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血月の新選組――未来が見える俺、人を斬れないのに新選組最強と勘違いされる。吸血鬼の姫だけが俺の秘密を知っている。――  作者: 鷹司 怜


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【第三章 千年の約束】 第二十話 桜散る日

 春は、まだ遠い。


 それでも壬生屯所の庭には、一足早く咲く一本の山桜があった。


 朔夜はその木の下で木刀を振っていた。


 《明星》を抜くことは、まだ許されていない。


 玄斎は言った。


「刀は心を映す鏡じゃ。」


「心が迷えば、刀もまた人を傷つける。」


 だから今は木刀だけ。


 ひたすら基本を繰り返す毎日だった。


「百五十八……百五十九……。」


 汗が額を流れる。


 右目は静かだった。


 未来は見えない。


 それでも、胸の奥には小さな不安が残っている。


 次に神速眼が開けば、また何かを忘れる。


 その恐怖は、剣より重かった。


「いい音ですね。」


 柔らかな声がした。


 振り向くと、沖田総司が縁側に腰掛けていた。


 湯呑みを片手に、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。


「沖田さん。」


「少し休みませんか?」


 朔夜は木刀を置き、隣へ腰を下ろした。


 二人はしばらく黙って桜を見上げる。


「神代さん。」


「はい。」


「私は桜が好きなんです。」


 沖田は花びらを指先で受け止める。


「散ると分かっているのに、懸命に咲くでしょう。」


「だから人は、毎年見上げる。」


 朔夜は静かに頷いた。


「剣も同じです。」


「永遠に振れる人はいません。」


「だから、一太刀が大切になる。」


 その言葉は、どこか自分自身に言い聞かせているようだった。


 その時だった。


「ゴホッ……!」


 沖田の肩が震える。


 咳。


 一度。


 二度。


 三度。


 掌を見た沖田は、そっと袖で隠した。


 だが朔夜は見逃さなかった。


 袖口に滲む、鮮やかな赤。


「沖田さん……!」


 慌てて立ち上がる朔夜。


 しかし沖田は静かに首を振った。


「誰にも言わないでください。」


「でも!」


「まだ戦えます。」


「そんな問題じゃ……!」


 沖田は苦笑した。


「私は新選組一番隊組長です。」


「私が倒れたら、みんなが不安になります。」


 その笑顔が痛々しかった。


 その日の夕刻。


 朔夜は鞍馬山へ向かっていた。


 玄斎へ、このことを相談するためだった。


 社の縁側で待っていた老人は、朔夜の表情を見るだけで事情を悟る。


「沖田総司か。」


「……はい。」


 玄斎は静かに目を閉じた。


「歴史とは残酷じゃ。」


「救える命もあれば。」


「どうしても届かぬ命もある。」


「嫌です。」


 朔夜は拳を握る。


「未来が見えるなら。」


「沖田さんも救いたい。」


「誰一人失いたくない。」


 玄斎は静かに微笑んだ。


「だから、お前は神速眼に選ばれた。」


 そして懐から一冊の古びた帳面を取り出した。


 黒い革表紙。


 角は擦り切れ、幾度も開かれた跡がある。


「これは?」


「宗真の日記じゃ。」


 朔夜は震える手でページを開く。


 そこには力強い筆跡で、こう書かれていた。


『未来は忘れてもいい。


だが、人を想った心だけは文字に残せ。


文字は記憶を超えて、人を救う。』


 ページをめくるたびに、宗真が守れなかった人々の名前が並んでいる。


 そして最後のページだけは、白紙だった。


 玄斎は静かに言う。


「その続きを書くのは、お前じゃ。」


 その夜。


 朔夜は屯所へ戻ると、新しい帳面を買った。


 筆を取り、最初の一行を書く。


『今日から日記を書く。』


 少し考えてから、続ける。


『もし未来の俺が、みんなを忘れても。


この日記だけは、絶対に捨てるな。』


 その一文を書き終えた瞬間。


 右目が激しく疼いた。


 ドクン――。


 神速眼が開く。


 見えたのは、満開の桜の下。


 静かに微笑む沖田総司。


 そして、その背中がゆっくりと光へ溶けていく光景だった。


「沖田さん……!」


 朔夜は立ち上がる。


 未来を変えたい。


 いや、変えなければならない。


 だが、その未来の桜は、あまりにも美しかった――。


 夜は静かだった。


 壬生屯所の灯火だけが、春を待つ京の闇を照らしている。


 朔夜は一人、自室で日記を開いていた。


 筆先が止まる。


 今日書くべきことは決まっている。


 だが、その一文字を書くことが恐ろしかった。


「沖田総司が血を吐いた。」


 その事実を書けば、未来が現実になる気がした。


 震える手で筆を置く。


「……違う。」


「未来は決まっていない。」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 そして新しい一行を書く。


『俺は沖田さんを救う。』


 短い一文だった。


 だが、それは朔夜自身への誓いでもあった。


 一方その頃——


 鞍馬山。


 玄斎は社の縁側で静かに茶をすすっていた。


 そこへ夜羽が姿を現す。


「先生……。」


「来ると思っておった。」


 玄斎は振り返らない。


「話したいことがあるのじゃろう。」


 夜羽は深く頭を下げる。


「……はい。」


 しばらく沈黙が続く。


 やがて夜羽は震える声で言った。


「契約が進んでいます。」


 玄斎の手が止まる。


「やはりか……。」


「朔夜様が神速眼を使うたび……。」


 夜羽は自分の左手を見つめる。


 白い肌に、紅い紋様が胸元まで広がっていた。


「私の命も削られています。」


 静かな告白だった。


 だが、その重さは計り知れない。


「あと……どれくらいじゃ。」


 夜羽は小さく笑った。


「分かりません。」


「でも。」


「このままなら、血月王と戦う前に私は消えるでしょう。」


 玄斎は強く目を閉じた。


「朔夜は知っておるのか。」


「いいえ。」


「絶対に話さないでください。」


 夜羽の瞳はまっすぐだった。


「私は。」


「朔夜様が笑っていてくれるなら、それで十分です。」


 玄斎は長く息を吐いた。


「宗真……。」


「また同じ運命を繰り返すというのか。」


 翌朝。


 壬生屯所では近藤勇が隊士たちを集めていた。


「長州の残党が動き始めた。」


「市中警護を強化する。」


 隊士たちが一斉に返事をする。


「応!」


 その中で沖田だけが、小さく咳をした。


 誰にも気付かれないほど小さな咳。


 だが朔夜だけは見逃さなかった。


 胸が締めつけられる。


(間に合ってくれ……。)


 その日の夕刻。


 京都・三条大橋。


 一人の少女が橋の欄干にもたれていた。


 年は十六、七ほど。


 黒髪を腰まで伸ばし、白い着物をまとっている。


 瞳は澄んだ蒼。


 その美しさに、道行く人々は思わず振り返る。


 だが。


 少女の足元には影がなかった。


「ここが……京。」


 静かな声。


 その背後へ羅刹が跪く。


「お待ちしておりました。」


 少女は微笑む。


「羅刹。」


「王がお目覚めになったそうですね。」


「はい。」


 少女は空に浮かぶ血月を見上げる。


 その笑顔は、夜羽によく似ていた。


「では。」


「私も遊びましょう。」


 蒼い瞳が紅く染まる。


「神速眼と。」


 彼女が歩き出した瞬間。


 橋を渡っていた人々が一斉に倒れた。


 首筋には、小さな牙の痕だけが残っていた。


 少女はくすりと笑う。


「千年ぶりの京。」


「ずいぶん平和になったものですね。」


 その名を——


 血月十三将・第三席『蒼月そうげつ』。


 "幻惑"を司る最強の吸血鬼。


 夜羽の実の姉だった。


 その頃、朔夜の右目が激しく疼く。


 ドクン。


 未来が見える。


 炎。


 血。


 泣き叫ぶ人々。


 そして。


 夜羽が、蒼い瞳の少女へ剣を向けていた。


「姉さん……。」


 未来の夜羽が涙を流す。


 少女は優しく微笑みながら言う。


「夜羽。」


「帰っておいで。」


 その声はあまりにも優しかった。


 だからこそ、残酷だった。


 朔夜は目を見開く。


「夜羽に……姉が?」


 神速眼が映した新たな運命。


 それは、血よりも深い宿命の始まりだった——。

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