↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
丘の上のこうちゃん  作者: 松山 さくら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/14

13.第三章 こうちゃん エピソード4

 この年の桜の開花は、例年よりも早かった。地元の小学生たちが終業式を迎える頃には、道路から見える校庭の桜がちらほらと花を咲かせ始め、三月の終わりには八分咲きを迎えていた。

 僕は、旅立ちの日を翌日に控え、朝から気持ちが落ち着かなかった。何度も背負っていくリュックの中をチェックしたし、部屋の物が乱れていないかを確認した。次にこの部屋に帰ってくるのは、早くて一月後のゴールデンウィークか、それとももう少し先の夏休みだろうか。

 学校の先生とは言え、両親はどちらも朝から学校に向かった。生徒たちは春休みを満喫しているところだが、新学期を迎えるために、生徒たちには見えないような仕事が、たくさん残っているのだと言う。祖母が亡くなってからというもの、家に一人でいるのにはもう慣れてしまっていたが、それでも慣れ親しんだ家にいても落ち着かないのは、翌日に旅立ちを控えているからだろうか。

 即席麺で昼食を済ませた僕は、何かに急き立てられるかのように、自転車にまたがった。中学校に上がったときに買ってもらった自転車、思い返せば中学生のときはこれに乗って隼人と一緒にボウリング場によく行ったし、高校に通い始めてからは、毎日のように駅までの往復に使っていた。

 もう乗ることがないかも知れない。そう思った僕は、自然に減っていたタイヤの空気を満タンに入れる。どこかにぶつけて曲がってしまったままのカゴを元通りに戻したのは、僕のお供をしてくれたこの黒の自転車への、せめてもの感謝の気持ちの表れだっただろうか。

 天気予報では、季節外れの夏日になるところもあると伝えていたけれど、とにかく朝から気温が上昇して温かかった。いや、自転車を漕いでいたら汗ばむくらい。少し走ってみて、僕は上に着ていたトレーナーを脱いで、Tシャツ一枚になってみる。傍から見れば、やや季節外れの服装だったが、今度は穏やかな風が僕の身体をすり抜けていくようで、気持ちがいい。

 そのまま、丘の上の坂道へと取りついた。相変わらず、きつい坂道だ。この上の住宅街の人たちは、駅までどうやって通っているのだろうと思っていると、乗客を適度に乗せたバスが、排気ガスをまき散らしながら一定した速度で駆け上がって行ったので、僕は合点がいった。空調の効いた車内は、さぞや快適だろう。

「あと少し」そう自分に言い聞かせて、今は単なる足かせでしかない自転車を押しながら、坂道を上って行く。

 そうして上りきった坂道の上には、桜の花に混じって、なんて名前の花かはわからないけれど、色とりどりの花たちと、そこに戯れる蝶たちが僕を出迎えてくれていた。

 僕は、そのままひと息つくために、そばの公園に向かった。いや、むしろ、そこに行くのが目的でもあったのだが……。

 公園の中は、相変わらず人影がなかった。僕は、入り口付近に自転車を停めると、二本買っておいたうちの一本のペットボトルに手を伸ばす。ぬるくなる前の、適度に冷えた炭酸飲料が、僕の乾いた喉を潤す。

 そうして、僕は、ブランコに腰かけた。ここでこうやって、隣の家の壁を眺めるのは、何度目だろうか。二階の窓が開いているのか、風が白いカーテンを揺らしていた。

 ゆっくりとブランコを漕ぎ始めたとき、不意に「お兄ちゃん、遊ぼうよ」と、声がした。聞き覚えのある声に、僕はそっと後ろを振り向くと、そこには白のトレーナーに、ベージュのズボンをはいた男の子が立っていた。

「こうちゃん、来てくれたんだね。今日は、こうちゃんに話したいことがあるんだ。だから、いつものようにかくれんぼをする前に、ちょっとそこに座ってくれないかな」

 僕が指し示した『そこ』とは、二つ並んだブランコのもう片方のこと。

「うん」

 と、ニッコリ笑ったまま、こうちゃんは僕の右側に腰かけた。足を地面につかず離さずといった感じで、こうちゃんを乗せたブランコは、ゆらゆらと揺れ始める。その様子を横目に見ながら、僕はこうちゃんにどう切り出そうかと、思いを巡らせた。

「あっ、そうそう、こうちゃん、喉乾いてないかな?」

 思い出したように、僕はブランコから立ち上がると、停めてあった自転車のカゴから、もう一本のペットボトルを取り出した。

 こうちゃんは、

「お兄ちゃん、ありがとう」

 と言って、そのペットボトルを受け取ると、キャップを開けてひと口飲んだ。

 そうして僕は、再びブランコに座って、こうちゃんと横に並ぶ。

 穏やかな日ざしが降り注ぎ、午後の時間がゆっくりと流れていた。晴れわたった青い空に、綿あめのような雲が、ふわふわと風に流されていく。どこからか聞こえてくる鳥たちのさえずりは、春の訪れを喜び合っているかのよう。

 しばらくの間、僕は無言でブランコに座っていたが、ふと、公園の前の道路を、駅に向かうバスが走り去ったタイミングで、僕は徐に切り出した。

「こうちゃん、あのね、僕、遠いところの大学に行くことになったんだ。だから、もう会えなくなるかも知れない……」

「お兄ちゃん……」

 こうちゃんは、途端に俯き加減になった。徐々に溢れ出す涙を必死に堪えているといった感じで、口元をもごもごとさせている。

「こうちゃん、ずっと寂しかったんだよね。ここで、一人でいて……」

「うん」と、声にならない声で頷くこうちゃん。

「僕さ、正直言うと、とっても怖がりで臆病で、これまで辛いことから逃げてばかりいたんだ。そんな僕を変えようと、家を離れて遠くで生活しようと思った」

「……」

 僕は、沈んだこうちゃんの姿を直視していられなくて、ほんの少しブランコを漕ぎ始めた。

「不安だよ。これまで母さんがやってくれていたみたいに、ご飯をうまく作れるかわからないし、向こうで友達ができるかどうかも……。でもね、ずっとこのままの生活を送っていると、自分が駄目になってしまいそうな気がするんだ。だから、僕は、勇気を出して、新しい世界に飛び出していこうと思ってる」

 こうちゃんは、俯いたまま、地面を足で蹴っている。その上に、一滴の涙が落ちたような気がした。

「僕ね、こうちゃんに会って、気づいたことがあるんだ。それは、こうちゃんが僕がここに来るのを待ちながら、ここから僕のことをずっと応援してくれていたことを。だから、僕はいじめられて辛かったときも学校に行くことができたし、中学校のときの運動会で、一等賞になることができた。こうちゃんが、僕のことを思っていてくれたことに、もっと早くに気づいてあげられなくて、ごめんね」

 こうちゃんは、地面を蹴る足をぴたりと止めた。俯いたまま、口元を動かしているのは、僕に何かを伝えようとしているのだろうか。

 僕は、いつしかブランコを漕ぐのを止めていた。ごくりと唾を飲み込んで、続けて話そうと思っていたことを打ち明けた。

「これからは、この公園でこうちゃんに会えなくなるけど、僕はこうちゃんに会おうと思えば、いつだって会える。だって、僕の身体には、こうちゃんと同じ血が流れている。ドクドクと音を立てて……。こうやって胸に手を当てると、こうちゃんのことをいつだって感じることができる」

「おにい……ちゃん……」

 顔を上げる、こうちゃん。

「だから、僕は約束するよ。これからは、こうちゃんの分まで、一生懸命生きていくって。もう辛いことから逃げない。約束する」

 右手の小指を、こうちゃんに向かって差し出した。

「うん、お兄ちゃん、絶対に約束だよ」

 左手の小指を差し出してきたこうちゃんの顔は、いつものあどけない笑顔に戻っていた。

 僕は、こうちゃんと指を堅く絡ませると、

「ゆびきりげんまん……」

 と、声に出して歌った。

「ねぇ、お兄ちゃん、一緒にかくれんぼしようよ」

ニッコリと微笑むこうちゃんに、僕は、

「よ~し、それじゃあ、お兄ちゃんが鬼になって十を数えるからね。十を数えている間に、こうちゃんはどこかに隠れてね。ただし、この公園の外に出ちゃ駄目だよ」

「うん、約束」

「それじゃあ、いくよ」

サササと、公園の奥に向かって走って行く音が聞こえた。

「いち に さん……はち く じゅう もういいかい?」

「……」

「こうちゃん、もういいかい?」

「……」

「十を数えたから、今から探しに行くよ」

 顔を上げた僕は、奥のすべり台に向かって、ゆっくりと歩いて行く。すべり台の真下まで行ったとき、僕は声を上げた。

「こうちゃん、み~つけた」

 そう言って、僕が指さした先には、綿毛になったタンポポの花があった。こうちゃんが、大好きだったタンポポの綿帽子。断片的に僕の記憶が蘇ったのか、こうちゃんと一緒にタンポポの綿毛を飛ばすシーンが、僕の夢の中に出てきたのだった。

 僕は、ポケットの中から、あるものを取り出すと、タンポポの横に添えた。そのある物とは、祖母の部屋に入ったときに、卒園アルバムのそばで見つけた手袋。祖母が、僕とお揃いで、こうちゃんに編んであげていたものだった。

 ゆらゆらと揺れるタンポポの綿帽子。そのとき、すうっと風が吹いて、綿毛がゆらゆらと宙に舞った。そのまま風に乗って、さらのペットボトルが乗ったままの自転車の横を通り過ぎていく。公園の前で上昇気流に乗ったそれは、天高く昇っていった。やがて見えなくなった先には、春の穏やかな日ざしが降り注ぐ、僕たちが生まれ育った町があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。