10.第三章 こうちゃん エピソード1
次の日、僕は、自分の部屋の中の荷物を整理していた。母に、下宿に持って行く荷物をまとめたと話していたけれど、実際はあまり進んでいなかった。できれば、今、部屋の中にある物を、そっくりそのまま持って行きたい。そうすれば、知らない土地にいても、自分の居場所が確保できて、安心できるような気がした。
だけど、こないだ見てきたアパートの部屋は、六畳間のワンルーム。洗濯機はベランダに置くとしても、冷蔵庫や勉強机、ベッドなど必要な物を置いたら、それだけで部屋の中は一杯になりそう。とても自分の部屋の中の物を、そのまま置いておく余裕はなかった。
だから、必要最小限の物を宅配便で送る段ボールの中にまとめるとして、いざ整理を始めてみたら、部屋の中から懐かしいものが次々に出てきて、一向に作業が進まなかった。
その一つが、手編みの手袋だった。僕がまだ幼かった頃に、冬は手がかじかむだろうからって、祖母が編んでくれたもの。すっかり小さくなってしまって、掌を入れることはできなかったが、持ったときの温かい感触は、子供の頃と少しも変わらなかった。
両親が共働きで兄弟のいなかった僕にとって、昼間、家の中にいた祖母は、僕の話し相手でもあり、よき理解者でもあった。
あれは、いつのことだったっけ。学校でクラスメイトから、避け者にされたことがあった。今でいういじめのようなもの。
ある日学校に行ってみると、机の中に入れておいたはずの糊がなかった。工作で使うので、前もって持って行っていたのだが、使おうと思って机の中を探してみたらなかったのだ。
「あれほど持ってくるように言っていたのに、本当に困った奴だな」
担任の先生に糊を借りに行ったときに、クラス全員の前で浴びせられた言葉。
また別の日、体育の授業の前に体操着に着替えようとして、ランドセルを入れている棚の中を覗いてみた。机のまわりに袋をかけると邪魔になるので、そこにしまっていたのだったが、週の初めにしまったはずだったのになかった。念のために、思い当たるところを探してみたが、どこにも見当たらない。
その日の体育の授業で、私服のまま列に並んでいる僕を見て、先生が声を上げた。
「おい、どうして着替えていないんだ。体操着を忘れたのなら、先に言わないと駄目だろう」
僕は、体操服がなくなったことを伝えられずにいた。そんなことを言ってしまうと、僕がだらしがないからだと、余計に叱られてしまうと思ったから。
結局、その日、僕は体育の授業には参加できずに、クラスメイトたちが楽しそうに走りまわる姿を、校庭の隅から見つめているだけだったが、僕の持ち物がなくなってしまうことは、それからも続いた。
いや、正確には隠されたと言ってもよかった。後で、トイレのゴミ箱の中に入れられているのを、僕が見つけたから。
ただただ悔しかったし、悲しかった。だけど、怖くてそのことを先生には言えなかった。言えば、隠したクラスメイトから逆恨みをされて、さらにひどいことをされそうな気がして。
そんな僕の異変に最初に気づいてくれたのが、祖母だった。いつものように、学校から帰ってきた僕の顔を見て、祖母は、
「亮ちゃん、学校で辛いことがあるんじゃないの」
と、訊いてくれた。自分ではわからなかったが、よほど暗い表情を浮かべていたのだろう。
「お父さんとお母さんには内緒にしていてあげるから、おばあちゃんに正直に話してごらん」
その言葉で、僕の心は折れた。堰を切らしたように溢れ出す涙。それまでのことをすべて、洗いざらい、祖母に話したと思う。ずっと感じていた惨めさや寂しさなんかも全部まとめて。
そんな僕に、祖母は優しく語りかけた。
「大丈夫。亮ちゃんは、何も心配いらないよ。おばあちゃんが全部解決してあげるからね。でも、一つだけ、約束してくれるかな。これからは自分の気持ちを、おばあちゃんに正直に話してくれるって……」
僕は、泣きながら祖母とそう約束を交わした。
その次の日、僕は担任の先生から呼び出された。叱られると思って縮こまってしまったが、先生は僕を叱りつけるどころか、これまでに僕が受けていた嫌がらせに気づけなかったことを謝ってくれた。
そして、担任の先生が間に入ってくれたことで、僕の持ち物が隠されていたことは解決して、それ以降、僕がクラスメイトたちから嫌がらせを受けることはなくなった。両親から、そのことに触れられることもなかった。
今、振り返れば、祖母が学校にかけ合ってくれたのだと思う。そして、そのことに触れないように、両親にも念を押してくれていた。祖母は、僕に対してそれまでと変わらずに接してくれていたが、きっと祖母が僕の気持ちを代弁してくれたに違いない。そのことがあったから、僕は祖母との約束を、堅く守ろうとした……。




