第二十七章
何度も何度も、大きく車体は左右に揺れ、幾度となく前の座席に叩きつけられたが、やがて少しずつスピードが遅くなり、ついに列車が完全に止まった時、田中は命が助かったのが解った。
隣の由香里も、沙羅も、助かった喜びと安心感で安堵した目を向けてきた。
「止まったようだ」
「そうだね、助かったね」
由香里がそう言いながら、ホッとした様子で田中に凭れてきた。
柔らかな由香里の肉体をメイド服越しに感じた。
それを見た沙羅が、「ちょっと!」と声を荒げたので慌てて由香里はまた身体を起こした。
命が助かった瞬間、今度は田中の取り合いになる。女と言う生き物は実に業が深い、田中はそう思った。
「いや、これで終わりじゃないかも知れないぞ」
田中がそう言うか言わぬかの間に、今度は揺れを感じた。
ほぼ同時に、また緊急地震速報がけたたましい音を立てた。
「うわ、うわ、また来た!」
人々が興奮して声を立てる。
新幹線の車体が、大きく揺れた。どうやら窓から見る限りでは、駅ではなく、どこかの高架の上で止まっているらしい。窓から見える相模湾と、なだらかな山の斜面に立つ家々、ビルのように立ち並ぶホテル街などを見ているとどうやら熱海駅に近いようだ。遠くのビルがゆっくりと揺れているのが確認できた。
しばらくして揺れは収まった。
「現在、関東地方で強い地震があり、安全のため新幹線の運行を見合わせております。また、安全のため係員の誘導があるまでは絶対に線路に降りないでください……」と、アナウンスの声が聞こえた。
どうやら、当分新幹線は動かないだろう。しかも、この様子では、当分の間、新幹線に閉じ込められそうだ。
「ねえ、大丈夫かな?」
沙羅がそう言ってきた。
「解らないよ。とにかく、当分このままだろう。停電はしていないようだから、とにかくスマホを充電しておこう」
充電器を電源に差し込み、スマホを充電し始めた。
スマホで地震について調べる。震度情報が出た。東京二十三区は震度七、千葉で震度五や六、神奈川でも六や五、小田原で震度六弱、熱海で震度五強とかなりの広範囲の地震が襲ったらしい。地震に弱い都内では、相当な被害が出ているかも知れないと田中は思った。
「早めに帰ってきて良かったかもしれないね」
由香里がそう言った。確かにそうだ、あのまま、東京にいたら地震に巻き込まれたかもしれない。
充電しながら、スマホを見た。
ニュースの通知が来ている。
「正体不明の小惑星、猛スピードで地球に接近中。NASAが緊急発表。現在、軌道を計算中」
と、ニュースの見出しが出ている。
小惑星? 一体なんだ? そう思って、ニュースをチェックしてみた。
それによると、先ほど、NASA(アメリカ航空宇宙局)が、緊急情報として全世界に発表した情報によると、直径三二五キロほどの正体不明の小惑星が、地球の公転軌道に現在、毎秒五六八キロほどの猛スピードで接近中だと言う。現在、NASAも小惑星と地球の詳しい軌道の計算作業に追われており、近々発表する予定だとの事であった。万が一、地球に衝突すれば、大惨事となる事が予想される、と書かれている。
大惨事どころで済むだろうか? 人類滅亡の事態になるのではないだろうか? そう思った時、ハッと思い至った。
仙人だ。きっと、仙人の仕業に違いない。あかねたちをなかなか捕まえられない田中たちを見て、業を煮やし、小惑星を意図的に地球に衝突させて人類を滅ぼそうとしているのではないか?
そう思うと、身震いが起きてくるのを禁じえなかった。
この東京の地震も小惑星も、あの仙人が仕組んだものとしたら……。
仙人は本気だ。
次の満月には、この世界は本当に終わってしまうだろう。
田中は大きくため息をついて、スマホを置き、目を閉じた。
新幹線は、五時間たっても結局動かず、時計を見ると午後四時になっていた。あまり込んでいない車内とは言え、人々は疲れた様子でリクライニングを倒して、呆然と過ごしていた。
安全上の理由のため、という事で線路にも降りれずに、新幹線に閉じ込められていた。沙羅も、由香里もぐったりした様子で、リクライニングを倒して、寝息を立てたり、悄然としている。
幸い、停電はしていないのでクーラーも効いているが、とにかく外に出たい気がした。時折流れるアナウンスでは、まだ列車の安全確認が取れていないらしい。また、やはり想像した通り、列車が立ち往生している地点は、熱海駅付近だと言う。見た感じでは、歩いて行けそうなので降ろして欲しいのだが、そうも、いかないらしい。
足早に通り過ぎる車掌をつかまえて一人の中年のビジネスマンが、早く降ろしてくれ、線路を伝って駅まで行きたい、と突っかかったが、車掌は現在確認中で、と言いながら逃げるように去った。
外を見ると、鉛色に立ち込めた空から、相変わらず小雨が降り続けていた。夏至も近いのでまだまだ明るいが、後数時間で夜になるだろう。今更ホテルも見つけられないだろうから、結局ここで泊まる事になるかも知れない、と覚悟した。
インターネットで、小惑星について調べてみるが、NASAが現在詳しい小惑星と地球の軌道について計算しているとだけしか解らず、もやもやした気分になる。また、思った通り東京では、甚大な被害が出ているらしい。午後三時現在、死者三六九人、負傷者一五四三人と出ていたが、実際には、こんなものでは済まないないだろう。都内各地で火災が発生して大混乱が起きている模様だ。消防車、救急車も圧倒的に不足しているだろうし、道路が寸断され、消防活動、救急活動もできないうちに、あちらこちらで同時発生した火災がまるで燎原の火のように燃え広がり、東京を焼き尽くしていくだろう。
以前、テレビで見た首都直下型地震が発生したらどうなるか、と言う特集番組を脳裏に浮かべながら、田中はスマホをカバンにしまった。
「小惑星まで来ているね」
隣で覗き込んでいた由香里が心配そうにそう言った。沙羅も心配そうにこちらを見ている。
「ああ、正体不明の奴が、地球に向かってきているらしい……どうなるのだろうか」
そう言うと、田中は身動き取れないこの状態を呪った。
何度も、自宅にいる紗耶香や麗香が心配で電話をかけてみたが通じない。また、実家の両親にも連絡を取ろうとしたが全く電話が通じないのだ。かろうじて、インターネット接続だけができていた。
結局、その夜は新幹線に閉じ込められたまま一夜を過ごした。幸い停電も起きず、夕食の弁当や飲料水など、乗客全員に配布されたのだが、新幹線に閉じ込められている閉塞感はどうしようもなかった。さすがにどうしようもないので諦めるほかなかったが、中にはJRの社員に食って掛かる者もいた。
翌日の朝になって、ようやく列車を熱海駅まで動かして、全員をおろした。東海道新幹線は当分の間、全面運休となっており、田中たちは、在来線を乗り継いで、名古屋までたどり着き、戸田市に帰ってきた。榊原駅で電車を降りて、木島までバスに乗り、ようやく家に着いた頃には、すでに夜になっていた。
田中たちが憔悴しきってマンションに帰り着くと、紗耶香と麗香が迎えてくれた。疲れ切った三人は、早々に風呂に入り早めに寝た。
翌日の事である。朝は八時に起きた。
カレンダーを眺めた。六月八日だ。仙人が人類を滅ぼす日……次の満月の二十一日まで、あと一三日である。
既に紗耶香は、パソコンに向かい情報収集などを、麗香は掃除、そして沙羅と由香里が朝食を作ってくれていた。
「東京は凄い事になっていますよ」
紗耶香が田中を見るなりそう言った。
「どんな風になっているの?」
「あの地震の後、各地で火災が発生し、消火活動もままならないうちに延焼し、大変なことになったそうです。特に深川の下町とか、三軒茶屋のように木造家屋が密集している地域での被害はすさまじく、死傷者がどれぐらいになるか解らないそうです。また、タワーマンションごと火災旋風に巻き込まれて、大変なことになった地域もあるそうです。多分、数十万人単位で死者が出ているのではないかと」
紗耶香がマウスを動かすと、東京の様子が映し出された。
蠢く巨大な火の柱のようなものが、幾本も現れて、まるで炎の竜のように動き回り、地上を焼き尽くす様子がヘリから撮影されている。火災旋風だ。
目撃者によると、この炎の竜巻のようなものは、自動車すら軽々と吸い上げて行ったという。
現在も火災は収まらずに、東京は火の海に包まれているそうだ。
そう思うと、田中は改めて自分たちの幸運を思った。
あかねたちは、今頃どうしているのだろうか? 奴らも悪いドールとは言え、地震に巻き込まれて死んだのだろうか?
連絡もないので、知る由もない。
それよりも気がかりな事があった。小惑星についてだ。
「小惑星はどうなっている?」
紗耶香に尋ねると、まだNASAからは正式発表はありません、とだけ答えた。
まだ軌道を計算しているのだろうか? しかし、NASAほどの組織ならば、もう結果が出ていてもおかしくはないはずなのに、何かおかしい、そう思った。
リビングにトースト、コーヒーとサラダを持ってきて、テレビをつけた。
やはりニュースは東京の事がほとんどで、小惑星の事は、全く報道されていない。昨日は、NASAが緊急発表したと報道があったのに、東京の大地震のニュースにかき消されてしまった感がある。
「ご覧ください。あれが、六本木ヒルズです」
緊迫した声で若い女のレポーターが指さした先には、全ての階が焼け焦げ真っ黒になったタワーマンションが見えた。
「突然、西側からやってきた巨大な炎の竜巻……火災旋風が六本木ヒルズを襲いました! 火災旋風の高さは千メートル、太さ数百メートルはあるのではないかと思われたという事です。目撃者の話では、一瞬で六本木ヒルズは炎に包まれて、しばらくの間、火災旋風は周辺にとどまり、またどこかへと移動していったそうです。全ての階が炎に包まれガラスもすべて割れていたそうです」
興奮して話すレポーターの後ろで真っ黒に焦げた六本木ヒルズがまだ黒い煙を発していた。
その背後にも、各地で延焼する炎から発せられる黒い煙が空を焦がしている。
「あ、ここも避難命令がたった今、出ました! 中継を終わります!」
そう言って画面がスタジオに切り替わった。
「六本木ヒルズまでやられたか……」
思わず独り言が出た。右隣に、沙羅が座った。すると左隣に由香里も座った。二人の無言の火花が飛び散るのを感じながら、朝食を食べる。
「陽ちゃん、美味しい?」
由香里がそう言って笑いかける。
「ああ、うまいよ」
するとすかさず、今度は沙羅が、
「コーヒー、私が入れたの」
「ああ、美味しいよ」
そう、と言って嬉しそうに笑う。
ふたりの女が、田中をまた取り合っているのだ。
その火花を感じながら食べる朝食は、不思議な味が感じた。
とりあえず、うまいと言っておこう。
そう思いながら、テレビを見ていると、突如、画面がまた切り替わった。
今度は、見慣れないスタジオだ。黒っぽいスーツの男が一人、画面中央に出ている。
「あと三分ほどで、首相官邸で重大発表があるそうです。中継に着かえます」
男がそう言うと、首相官邸で、記者会見の様子が映し出された。
小野防衛大臣、科学技術庁の職員などが続々と入室し最後に岸岡総理が、着席した。
「ただいまより記者会見を始めます。数日前よりNASA,アメリカ航空宇宙局の緊急情報として、小惑星が地球の公転軌道に接近しているという情報がありましたが、詳細が判明し米国大統領より、総理のもとへ電話がありました」
防衛大臣がそう述べている。
「……今回発見された小惑星「X-BB八九」の軌道が、地球の公転軌道と交差する可能性がある、との事です。交差する可能性のある日時は、日本時間六月二十一日午後十一時五十二分三十九秒、その時、最も地球に接近する……もしくは落下の可能性が出てまいりました。地球の自転を考慮し、小惑星の予測軌道を考慮に入れて計算したところ、日本では関東地方に最も接近する……もしくは落下の可能性が考えられる、との事でございます」
会見場は騒然となり、記者たちの興奮した声が音声で流れた。
「そのX-BB八九は、落下する、つまり衝突する、と言う意味ですか?」
若い男の記者が大声を出したが、大臣は答えずに続けた。
「なお、この小惑星X-BB八九は毎秒一二〇キロほどで接近しており、現在約一億四千万キロほどの位置にございまして、火星軌道よりも外側に位置しております。現在、米国政府、また世界中の政府と連携、連絡を密にとりまして、小惑星の迎撃を含む防衛体制を構築しておる最中でございます。政府としては、国民保護を第一に行動してまいりますので、国民のみなさまは、冷静な対応をお願いする所存でございます」
と、ここで大臣の発言が終わった。
「大臣、迎撃なんて本当にできるのですか!」
先ほどの若い男の記者が、係員に制止されていた。
「え~質疑応答は後日、文章でお願いします。では、総理、よろしくお願いします」
係員がそう言うと、岸岡がカメラをまっすぐに見た。
岸岡総理が発言を始めた。
「防衛大臣からの説明の通りです。日本政府は、米国政府および各国政府と協調、協力、連携してこの問題に対処してまいります。なお、国民の皆様におかれましては、引き続き通常通りの生活を、冷静に行っていただきたいと思って居る所存にございます。引き続き、日本政府として、この小惑星問題に全力で対処してまいる所存にございます。以上です」
そう言いながら、岸岡総理たちは席を立ち、退場していく。
記者たちは唖然とした。
その背中に、記者たちが罵声を浴びせ始めた。
「なんだよ! これじゃ記者会見の意味がないじゃないか! おい! ちゃんと説明しろよ!」
「小惑星は落下するのですか! 接近だけなのですか? どちらなのですか? ちゃんと説明してくださいよ! 総理! 総理!」
絶叫する記者たちの声が響き渡った。
再び、画面が切り替わる。
興奮した様子の記者が、首相官邸前で、マイクを持って叫んでいる。
「ただいまの記者会見で、地球に小惑星が接近中であり、六月二十一日午後十一時五十二分に最接近、または落下する恐れがあると政府より発表がありました。落下なのか接近なのか、はっきりとした発表はなく、記者会見は一方的に打ち切られた模様です」
興奮した記者がテレビの中で叫んでいた。
田中たちは、テレビの画面を見て、静まり返った。紗耶香も田中のすぐ後ろに来て、じっとテレビを見ている。そして、その手をそっと田中の肩に置いた。




