【最終章 春、もう一度】 第三十九話 血月の夜明け
血月城から、黒い煙が消えていく。
長い夜が終わろうとしていた。
崩れかけた城壁の隙間から、淡い朝の光が差し込んでいる。
誰も言葉を発しなかった。
あれほど激しかった戦いが終わったことを、まだ誰も実感できずにいた。
土方歳三は、崩れた玉座の間を見渡した。
そこにはもう、九条羅刹の姿はない。
千年にわたって続いた血の支配。
人間と吸血鬼を憎しみで結びつけていた王。
そのすべてが、夜明けとともに消えた。
「……終わったな」
近藤勇が呟いた。
「ああ」
土方が答える。
「終わった」
だが。
土方の視線は、一人の男へ向けられた。
「総司は?」
月夜が振り返る。
「こちらです」
瓦礫の脇。
沖田総司が壁にもたれて座っていた。
顔色は悪い。
呼吸も浅い。
それでも、口元には笑みが浮かんでいた。
「土方さん。」
「何だ」
「朝ですね」
土方は空を見上げた。
「ああ」
「……綺麗ですね」
「お前、そんなこと言う奴だったか?」
「僕だって、たまには言いますよ」
沖田が笑う。
その笑顔を見て、土方は何も言えなくなった。
近藤も同じだった。
戦いが終わった。
だからこそ。
これからのことが怖かった。
沖田の身体には、千年の吸血鬼の力によって受けた傷が残っている。
それだけではない。
これまで無理を重ねてきた身体は、もう限界に近かった。
月夜が沖田の手を握る。
「沖田さん。」
「はい」
「約束……覚えていますか?」
「もちろんです」
「桜を見に行く約束です」
沖田は一瞬、目を閉じた。
そして微笑んだ。
「忘れるわけないじゃないですか」
月夜は泣きそうになる。
けれど、泣かなかった。
もう決めている。
この人と一緒に、生きる。
たとえ残された時間が短かったとしても。
一日でも。
一時間でも。
一緒に過ごす。
それが、戦いの後に自分が選んだ未来だった。
血月城を出る頃には、朝日が山々を照らしていた。
新選組の隊士たちが、ゆっくりと山を下っていく。
傷だらけ。
疲れ切っている。
それでも誰もが笑っていた。
「腹減った!」
永倉新八が叫ぶ。
「お前は戦いの後はいつもそれだな」
原田左之助が笑う。
「仕方ねぇだろ!」
斎藤一は呆れたように二人を見る。
近藤はそんな仲間たちを見ながら、静かに笑った。
「……帰ろう」
その一言に、土方が頷く。
「ああ」
帰る場所がある。
待っている仲間がいる。
それだけで、人はまた歩き出せる。
数日後。
京には、穏やかな春が訪れていた。
血月城の異変を知る者はいない。
人々はいつも通り暮らしている。
朝になれば店を開け。
子どもたちは道を走り。
夜になれば家へ帰る。
誰も知らない。
この京を守るために、新選組と一人の吸血鬼の少女が戦ったことを。
誰も知らなくていい。
土方はそう思っていた。
「歳」
近藤が隣に座る。
「何です?」
「良かったな」
「何がです?」
「みんな、生きている」
土方は黙った。
そして小さく笑う。
「……そうですね」
だが、その視線の先には一人の男がいた。
沖田総司。
縁側に座り、桜の木を見上げている。
その隣には月夜。
「もうすぐ咲きますね」
月夜が言う。
「はい」
沖田が頷く。
「楽しみです」
「私もです」
風が吹いた。
まだ蕾だった桜の枝が、静かに揺れる。
沖田は空を見上げた。
「月夜さん」
「はい」
「もし……来年も桜が見られたら。」
「はい」
「その時も一緒に見てくれますか?」
月夜は笑った。
「もちろんです」
「約束ですよ」
「約束です」
二人は小指を絡めた。
その光景を遠くから見ていた土方は、そっと背を向ける。
「……ったく」
近藤が笑う。
「どうした?」
「いや」
土方は空を見上げる。
赤い月は、もうない。
そこにあるのは、ただの青い空。
「春が来たな」
近藤は頷いた。
「ああ」
新選組の戦いは終わった。
千年の約束も終わった。
そして――。
新しい約束が始まった。
「また、来年も桜を見よう」
それだけで十分だった。
未来は、誰にも分からない。
それでも人は、明日を信じる。
大切な誰かと、もう一度笑うために。
そのために今日を生きる。
――血月の夜は、終わった。
そして。
物語は最後の春へ向かって、静かに歩き始めた。




