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血月の新選組――未来が見える俺、人を斬れないのに新選組最強と勘違いされる。吸血鬼の姫だけが俺の秘密を知っている。――  作者: 鷹司 怜


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【第三章 千年の約束】第二十四話 封印の記憶

 西本願寺での戦いから三日。


 京都には、久しぶりの雨が降っていた。


 壬生屯所の庭を濡らす雨音だけが静かに響く。


 朔夜は縁側に座り、一冊の日記を開いていた。


 ページは少しずつ増えている。


 忘れたくない出来事。


 仲間の笑顔。


 沖田の言葉。


 夜羽の涙。


 そのすべてを、筆で刻み続けていた。


 だが――。


 ある一行だけが、どうしても書けなかった。


「血月王は、本当に敵なのか。」


 筆先が止まる。


 あの夜、王は「誠の旗」を奪わなかった。


 それどころか、守れと言った。


 そして宗真との約束を口にした。


 朔夜の心は揺れていた。


「考え込んでいますね。」


 夜羽が湯呑みを二つ持って現れる。


 湯気の向こうで、優しく微笑んでいた。


「ありがとう。」


 湯呑みを受け取りながら、朔夜は小さく笑う。


「最近、未来より過去のことばかり考えてる。」


 夜羽は隣へ腰を下ろした。


「過去は変えられません。」


「でも。」


「知ることはできます。」


 その一言に、朔夜は顔を上げる。


 その時。


 屯所の門が勢いよく開いた。


「神代!」


 山崎烝だった。


「玄斎殿が倒れた!」


鞍馬山


 雨に煙る石段を駆け上がる。


 祠の中では、玄斎が静かに横たわっていた。


 肩の傷は癒えていた。


 だが、その顔色は土のように青白い。


「先生!」


 夜羽が駆け寄る。


 玄斎はゆっくり目を開けた。


「来たか……。」


 声には力がない。


「もう……時間がない。」


 朔夜の胸がざわつく。


「そんなこと言わないでください!」


 玄斎は微笑んだ。


「人はいつか死ぬ。」


「じゃが。」


「記憶は、死なん。」


 老人は震える手で祭壇を指差す。


 そこには、黒い石の箱が置かれていた。


「開けよ。」


 朔夜が蓋へ手を掛ける。


 冷たい。


 まるで氷に触れたようだった。


 ゆっくりと蓋を開く。


 中に入っていたのは、一枚の水晶だった。


 掌ほどの大きさ。


 透き通った結晶の中心で、紅い光が脈打っている。


「これは……。」


「記憶石。」


 玄斎が静かに答える。


「宗真が最期に残した記憶じゃ。」


 朔夜が水晶へ触れた瞬間――


 世界が反転した。


 千年前


 耳をつんざくような怒号。


 燃え上がる城。


 黒い雲に覆われた空。


 無数の屍。


 そして、一人の青年。


 白銀の羽織をまとい、《明星》を構えている。


 その姿は朔夜によく似ていた。


「宗真……。」


 青年はゆっくり振り返る。


 まるで朔夜が見えているかのように。


「ようやく来たか。」


 穏やかな声だった。


 朔夜は驚く。


「俺が見えるの?」


 宗真は苦笑する。


「これは記憶ではない。」


「お前への手紙だ。」


 周囲の時間が止まる。


 炎も。


 風も。


 すべてが静止した。


 動いているのは、宗真だけ。


「朔夜。」


 初めて名前を呼ばれる。


「血月王を憎むな。」


 その一言に、朔夜の思考が止まる。


「え……?」


「彼は敵ではない。」


「本当の敵は――」


 ズズズズ……


 突然、記憶が乱れ始める。


 空間が歪み、宗真の姿がノイズに飲まれていく。


「しまった!」


 玄斎の声が遠くから響く。


「封印が……!」


 宗真は必死に叫ぶ。


「朔夜!」


「王を――」


 その瞬間。


 巨大な黒い腕が空間を引き裂き、宗真の記憶を握り潰した。


 世界が砕け散る。


 朔夜は勢いよく目を覚ました。


 息が荒い。


 額には大量の汗。


 玄斎も苦しそうに咳き込んでいた。


「先生!」


 夜羽が支える。


 玄斎は苦しそうに息を整えながら呟く。


「やはり……奴か。」


「奴?」


 老人はゆっくり首を振る。


「血月王ではない。」


「千年間……記憶を封じ続けた者。」


 その名を口にした瞬間。


 祠の外で雷が落ちる。


 轟音とともに山が震えた。


「『虚無きょむ』……。」


 玄斎の顔から血の気が引く。


「まだ生きておったのか……。」


 雨は激しさを増していた。


 誰も知らない。


 血月王のさらに背後に、本当の黒幕が存在することを。


 千年前の戦いは、まだ終わっていなかった――。


 雨が、激しく社の屋根を打っていた。


 朔夜は荒い息を繰り返しながら、なおも記憶石を見つめていた。


 水晶の中で脈打っていた紅い光は、今は弱々しく明滅している。


 宗真の言葉。


 それだけが耳に残って離れなかった。


「血月王を憎むな。」


 あれは幻ではない。


 確かに宗真は、自分へ語りかけていた。


「先生……。」


 朔夜は玄斎へ視線を向ける。


「宗真さんは、血月王は敵じゃないと言いました。」


「本当なんですか。」


 玄斎は静かに目を閉じた。


 長い沈黙。


 やがて、諦めたように小さく息を吐く。


「……本当じゃ。」


 その一言で、夜羽の肩が震えた。


「千年前。」


 玄斎は遠くを見るように語り始める。


「宗真と血月王は、最初から敵だったわけではない。」


「え……?」


「二人は共に戦った。」


 朔夜は言葉を失う。


「人間と……吸血鬼が?」


「そうじゃ。」


 玄斎は頷く。


「もっと恐ろしい敵がおった。」


 社の外で雷鳴が轟く。


 老人は低く呟いた。


「奴の名は――虚無。」


 その瞬間。


 祠の空気が変わった。


 灯火が一斉に揺れ、祭壇の護符が音を立てて裂けていく。


 夜羽が剣へ手を掛けた。


「誰かいます!」


 社の奥。


 暗闇の中に、一人の男が立っていた。


 いつ現れたのか、誰にも分からない。


 黒い狩衣。


 白い仮面。


 その顔には目も口も描かれていない。


 ただ、何もない。


 完全な『無』だけがそこにあった。


「……虚無。」


 玄斎の声が震える。


「馬鹿な……。」


「封印の中から、もう干渉できるというのか。」


 男は何も答えない。


 ただ、ゆっくりと朔夜を見た。


 その瞬間。


 朔夜の神速眼が悲鳴を上げる。


「ぐっ……!」


 右目を押さえて膝をつく。


 未来が見えない。


 過去も見えない。


 視界そのものが、真っ黒に塗り潰される。


「朔夜様!」


 夜羽が駆け寄る。


 しかし、虚無は一歩も動かない。


 動かないまま、世界だけが歪んでいく。


 床が軋み、柱がねじれ、空間が悲鳴を上げる。


 玄斎が叫んだ。


「見るな!」


「奴と目を合わせるな!」


 遅かった。


 朔夜は仮面の奥を見てしまう。


 そこには何もなかった。


 闇ですらない。


 存在そのものが欠け落ちた『空白』。


 人の心が最も恐れるもの。


 ――完全なる無。


 その時だった。


 《明星》が、鞘の中で鳴いた。


 カン――。


 澄んだ音が、空間を切り裂く。


 蒼銀の光が刀から溢れ出し、朔夜の身体を包み込む。


 右目の痛みが少しだけ和らいだ。


 虚無は初めて反応を見せる。


 仮面がわずかに傾いた。


「……明星。」


 声は男とも女ともつかない。


 冷たく、感情がない。


「まだ残っていたか。」


 次の瞬間、男の姿は霧のように揺らいだ。


「時は近い。」


「神速眼。」


「最後の器よ。」


 その言葉だけを残し、虚無は跡形もなく消えた。


 祠に静寂が戻る。


 玄斎は崩れるように座り込み、苦しそうに息を吐く。


「封印が……弱っておる。」


「先生。」


 朔夜はゆっくり立ち上がる。


「俺は何なんですか。」


「どうして現代から、この時代へ来たんです。」


 玄斎は朔夜の目を見つめる。


「その答えは、儂ではなく――。」


 老人は記憶石を見た。


「宗真自身が語るべきことじゃ。」


 その日の夜。


 壬生屯所へ戻った朔夜は、一人で日記を開いた。


 震える手で筆を取り、新しいページへ書き記す。


『血月王は敵ではない。』


 そこで筆が止まる。


 少し考えたあと、もう一行だけ書き加えた。


『本当の敵は、まだ姿を見せていない。』


 墨が乾く。


 窓の外では雨が止み、雲間から月が顔を覗かせていた。


 その月は、血のような赤ではなく――


 静かな銀色に輝いていた。

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