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鬼柴田と忙しない姫 〜守護邸が燃えたので、柴田勝家の妻になりました〜  作者: まるちーるだ
第五章 鬼柴田の妻と米櫃の底を知らぬ姫

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第一話 清洲への呼び出し


紫乃が生まれてから、三年が過ぎた。


三年。


子供の成長は早い。


藤七丸は、もう数え六つになる。


少し前まで、転んでは泣き、抱き上げればすぐに泣き止んでいた子が、今では勝家様の後ろを追いかけ、木の棒を槍のように構えている。


紫乃もまた、数え四つになった。


よく笑い、よく喋り、よく動く子である。


こちらは私に似たのか、勝家様に似たのか、妙なところで頑固である。


藤七丸が譲らぬ時は、紫乃も譲らない。


紫乃が譲らぬ時は、藤七丸も意地を張る。


結果、二人まとめて私に叱られる。


子供は、あっという間に大きくなる。


けれど、それ以上に早かったものがある。


明から流れ着いた、陳一族の馴染み方である。


陳宗鉄殿、そして承鋼殿と承明殿の父子は、今では毎日のように清洲の鍛冶場へ通っていた。


尾張の鍛冶師たちと向かい合い、言葉を探し、絵を描き、手振りを交え、ときに鉄を打ちながら、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を続けている。


最初は、誰もが遠巻きに見ていた。


言葉も違う。


姿も違う。


使う道具も、考え方も違う。


けれど、鉄を前にすると、鍛冶師たちはよく似ていた。


熱を見て、音を聞き、槌を振るう。


よいものを作ろうとする顔は、国が違っても同じらしい。


承鋼殿と承明殿が関わって作り上げた鉄軸の荷馬車は、今では運用確認も兼ねて、清洲と知多を行き来する便になっている。


初めは、ただ走らせるだけで皆が息を呑んだ。


車輪が外れぬか。


鉄輪が割れぬか。


軸が焼けぬか。


馬が嫌がらぬか。


道が悪ければどうなるか。


荷を積みすぎればどうなるか。


帳面には、細かく記された。


荷の重さ。


馬の数。


車輪の傷。


軸に塗った油。


道中で折れた釘。


戻ってきた時の状態。


試すたびに、少しずつ直す。


直すたびに、また試す。


そうしているうちに、荷馬車はただの珍しい道具ではなく、実際に荷を運ぶものになっていった。


先日など、知多の漁村へ、承鋼殿と承明殿が自ら荷馬車を贈ったらしい。


あの、壊れかけの荷馬車の代わりに。


鉄軸と鉄輪の様子を見るためでもあったが、それだけではない。


あの浜で、彼らは初めて尾張の粥を食べた。


あの時、助けてくれた者たちへ礼を言いたかったのだそうだ。


「粥、おいしかった。ありがとう」


そう、片言で告げたらしい。


その話を聞いた時、私は少しだけ泣きそうになった。


生きるために海を渡り、流れ着き、言葉も通じぬ土地で粥を食べた人たちが、今度は自分の足で、いや、自分たちが作った荷馬車で礼を言いに行く。


何というか。


こういうことが、歴史の本には残らないのだろうなと思った。


けれど、私には大事だった。


陳家の女たちも、少しずつ柴田邸に馴染んでいた。


皆、こちらの暮らしに合わせ、姓を陳と名乗るようになった。


我らは、ここで根を張る。


そんな気概を感じさせる名乗りだった。


柴田邸の女中として働き始めた陳家の女たちは、まだ言葉こそたどたどしい。


けれど、毎日、新しい言葉を覚えていく。


水。


火。


米。


布。


薬。


危ない。


熱い。


待つ。


ありがとう。


最初に覚える言葉は、暮らしに近い。


だからこそ、彼女たちが本当にこの家で生き始めているのだと分かる。


柴田邸は、相変わらず忙しい。


清洲は、相変わらず騒がしい。


外では戦の気配が消えたわけではない。


織田家の進む道は、少しも穏やかではない。


それでも、この三年は、私にとって穏やかな日々だった。


藤七丸が走る。


紫乃が笑う。


勝家様が、二人を見て困ったように眉を寄せる。


於光様が笑う。


八右衛門殿が帳面をめくる。


陳家の女たちが、たどたどしい尾張の言葉で水を運ぶ。


明から来た鍛冶師たちが、尾張の鍛冶師たちと鉄を打つ。


戦が続く世の中で、それでも人は暮らしていく。


そんな、穏やかな日々であった。


……少なくとも、私はそう思っていた。


「お藤!」


響いたのは、信長様の声だった。


どすどすと。


本当に、どすどすと。


遠慮の欠片もない足音と声が、柴田邸の奥まで入り込んできた。


私は、手にしていた布を置いた。


勝家様が、露骨に眉を寄せる。


「殿」


「権六、そこにいたか」


「おります。ここは某の屋敷にございますので」


「そうか」


そうか、ではありません。


信長様は、何一つ気にした様子もなく、こちらへ歩いてきた。


後ろには、申し訳なさそうな顔をした信行様がいる。


ああ。


またですか。


また、兄弟揃ってですか。


信行様と目が合う。


信行様は、小さく頭を下げた。


その顔には、はっきりと書いてあった。


止められませんでした、と。


分かります。


分かりますとも。


信長様を止められる人間など、この尾張に何人いるのでしょうか。


私は立ち上がり、頭を下げた。


「信長様。信行様。ようこそお越しくださいました」


「うむ」


信長様は頷いた。


「お藤、城に上がれ」


「……はい?」


思わず、間の抜けた声が出た。


信長様は気にしない。


「帰蝶の話し相手として、城に上がれ」


「帰蝶様の、話し相手でございますか」


「そうだ」


信長様は、当然のように言った。


「姫どもが騒がしい」


嫌な予感がした。


とても、嫌な予感がした。


「姫ども、でございますか」


「徳が、まあ、よく騒ぐ。儂が見る分には面白いが、帰蝶はそうもいかぬらしい」


信長様は面白そうに笑った。


「冬はそれを見ておる。見ておるだけならよいが、最近は少し真似をする」


私は、静かに息を吸った。


つまり。


信長様の姫君たちが、何やら城で騒いでいる。


帰蝶様がそれを見ている。


そして私が呼ばれた。


これは、面倒な話である。


間違いなく、面倒な話である。


「恐れながら、信長様」


勝家様が低い声で言った。


「お藤は、柴田家の奥を預かる身にございます」


「知っておる」


「ならば」


「だから呼びに来た」


勝家様の眉間の皺が深くなった。


信長様は笑っている。


「帰蝶が言うた。藤乃なら、子を叱る時に逃げぬだろうとな」


私は、目を瞬いた。


帰蝶様が。


「……私を、そのように?」


「うむ」


信長様は楽しげに頷いた。


「それに、紫乃も連れてこい」


「紫乃を、でございますか」


「姫どもの遊び相手が要る」


今度こそ、勝家様がはっきりと嫌な顔をした。


「殿」


「権六、そう睨むな。取って食いはせぬ」


「当然にございます」


「それに、藤七丸は連れてくるなとは言っておらぬ」


「連れていけとも言っておられませぬ」


「では連れてこい」


話が雑です。


あまりにも雑です。


私は、額を押さえたくなった。


藤七丸は数え六つ。


紫乃は数え四つ。


二人とも、まだ手のかかる年頃である。


清洲城へ連れて行けば、静かに座っているはずがない。


いや、藤七丸はまだ何とかなるかもしれない。


問題は紫乃である。


あの子は、笑顔でとんでもない方向へ走る。


「信長様」


私は慎重に口を開いた。


「帰蝶様は、本当に私をお呼びなのでしょうか」


「呼んでおる」


「姫君方の遊び相手として、紫乃も」


「そうだ」


「藤七丸も」


「ついでだ」


ついで。


勝家様の眉間の皺が、さらに深くなった。


信行様が、そっと目を逸らした。


私は、静かに悟った。


これは、断れないやつである。


信長様は、もう決めている。


帰蝶様も、おそらく何か考えがある。


そして姫君方が騒がしいということは、清洲の奥で何かが起きている。


面倒なことになる予感しかしない。


けれど。


帰蝶様が私を呼んだ。


そう聞いて、無視できるはずもなかった。


琴が清洲で礼法を叩き込まれた時、帰蝶様は厳しくもよく見てくださった。


その帰蝶様が、子を叱る時に逃げぬだろうと、私を呼んだ。


ならば、行かねばならない。


私は、ゆっくりと頭を下げた。


「承知いたしました」


勝家様が、こちらを見る。


「お藤」


「大丈夫です、勝家様」


たぶん。


きっと。


おそらく。


「藤七丸と紫乃を連れ、清洲へ上がります」


信長様は満足そうに笑った。


「うむ。それでよい」


本当に、よいのでしょうか。


私は、まだ何も知らなかった。


この城で出会う姫君たちが大きく流れを変えることを。


ただ一つだけ、分かっていた。


また、忙しくなる。


それだけは、間違いなかった。


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