3.第一章 亮太 エピソード2
その帰り道、隼人は寄り道をしていこうと言い出した。
「俺さ、車に乗り出してから、あちこち行くようになったんだ。こうやって、ハンドルを握りながら一人でドライブをしていると、なんだか落ち着くんだ。それで、景色のいいところを見つけてさ、ちょっと夜景でも見て行かないか」
「えっ、夜景?」
夜景なんて、テレビの恋愛ドラマの中でしか見たことがなかった。船が行き交うライトアップされたベイサイドや、山の稜線を縫うように走るドライブウエイ、百万ドルか一千万ドルか知らないけれど、煌めく景色を背景に、恋人たちが肩を寄せ合う場所……そんなシーンしか思い浮かばなかったのだが、隼人が運転する車は、そんなロマンチックな場所とはかけ離れた、見慣れた景色の中をひた走る。
どこに行くのかと思って、あたりの暗闇を眺めていたら、住んでいる町の外れの舗装道路を上り始めていた。
「えっ、ここってもしかして?」
声に出さずに自分自身に訊いたのは、こないだ自転車で駆け上がった坂道だったからだ。この先にあるのは、新興住宅地だった。こないだ、自分の目で確かめたから、それはわかっている。とても、夜な夜な恋人たちが肩を寄せ合う場所には思えなかった。
車は、坂を上りきると、そのまま住宅街の整備された道路を、ぐるっと一周する。昼間に来たときもそうだったが、僕たちが住んでいる町とは違って、ここは道路に沿って花壇が整備され、建っている家々もデザイン性に富んでいて、街全体がモダンな雰囲気を醸し出していた。すぐ近くにありながら、まるで別世界に迷い込んだような、不思議な感覚だった。
「ほら、着いたぜ。ちょっと歩かないといけないけどな」
車が停まったのは、住宅街の端の駐車場のような場所。そこから奥に向かって開けているので、グラウンドか何かだろうか。なぜかこのあたりだけは照明が落とされている。夜の住宅街の、しかもこんな奥まった場所を、わざわざ訪れる人なんていないということだろうか。
隼人に促されて、僕はグラウンドの地面を確かめながら歩いて行く。昼間はポカポカ陽気だったが、この時間になると冷たい空気があたり一面を覆いつくしているようで、薄着で出てきた僕には少し肌寒い。聞こえる音と言えば、「カランカラン」と防球ネットのポールに、風に吹かれて何かが当たっている金属音くらいだろうか。次第に目が暗さに慣れてきたようで、グラウンドの先の方がほのかに明るい。
そしてある場所まで足を進めたとき、僕の瞳に、圧倒的な光量を持つ何かが飛び込んできた。ひとことで言い表すと、眩しい何か。眼下、それも手前に見えているやや光がまばらな場所が、僕たちが住んでいる町であることがわかったのは、さっき行った牛丼店の看板やボウリング場の明かりが見えたから。そこから光の絨毯が、徐々に光量を増しながら遥か遠くまで広がっているという感じ。
「どうだ、すごいだろう」
まるで自分が作ったとでも言いたげな隼人だったが、僕は、
「あぁ、すごい……」
と、ただ感嘆の声を漏らす。
ここで、こんな景色が見られるとは思ってもみなかった。『灯台下暗し』とはよく言ったもので、本当にその言葉通りの景色が広がっていた。
僕たちは、しばしグラウンドの端に立ち尽くして、そこからの景色を眺めている。ミニカーのように小さな車が幹線道路を行き交っている。矢のように白い光で暗闇を突き刺しているのは、都心から帰ってきた電車だろうか。
光だけではなかった。耳を澄ませば、ゴーッという音が聞こえる。車の走る音か電車の走行音か、それとも工場から漏れる音だろうか。とにかくそれらが合わさって、風に乗って強弱をつけながら聞こえてくるのだ。まるで、人々の生活の息吹のような音。
うっとりと目を細める僕のそばを、春の温かい風が吹き抜けていく。優しい風だった。ずっと、ここに立っていたいと思った。
「これが、俺たちが住んでいる町だと思うと、なんだか不思議な感じがするよな」
「えっ、どういうこと?」
「いやぁ、俺さ、この町に生まれ育って、これまで色々な経験をしてきて、ときには嬉しく思ったり悲しくなったりしてきたけど、俺がどんな気持ちでいようと、この町はずっとこの景色のままでいるんだよ。そう思ったら、俺が悩んでいることなんて、ほんの些細なことのように思えてくる。ほら、今、あそこの家にぽつりと明かりが点いただろう」
「えっ、どこどこ?」
僕は、隼人が指さした方向に視線を向けてみる。明かりがたくさんあって、どれのことを指しているのかはわからなかった。
「もしかしたら、あの家の人は、今日辛いことがあったのかも知れない」
「辛いこと?」
「あぁ、例えば、彼女にフラれたとか、仕事で失敗をしちゃったとかな。その隣の家は、俺たちがここに来たときから、ずっと明かりが点いているんだ。もしかしたら、高校に無事に合格したとか、何か嬉しいことがあって、家族揃って喜び合っているのかも知れない」
「はぁ……」
「まっ、なんでもいいんだよ。とにかく、この町の光は、ここに住んでいる人々の喜びや悲しみ、嬉しさや寂しさが集まって輝いているんだ。その中に、俺たちも生きている。だから、なんていうのかな、なるようになるっていうか、流れに身を任せているのも悪くはないかと思ってね。どうせ同じ明日を迎えるのなら、明るい方がいいじゃん。明日はきっとよくなる、俺はそう思いたくて、ときどきここにやって来ているんだ」
そう言って、隼人はニコッと笑って見せた。楽しさや嬉しさからではない、心の内から湧き起こる、明日を待ち侘びる純粋な願いから湧き出してきた笑みに見えた。
「明日は、きっとよくなるかぁ……」
「そう、明日はきっとよくなる。俺も亮太もな。さっ、そろそろ、帰ろうか。あんまり遅くなると、家の人が心配するだろ」
何かに急き立てられたかのように隼人が言ったので、僕は、
「いいや、そんなことはないよ」
と、言ってみせた。「うちの家族なんて……」と続けたくなったが、言葉に出すのは止めた。
僕たちが乗り込んだ車は、住宅街の道路を引き返した。ほとんど対向車の来ないある意味で、寂しい道路だった。
並んだ家並みにぽっかりと空いた場所が見えてきた。そこが何であったのかを思い出してみる。数日前に自転車でこの道を走っていたから。
僕の脳裏に、昼間の光景が浮かんだ。確か、公園だった。家と家に挟まれた、ブランコとすべり台、そして砂場だけが設置された小さな公園。少年たちがボールを追いかけまわすには手狭だったが、赤ちゃんを散歩させたり、幼児を遊ばせたりするにはちょうとよい広さの場所だった。
「そう言えば、あの男の子、どうしているかな」
ふと、僕は数日前にそこで出会った男の子のことを思い浮かべていた。




