7.幸子、増えない体重に絶望(解決済み)
──……産後14日目。
つまり、私がミレイになってから、もう2週間が経った。
「問題はありません。順調ですね」
マナミの2週間健診に来てくれた女医さんが、優しくそう言った。
ちなみに今さらながら、この女医さんの名前は、弥生さんというらしい。
ミレイになった私にとって、もっともお世話になっている存在と言ってもいいヤヨイさん。
“女医さん”と呼ぶのもそっけなくて、乳母に名前を聞き、さりげなく「ヤヨイさん」と呼んでみた。
──そしたら、泣かれた。
また泣かせてしまった、と慌てる私。
けれど彼女はすぐに涙を拭き、笑顔でこう言った。
「悲しくて泣いたんじゃないんです。貴族の方に名前を呼んでもらえるなんて、初めてで……感激してしまって」
涙を浮かべながら微笑むその姿に、ちょっと心配になった。
……この子、本当に大丈夫?
幸子としては、ミレイと同じくらいヤヨイさんのことも、娘のように心配になってきてしまった。
それはさておき──。
生後3日頃までは、母乳を飲ませても、マナミの体重は授乳前後で2gほどしか増えなかった。
うーん、思い出すなあ……幸子の第一子の頃を。
何も分からないまま、助産師さんの言うとおりに必死で授乳していたっけ。
産後でボロボロ、寝不足、おっぱいは張って痛くて、乳首は切れそうで……
泣きながら20分かけて授乳して、ベビースケールに乗せてみたら──
えっ、嘘でしょ? あれだけがんばったのに、3g減ってるんですけど!?
その場で崩れ落ちそうになった私。
いやあ、若かったなぁ、あの頃の幸子。
でも今はもう、5人の子どもを育てた経験がある。
あれが“生理的体重減少”だったってこと、ちゃんと知っている。
生まれたばかりの赤ちゃんは胃が小さくて、母乳で摂る水分よりも、汗やおしっこで出ていく水分のほうが多い。
だから一時的に体重が減るのは、自然なこと。
だからマナミに対しては、こう言えた。
「あらあら、ちょっとしか増えなかったわね。じゃあ、ミルクも飲みましょうね」
焦ることなく、自然にミルクを足してあげられた。
……まあ、私の母乳が出なくても乳母がいるんだけど。
でもやっぱり、自分の子に乳母の母乳を飲ませるのって、ちょっと抵抗があるのよね。
「マナミはまだ母乳を飲む体力が足りないみたい。だから、ミルクで!」
と、何を言われても押し通して、母乳が足りないときはミルクをあげることにした。
「ミルクより母乳のほうが……」とか、言われたけど関係ない。
だってマナミは女の子で、どうせ──
いやいや、それ以前にマナミのことは私が決めるの!
そんな時期もあったけど、今では私の母乳だけで足りるようになってきた。
「1日平均35g増。マナミ様、順調ですね。素晴らしい成長です」
「よかったね、マナミ。ちゃんと飲んでくれてありがとう」
そう言って、マナミの頬にすり寄せる。
まだ笑わないけど、最近は起きてる時間も増えて、どんどんかわいくなってきている。
(私の娘。マナミが一番! 世界でいちばんかわいい!)
そんな親バカな思考でうっとり見つめていたら、ヤヨイさんがぽつりと言った。
「ミレイ様は、本当にすごいですね」
「……え?」
何が? と顔を向けると、ヤヨイさんは優しく続けた。
「平民のお母さんでも、初産のときは戸惑って、赤ちゃんに話しかけられない人が多いんです。
ましてや、乳母に育児を任せがちな貴族の方となれば、なおさら……。
でも、ミレイ様はそれを自然にされています。とても素晴らしいことです」
「そ、そうなんだぁ……」
(……そりゃ、6人目ですから!)
そんな心の声は封印して、私は苦笑いでごまかした。
「でも……ありがとうございます。そう言ってもらえると、ちょっと自信が持てます」
いくら慣れているとはいえ、赤ちゃんを育てるのは10年以上ぶり。
しかも、体は幸子のものじゃないし、ここは異世界だ。
正しいことをしてるのか不安だったけど、医者の立場であるヤヨイさんに褒められて、少し安心した。
「いえ、こちらこそです。マナミ様が元気に育っておられるのは、ミレイ様の深い愛情のおかげ。
お母さんのぬくもりは、赤ちゃんにとって何よりの栄養ですから」
そう言って、ヤヨイさんはそっとマナミの手に触れた。
その手は本当に小さくて──“もみじの手”とは、よく言ったものだ。
短くてふっくらした指がとにかくかわいくて、柔らかくて、ずっと触っていたくなる。
マナミが指をぴくりと動かすと、ヤヨイさんの表情がふわっと和らいだ。
「かわいいですね……」
「ほんとに。毎日見てるのに、毎回『今日もめちゃくちゃかわいい!』って思っちゃうのよね」
(そして、毎回うちの子が世界一かわいいと思ってしまうのよね……)
ああああーっ! なんでこの世界にはスマホがないの!
幸子のときみたいに、フィルムの残り枚数なんて気にせず、好きなだけ撮れたらいいのに……
スマホも、デジカメも、使い捨てカメラさえも存在しないなんて!
そんなことを思いながら、私はこっそり心の中で涙したのだった──。




