↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血月の新選組――未来が見える俺、人を斬れないのに新選組最強と勘違いされる。吸血鬼の姫だけが俺の秘密を知っている。――  作者: 鷹司 怜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/41

【第三章 千年の約束】 第三十話 池田屋の夜

 六月五日、戌の刻。


 京の町は深い闇に沈んでいた。


 雨こそ降ってはいないが、重く垂れ込めた雲が月を覆い隠し、夜は異様な静けさに包まれている。


 池田屋。


 木造二階建ての旅籠は、表向きは営業を終えたように見えた。


 だが、障子の隙間から漏れる灯りが、この場所にまだ多くの人間がいることを物語っている。


 近藤勇は店の前で足を止めた。


 背後には沖田総司、永倉新八、藤堂平助、そして朔夜。


 土方歳三は別働隊を率い、裏手へ回っている。


「山崎。」


「はっ。」


「間違いないな。」


 監察方・山崎烝は静かに頷いた。


「浪士三十名以上。二階にも複数おります。」


 近藤は一度だけ目を閉じた。


「……行くぞ。」


 その一言で、全員の空気が変わる。


 朔夜は《明星》の柄を握る。


 心臓の鼓動が速い。


 だが、不思議と恐怖はなかった。


 宗真の言葉が胸に残っている。


『未来を見るな。守りたい者を見ろ。』


 朔夜は静かに息を吐いた。


「近藤先生。」


 沖田が小さく笑う。


「今日は少し暴れます。」


「頼んだぞ、総司。」


 近藤も笑い返した。


 その笑顔は、戦場へ向かう者とは思えないほど穏やかだった。


 池田屋二階。


 十数名の浪士たちが地図を囲んでいた。


「御所へ火を放つ。」


「混乱に乗じて天誅を――」


 その時だった。


 ガタン。


 廊下が鳴る。


 一人の浪士が立ち上がる。


「誰だ!」


 返事はない。


 次の瞬間。


 ドンッ!!


 玄関の戸が勢いよく開いた。


「新選組だ!」


 近藤勇の怒号が響く。


「御用改めである!」


 部屋の空気が凍り付く。


「なっ……!」


「囲まれた!」


 浪士たちが一斉に刀へ手を掛けた。


 しかし、それより早く沖田が踏み込む。


「はあっ!」


 閃光のような一太刀。


 最初の一人の刀が宙を舞った。


「ぐあっ!」


 続けざまに永倉が豪快に斬り込み、藤堂が敵の脇を抜ける。


 狭い廊下は一瞬で修羅場と化した。


 朔夜も戦いへ飛び込む。


 神速眼が熱を帯びる。


 敵の剣筋。


 踏み込み。


 体重移動。


 すべてが見える。


(右から来る!)


 身体を半歩ずらす。


 斬撃が空を切る。


 続けて柄で相手の手首を打つ。


「ぐっ!」


 刀が落ちる。


 朔夜は刃ではなく峰を返し、男の肩を打ち据えた。


 浪士は気を失って倒れる。


「……斬らない。」


 その姿を見た沖田が、一瞬だけ微笑んだ。


「神代さんらしい。」


 しかし――


 その時だった。


 朔夜の右目が激しく疼く。


 視界が赤く染まった。


 未来が流れ込む。


 池田屋二階。


 黒い霧。


 浪士ではない影。


 巨大な腕。


 沖田へ振り下ろされる漆黒の刃。


「沖田さん!」


 朔夜は反射的に叫ぶ。


「え?」


 沖田が振り返った、その瞬間。


 ズン――。


 空気そのものが震えた。


 部屋の隅から、黒い霧がゆっくりと溢れ始める。


 浪士たちも驚き、思わず後ずさる。


「なんだ……あれは。」


 霧は人の形を取り始める。


 黒い鎧。


 赤く燃える瞳。


 人ではない。


 吸血鬼でもない。


 虚無だった。


「ようやく会えた。」


 低く響く声が、池田屋全体を震わせる。


「神速眼の継承者。」


 朔夜は《明星》を構える。


 背中に冷たい汗が流れた。


 宗真が命を懸けて戦った存在。


 千年間、血月王が封じ続けてきた存在。


 その怪物が、ついに目の前へ姿を現したのだった。


 黒い霧が、畳を這うように広がっていく。


 まるで生き物のようだった。


 池田屋の空気が一瞬で凍りつく。


 浪士たちですら刀を握る手を止め、その異様な光景を見つめていた。


「ば……化け物……。」


 一人の浪士が震えた声を漏らす。


 霧の中心から、一歩、また一歩と巨大な影が姿を現す。


 身の丈は二メートルを超え、全身を覆う漆黒の甲冑は光を吸い込むように鈍く輝いている。


 顔を覆う仮面には目も口もない。


 あるのは、深紅に燃える二つの光だけだった。


「虚無……。」


 朔夜は無意識に呟く。


 その名を口にした瞬間、怪物がゆっくりと顔を向けた。


「神速眼。」


 低く響く声は、人の耳ではなく心を直接震わせるようだった。


「千年待った。」


 その言葉と同時に、虚無が腕を振る。


 轟音。


 壁が吹き飛び、木片が嵐のように舞う。


「伏せろ!」


 近藤の叫びが飛ぶ。


 隊士たちは咄嗟に身を伏せた。


 しかし、一人だけ動かなかった者がいる。


 沖田総司。


「ここは通しません。」


 静かな声だった。


 沖田は刀を構え、一歩前へ出る。


「総司!」


 近藤が止める間もなかった。


 沖田は床を蹴る。


 縮地。


 一瞬で間合いを詰めると、必殺の平青眼から鋭い一閃を放つ。


 ギィィンッ!


 金属を叩いたような甲高い音。


 刀は確かに虚無を斬った。


 だが、その刃は黒い甲殻の表面を浅く削っただけだった。


「硬い……!」


 沖田の目が見開かれる。


 虚無はゆっくりと右腕を振り上げた。


 巨大な腕が沖田へ迫る。


(間に合わない!)


 その瞬間だった。


「沖田さん!」


 朔夜が飛び込む。


 神速眼が未来を映し出す。


 右。


 左。


 振り下ろし。


 すべてが見える。


 朔夜は沖田を突き飛ばし、自ら受け流しの構えを取った。


 激突。


 《明星》が悲鳴を上げる。


 凄まじい衝撃が腕を突き抜け、朔夜の身体は柱へ叩きつけられた。


「ぐっ……!」


 肺から空気が押し出される。


 それでも刀は離さなかった。


「神代!」


 沖田が駆け寄ろうとした、その時だった。


「前を見ろ。」


 低い声。


 土方歳三だった。


 裏口を突破した別働隊が、池田屋へなだれ込む。


「副長!」


「総司、無事か。」


「なんとか。」


 土方は朔夜へ目を向け、小さく笑う。


「よく受けた。」


「だが、一人で抱え込むな。」


 その言葉と同時に、斎藤一が虚無へ斬り込む。


 鋭い牙突。


 永倉の豪快な一撃。


 原田の槍が唸る。


 新選組の精鋭たちが次々と攻撃を重ねる。


 しかし。


 どの一撃も決定打にはならない。


 虚無はまるで痛みを感じていなかった。


「こんな化け物……。」


 永倉が息を呑む。


 その時だった。


 池田屋の屋根が砕け散る。


 夜風が一気に吹き込み、紅い月が姿を現した。


 月光の中へ、一人の少女が舞い降りる。


 白銀の長髪。


 紅い瞳。


 月明かりに揺れる純白の着物。


 夜羽だった。


「朔夜様!」


 その声と同時に、漆黒の槍が虚無へ突き刺さる。


 さらに屋根の上から、重く静かな声が響く。


「遅くなったな。」


 全員が見上げる。


 そこには黒い外套をまとった男が立っていた。


 血月王。


 赤い瞳が虚無を射抜く。


「千年ぶりだな。」


 虚無はゆっくりと笑った。


「ようやく来たか。」


「敗北者の王よ。」


 血月王は静かに《月喰》を抜く。


 銀色の刀身が紅い月を映した。


「敗れたのではない。」


「守り続けてきたのだ。」


 王の足元から紅い霧が立ち昇る。


 その霊圧だけで畳が軋み、柱が震える。


 朔夜は思わず息を呑んだ。


(これが……血月王の本当の力。)


 血月王は朔夜を一瞥し、小さく口元を緩める。


「神代朔夜。」


「宗真が信じた未来を見せてみろ。」


 その言葉を合図にするように、池田屋の戦いは新たな局面へ突入した。


 人。


 吸血鬼。


 そして虚無。


 三つの運命が、ついに一つの戦場で交わろうとしていた。


――血に濡れた階段


池田屋二階。


そこは、もはや宴の場ではなかった。


畳は血に染まり、障子は斬り裂かれ、月明かりだけが静かに部屋を照らしていた。


「……化け物か……」


倒れた浪士が震える声で呟く。


その視線の先に立っていたのは――


新選組一番隊組長。


沖田総司。


そして、その隣には。


紅い瞳を持つ少女――


吸血鬼の姫、月夜。


「私は……化け物じゃありません」


月夜は小さく首を振る。


「ただ……人を守りたいだけです」


その言葉に、沖田は一瞬だけ目を細めた。


剣を振るうことしかできない自分。


血を流させることしかできない自分。


そんな自分とは違う。


彼女は、血を恐れながらも人を救おうとしている。


「優しいですね、月夜さんは」


「沖田さんこそ……」


 月夜は悲しそうに見つめる。


「どうして、そんなに悲しい顔で刀を振るうんですか?」


沖田は答えなかった。


ただ、握った刀を静かに下ろす。


「僕は……人を斬るために生まれたんですよ」


「違います」


即座に月夜が否定した。


「あなたは、人を斬るためじゃない」


「……」


「誰かを守るために刀を持った人です」


その言葉が、沖田の胸に突き刺さった。


――鬼の副長、到着


その時だった。


階下から、怒号が響く。


「道を開けろ!!」


次の瞬間。


階段を駆け上がってきた男がいた。


長い刀。


鋭い眼光。


鬼のような気迫。


「土方さん……」


沖田が呟く。


土方歳三。


新選組副長。


彼は周囲を一瞬で見渡した。


「総司」


「はい」


「無茶をするなと言ったはずだ」


「すみません」


沖田は苦笑する。


土方はため息をついた。


しかし、その視線はすぐに月夜へ向けられる。


「……お前か」


月夜の存在。


新選組内部でも噂になっていた。


人ではない力を持つ少女。


血を飲む化け物。


だが――


土方は刀を抜かなかった。


「近藤さんが信じた人間を、俺が疑うわけにはいかねぇ」


「土方さん……」


「ただし」


土方の目が鋭く光る。


「仲間を傷つけた瞬間、俺が斬る」


月夜は静かに頷いた。


「……分かっています」


――最後の敵


その時。


奥の部屋から、ゆっくりと男が立ち上がった。


長州の志士。


そして――


月夜の一族を知る者。


「まさか……吸血鬼が新選組にいるとはな」


月夜の表情が変わる。


「あなた……」


男は笑った。


「久しいな、月夜姫」


「どうして……あなたがここに」


沖田が刀を構える。


「知り合いですか?」


月夜は震える声で答えた。


「……私の一族を滅ぼした男です」


空気が凍る。


土方の目が細くなる。


「なるほどな」


男は刀を抜いた。


「人間も吸血鬼も、弱い者は滅びる」


「だから私は力を求めた」


「この国を変えるためにな」


沖田は静かに前へ出た。


「あなたの理想が何であろうと」


「誰かの命を奪う理由にはならない」


男が笑う。


「綺麗事だな」


「剣士が人を殺さずに何を守れる?」


沖田は刀を握る。


そして――


答えた。


「……守れます」


「僕は、それを証明するために戦っています」


――人を斬らない剣


二人の刀がぶつかった。


激しい火花。


男の剣は重い。


殺意に満ちている。


対して沖田の剣には迷いがあった。


しかし。


その迷いこそが――


彼の強さだった。


「なぜだ……!」


男が叫ぶ。


「なぜ殺せる瞬間に斬らない!」


沖田は刀を止める。


「あなたを斬れば……」


「また誰かが悲しむ」


「それが分かっているからです」


一瞬。


男の動きが止まった。


その隙を――


土方は見逃さなかった。


「終わりだ」


峰打ち。


男は崩れ落ちる。


――池田屋の夜明け


やがて。


戦いは終わった。


池田屋には静寂が戻る。


外では、夜明け前の冷たい風が吹いていた。


沖田は空を見上げる。


「……終わりましたね」


土方は煙草に火をつける。


「いや」


「始まったんだ」


「この夜を境に、世の中は大きく変わる」


月夜は黙って京都の空を見る。


「血の時代が……始まる」


その言葉に、沖田は振り返る。


「月夜さん」


「はい?」


「僕は……あなたを守ります」


月夜の瞳が揺れる。


「どうして?」


沖田は笑った。


「あなたが僕に教えてくれたからです」


「刀は、人を傷つけるためだけじゃないって」


夜明けの光が差し込む。


血に染まった池田屋。


そこに、新たな絆が生まれていた。


しかし――


誰も知らなかった。


この池田屋の夜こそが。


新選組と吸血鬼の姫を巻き込む、


巨大な運命の始まりになることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。