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血月の新選組――未来が見える俺、人を斬れないのに新選組最強と勘違いされる。吸血鬼の姫だけが俺の秘密を知っている。――  作者: 鷹司 怜


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【第三章 千年の約束】 第十八話 失われる記憶

 京都を包んだ炎は、三日三晩燃え続けた。


 禁門の変は幕を閉じた。


 長州勢は敗走し、御所は守られた。


 しかし、勝利の空気はどこにもない。


 焼け落ちた町家。


 瓦礫の下から見つかる遺体。


 泣き崩れる家族。


 京は、勝ってなお多くを失っていた。


 壬生屯所にも重苦しい静寂が流れていた。


「……以上が被害報告です。」


 山崎烝が静かに書状を閉じる。


 近藤勇は目を閉じたまま頷いた。


「町人の被害は。」


「百三十七名。」


 土方の拳がわずかに震える。


「隊士は?」


「重傷九名、軽傷十七名。」


 誰も口を開かなかった。


 戦とはそういうものだ。


 勝者にも、敗者にも涙が残る。


 朔夜は医務室の布団で目を覚ました。


 全身が鉛のように重い。


 右目には包帯が巻かれていた。


「気がついた?」


 夜羽だった。


 疲れた笑顔を浮かべている。


「俺は……。」


「丸二日眠っていました。」


「そんなに……。」


 起き上がろうとすると、激しい眩暈が襲う。


「無理しないで。」


 夜羽が肩を支えた。


 その時だった。


 医務室へ沖田総司が入ってくる。


「おはようございます。」


 穏やかな笑顔。


 朔夜も安心して笑おうとした。


 だが。


「……すみません。」


「どちら様でしたか?」


 部屋の空気が凍った。


 沖田の笑顔が止まる。


 夜羽も目を見開く。


「朔夜……?」


 朔夜自身も混乱していた。


(誰だ……?)


(知っているはずなのに。)


(思い出せない。)


 一時間後。


 土方、近藤、夜羽が部屋に集まっていた。


「神速眼の代償か。」


 土方が腕を組む。


 夜羽は静かに頷いた。


「第二段階へ覚醒した影響です。」


「未来を見すぎると。」


「現在の記憶が欠け始めます。」


 近藤が息を呑む。


「そんな……。」


「最終的には。」


 夜羽は俯いた。


「大切な人から順番に忘れていきます。」


 静寂。


 誰も言葉を発せなかった。


 その頃。


 朔夜は庭へ出ていた。


 木刀を振る。


 一太刀。


 また一太刀。


 身体は覚えている。


 だが心の中に、小さな穴が開いていた。


「神代さん。」


 沖田が歩いてくる。


「さっきは驚きました。」


 朔夜は申し訳なさそうに頭を下げる。


「本当にごめんなさい。」


「でも。」


「あなたの顔だけ。」


「思い出せないんです。」


 沖田は少しだけ寂しそうに笑った。


「気にしないでください。」


「また一から友達になればいい。」


 その言葉に、朔夜の胸が締めつけられた。


 忘れているのは自分なのに。


 傷ついているはずの沖田が、自分を気遣ってくれている。


「ありがとう……。」


 その時。


 右目が再び疼く。


 ドクン。


 未来が映る。


 今度は戦ではない。


 静かな病室。


 布団に横たわる沖田。


 窓から桜が舞っている。


 そして、その隣には――


 誰もいなかった。


「違う……。」


 朔夜は思わず呟く。


「そんな未来……。」


 その未来だけは、絶対に認めたくなかった。


 一方。


 京都郊外。


 朽ちた寺院の地下。


 羅刹たちは静かに跪いていた。


 血月王は窓から京の町を見下ろしている。


「王。」


 羅刹が口を開く。


「神速眼が覚醒しました。」


「分かっている。」


 血月王は振り返らない。


「だからこそ。」


「面白くなった。」


 その瞳には、千年前にはなかった感情が宿っていた。


 期待。


 そして、わずかな希望。


「宗真。」


 血月王は誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「今度こそ。」


「お前の願いを見届けよう。」


 その言葉の意味を知る者は、まだ誰もいなかった。


 夕暮れの壬生屯所。


 赤く染まる庭で、朔夜は一人、木刀を振っていた。


 風を裂く音だけが静かに響く。


 一太刀。


 また一太刀。


 だが、その剣はどこか迷っていた。


「迷いがあるな。」


 低い声が背後から聞こえた。


 振り返ると、土方歳三が腕を組んで立っていた。


「副長……。」


 土方は朔夜の前へ歩み寄ると、自分の木刀を手に取る。


「構えろ。」


「え?」


「稽古だ。」


 返事を待たずに土方が踏み込む。


 鋭い一撃。


 朔夜は反射的に受け止めた。


 重い。


 まるで岩がぶつかったような衝撃だった。


「考えながら剣を振るうな。」


 土方の木刀が次々と襲いかかる。


「迷えば死ぬ。」


 右。


 左。


 上段。


 神速眼が未来を映そうとする。


 しかし、朔夜は目を閉じた。


 未来ではない。


 相手の呼吸。


 足の運び。


 肩の動き。


 今、この瞬間だけを見る。


 ガンッ!


 木刀同士が激しくぶつかる。


 土方の口元がわずかに緩んだ。


「ようやく剣士らしい顔になったな。」


 二人は木刀を下ろした。


 縁側に腰を下ろし、土方は徳利を傾ける。


 朔夜には湯飲みを差し出した。


「副長。」


「鬼の副長って呼ばれるの……嫌じゃないんですか?」


 土方は少し笑った。


「昔はな。」


 夕日を見つめながら続ける。


「だが、鬼にならなきゃ守れねぇものがある。」


 朔夜は静かに耳を傾ける。


「隊士は家族だ。」


「甘さを見せりゃ死ぬ。」


「だから俺は嫌われ役になる。」


 その横顔は、誰よりも優しかった。


「近藤さんは光だ。」


「俺は影でいい。」


 その一言が朔夜の胸に深く刻まれる。


「神代。」


 土方が真っ直ぐ朔夜を見る。


「お前、記憶が消えるんだってな。」


 朔夜は小さく頷いた。


「……はい。」


「怖いか?」


 少しだけ考えてから答えた。


「怖いです。」


「夜羽を忘れるかもしれない。」


「沖田さんを忘れるかもしれない。」


「みんなを忘れるかもしれない。」


 拳が震える。


「でも、一番怖いのは……。」


「自分が、自分じゃなくなることです。」


 土方は静かに立ち上がった。


 そして朔夜の肩へ大きな手を置く。


「だったら覚えとけ。」


「忘れてもいいものと。」


「絶対に忘れちゃいけねぇものがある。」


「……?」


「誠だ。」


 土方は自分の羽織の背を叩く。


 そこに大きく染め抜かれた一文字。


 誠。


「名前なんざ忘れてもいい。」


「顔なんざ忘れてもいい。」


「だが。」


「何のために剣を振るうかだけは忘れるな。」


 その言葉は、朔夜の心へ深く刻まれた。


 その夜。


 夜羽が医務室へ薬を届けに来た。


 朔夜は静かに笑う。


「夜羽。」


「今日は忘れてなかった。」


 夜羽は安心したように微笑んだ。


「良かった……。」


 しかし、その笑顔はどこか寂しい。


 朔夜は気付いていた。


 彼女の指先が冷たいことを。


 契約の紋章が以前より濃くなっていることを。


「夜羽。」


「何か隠してる?」


 夜羽は一瞬だけ目を伏せる。


「……何でもありません。」


 その嘘を、朔夜は見抜いていた。


 一方その頃。


 京の北、鞍馬山。


 霧の立ち込める古い社に、一人の老人が立っていた。


 白髪を後ろで束ね、古びた太刀を腰に差している。


 老人は空に浮かぶ血月を見上げ、小さく呟いた。


「……ようやく現れたか。」


 その背後には、数え切れないほどの墓標。


 どれも「神速眼」の紋章が刻まれていた。


 老人は一本の墓石に手を添える。


 そこにはこう刻まれていた。


──天城宗真之墓。


「宗真。」


「お前が待ち続けた子が来たぞ。」


 老人は静かに目を閉じる。


「今度こそ……。」


「この千年の因縁を終わらせよう。」


 その瞳もまた、紅く輝いていた。

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