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血月の新選組――未来が見える俺、人を斬れないのに新選組最強と勘違いされる。吸血鬼の姫だけが俺の秘密を知っている。――  作者: 鷹司 怜


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【第一章 血月編】 第五話 鬼の副長

 朝霧が、壬生屯所の庭を白く包んでいた。


 竹林を抜ける風が葉を揺らし、まだ冷たい空気の中に鳥のさえずりが響く。


 その静けさを切り裂くように、乾いた音が何度も鳴り響いた。


 ――パシンッ!


 ――パシンッ!


 木刀が激しくぶつかり合う音だ。


 庭では十数人の隊士たちが朝稽古に励んでいる。


 額から汗を流し、土を蹴り、声を張り上げる。


 その姿には、一切の無駄がなかった。


 神代朔夜は縁側に立ち、その光景を静かに見つめていた。


(これが……新選組。)


 教科書の中でしか知らなかった男たち。


 幕末最強と謳われた剣士たち。


 テレビや映画で何度も見た名前が、今は目の前で息をし、笑い、汗を流している。


 夢のようだった。


 しかし頬を撫でる冷たい朝風が、この世界が現実なのだと教えてくる。


 昨夜の戦い。


 吸血鬼。


 血月。


 そして、自分の右目に宿った不思議な力――神速眼。


 すべてが現実だった。


「……見惚れてる暇はねぇぞ。」


 低く鋭い声が背後から飛んだ。


 振り返ると、土方歳三が腕を組んで立っていた。


 朝日に照らされた端正な顔立ち。


 鋭い眼差しは、一切の油断も許さない。


 鬼の副長。


 その異名がこれほど似合う男はいないと、朔夜は思った。


「神代。」


「はい。」


「昨日は局長が預かると言った。」


 土方はゆっくり庭へ歩き出す。


「だがな。」


 振り返る。


「俺はまだ、お前を信用しちゃいねぇ。」


 その言葉は冷たかった。


 だが、不思議と嫌な気はしなかった。


 それが土方歳三という男なのだ。


 仲間になる者には、誰よりも厳しい。


 だからこそ、新選組は強い。


「当然です。」


 朔夜は真っ直ぐ答えた。


「俺が副長でも、同じことを言います。」


 その返答に、土方はわずかに目を細める。


「口だけは達者らしい。」


 腰に差していた木刀を一本抜き取り、朔夜へ放った。


「受け取れ。」


 咄嗟に両手を伸ばし、木刀を受け止める。


 ずしり、と重みが腕へ伝わる。


 竹刀とは違う。


 硬い樫の木で作られた木刀は、まるで一本の鉄棒を持ったようだった。


「新選組に必要なのは口じゃねぇ。」


 土方が静かに言う。


「剣だ。」


 その一言で、庭の空気が変わった。


 朝稽古をしていた隊士たちが、次々と動きを止める。


「始まるぞ。」


 原田左之助が豪快に笑った。


「副長の試験だ。」


 永倉新八も肩を回しながら近付いてくる。


「新入りは久しぶりだな。」


 縁側では山南敬助が静かに本を閉じ、穏やかな笑みを浮かべていた。


 一方、沖田総司だけは少し心配そうな表情をしている。


「副長。」


「何だ。」


「神代さんは昨日、大怪我をしています。」


 土方は短く鼻を鳴らした。


「だからだ。」


「え……?」


「昨日程度で動けなくなるなら、この京じゃ三日も生きられねぇ。」


 隊士たちが黙る。


 厳しい。


 だが、それが現実なのだ。


 昨日襲ってきた吸血鬼。


 あれより恐ろしい敵が、この京都にはいくらでもいる。


「神代。」


「はい。」


「逃げるなら今だ。」


 土方の視線が突き刺さる。


「ここから先は命のやり取りしかねぇ。」


「一歩踏み出した瞬間から、お前は侍だ。」


 朔夜は木刀を握り締めた。


 心臓が高鳴る。


 怖い。


 怖くないと言えば嘘になる。


 人を斬れない。


 命を奪えない。


 そんな自分が、この時代で生きていけるのだろうか。


 だが――。


 脳裏に浮かんだのは、昨夜の光景だった。


 橋の上で泣いていた夜羽。


 逃げ惑う町人たち。


 未来で倒れていた沖田。


(守りたい。)


 その想いだけは、恐怖よりも強かった。


 朔夜はゆっくり顔を上げる。


「逃げません。」


 土方はじっと朔夜を見つめていた。


 やがて、小さく笑う。


 本当に、本当にわずかな笑みだった。


「その目だけは嫌いじゃねぇ。」


 そう言うと、副長は庭へ向かって声を張った。


「平山!」


「はっ!」


 一人の若い隊士が飛び出してくる。


 二十歳前後。


 日に焼けた精悍な顔立ち。


 まだ若いが、その足取りには迷いがない。


「相手をしろ。」


「承知!」


 平山は木刀を構えた。


 その切っ先は、まっすぐ朔夜へ向けられる。


「神代。」


 土方が静かに告げる。


「勝てとは言わねぇ。」


「だが、一瞬でも気を抜けば終わりだ。」


 庭全体が静まり返る。


 誰一人として声を出さない。


 風だけが竹林を揺らしていた。


 朔夜は木刀を構える。


 剣道で何千回と繰り返した正眼の構え。


 だが今は試合ではない。


 この一太刀が、自分の未来を決める。


 平山がじり、と踏み込む。


 土を踏み締める音がやけに大きく聞こえた。


(速い……。)


 その瞬間だった。


 右目の奥が、じわりと熱を帯びる。


 鼓動が高鳴る。


 世界から音が消えた。


 風が止まり、木の葉が空中で静止したように見える。


(来る――。)


 神速眼が、静かに目覚める。


 そして土方歳三だけが、その異変に気付いていた。


「……なるほど。」


 鬼の副長は、小さく呟く。


「面白ぇ男だ。」


 次の瞬間。


 平山が地を蹴った。


 勝負が始まる――。


乾いた土が舞い上がる。


 踏み込みに一切の迷いはない。


 木刀が一直線に朔夜の額を目掛けて振り下ろされる。


「はあっ!」


 鋭い裂帛の気合。


 速い。


 剣道の試合で何度も経験した「速い」とは違う。


 命を懸ける者だけが放てる一太刀だった。


 だが、その瞬間――。


 右目の奥が灼けるように熱くなる。


(見える……!)


 世界が静止した。


 平山の重心。


 肩の入り方。


 木刀の軌道。


 汗の飛び散る方向までもが、まるで最初から決まっていた未来のように見える。


 神速眼。


 数瞬先の未来が、朔夜の脳裏へ流れ込んでくる。


(右へ半歩。)


 身体が自然に動いた。


 木刀が鼻先をかすめる。


 風圧だけが頬を打つ。


 平山の瞳が驚きに見開かれた。


「なっ……!」


 その隙を逃さず、朔夜は木刀を相手の胴へ軽く当てる。


 乾いた音が庭に響いた。


 静寂。


 誰も声を出せなかった。


「……一本。」


 永倉新八がぽつりと呟く。


「避けた……いや、違う。」


 斎藤一だけが静かに首を振る。


「読んだ。」


 土方歳三は腕を組んだまま微動だにしない。


 鋭い視線だけが朔夜を射抜いていた。


 その時だった。


「っ……!」


 右目を焼く激痛。


 視界がぐらりと傾く。


 頭蓋の奥を錐で貫かれるような痛みが全身を駆け抜けた。


「ぐっ……!」


 朔夜は膝をつく。


 右目から一筋の血が頬を伝い、土へ落ちた。


 ぽたり、と赤い雫が染みを作る。


「神代さん!」


 沖田総司が駆け寄る。


「大丈夫ですか!」


「……平気、です。」


 そう答えようとしても、息がうまく吸えない。


 まるで命そのものを削られたような虚脱感だった。


 周囲の隊士たちがざわめく。


「目から血が……」


「怪我じゃねぇぞ。」


「どういうことだ?」


 土方はゆっくり朔夜の前まで歩み寄った。


 しゃがみ込み、その右目を見つめる。


「副長……」


 沖田が心配そうに声を掛ける。


 だが土方は答えない。


 やがて低い声で言った。


「命を削る力か。」


 朔夜は息を呑む。


 誰にも話していない。


 それなのに、この男は見抜いた。


「図星らしいな。」


 土方は静かに立ち上がる。


「副長……どうして分かったんですか?」


 朔夜の問いに、土方は苦く笑った。


「そんな目をした奴を、俺は何人も見てきた。」


 その声には、僅かな寂しさが滲んでいた。


「己の命を削ってでも守ろうとする奴は、長くは生きねぇ。」


 庭に沈黙が落ちる。


 隊士たちも、その言葉の重みを理解していた。


「だから覚えとけ。」


 土方は朔夜を真っ直ぐ見据える。


「力に使われるな。」


「お前が力を使うんだ。」


 その一言が、朔夜の胸に深く刻まれた。


 ただ強いだけではない。


 仲間を幾度も失い、それでも前を向いてきた男だからこその言葉だった。


「立て。」


 土方が手を差し出す。


 朔夜は驚く。


 鬼の副長が、自分に手を。


 震える手で、その手を握る。


 力強く引き上げられた。


「試験は終わりだ。」


 土方は静かに告げた。


「合格だ。」


 庭がどっと沸いた。


「やったな!」


 原田左之助が豪快に笑いながら背中を叩く。


「ぐはっ!」


「左之さん、叩きすぎですよ。」


 山南敬助が苦笑する。


 永倉も腕を組みながら笑った。


「副長が一発合格を出すとは珍しい。」


 斎藤一だけは無言だった。


 しかし、小さく頷いた。


 それだけで十分だった。


 土方は振り返る。


「総司。」


「はい。」


「今日からお前が神代を鍛えろ。」


 沖田は目を丸くした。


「私が……ですか?」


「他に適任はいねぇ。」


「承知しました。」


 沖田は優しく笑う。


「神代さん。」


「はい。」


「これからよろしくお願いします。」


 その笑顔には打算がなかった。


 本当に嬉しそうだった。


 朔夜も自然と笑みを返す。


「こちらこそ、お願いします。」


 その様子を、屋根の上から一人の少女が見つめていた。


 夜羽だった。


 風が黒髪を揺らす。


 彼女は胸にそっと手を当てる。


「どうして……。」


 鼓動が速い。


 吸血鬼である自分には、本来感じるはずのない温もり。


 昨日会ったばかりの人間。


 それなのに。


 その姿を見ているだけで胸が締めつけられる。


 頬を一筋の涙が伝った。


「また……泣いてる。」


 自分でも理由が分からなかった。


 一方その頃――。


 京都の外れ。


 廃寺の奥深く。


 無数の蝙蝠が夜空へ舞い上がる。


 その中心に立つ男。


 黄金の瞳を持つ吸血鬼。


 カイン。


「神速眼。」


 静かに笑う。


「やはり目覚めたか。」


 その背後に、鬼面をつけた男が膝をついた。


「カイン様。」


「京都各地で封印の綻びを確認しました。」


「そうか。」


 カインは血月を見上げる。


「ならば始めよう。」


 ゆっくりと両腕を広げた。


「二百五十年待ち続けた。」


「血月計画を。」


 その言葉と同時に、京都の空を覆う血月が妖しく脈打った。


 誰にも気づかれないまま。


 歴史の裏側で、本当の戦いが幕を開けようとしていた――。

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