プロローグ
柴田のお藤の方。
『後の世には、織田家の御子方について、多くのことが書き残されている。
誰が、どの家へ入ったのか。
誰が、どの官位を得たのか。
誰が、どの戦に出たのか。
誰が、何万の兵を動かしたのか。
それらは、確かに大切な記録である。
だが、後に多くの人を動かすことになる者たちが、初めて人の名を尋ねた日のことは、ほとんど記録に残らない。
膳へ載せられた米が、どこから来るのかを知った日のことも。
一枚の布が、誰の手を渡って届くのかを知った日のことも。
商人が運ぶものは、品だけではなく、約と信用でもあると教えられた日のことも。
そのようなことは、あまりに小さく。
あまりに当たり前で。
わざわざ書き残すほどのことではないと、思われていたのだろう。
けれど、私は思う。
人を動かす立場となる者ほど、その小さなことを知らねばならない。
人には、名がある。
人には、家がある。
人には、役目があり、都合があり、守らねばならぬものがある。
命じたからといって、すぐに動けるとは限らない。
呼びつけたからといって、すぐに来られるとも限らない。
返事が来るまでは、待たねばならぬ時もある。
物もまた、命じれば突然そこへ現れるものではない。
米を作る者がいる。
運ぶ者がいる。
数える者がいる。
炊く者がいる。
膳へ載せる者がいる。
布にも。
薬にも。
紙にも。
鉄にも。
それぞれ、作る者と、運ぶ者と、手渡す者がいる。
後に織田家を背負うことになる御子方へ、そのことを最初に教えたのは、学者でも、兵法者でもなかった。
柴田権六の妻。
私の叔母、藤乃であった。
もっとも。
叔母上御本人には、御子方を教え導いているつもりなどなかったと思う。
叔母上は、ただ。
人へ物を投げてはならないと叱り。
侍女にも名があると教え。
誰かに会いたい時には、まず相手の都合を尋ねよと言い。
返事が来るまでは待ちなさいと諭した。
米櫃を見せ。
帳面を広げ。
田へ連れていき。
商人との約を守った。
叔母上にとっては、どれも特別なことではなかった。
米櫃の底が見える暮らしを知っていた叔母上には、当たり前のことだったのだろう。
だが。
米櫃の底を知らぬ子どもたちにとっては、それは初めて見る世界であった。
人の名を知らぬ者に、人は動かせない。
米がどこから来るのかを知らぬ者に、兵糧は動かせない。
約を軽んじる者に、よい商人は寄りつかない。
そして、次に困る者のことを考えられぬ者に、家も国も預けることはできない。
叔母上は、そのことを難しい言葉で教えたわけではなかった。
葱をすべて抜いてはならない。
食べる分だけ抜き、次に使う分を残しなさい。
それだけであった。
叔母上は昔、私と、まだ幼かった義冬へ、そう教えた。
後には、織田家の御子方にも、同じことを教えた。
今あるものを、すべて使い切らないこと。
人を、自分の都合だけで動かさないこと。
困っていた頃に助けてくれた者を、己が豊かになった後に忘れないこと。
それらが御子方の後の政へ、どれほど影響したのか。
私には断じることができない。
叔母上一人の手柄であったなどと書けば、叔母上はきっと怒るだろう。
だが。
人が、何を見るべきかを知る始まりは、案外小さなものである。
そして、それらを教えた叔母上は、後にこう嘆いたという。
なぜ、我が家が託児所になっているのでしょうか、と。
叔母上らしい話である』
――斯波義銀晩年記『藤乃叔母上覚書』より
まったく。
義銀は、本当に何でも書き残す。
私は、写本の文字を指でなぞりながら、小さく息を吐いた。
私は、子どもを教え導こうと思っていたわけではない。
ましてや、織田家の御子方を集め、何かを学ばせる場所を作ろうなどと考えたことはない。
私はただ、駄目なことを駄目だと言っただけだ。
それがなぜ、織田家の御子方が我が家へ通う話になったのか。
今思い返しても、よく分からない。
いえ。
原因は、だいたい分かっている。
信長様である。
あの方は、何か役に立ちそうなものを見つけると、すぐにこちらへ持ってくる。
鉄匠一家も。
難しい帳面も。
そして、御自分の子どもたちまで。
本当に、ほどほどにしていただきたかった。
けれど。
私は、あの時の行動を少しも後悔していない。
人へ物を投げてはならない。
腹を立てたからといって、相手を傷つけてよいわけではない。
たとえ、それが織田信長様の姫君であっても。
駄目なことは、駄目なのである。
ただ。
あの時の私には、知る由もなかった。
幼い姫君の頬を一度叩いたことが。
やがて、織田家の御子方が柴田邸へ通い。
帳面を広げ。
田へ入り。
米櫃の底を覗く始まりになるなど。
本当に。
どうして、そうなってしまったのでしょうか。
思い出すのは、永禄五年。
柴田邸の広間に、幼い姫君の泣き声が響いていた日のことである。




