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血月の新選組――未来が見える俺、人を斬れないのに新選組最強と勘違いされる。吸血鬼の姫だけが俺の秘密を知っている。――  作者: 鷹司 怜


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【第三章 千年の約束】 第二十一話 蒼き吸血姫

 夜明け前の京都。


 東山には白い霧が立ち込め、町はまだ眠りの中にあった。


 その静寂を破ったのは、一人の少女の悲鳴だった。


「た、助けて……!」


 路地裏を必死に駆ける娘の背後から、黒い影がゆっくりと迫る。


 影は笑っていた。


「逃げないで。」


 鈴を転がすような、優しい声。


 しかし、その瞳だけは真紅に染まっている。


 少女は恐怖で足をもつれさせ、石畳へ倒れ込んだ。


 影が静かに膝をつく。


「安心して。」


「痛くありませんから。」


 白い指先が少女の頬へ触れる。


 その瞬間——


 ドンッ!


 一発の銃声が夜明けの空を切り裂いた。


 影は軽やかに後ろへ跳ぶ。


 乾いた笑い声。


「山崎さんですか。」


 煙の向こうから、新選組監察・山崎烝が銃を構えて現れた。


「娘から離れろ。」


 影は肩をすくめる。


「相変わらず無愛想ですね。」


 霧が晴れる。


 月明かりの下へ姿を現した少女は、まるで人形のように美しかった。


 腰まで届く黒髪。


 白い着物。


 そして、夜羽によく似た面影。


「私は蒼月。」


 静かに微笑む。


「夜羽の姉です。」


 同じ頃。


 壬生屯所。


 朔夜は日記を書き終えたところだった。


 そこへ山崎が飛び込んでくる。


「神代!」


「三条で吸血鬼が現れた!」


 朔夜は立ち上がる。


「夜羽!」


 隣の部屋から夜羽も飛び出してきた。


「嫌な気配がします……。」


 その表情は青ざめていた。


「知っている相手なの?」


 夜羽はゆっくり頷く。


「もし私の予感が正しければ……。」


 唇が震える。


「姉です。」


 三条大橋。


 朝日が昇り始める中、蒼月は橋の欄干へ腰掛けていた。


 川面を眺めながら、どこか寂しそうに笑っている。


 そこへ朔夜たちが駆けつけた。


 蒼月はゆっくり振り返る。


 そして。


「夜羽。」


 千年ぶりに妹の名を呼んだ。


 夜羽の身体が震える。


「……姉さん。」


 その一言だけで、千年分の想いが溢れそうになる。


「大きくなりましたね。」


 蒼月は優しく笑う。


「よく生きていました。」


 夜羽は剣を抜く。


「私はもう……。」


「血月王には従いません。」


 蒼月は悲しそうに目を伏せた。


「やっぱり。」


「お父様の言った通り。」


「人間に心を奪われたのですね。」


 その言葉に朔夜が一歩前へ出る。


「夜羽は誰にも操られてない。」


「自分で選んだんだ。」


 蒼月は初めて朔夜を見る。


 紅い瞳が細くなる。


「あなたが。」


「神速眼。」


 空気が変わる。


 周囲の景色が揺らぎ始めた。


 橋。


 川。


 人々。


 すべてが霞んでいく。


「これは……!」


 朔夜が目を見開く。


 神速眼が何も映さない。


 未来が消えている。


 玄斎の言葉が脳裏をよぎる。


「十三将には、それぞれ異なる異能がある。」


 蒼月は静かに微笑んだ。


「私の力は——」


幻月げんげつ。」


「心が最も望む夢を見せる力。」


 次の瞬間。


 朔夜の視界が白く染まる。


 気が付くと——


 そこは現代だった。


 高層ビル。


 走る電車。


 スマートフォンを見ながら歩く人々。


「……戻った?」


 母が笑っている。


 父もいる。


 失ったはずの日常。


「おかえり。」


 優しい声。


 胸が熱くなる。


 帰りたかった世界。


 だが、その時。


 右目が疼いた。


 日記の一節が浮かぶ。


『甘い夢ほど疑え。』


 宗真の文字。


 朔夜は拳を握り締める。


「違う。」


「これは夢だ。」


 その瞬間。


 世界へ亀裂が走った。


 一方、夜羽の前には——


 幼い日の蒼月が立っていた。


「夜羽!」


「早く遊びましょう!」


 あの日と同じ笑顔。


 母も笑っている。


 父もまだ優しかった頃。


 誰も傷付いていない。


 失われる前の家族。


 夜羽は涙を流す。


「姉さん……。」


 蒼月は橋の上で静かに目を閉じる。


「眠ってください。」


「神速眼。」


「あなたはもう十分苦しみました。」


 その微笑みは、敵のものとは思えないほど優しかった。


 だからこそ——


 誰よりも切なかった。


 世界が静まり返る。


 橋の上に立つ朔夜の視界は、今もなお現代の街を映していた。


 駅前の雑踏。


 信号の音。


 夕焼けに染まるビル群。


 そして――


「おかえり。」


 母が微笑む。


 温かな夕食の匂いが漂う。


「今日はハンバーグよ。」


 父が新聞から顔を上げて笑う。


「仕事はどうだった?」


 胸が締めつけられる。


 帰りたかった。


 もう一度だけ、この景色を見たかった。


 朔夜は震える手を伸ばす。


 母の指先に触れようとした、その瞬間――。


 右目が激しく疼いた。


 胸元から、一冊の日記が滑り落ちる。


 ページが風にめくれ、宗真の筆跡が目に飛び込んだ。


『人は、失ったものを取り戻したいと願う。』


『だからこそ幻は甘い。』


『だが、お前を待つ者は未来にいる。』


 朔夜は目を閉じた。


「……そうだ。」


 今、自分を待っているのは。


 夜羽。


 沖田。


 土方。


 近藤。


 そして新選組のみんなだ。


 ゆっくりと刀の柄へ手を添える。


「俺は帰る。」


「俺が守る場所へ。」


 《明星》が蒼白く輝く。


 一閃。


 幻の世界に一本の亀裂が走る。


 ガラスが砕け散るような音とともに、景色が崩れ始めた。


 現実。


 三条大橋。


 朔夜は片膝をついたまま息を切らしていた。


 蒼月は驚いたように目を見開く。


「……幻を破った。」


「神速眼ではない。」


「心で。」


 その声には敵意よりも感嘆があった。


 一方――


 夜羽はまだ夢の中にいた。


 そこは千年前の王城。


 花が咲き乱れる庭園。


 幼い蒼月が無邪気に駆け回っている。


「夜羽!」


「捕まえて!」


 二人は笑い合う。


 母が優しく見守り、父――まだ血月王ではなく、一人の王であった男が穏やかに笑っていた。


「姉さん……。」


 夜羽は涙を流す。


 この時間が永遠に続けばいい。


 そう願った。


 しかし。


 空が赤く染まる。


 血月。


 世界が崩れ始める。


 王の瞳が紅く染まり、母は悲鳴を上げる。


 蒼月が夜羽を抱き締めた。


「逃げて!」


「姉さんも!」


「私は行けない。」


 幼い蒼月は泣きながら首を振る。


「お父様を一人にはできない。」


 その日。


 二人の姉妹は別々の道を歩むことになった。


 夜羽はゆっくりと顔を上げる。


「……違う。」


「私は。」


「姉さんを置いて逃げたんじゃない。」


「姉さんが……。」


「私を生かしてくれた。」


 その真実を思い出した瞬間、幻は崩壊した。


 三条大橋。


 夜羽が静かに目を開ける。


 蒼月は優しく笑っていた。


「思い出しましたか。」


「……姉さん。」


 二人の距離は十歩ほど。


 だが、その十歩は千年よりも遠かった。


「帰ってきなさい。」


 蒼月は静かに手を差し伸べる。


「人間は必ずあなたを裏切ります。」


「吸血鬼だけが家族です。」


 夜羽はその手を見つめる。


 幼い頃、何度も握った温かな手。


 涙が頬を伝う。


 しかし。


 夜羽はゆっくり首を横に振った。


「ごめんなさい。」


「私は。」


 朔夜の隣へ歩く。


 そして、そっと彼の手を握る。


「この人たちと生きる。」


 蒼月は悲しそうに微笑んだ。


「そう……。」


 その笑顔は責めるものではなかった。


 妹の成長を喜ぶ姉の笑顔だった。


 だが、その瞬間。


 ズン――。


 空気が震えた。


 空に浮かぶ血月が、さらに濃い紅へ染まる。


 羅刹が膝をつく。


「王がお怒りです。」


 蒼月は空を見上げ、小さくため息をついた。


「もう時間ですね。」


 彼女は最後に夜羽を見つめる。


「夜羽。」


「次に会う時は。」


「姉妹ではありません。」


「十三将と。」


「神速眼の仲間として戦います。」


 その声は震えていた。


 黒い花びらが舞う。


 蒼月の身体は霧となって消えていく。


 最後まで微笑んだまま。


 夜羽はその場に崩れ落ちた。


「……姉さん。」


 嗚咽が橋に響く。


 朔夜は何も言わず、そっと夜羽の肩を抱いた。


 その夜。


 血月王は静かに玉座へ座っていた。


 羅刹が頭を垂れる。


「蒼月は敗れました。」


「違う。」


 血月王は静かに目を閉じる。


「迷ったのだ。」


 王の瞳には、深い悲しみが宿っていた。


「夜羽。」


「お前まで……。」


 誰にも聞こえない声。


 それは王ではなく、一人の父親の呟きだった。


 しかし次の瞬間、その悲しみは冷たい憎しみに変わる。


「ならば。」


「次は、私が行こう。」


 玉座の間を巨大な妖気が満たす。


 京都の夜空に浮かぶ血月が、不気味に脈打った――。

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