【過去記録・子実体の胎動】
過去記録、子実体の胎動
LA勢力圏交易都市レプトリア。
常に煤煙とオイルの匂いに満ちたこの工業都市はその日、奇妙な静寂に包まれていた。
空は鉛色に曇っていたが、降り注いできたのは雨ではなかった。
「……ねぇ、メイ。なんか粉っぽい」
フレンダ・ディーコン少尉は、ロード・インパルスのコクピットからグローブで空を舞う微粒子を受け止めた。
それは蛍光ピンクや紫に輝く、美しい粉だった。
『成分分析中……。有機物反応、これは胞子です。フレンダ、直ちにアーマーのバイザーを閉鎖してください。ただのカビではありません』
メイの警告と同時に街の防災サイレンが鳴り響いた。
だがその音は途中で歪み、不快なノイズへと変わって途切れた。
「な、なにごと?」
フレンダが周囲を見渡すと信じられない光景が広がっていた。
道路の亀裂、ビルの壁面、街路樹。
胞子が触れた場所から爆発的な速度でキノコが増殖していたのだ。
それもただのキノコではない。
ドクン、ドクンと赤く脈打ち自ら発光する、毒々しい生命の塊。
鉄の街が数分のうちに極彩色の密林へと塗り替えられていく。
「うわぁ……。趣味悪い色」
フレンダが顔をしかめたその時、路地の奥からふらりと人影が現れた。
LAの一般兵、ポーンA1だ。
だが、その歩き方は奇妙にぎこちない。
「あー、もしもし?そっちも迷子?」
フレンダが声をかけるが、返答はない。
男が顔を上げた。
割れたバイザーの奥から、無数の菌糸が溢れ出し、眼球があった場所には小さな極彩色の花が咲いていた。
「ひっ……!?」
『生体反応なし。すでに死亡しています。あれは菌糸によって神経系を操作されている死体人形です』
ガギギ……ギュルル……
死体だけではない。
男の背後から無人型ヘキサギア、スニークサイトが浮遊してくる。
だが、その羽はカビに覆われ、センサー部分は肥大化した子実体に乗っ取られていた。
ヘキサグラムの高エネルギーに惹かれ、機械と融合した新種の菌類。
スニークサイトが金切り声を上げて襲いかかってきた。
「気持ち悪いッ!寄らないでよ!」
フレンダはロード・インパルスを起動させてチェーンガンを放った。
弾丸がスニークサイトを粉砕するが、飛び散った破片からも菌糸が伸び、地面のアスファルトに根を張ろうとする。
「なによこれ……!死なないの!?」
『再生能力と感染力が異常です。フレンダ、ここは危険です。都市の外へ脱出しましょう』
フレンダはスロットルを開け、大通りを駆け抜けた。
だが景色が進まない。
いつの間にか都市全体が濃密な色のついた霧に覆われ、方向感覚を狂わせていたのだ。
『GPS、ロスト。磁気センサー、異常。霧に含まれる成分が電波を遮断しています。これでは出口の方角がわかりません』
「嘘でしょ……。じゃあ、このキノコだらけの街で遭難ってこと?」
ロード・インパルスの装甲表面にも、うっすらと苔のようなカビが生え始めている。
エアフィルターが悲鳴を上げ、コクピット内にも甘ったるい腐臭が漂い始めた。
「……なんか、甘い匂い」
『警告。吸い込まないでください。幻覚作用があります。恐怖心が増幅され正常な判断力を失います』
メイの警告も虚しく、フレンダの意識は混濁し始めていた。
視界の端で、ビルがぐにゃりと曲がり、マンホールから巨大な目玉が覗いているように見える。
「やだ……怖い……」
フレンダの手が震え、操縦桿を握る力が抜ける。
その隙を狙い、霧の中から感染したスケアクロウの群れが現れた。
菌類に覆われた二脚戦車が、涎のように粘液を垂らしながら包囲網を狭める。
「囲まれた……もうダメだ……」
絶望に飲み込まれそうになった時、フレンダのお腹が「グゥ~」と鳴った。
恐怖よりも根源的な欲求。生存本能が、彼女に囁いた。
(食べなきゃ、死ぬ)
フレンダの目が、スケアクロウの装甲に生えている一際大きな蛍光ピンクのキノコに釘付けになった。
「……美味そう」
『フレンダ?何を言って……』
彼女はバイザーを開け、身を乗り出した。
そして、襲い来るスケアクロウの脚にしがみつくと、そのキノコをむしり取りあろうことか口に放り込んだ。
ガブゥッ!!
『!?!?!?』
口の中に広がる強烈な痺れと濃厚な甘み。
それは毒だ。常人なら即死レベルの神経毒。
だが、「検体F」として調整された彼女の消化器官はそれを「高カロリーエネルギー」として認識し分解を開始した。
「……んぐっ、ごくん!」
ドクンッ!
フレンダの瞳孔が開き、碧眼がギラリと輝いた。
幻覚が消える。恐怖が消える。
代わりに湧き上がってきたのは燃えるような活力だった。
「まっずい!!けど、力が湧いてきたぁぁぁッ!!」
フレンダはロード・インパルスに戻り、レバーを叩き込んだ。
「さあ、第二ラウンドだよカビ野郎ども!!今の私は無敵だ!」
毒を食らって復活したフレンダはスケアクロウの群れをトリック・ブレードでなぎ倒し、霧の中を突き進んだ。
その先で、一際異様な形をしたビルを発見する。
そこは霧の発生源と思われるレプトリア生物科学研究所だった。
「ここの匂いが一番キツイ。メイ、突入するよ!」
瓦礫を乗り越え、研究所の深部へ。
そこで二人が見たのは、無惨な死体となった研究者たちと、残された研究データだった。
『ログ解析完了。……やはり、人災です。プロジェクト名【自己増殖型生体ヘキサグラム】。ヘキサグラムのエネルギー再生能力を菌類に応用し、無限に増える食料兼エネルギー資源を作ろうとした……』
「で、失敗して自分が餌になったってわけ?バッカじゃないの。食べ物はちゃんと料理して食べるもんでしょ」
フレンダは呆れ返った。
だが、ログの最後には、もっと恐ろしいことが記されていた。
この地下プラントには菌糸を統括するマザーが存在し、それが都市のヘキサグラム供給路と融合していること。
そして、放置すれば数日で大陸全土へ汚染が広がるということ。
「……脱出するにはその『親玉』を叩くしかないってことね」
地下プラント「セクター・ゼロ」。
そこは、極彩色の地獄だった。
壁一面が脈打つ肉壁となり、中央には高さ30メートルを超える巨大な肉塊が鎮座している。
『特異点個体:マザー・ラフレシア』
巨大な花弁の中心には、かつての実験用大型ヘキサギアが埋め込まれ無数の触手がうねっている。
『オォォォ……タベテ……ヤルゥゥ……』
マザーが咆哮すると、地下空間全体が振動した。
無数の触手がロード・インパルスに襲いかかる。
「食べるのはこっちだよ!!」
フレンダはロード・インパルスを駆り、触手の嵐の中を駆け抜けた。
チェーンガンを撃ちまくり、再生する肉壁を切り裂く。だが、マザーの再生速度は異常だった。
撃っても、切っても、即座に修復される。
『核は花弁の中心ですが、胞子の密度が高すぎて照準が定まりません!』
「だったらゼロ距離まで近づく!」
フレンダは機体のリミッターを解除した。ロード・インパルスの人工筋肉が悲鳴を上げる。
「トリック・ブレード、最大出力!道を開けろぉぉぉッ!!」
高速回転するブレードが、マザーの触手をミンチにし、肉壁を抉じ開ける。粘液と胞子を浴びながら、ロード・インパルスはマザーの懐へと飛び込んだ。
「そこだぁッ!!」
マザーの中心核。青白く輝く巨大な結晶体が見えた。だが、マザーも最後の抵抗を見せる。
花弁が閉じ、フレンダたちを飲み込もうとしたのだ。
巨大な消化器官が、ロード・インパルスを圧壊しようとする。
「ぐぐっ……!押し潰される……!」
『フレンダ!』
絶体絶命の瞬間。
フレンダは、コクピットであのにっくきピンク色の肉壁を睨みつけた。
「……あんたなんかより、私の胃袋の方が強いんだよ!!」
フレンダは機体の全エネルギーを、口元の牙ではなく、右前脚の爪に集中させた。
「砕け散れぇぇぇッ!!」
ズガァァァァン!!
ロード・インパルスの一撃が閉ざされようとする花弁を内側から突き破り、そのまま核を一刀両断した。
眩い光が溢れ出す。
『ギョオオオォォォォォ……!!』
マザーの断末魔と共に、制御を失った菌糸たちが一斉に崩れ落ちる。
地下プラントが崩壊を始めた。
崩落する地下施設。
爆炎と瓦礫の雨の中を一台の獣が駆け抜ける。
ロード・インパルスは満身創痍だったが、そのエンジンの鼓動は止まらなかった。
「出口だ!光が見える!」
フレンダは叫び、最後のスロープを跳躍した。
ドォォォォン!!
背後で研究所が爆発し、地盤沈下と共に地底へと飲み込まれていく。
その爆風に押されるようにして、ロード・インパルスは地上へと転がり出た。
朝日が、荒野を照らしていた。
レプトリアの街を覆っていた極彩色の霧は、マザーの死と共に急速に色が抜け灰色の灰となって風に流されていく。
「……終わった」
フレンダはコクピットから這い出し、大地に寝転がった。
空気は美味しくない。埃っぽい。
だが、あの甘ったるい毒の匂いはもうしない。
『……生還を確認。フレンダ、貴女の身体データをスキャンしました。信じられません。体内に侵入した毒素に対し、驚異的な速度で抗体が生成されています』
「へへ……。言ったでしょ。私の胃袋は最強だって」
フレンダは懐から、戦利品としてむしり取った「マザーの破片(小さな光るキノコ)」を取り出し、太陽にかざした。
「これ、焼いたらどんな味がするかな?」
『……貴女という人は。いいですか、絶対に基地のキッチンは使わせませんよ』
「ケチー」
二人の軽口が、朝の荒野に響く。
この「レプトリアの悪夢」は、後にリバティー・アライアンスの極秘記録としてアーカイブされることとなる。
だが、その悪夢を「試食」して生き延びた一人のガバナーの記録は公式には残されていない。
ただ、フレンダ・ディーコンの胃袋の伝説として密かに語り継がれるのみである。




