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【折れた角、折れない牙】

折れた角、折れない牙


時刻は深夜3時を回っていた。

白堊理研・第2整備ハンガー。

静まり返った構内に、耳障りな金属音が響き渡った。


ズズズ……ガギィ……。

ゲートをくぐり、ゆっくりと歩みを進めてくる機体があった。

「紅蓮の蓮華」と呼ばれ、出撃時には「赤鬼」と恐れられたその機体は、今は見る影もなかった。


『Tiny Tyrant Prototype-REX2 [CODE:LOTUS]』


右腕の巨大な増加装甲は高熱でドロドロに溶解し、飴細工のように垂れ下がっている。

左脚の人工筋肉は断裂し、引きずるようにして歩いている。

頭部のセンサーユニットは半分が吹き飛び、露出した配線からバチバチとショートした火花が散っていた。


「…………」


コクピットハッチが開く。

中から這い出してきたフレンダは油と煤で顔を真っ黒にし、右腕を押さえていた。

機体への衝撃がフレンダの肉体にも深いダメージを与えていたのだ。

彼女は迎えに来た整備兵たちのざわめきを無視し、ただ一人腕を組んで仁王立ちしている男の元へと歩み寄った。


「……班長」


フレンダの声は掠れていた。

ガルド班長は、無言でフレンダを見下ろし、そして視線を背後のロータスプロトレクスへと移した。


怒鳴られる。

フレンダは身をすくめた。


「五体満足で返せと言っただろう!」と、スパナが飛んでくるのを覚悟した。

だが、ガルドは動かなかった。

彼はゆっくりと機体に近づき、溶解した右腕の装甲を、耐熱グローブ越しに撫でた。


「……インペリアル・フレイムか」


ガルドが呟く。

その声に怒りはなかった。あるのは純粋な驚愕と、底知れぬ恐怖への理解だった。


「バルクアームの装甲板を三枚重ねにして、耐熱コーティングを施した俺の『ゴリラアーム』が一撃でここまで溶かされるとはな」


「……ごめんなさい。アイビーは投げ飛ばせたんです。あと一撃、杭を撃ち込めば勝てた。でも……空から、竜が……」


フレンダが言い訳のように早口でまくし立てる。

涙が滲んでくる。悔しさと、申し訳なさで。


「ごめんなさい、班長。あんなに改造してくれたのに……壊しちゃった」


「…………」


ガルドは溶けた装甲の奥にある無事なシリンダーを確認した。

そして、フレンダの方を向き、鼻を鳴らした。


「馬鹿野郎」


彼はフレンダの頭に、ゴツゴツした大きな手を置いた。


「装甲は溶けてるが、中身は生きてる。お前が咄嗟に盾にしたおかげで、コクピットもジェネレーターも無事だ」


「え……?」


「アグニレイジの炎を浴びて原形を留めて帰ってきた機体なんざ、俺は初めて見たぞ。よく連れて帰ってきた。合格だ」


ガルドは乱暴にフレンダの髪をわしゃわしゃとかき混ぜると、整備兵たちに向かって怒号を飛ばした。


「おいテメェら!何ボサっとしてやがる、冷却剤を持ってこい!装甲が癒着する前にひっぺがすぞ!今夜は寝かさねぇからな!!」


「イエッサー!!」


活気づくハンガー。

ガルドは背中を向けたまま、フレンダにひらひらと手を振った。


「お前は邪魔だ。さっさと少佐のところへ行って泣いてこい」


その背中は、「あとは俺に任せろ」と雄弁に語っていた。


フレンダは足を引きずりながら、少佐の執務室へと向かった。


ドアノブに手をかける。

手が震えていた。

ガルドは許してくれた。けれど、自分自身が許せなかった。

負けた。逃げた。

その事実が、鉛のように胃袋を圧迫していた。


「……失礼します」


入室する。

部屋は間接照明だけの薄暗い空間だった。少佐はデスクではなく、ソファに座っていた。

ローテーブルの上には湯気を立てる皿と、スプーンが二つ。


「遅かったな。冷めるところだ」


少佐は視線だけで向かいの席を勧めた。

そこに用意されていたのは、ハンバーグでもスープでもない。

赤い豆と挽肉を煮込んだ、スパイシーな香りのする料理。


特製チリコンカンと、焼き立てのバゲットだった。


「……これ」


「辛いぞ、目が覚めるほどな」


少佐は自らバゲットをちぎり、チリコンカンを乗せて口に運んだ。

フレンダもおずおずとスプーンを手に取る。


一口、口に運ぶ。


「……っ!」


唐辛子とスパイスの刺激が、舌を、喉を、そして冷え切った胃袋を焼き尽くすように駆け抜ける。

熱い。辛い。

けれど、その奥に挽肉の旨味と、トマトの酸味が広がっていく。

戦場で麻痺していた感覚が、強制的に叩き起こされる味。


「アグニレイジ。エクスパンダー。そしてブロッケード・アイビー」


少佐が淡々と、まるで明日の天気を読むように言った。


「それが今日お前が相手にした『死』のリストだ。ヘキサギアの歴史においても、これほどの戦力が一箇所に集中し、そこから生還したガバナーはいない」


「……でも、逃げました」


フレンダは皿を睨みつけながら言った。


「勝てたんです。アイビーには勝てた。なのに……怖くて、煙幕を炊いて、泥まみれになって逃げました。私は……」


「それがどうした」


少佐の声が、スパイスよりも鋭く響いた。


「ガバナーの勝利条件は『敵の殲滅』ではない。『生き残ること』だ。お前は最強の矛でアイビーを無力化し、最強の盾で竜と死神から逃げ切った。私の部下として、誇らしい戦果だ」


「誇らしい……?」


「そうだ。だが、悔しいのだろう?」


図星だった。

生きててよかった、なんて思えない。

ただひたすらに、あの赤い竜に見下ろされたこと、あの死神に背中を斬られたことが屈辱でたまらない。


「……悔しいです。あいつら全員、絶対に許さない。次は……次は絶対に、土下座させてやるんですから……!」


フレンダの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

それは恐怖の涙ではない。

折れかけた心を、無理やり繋ぎ止めるための熱い涙だった。


「……辛いんです、これ。唐辛子、入れすぎですよ……」


「そうか。なら水でも飲め」


少佐は何も聞かなかったことにした。

ただ、黙ってバゲットをもう一枚、フレンダの皿の横に置いた。


「食え。怒りも、屈辱も、全部スパイスにして飲み込め。それがお前の牙になる」


「……はい!」


フレンダは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、チリコンカンをかき込んだ。


辛い。熱い。

でも、力が湧いてくる。

胃袋の底から、ドロリとした殺意ではなく、もっと熱くて純粋な闘志が燃え上がってくるのを感じた。

完食した皿を前に、フレンダは大きく息を吐いた。瞳の奥には、もう迷いはなかった。


『フレンダ。ガルド班長から通信です。「右腕の修理には時間がかかる。だが、面白いもんが見つかった。……次は『空』も『陸』も関係ねぇ。全員まとめて罠にハメてやる」とのことです』


メイの報告に、フレンダはニヤリと笑った。

その笑顔は、いつもの明るいものではなく、どこか猛獣じみた獰猛さを孕んでいた。


「上等じゃない。少佐、作戦の立案許可をください。次は正面突破なんてしません。泥沼に引きずり込んで、一匹ずつ確実に処理します」


「許可する、基地の倉庫にあるものは何でも使え。私の権限ですべて承認してやる」


少佐は空になったコーヒーカップを置き、満足げに微笑んだ。


折れたのは角だけだ。

この少女の牙は、まだ何一つ欠けていない。

それどころか、研ぎ澄まされ、より鋭く光っている。

窓の外、白み始めた空の下で、フレンダ・ディーコンは新たな戦いへと心を定めた。


もはや、ただの大物喰いではない。

戦場そのものを支配する狩人になるために。


翌日の午後。

白堊理研第八基地リトルベース・第2整備ハンガーの作業テーブルには、一見するとゴミの山が広げられていた。


錆びついた円盤、配線が剥き出しの箱、そして工事現場で使うようなワイヤーのリール。


「……班長。これ、産業廃棄物ですか?」


右腕を吊り包帯で固定したフレンダが呆れたように尋ねる。

だが、ガルド班長はオイルまみれの歯を見せて、凶悪に笑った。


「失礼なことを言うな。こいつらはな、旧時代の遺産……ガバナーがまだ名誉なんてものを知らなかった時代の道具だ」


ガルドは一番手前にあった、直径50センチほどの分厚い鉄の円盤を叩いた。


「いいか、フレンダ。お前は『アグニレイジ(竜)』、『アイビー(要塞)』、『エクスパンダー(死神)』の三馬鹿トリオを相手にしなきゃならねぇ。正面から殴り合えば、勝率は0%だ。だがな……」


ガルドの声のトーンが下がる。


「奴らが『戦場』だと思っている場所を『処刑場』に変えてやりゃあ……話は別だ」


ガルドは円盤を持ち上げた。見た目以上に重そうだ。


「『タイプ3・指向性対地地雷(通称:土竜)』だ。こいつは踏んだ瞬間に爆発するなんてチャチな代物じゃねぇ。振動と磁気を感知して、真上に『成形炸薬』を噴射する」


「成形炸薬……? 戦車の装甲を抜くやつ?」


「そうだ。アイビーみたいな重たい図体がのっしのっしと歩いてきて、こいつの上を通り過ぎた瞬間……腹の底からドカンだ。足の一本や二本、根元から消し飛ぶぞ」


「……えげつないですね」


「褒め言葉だ。こいつを渓谷の移動ルートにばら撒く。奴らがただの地面だと思っている場所すべてが死への入り口になる」


次にガルドが指差したのは、アンテナの生えた四角い箱だった。


「『広域音響・熱源欺瞞ユニット』こいつはな、ロータスプロトレクスのエンジン音と排熱パターンを録音・増幅して、周囲に垂れ流すスピーカーだ」


『なるほど。デコイですね』


メイが興味深そうに反応する。


「ああ、アグニレイジの上空からのセンサーやエクスパンダーの聴覚を誤認させる。こいつを岩陰に設置しておけば、奴らはそこにフレンダがいると思って突っ込んでくる。……そこに何があると思う?」


フレンダがニヤリと笑って答える。


「さっきの『土竜』がある」


「正解だ。見えない敵を追わせて勝手に自爆させる。狩りの基本だな」


最後にガルドが手に取ったのは、極細のワイヤーが巻かれたリール射出機だった。


一見、ただの建設用ワイヤーに見えるが、光の当たり具合で刃物のような鋭い輝きを放っている。


「『単分子カッター内蔵・レイザーワイヤー』。こいつはエクスパンダー用だ。あいつは速い。目で追ってたら殺される。だから、追わせない」


ガルドはジェスチャーを交えて説明する。


「こいつを通路に張り巡らせる。目には見えない蜘蛛の巣だ。高速で突っ込んできた奴がこれに引っかかればどうなるか……想像してみろ」


「……バラバラになる」


「そこまで行かなくても、自慢の人工筋肉くらいはズタズタになる。動きさえ止まれば、あとはお前の杭の出番だ」


一通り説明を聞いたフレンダは、作業テーブルの上のガラクタたちが宝の山に見えてきていた。

どれも卑怯で、陰湿で、致命的。今の自分に一番必要なものだ。


「ありがとう、班長。これ全部持って行きます。メイ、第4渓谷の地図を出して」


『了解しました、ホログラム展開』


空中にあの屈辱の戦場である渓谷の地形図が浮かび上がる。

フレンダは、赤いマーカーペンを握りしめその地図を睨みつけた。


「ここがアイビーとの遭遇地点。こっちの崖上がアグニレイジの狙撃ポイント。そして、この岩場がエクスパンダーの隠れ場所……」


フレンダは猛烈な勢いで地図に書き込みを始めた。

逃走ルート、死角、地雷の設置ポイント、デコイの配置場所。

今まではどうやって戦うかを考えていた頭脳が、今はどうやって罠にハメるかにフル回転している。


『フレンダ。この狭い回廊にデコイを設置し、地雷原へ誘導するルート……成功率は85%です。ただし、誘い込むための餌が必要です』


「餌ならいるよ。一番美味しそうで、一番ムカつく餌がね」


フレンダは自分の胸を指差した。

自分が囮になり逃げ回るふりをして、奴らを死の迷路へと引きずり込む。


「……で、肝心の私の相棒は?」


フレンダがハンガーの奥を指差す。

そこには、整備用ケージに囲まれたロータスプロトレクスが鎮座していた。


溶解した右腕の「ゴリラアーム」は撤去され、代わりに標準仕様のマニピュレーターに戻されている。

だが、その背中には新たな装備、コンテナ状のバックパックが増設されていた。


「名付けて『ロータス・トラッパー・カスタム』だ。背中のコンテナには、さっきの地雷とデコイが満載されてる。あと、ガトリングガンを一丁追加しておいた。牽制用だが、ばら撒くには丁度いい」


「身軽になったね。これなら、あの時より速く走れる」


フレンダは愛機の装甲を撫でた。

ゴツゴツした重装甲も頼もしかったが、今の自分にはこの身軽さが心地よい。

風のように走り、罠を張り、影に潜む。


「準備万端だね」


フレンダは包帯を解き、軽く右腕を回した。

まだ痛みはある。だが、動く。


「班長。行ってきます。今度こそ……大物の首、獲ってきますから」


「おう。期待してるぞ、狩人さんよ」


ガルドはニヤリと笑い、親指を立てた。

その横で、テーブルの上の悪意の道具箱が、出番を待ちわびて冷たく光っていた。

復讐の準備は整った。


第4渓谷は、もはやヴァリアントフォースの防衛線ではない。

フレンダが主催する、残酷で愉快な狩猟区域へと変わろうとしていた。

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