16.幸子、“長女”を想う
子どもたちは、自室に戻った。
私とヤヨイさん、先生の三人になったとき、先生が言った。
「ミレイ様。ご心配なさることはありません。
彼は間違いなく、十分な知性と能力を持っています」
「……!」
私は、胸が熱くなるのを感じた。
(やっぱり……! あの子は何も“劣って”なんかいない!)
先生は続けた。
「これまで彼が『できない』とされてきたのは、教え方が彼に合っていなかっただけです。
文字に頼らず、“聞いて覚える”“見て覚える”──そうした方法を工夫すれば、彼はきっと、誰よりも力を伸ばしていくでしょう」
「──ありがとうございます」
私は心から、そう言った。
ヤヨイさんも、隣でやさしく頷いてくれている。
そして先生は、一枚の小さなメモを取り出して、私に差し出した。
「これは、彼の特性に合った学び方の提案です」
受け取った紙には──
・長い説明ではなく、短く、簡単な言葉で伝えること
・文字よりも、絵や図を使うこと
・正解を求めすぎず、“できたこと”をたくさん褒めること
──そんな、温かいアドバイスが、丁寧な文字で書かれていた。
「シンイチロウくんに必要なのは、“間違いを責めること”ではありません。
小さな成功体験を積み重ねて、“できる自分”を信じられるようにしてあげることです」
「……はい!」
私はメモをぎゅっと胸に抱きしめるようにして、深く頷いた。
(絶対に、あの子を守る)
(絶対に、あの子の才能を咲かせてみせる)
もう、迷いはなかった。
「いやぁ、それにしても……本当に凄いですね」
「はい……っ! うちの息子は、すごいんですっ!」
先生が「すごい」と言ってくれたことが、嬉しくて反射的に答えた。
「……やだ、私ったらっ! “うちの息子”とか言っちゃった!」
でも、シンイチロウくんが「お母さん」って呼んでくれたし、いいよね?
なんて、ひとりで照れながら考えてると、きょとんとした顔の先生が、ぷっと吹き出し笑顔に変わった。
「あははっ! 違いますよ、ミレイ様……いえ、“お母さん”。
私がすごいと言ったのは、お母さん──あなたのことです」
「──えっ?」
思わぬ言葉に、先生の顔をじっと見つめる。
先生も私の目をまっすぐに見返して、続けた。
「シンイチロウくんの読字障害は、一般的にはもちろんのこと、医者でも知ってる者はほとんどいない症状です。
そして読み書き以外の能力には問題がないため、周りの人間はもちろん、本人さえもそれが障害だとは、なかなか気づけません。
『頭が悪い』『勉強をさぼっている』と思われがちで、気づいてあげられないと本人をとても苦しめます」
……そう言われて、泣きそうになってしまった。
──『ひらがなもまともに書けない馬鹿が、五条家の当主になれるわけがない』
あの、くそピ──(放送禁止用語)が言った言葉だ。
そんなことを言われて、シンイチロウくん本人はもちろん、亡くなったシンイチロウくんのお母さん……奥様も、きっと凄くショックだっただろう。
悲しみと怒りで、胸がいっぱいになった。
先生は言葉を選びながら、ミレイ──いや、私に向き直った。
「失礼な言い方かもしれませんが……あなたは後妻。シンイチロウくんの生みの親でもなければ、まだお若い。
なのに……シンイチロウくんのことを、よく見ていたんですね」
そう言われて気がついた。
──そうだ。ミレイはよく見てたんだ、シンイチロウくんとユリカちゃんのことを。
きっかけは侍女の言葉だったが、ミレイの記憶があったから。
シンイチロウくんの記憶力がずば抜けていることを、気にして印象深くミレイが覚えていてくれたから……ディスレクシアに私は気づけたんだ。
──ミレイ、ありがとう。
ミレイがシンイチロウくんのことをよく見ていてくれたから、彼の苦しみを軽減できそうだよ。
今の私にとって、ユリカちゃんが長女じゃない。
ユリカちゃんは次女。マナミは三女だ。
(──大丈夫だよ、シンイチロウくん)
(君は、きっと輝ける)
心の中で、もう一度、強く、強く、そう誓った──。
そして私は、心の中で長女に、もう一度お礼を言った──。




