差した。
「一番美味しいところはもう全部食べちゃったしね。あんたは食後のゴミ。……でも」
フレンダはニヤリと笑い、ゼクトの胸ぐらを掴んで引きずり起こした。
「ゴミでもリサイクルはできるでしょ?リバティー・アライアンスの捕虜収容所で、せいぜい情報を吐きなさい。それが、あんたに残された唯一の『栄養価』だよ」
フレンダは、キットに入っていたワイヤーでゼクトの両手を後ろ手に縛り上げた。
抵抗する気力は、ゼクトにはもう残っていなかった。
彼は完全に心を折られ、この小さな捕食者に隷属することを受け入れていた。
「歩け、遅れたらアキレス腱切って引きずってくから」
「……は、はい……」
かつて要塞の管理者と名乗った男は、今やただの荷物運びとなり、フレンダの後ろをとぼとぼと歩き出した。
峡谷の入り口付近まで戻ると、向こうから強力なハイビームが闇を切り裂いた。
装甲車と、数台のバルクアーム。
救援部隊だ。
「おーい、ここだよー!」
フレンダが大きく手を振る。
先頭の車両から少佐とガルド班長が飛び出してきた。
「フレンダッ!!」
少佐が駆け寄ってくる。
彼女はフレンダの全身、血と煤と油にまみれた姿を見て息を呑んだ。
そして、その後ろにいる縛られた男と、遠くに見える巨大な鉄屑の山を見て状況を悟った。
「……やったのか。あのアグニレイジと、ブロッケード・アイビーを……単独で」
「ヘヘッ……。ロータスは、全損しちゃいましたけどね」
フレンダが申し訳無さそうに頭をかく。
だが、ガルド班長は涙ぐみながら叫んだ。
「バカ野郎!あんなもん、鉄板叩けばまた作れる!お前が生きてりゃ、それでいいんだよ!!」
ガルドはフレンダを抱きしめようとして、彼女の汚れっぷりに一瞬躊躇したが、力強く抱きしめた。
オイルと火薬の匂い。
それが、生還者の証だった。
「報告します、少佐」
ガルドの腕から抜け出したフレンダは、背筋を伸ばして敬礼した。
「敵主力部隊、壊滅。敵指揮官、一名確保。……それと」
フレンダは捕虜のゼクトの方を振り返り、悪戯っぽく笑った。
「敵の高級レーション、3食分確保しました!これ、戦利品として貰っていいですよね?」
少佐は呆気にとられ、やがて深い溜め息と共に微かに微笑んだ。
「……ああ、好きにしろ。ただし、基地に戻ったらフルコースの検査と報告書の山が待っているぞ」
「うげぇ……。ま、いっか。お腹いっぱいだし」
フレンダはその場に座り込んだ。
緊張の糸が切れ、急激な睡魔と疲労が襲ってくる。
視界が暗くなる中、彼女は最後に一つだけ呟いた。
「……メイ。帰ったら……起こしてね……」
彼女は倒れ込むように眠りに落ちた。
その寝顔は、数々の怪物を屠った英雄とは思えないほど、安らかで、幼い少女のものだった。
捕虜となったゼクトは、その寝顔を見て、恐怖とは違う震えを覚えた。
(この少女は……戦いを楽しんでいたのか?それとも、ただの食事だったのか?)
その答えを知る術はない。
星空の下、リバティー・アライアンスの車両が撤収していく。
第4渓谷の戦闘は、こうして幕を閉じた。




