【第二章 動乱編】 第十三話 血月十三将
北山村を吹き抜ける風は、生ぬるい血の匂いを運んでいた。
餓狼が片腕を押さえながら後退する。
切り落とされた腕は黒い煙となって消え、やがて再び肩口から新たな腕が生え始める。
「再生……!」
原田左之助が目を見開いた。
「化け物め。」
土方歳三は動じない。
刀を静かに構え直す。
「なら、何度でも斬るだけだ。」
その一言に、新選組隊士たちの士気が一気に高まる。
だが餓狼は笑っていた。
「やはり人間は面白い。」
「勝てると思っている。」
その声には余裕があった。
「副長!」
朔夜が叫ぶ。
「まだ何か来ます!」
神速眼が激しく脈打つ。
未来が流れ込む。
黒い霧。
血月。
十二の影。
いや――十三。
「十三人……?」
その瞬間だった。
ゴォォォォ……
山全体が揺れた。
霧が渦を巻き、一人、また一人と黒衣の人物が現れる。
誰もが異形の気配をまとっていた。
ある者は巨大な薙刀を担ぎ、
ある者は数珠を首に掛け、
ある者は女の姿で妖しく微笑み、
ある者は童子の姿のまま冷たい瞳を向けている。
そして中央へ、一人の男が歩み出た。
羅刹。
血月十三将、第一席。
「集まったか。」
静かな声。
餓狼は片膝をついた。
「羅刹様。」
続いて全ての吸血鬼が頭を垂れる。
十三将。
それは吸血鬼の王・カイン直属の最高幹部だった。
羅刹は朔夜へ視線を向ける。
「神速眼。」
「やはり生きていたか。」
朔夜は刀を握り締める。
「俺を知っているのか?」
「知っている。」
羅刹はわずかに笑った。
「八百年前。」
「お前と同じ眼を持つ男がいた。」
朔夜の心臓が跳ねる。
「何……?」
夜羽でさえ知らなかった話だ。
「その男は王に挑み、世界を変えようとした。」
「そして。」
「失敗した。」
その一言が重く響く。
「未来は変えられない。」
「それが血月の掟だ。」
朔夜は静かに首を振る。
「違う。」
「俺は変えた。」
「池田屋で。」
「沖田さんは生きている。」
羅刹の瞳が初めて揺れる。
「……ほう。」
しかしすぐに微笑んだ。
「ならば試そう。」
「どこまで運命へ逆らえるか。」
一方その頃。
京。
鴨川沿いを、一人の少女が歩いていた。
夜羽である。
突然、胸元の契約紋章が紅く光った。
「朔夜……!」
嫌な予感。
契約によって繋がった命が叫んでいる。
迷わず駆け出す。
その姿を、一人の老婆が見つめていた。
「やっと見つけた。」
老婆はゆっくり笑う。
次の瞬間。
皮膚が音を立てて裂けた。
老婆の姿は崩れ、美しい女性へ変わる。
白い長髪。
紫色の瞳。
妖艶な微笑み。
「十三将・雪妃。」
女は静かに呟く。
「姫。」
「もう逃がしません。」
北山村。
羅刹はゆっくり刀を抜いた。
黒い刀身。
月明かりを吸い込む妖刀だった。
「神代朔夜。」
「お前はまだ知らない。」
「人を守る剣ほど。」
「残酷な剣はないことを。」
言葉と同時に消えた。
「速い!」
神速眼が未来を映す。
右。
違う。
左。
違う。
上。
違う。
見えない。
「未来が……ない?」
羅刹は朔夜の真後ろに立っていた。
「神速眼には弱点がある。」
「未来を持たぬ者は。」
「映らない。」
振り下ろされる妖刀。
朔夜は咄嗟に受ける。
凄まじい衝撃。
膝が地面へ沈む。
「ぐっ……!」
初めてだった。
未来が見えない相手。
神速眼が通用しない敵。
羅刹は静かに告げた。
「これが絶望だ。」
その瞬間――。
ズバァァッ!
白刃が夜空を裂いた。
沖田総司。
「神代さん。」
「一人で背負わないでください。」
さらに。
永倉。
原田。
斎藤。
そして土方。
新選組が一直線に羅刹へ斬りかかる。
羅刹はわずかに笑う。
「なるほど。」
「だから人間は嫌いになれない。」
十三将全員が刀を抜く。
山全体が殺気に包まれた。
人間最強の剣客集団・新選組。
吸血鬼最強の軍勢・血月十三将。
二つの「最強」が、ついに真正面から激突する――。
山が震えていた。
新選組と血月十三将。
二つの最強が向かい合うだけで、空気そのものが張り詰める。
羅刹は妖刀を肩へ担ぎ、小さく笑った。
「面白い。」
「人間ごときが、我らへ刃を向けるか。」
土方歳三は一歩前へ出る。
「人間だからだ。」
低く響く声。
「守るものがある。」
その一言だけで十分だった。
隊士たちが一斉に刀を抜く。
誠の旗が夜風にはためいた。
「新選組――」
土方の号令が響く。
「討ち入る!!」
「おおおおおっ!」
怒号が山を揺らした。
同時に十三将も動く。
轟音。
刀と刀がぶつかり、火花が夜空を染めた。
永倉新八は豪快に笑った。
「化け物だろうが関係ねぇ!」
一気に間合いを詰める。
鋭い袈裟斬り。
十三将の一人・黒鬼が大太刀で受け止めた。
鈍い衝撃。
互いに一歩も引かない。
「いい腕だ。」
黒鬼が笑う。
「だが、百年遅い。」
「言ってろ!」
永倉はさらに踏み込んだ。
原田左之助は槍を旋回させる。
突き。
薙ぎ払い。
回転。
三人の吸血鬼をまとめて吹き飛ばす。
「まだ来るか!」
だが次の瞬間。
空中から無数の血の針が降り注ぐ。
「左之助!」
斎藤一が飛び込む。
一閃。
針がすべて真っ二つになる。
「礼はあとだ。」
「助かった!」
二人は背中合わせになった。
その頃。
朔夜は少女を背に庇っていた。
目の前には餓狼。
巨大な身体。
獣のような牙。
その赤い瞳が朔夜を見据える。
「また会ったな。」
餓狼が唸る。
「小僧。」
朔夜は退魔銀の短刀を構えた。
「この子は渡さない。」
餓狼は笑う。
「だから甘い。」
地面を蹴る。
速い。
神速眼が未来を映す。
三秒後。
右から爪。
二秒後。
左足払い。
一秒後。
喉への噛み付き。
(見える!)
だが土方の言葉が脳裏によみがえる。
未来ばかり追えば、今を見失う。
朔夜は右目を閉じた。
神速眼を切る。
呼吸だけを聞く。
足音だけを追う。
風を感じる。
――今だ。
身体が自然に動いた。
銀の短刀が夜を裂く。
餓狼の爪を受け流し、その勢いを利用して身体を崩す。
「何っ!」
餓狼の重心が浮いた。
その瞬間。
朔夜は肩から体当たりを入れる。
巨体が初めて後退した。
「人間が……!」
餓狼が驚愕する。
朔夜自身も信じられなかった。
(未来を見なくても……。)
(動けた。)
遠くで土方が静かに頷いた。
「成長したな。」
低い声。
羅刹だった。
妖刀を抜き、ゆっくり歩いてくる。
周囲の空気が凍る。
朔夜は再び神速眼を開いた。
しかし――
映らない。
未来が存在しない。
羅刹だけは、何も見えなかった。
「何故だ……。」
羅刹は静かに語る。
「神速眼は"可能性"を見る眼。」
「だが。」
「私は八百年前、一度死んだ。」
黄金の瞳が妖しく光る。
「死人に未来はない。」
その意味を理解した瞬間。
朔夜の背筋を冷たい汗が伝った。
「朔夜!」
夜羽だった。
銀色の髪が月明かりに揺れる。
彼女は屋根から飛び降り、羅刹の前へ立った。
「夜羽。」
羅刹はわずかに目を細める。
「まだ人間を守るか。」
「私は。」
夜羽は剣を構える。
「もうあなたたちとは違う。」
「この人たちと生きる。」
羅刹は寂しそうに笑った。
「変わったな。」
次の瞬間。
二人が消えた。
轟音。
銀と黒。
二本の剣がぶつかり、山肌が砕ける。
朔夜は目を見開く。
(速すぎる。)
夜羽が押される。
「ぐっ!」
羅刹の一撃が彼女を吹き飛ばした。
「夜羽!」
朔夜は駆け出した。
その時だった。
右目がこれまでにない激痛に襲われる。
ドクン。
映像が流れ込む。
血月。
炎。
京都御所。
そして――
十三将が一人、また一人と倒れていく未来。
最後に立っていたのは、一人の剣士。
その顔は見えない。
だが、その右目だけが赤く輝いていた。
「これは……。」
未来の俺?
映像はそこで途切れる。
羅刹は空を見上げた。
血月が雲間から姿を現す。
「まだ時ではない。」
十三将たちが一斉に距離を取る。
餓狼も黒鬼も、静かに後退した。
「退くのか!」
永倉が叫ぶ。
羅刹は振り返らない。
「神代朔夜。」
その声だけが夜風に乗る。
「次に会う時。」
「お前は神速眼の真実を知る。」
「そして。」
「自ら未来を捨てることになる。」
黒い霧が山を包む。
一瞬で十三将の姿は消えていた。
静寂。
戦いは終わった。
しかし誰も勝ったとは思っていない。
土方が刀を納める。
「……嫌な敵だ。」
沖田も空を見上げた。
「ええ。」
「でも。」
朔夜は拳を握る。
もう迷いはなかった。
未来を見るためではない。
未来を守るために剣を振るう。
それが、自分の進む道だ。
その夜、京の空には、誰にも気づかれないまま血月が静かに浮かんでいた。
そして歴史は、禁門の変へ向かって大きく動き始める――。




