第二十五章
「起きて! 大変よ、陽一」
沙羅がまだ眠っている田中を揺り起こした。
「なんだよ、眠いんだ……」
そう言いながら目をこすると、沙羅の顔がすぐ目の前にあった。
「とにかく起きて。大変よ!」
沙羅の目は真剣だ。
「どうしたんだよ? 一体?」
「とにかく、これをみて!」
そう言いながら、沙羅は田中の手を引っ張り、リビングに連れていかれた。
「……関東各地で、正体不明の日本人形が動き出す騒ぎがあり、一部では死傷者も出ている模様です……」
画面が切り替わり、「ええ、本当にびっくりしました。まさか人形が追いかけてくるなんて……本当に生きた心地がしませんでした」
そう語る老婦人が映し出されている。その表情には恐怖が張り付いていた。画面が切り替わった。
「ここです。ここで、県立高校二年の桜井淳さんが、線路に転落して、ロマンスカーに跳ねられて亡くなった現場です」
若いアナウンサーが、駅のホームで線路を指さしている。
アナウンサーが乗客たちにインタビューしている。
「本当ですか? 人形がいたのですか?」
「ああ、いたよ。小さな侍の人形だったんだけれど、最初は、みんなラジコンかな、と思って眺めていたんだよ。そうしたら、いきなり刀を抜いて叫び出したから、みんなパニックになっちゃって……」
興奮が冷めやらない感じの初老の男がそう答えるのが見えた。
「……あいつらだよな、あかね達がやったんだ、きっと」
田中はそう言いながら、拳を握りしめた。
「間違いないわ、あいつらですよ」
横から由香里もそう言った。
様子を見ていた麗香もやってきて、恐怖をその可憐な瞳に浮かべていた。
「やはり、動き出しましたね」
その声に振り返ると、紗耶香が立っていた。
「ああ、日本人形が暴れたところを見ると……この前、盗まれた人形を覚醒させてやらせたに違いないね。でも何のためにそんな事をするのだろう?」
田中がそう言いながら、紗耶香を見ると、紗耶香もじっと何かを考えている様子だった。
「きっと、意味はない気がします。いや、あえて言えば、ただ世の中を騒がせてやりたかっただけでしょう」
そう言いながら、隣にやってきた麗香の手に触れた。
「それにしても、派手にやったんだな」
「ええ。ところで、スマホを見ましたか?」
紗耶香がそう言った。
「スマホか……どうして?」
「ブログが凄い事になっていますよ。きっと、陽一さんのTwitterに、物凄い数のメッセージが来ているんじゃないかな……」
紗耶香はそう言うと、ミニテーブルのパソコンを開いて画面を見せた。
「ほら、アクセス数も凄いですよ、今朝から一万近いです」
言われてみると、なんと今朝から、凄まじい数のメッセージが寄せられている。「不審なトラックから二人組の女が降りて、人形を公園のベンチに置くところをみた」とか、「怪しい日本人形が、線路を歩いていた」とか、中には人形を捕獲した、というメッセージもあった。
これはスマホを見たら、凄い事になるだろう、そう思った時、突然スマホがけたたましく着信音を立て始めた。
「電話ですね」
紗耶香の声で、リビングのテーブルに置いてあったスマホを手に取る。
知らない番号からだ。以前なら決して出なかったが、今回は出る事にした。
「もしもし」
「おーい、元気でやってるか―?」
あかねの声だ。
「あ、あかねだな! お前たちだろう、日本人形を盗んで、覚醒させて悪さをさせたのは!」
思わず語気が強くなる。
「バレてしまったか~。そうだよ? 悪いか?」
あかねは、あっけらかんとしている。悪いと思っていないようだ。
「悪いに決まっているだろう。そんな事はやめて、すぐに帰って来るんだ! お前たちを捕まえられないと、仙人が人類を滅ぼすんだよ」
「へえ~そうなのか。それも仕方がないじゃねぇかあ~」
そう言ってあかねは笑いだした。
「そう言うわけにはいかないよ。いま、どこにいるんだ?」
無駄だと思ったが聞いてみた。
「知りたいか~ぁ?」
「当たり前だろう。どこにいるんだ?」
背後でクスクスと女の笑い声がするのが聞こえた。きっと絵里や未祐も一緒にいるのだろう。多分、盗んだ車の中からかけているに違いない。背後から、音楽も聞こえてくる。
「それは秘密だな~ところで、仙人がいつ人類を滅ぼすんだって?」
あかねが、おかしそうに聞いてきた。
「六月二十一日だよ! 今度の満月だ。今度の満月に人類は、滅びるんだ」
「そうか、まあ、せいぜい頑張るんだな~じゃあね」
あかねはそう言って、電話を切ってしまった。
随分、なめられたものだ。
少し、悔しくなってきた。それに、このまま、この家にいても埒が明かない気がした。
「あかねから?」
沙羅が聞いてきた。
「ああ、そうだ。あいつらだよ。面白がって電話してきたんだ。沙羅、俺……東京に行こうと思う」
「え? 東京に?」
沙羅は驚いた顔をした。
「とりあえず、ブログは紗耶香たちに任せる。紗耶香たちにこの家で留守番してもらいながら、ブログをやってもらうんだ。俺は、東京に出て、少しでもあいつらを捕まえようと頑張ってみたいと思う」
そう言いながら、沙羅を見た。
「私も、行くよ」
沙羅がそっと、田中の手を握った。
「俺一人でいい。沙羅はここにいるんだ」
「嫌よ。陽一が行くなら、私も行く」
そう言って聞かない。その二人の会話を聞きつけたらしい由香里もやってきた。
「陽ちゃん、私も行く! 陽ちゃんと一緒にいる!」
由香里もそう言って聞かない。
陽ちゃん、か。だんだん、俺との距離を縮めてきたんだな、と心の中で感心した。
「解った。じゃあ、二人とも、来るんだ。いいね?」
うん! と、沙羅と由香里は同時にうなずいた。
翌日の事だ。
正午すぎ東京駅に着いた。
梅雨に入ったばかりの鉛色に曇った雲から、時折小雨が降っていた。
東海道新幹線を降りて、東京駅から京浜東北線に乗り、秋葉原で降りた。
理由など、ない。
ただ、東京に来たら、とりあえず秋葉原に行こうと思ったのだ。
電気街南口から駅の外に出た。
久しぶりに秋葉原に来たら、驚いた。
右を向いても、左を向いても、可愛らしいアニメのキャラクターの女の子が目に飛び込んできた。中には、等身大、いやそれ以上の大きさのものも目に飛び込んでくる。メイド服に身を包んだ若い女の子が、一生懸命にメイドカフェの宣伝をしてチラシを配っていた。
秋葉原ラジオ会館に行ってみたが、「ラジオ会館」とは名ばかりで、フィギュア、トレカ、ドール、アニメ関連のショップで占領され、昔ながらの電気部品を売っている店など、数えるほどしかなかった。
「凄いところだね。テレビでは見るけど、実際に来てみるとやっぱり違うな」
沙羅が興奮して言った。
「そうだね。確かに凄い、ねえ、陽ちゃん」
由香里がそう言いながら、周囲を見回している。
沙羅も由香里も、典型的な田舎者のように建物、街を物珍しそうに見回すので、二人の服装よりもそちらの方が目立つ感じがした。
田中は、そんな二人を連れて、しばらく街を歩いてみた。
昔あった、ラブドールの店がまだあるのか気になったのだが、どこにあったのか思い出せずにいた。
その店を探そうかとも思ったが、妙に疲労感を覚え、カフェに入る事にした。おりしも、小雨が降ってきた。
カフェに入り、コーヒーを三つ、注文した。メイドカフェは高いので、普通のカフェだ。地方にあるカフェに比べてかなり狭い感じがした。客は多いが、サラリーマン風の男たちが多かったので、やはり沙羅や由香里は目立っていた。
コーヒーを飲みながら、スマホのTwitterをチェックすると、ダイレクトメッセージが山ほど来ていた。すべて読むのも億劫なので一部だけ読んだが、あかねらしき小さなリカちゃん人形と、怪しい二人の若い女が、トラックから日本人形をおろしたのを見たとか、以前、下着代わりに黒いビキニを着ていた女をホテルで抱いたら、事の後、六万円を盗まれたことがある、その女の身体には五芒星の印があったと言う嘘か本当か解らないが、かなり具体的な話もあった。 自宅にいる紗耶香にもメールしてみたが、やはりあかねたちは関東周辺での目撃情報が目立つ以外には、取り立てて決定的な情報はない、との返信が来ただけだった。
いても立ってもいられずに、東京に出てきたが、田中の住んでいる小さな地方都市と比べて桁違いの人々のいる東京で、あかね達を探すのは至難の業だろう。多分、徒労に終わる。結局は、無駄な金と時間を使っただけかも知れない、と思い始めていた。
「どう? 何かいい情報があった?」
沙羅がミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲みながら言った。
「……これと言って大した情報はないけどね、ただ、絵里らしき女が、ホテルで寝た男の財布を盗んだらしいとか、怪しい二人組の女とリカちゃん人形が、トラックから日本人形をおろしていたとか、本当か嘘か解らない情報がいっぱいあるだけだ」
そう言いながら、スマホを操作する。
「紗耶香たちは、何か言ってきた?」
今度は、由香里が訊いてきた。
「返信が来た。でも、あかね達が関東周辺で目撃されている、と言うだけでこれと言ってめぼしい情報はないよ」
「陽ちゃん、どうするの? これから?」
由香里はカップを置くと、メイド服の襟元をただした。少し、歪んでいたのが気になったのだろう。
「とりあえず……これと言って行くところもないし、俺、あまり東京には詳しくないから、そうだな、今日はどこかで泊まって、それから考えよう」
「解った」
由香里はそう言いながら、窓の外を見ていた。
小雨が本格的な雨になってきたようで、窓には無数の雨粒のしずくが垂れているのがみえた。
陰鬱な六月の雨を見ていると、心の底まで暗澹たる気分になる思いに襲われた。




