【第二章 動乱編】 第十六話 炎の都
元治元年七月十九日。
夜明けとともに、京都の空を一発の砲声が切り裂いた。
――轟ッ!!
その衝撃で町家の窓が震え、人々は一斉に外へ飛び出す。
「砲撃だ!」
「長州だ!」
「逃げろ!」
悲鳴が京中に広がった。
蛤御門。
御所を守るため、会津・桑名・薩摩の兵が布陣する。
その中央を、浅葱色の羽織が駆け抜けた。
「新選組、前へ!」
近藤勇の号令。
「応ッ!」
隊士たちの怒号が朝空を震わせる。
朔夜も刀を抜き、土方、沖田、永倉、原田とともに戦場へ飛び込んだ。
火薬の臭いが鼻を刺す。
黒煙で空は見えない。
ここは、朔夜が知る歴史の禁門の変ではなかった。
まるで地獄だった。
長州藩士が雄叫びを上げる。
「御所を開け!」
槍が突き出される。
朔夜は身体を捻ってかわし、柄で相手の腹を打つ。
相手は気絶するだけで倒れた。
斬らない。
その信念は変わらない。
「神代!」
沖田が敵を斬り伏せながら叫ぶ。
「後ろ!」
神速眼が未来を映す。
一秒後。
背後から槍。
朔夜は振り返らずに身体を沈め、槍をかわす。
さらに柄で相手の足を払う。
敵が転ぶ。
「見事です。」
沖田が微笑む。
「人を傷つけず勝つ。」
「それも立派な剣ですよ。」
その言葉に胸が熱くなる。
一方――
京都御所の地下。
誰も知らない古い石室。
黒い石棺の前へ十三の影が並ぶ。
羅刹。
雪妃。
餓狼。
黒鬼。
全員が跪いた。
「戦は始まりました。」
羅刹が静かに告げる。
「封印は。」
ゴゴゴ……
石棺が震える。
鎖が一本、また一本と弾け飛ぶ。
中から漏れる赤黒い瘴気。
それだけで岩が溶け始めた。
「あと一刻。」
「王は復活する。」
石棺の奥から笑い声が響く。
低く。
恐ろしく。
千年の眠りから覚めようとする王の声だった。
その頃。
戦場の朔夜は突然足を止めた。
右目が焼けるように熱い。
ドクン。
神速眼が映す。
未来。
御所。
地下。
石棺。
血月王。
そして。
沖田総司が一人で地下へ向かっている。
「違う!」
朔夜は叫ぶ。
「沖田さん!」
「行っちゃ駄目です!」
沖田が振り返る。
「神代さん?」
その瞬間だった。
ゴォォォォン!
京都全体が揺れた。
大地が震える。
町家が軋む。
人々が悲鳴を上げる。
空が赤く染まり始めた。
「血月……!」
夜羽が空を見上げる。
昼間だというのに。
赤い月が姿を現していた。
羅刹はゆっくり立ち上がる。
「始めよう。」
十三将が一斉に剣を抜く。
その刹那。
京都中の井戸。
寺。
神社。
路地裏。
あらゆる闇から吸血鬼たちが姿を現した。
「なっ……!」
永倉が息を呑む。
「こんな数……。」
百。
二百。
いや――
千を超える。
京都そのものが吸血鬼の巣となっていた。
「副長!」
原田が叫ぶ。
「市民が!」
吸血鬼が町人へ襲い掛かる。
逃げ惑う母親。
泣き叫ぶ子ども。
火の海となる町。
土方は刀を抜いた。
「隊を分ける!」
「永倉!」
「町人を避難させろ!」
「原田!」
「西を守れ!」
「総司!」
「神代を連れて御所へ向かえ!」
「了解です!」
沖田は迷いなく駆け出す。
朔夜も続く。
だがその途中。
黒い影がゆっくり二人の前へ降り立った。
羅刹だった。
妖刀を肩へ担ぎ、静かに笑う。
「待っていた。」
黄金の瞳が朔夜を射抜く。
「神速眼。」
沖田が一歩前へ出る。
「神代さん。」
「先へ。」
「でも!」
「御所を守るのがあなたの役目です。」
沖田は刀を抜く。
微笑みは消え、その瞳には静かな闘志が宿っていた。
「ここは私が引き受けます。」
「嫌です!」
「一緒に戦います!」
沖田は優しく首を振った。
「あなたには。」
「未来を変える役目があります。」
羅刹が妖刀を構える。
「美しい師弟愛だ。」
「ならば。」
「絶望も共に味わうがいい。」
空気が震えた。
次の瞬間。
沖田総司と羅刹。
二人の剣が激突する。
轟音とともに、石畳が砕け散った。
朔夜は拳を握り締める。
行くべきか。
残るべきか。
未来を守るか。
仲間を守るか。
その決断が、歴史を変えることになるとは、この時の朔夜はまだ知らなかった――。
轟音が京の空を揺らした。
沖田総司と羅刹。
二人の刃が激突するたび、石畳は砕け、火花が飛び散る。
朔夜は思わず息を呑んだ。
(速い……。)
神速眼をもってしても、その剣筋を追い切れない。
沖田の天然理心流。
羅刹の妖刀。
まるで二つの稲妻が交錯しているようだった。
「行ってください!」
沖田が叫ぶ。
「神代さん!」
「御所を!」
その瞬間、羅刹の妖刀が唸りを上げる。
沖田は紙一重でかわし、そのまま神速の突きを放つ。
羅刹の頬を浅く裂く。
黒い血が一筋、頬を伝った。
羅刹は初めて口元を歪めた。
「見事だ。」
「人間にしては。」
「だが――」
妖刀から黒い瘴気が噴き出す。
沖田は一歩退いた。
その刹那だった。
「ゴホッ……!」
赤い血が口元からこぼれ落ちる。
「沖田さん!」
朔夜が叫ぶ。
未来で見た光景が、現実になろうとしていた。
「来るな!」
沖田は血を拭いながら笑う。
「まだ……戦えます。」
その笑顔が痛々しい。
しかし、その瞳は少しも曇っていなかった。
一方、御所では――。
土方歳三が吸血鬼の群れを斬り伏せていた。
一太刀。
また一太刀。
無駄のない剣が、次々と敵を退ける。
「副長!」
永倉が駆け寄る。
「東門が破られます!」
「俺が行く。」
土方は即座に駆け出した。
途中、泣き叫ぶ子どもが視界に入る。
吸血鬼が牙を剥き、その子へ飛びかかる。
「させるか!」
一閃。
吸血鬼の腕が宙を舞う。
土方は子どもを抱き上げると、近くの隊士へ託した。
「必ず生きて帰せ。」
「はっ!」
その姿を見た町人たちは叫んだ。
「新選組だ!」
「新選組が来てくれた!」
恐怖に染まっていた瞳へ、少しだけ希望が灯る。
その頃、朔夜は決断できずにいた。
沖田を助けるべきか。
御所へ向かうべきか。
神速眼が未来を映す。
沖田を助ければ、御所が落ちる。
御所へ向かえば、沖田が倒れる。
どちらも最悪の未来だった。
(どうすればいい……。)
その時だった。
夜羽の言葉が脳裏によみがえる。
「未来は一つではありません。」
朔夜は目を見開いた。
未来を「選ぶ」のではない。
未来を「創る」のだ。
右目が熱を帯びる。
これまでとは違う感覚。
神速眼が、静かに輝き始める。
景色が止まった。
炎も。
煙も。
剣も。
すべてが静止している。
「これは……。」
そこへ、一人の老人が現れた。
白い着物。
長い銀髪。
右目だけが紅く輝いている。
「初めまして。」
老人は穏やかに笑った。
「いや。」
「八百年ぶりか。」
朔夜は息を呑む。
「あなたは……。」
「初代神速眼。」
老人は静かに頷いた。
「私の名は――天城宗真。」
「神速眼最初の継承者だ。」
「聞け。」
宗真は静かに語る。
「神速眼とは未来を見る力ではない。」
「運命へ挑む資格だ。」
朔夜は言葉を失う。
「未来を見るだけでは、誰も救えない。」
「だから私は敗れた。」
宗真は遠くを見つめる。
「だが。」
「お前は違う。」
「お前には仲間がいる。」
沖田。
土方。
近藤。
永倉。
原田。
夜羽。
たくさんの笑顔が浮かぶ。
宗真は朔夜の肩へ手を置いた。
「覚醒しろ。」
「第二の神速眼へ。」
その瞬間だった。
紅い光が右目から溢れ出す。
景色が砕け散る。
時間が動き出す。
朔夜は一歩踏み込んだ。
今までとは比べ物にならない速度。
沖田と羅刹の間へ入り込む。
「なっ!」
羅刹が初めて驚愕した。
妖刀を受け止める。
銀の火花が舞う。
「神速眼……。」
羅刹は目を細める。
「第二段階。」
朔夜は静かに刀を構えた。
「未来は見えない。」
「でも。」
「未来は変える。」
その瞳は、これまでよりも強く紅く輝いていた。
羅刹は妖しく笑う。
「ようやく始まったな。」
「神速眼。」
二人が同時に地面を蹴る。
剣と妖刀がぶつかる。
その衝撃で御所の石垣が砕け散った。
京中へ轟音が響く。
その頃――
地下深くでは、最後の鎖が静かに音を立てて切れようとしていた。
パキン――。
血月王復活まで、残された時間はあとわずか。
京都の運命も、朔夜たちの運命も、もう誰にも止められないところまで動き始めていた――。




