7.第二章 隼人 エピソード3
三年生全員参加によるリレーは、体育祭で最後の種目になった。レースは序盤から大差がついてしまい、僕たち五組は最下位のまま、バトンを繋いでいた。僕の脳裏に、ある考えが浮かぶ。最下位になったのは、僕の責任ではなかった。このままアンカーの出番までずっと最下位のままだったら、クラスのみんなは諦めてくれるだろう。そうなれば、僕は最下位を保ったまま、気楽に走ることができる。僕は、全力で走るクラスメイトたちを応援しているように見せかけて、頭の中ではそんなことを考えていたのだ。
だが、レースが動いたのは、中盤から終盤にかけて。最下位に甘んじていた僕たちのクラスだったが、一人、また一人と追い抜き始めたのだ。たまたま、そのときに走っていたのが、陸上部員のクラスメイトだったのが大きかったかも知れないが、いずれにせよ僕たちのクラスは徐々に順位を上げ始める。そして、僕の一人前を走っていた隼人が最後の一人を追い抜いた。
そのまま、隼人の姿は僕の視界の中で徐々に大きくなりながら、ついに僕の目の前に現れた。インコースでバトンを受けようと構える僕。練習していたときのように、バトンに視線を留めて、少しずつスピードを上げていく。
「いつもの調子だぞ。頼んだぞ」
バトンを受けるとき、隼人がそんなことを言ったような気がする。コースに出た僕は、無我夢中で百メートルを走った。アンカーにバトンが渡っているので、盛り上がっているはずだが、観客たちの声援はまるで耳に入ってこなかった。聞こえるのは、地面を蹴る足音だけ。息を止めて走っていたので苦しいはずだが、なぜか身体は悲鳴を上げていない。
そうこうしているうちに、揺れる視界に白いテープが入ってきた。「あそこまで走ればいい。あそこまで走ればすべてが無事に終わるのだ」そう自分に言い聞かせた僕は、ラストスパートをかけた。もちろん、そんな力は残っていなかったが、気持ちだけは最後まで全力で走り抜けたかった。
多分、ゴールして、そのまま倒れかけたのだと思う。誰かが、目を閉じたままの僕を支えてくれていたので。
クラスメイトたちが並ぶ列の最後尾に座ろうとしたとき、なぜかクラスメイトたちが僕の方を見て、喝采している。その意味がよくわからずに、戸惑っていると、放送部員たちによるアナウンスが流れた。
「ただいまのレース、優勝は五組……」
「えっ、優勝? 五組?」
放送を聞いた瞬間、飛び上がって喜び合うクラスメイトたちの姿を見て、僕はようやく、自分が一位をキープしたまま、ゴールを果たしたことに気がついた。
どうにか、アンカーの役目は果たせた訳で、ホッと胸を撫で下ろそうとしたとき、隼人が僕の方に駆け寄ってきて、僕に向かって腕を伸ばした。
「いやぁ、危なかったぜ。あと十センチで、三組の陸上部員に抜かれていたところだった。でも、亮太、よく逃げ切ったな。俺が練習に付き合ってやった甲斐があったってことだよ。ほら……」
「えっ、あと十センチ? 陸上部員に?」
状況を掴めずに、隼人の腕を握った僕は、ゆっくりと立ち上がった。
とにかく僕は無事に走り切った訳だ。心地よい汗が、額から流れ落ちている。固く手を握り合う僕たち。西日がお互いの顔を照らして、眩しく感じた。
そういうことがあった。中学校生活最後の体育祭で。体育祭が終わって、次第にクラス全員が受験モードに入っていったので、僕もそのときに感じたことは、ずっと心の奥底にしまったままでいたのだったが、今振り返ってみれば、よくあの状況で走り切ったと思う。中学・高校とあまりいい思い出がないと思い込んでいたが、思い出せば見つかるもの。
「あのときの亮太、本当に格好よかったぜ。クラスの女子たちも、亮太の走りに釘付けになっていたからな」
鼻を啜るふりをしながら、隼人が漏らす。
「そっ、そうだったかな。僕、夢中で走っていたから、よく覚えていないんだ」
左手で頭をかきむしる僕。
「亮太のひたむきさは、俺が保証するよ。だから、いろいろ不安なことはあると思うけどよ、向こうでも亮太が頑張れるように、応援しているぞ」
「あぁ、ありがとう」
そう答えて、僕はにっこり笑う。
「よし、それじゃ、ゲーム再開といこうか」
さっと立ち上がった隼人は、レーンの前に立ってボールを構えた。そして、ボウリング選手のように、腕を大きく後ろに振り上げて、ボールをリリースする。
「パコーン」と、ピンが弾ける音が響いて、ガッツポーズをして見せる隼人。その姿を見ていて、僕は友達っていいなと思うと同時に、隼人から一歩前に踏み出す勇気をもらったような気がした。




