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鬼柴田と忙しない姫 〜守護邸が燃えたので、柴田勝家の妻になりました〜  作者: まるちーるだ
第四章 鬼柴田の妻と海を越えた鍛冶師

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第十六話 まずは飯にしましょう


儂は、明の鉄匠たちを連れて柴田邸へ戻った。


ただし、ただ連れて戻ったわけではない。


彼らが作った、馬で引ける荷車。


その荷車に、彼ら自身を乗せて戻ったのである。


「権六」


清洲を発つ前、殿はそう言った。


「この者らは、その車で連れて帰れ」


「この車で、ですか」


「そうだ」


殿は、出来上がったばかりの荷車を見ていた。


車輪の外に鉄の輪を嵌め、車軸にも鉄を使い、荷台を金具で補強したもの。


承鋼と承明が、半月かけて作った馬引き荷車である。


「己らが作った車じゃ。己らの父母、妻子を乗せて壊れるようなら使えぬ」


「……はっ」


「道中で見よ。車輪、軸、馬の疲れ、揺れ。女と子と年寄りを乗せても耐えるか。腹の女に響きすぎぬか」


「承知いたしました」


殿の命は、預かれというだけではなかった。


その帰り道すら、試しに使えということだった。


合理的である。


たいへん合理的である。


そして、たいへん殿らしい。


承鋼と承明は、こちらの言葉をすべて理解したわけではない。


だが、自分たちが作った荷車に、家族を乗せるのだということは分かったらしい。


承鋼は、一度だけ荷車の車輪を撫でた。


承明は、馬と荷車を繋ぐところを何度も確かめた。


陳宗鉄は、しばらく荷車を見つめていた。


老いた目に浮かんだものが、誇りなのか、不安なのか、儂には分からなかった。


だが、彼が両手を胸の前で組み、深く身を折った時、少なくとも覚悟は見えた。


荷車には、陳宗鉄と林玉蘭。


承鋼の妻、王明玉と幼い阿春。


承明の妻、李雪蘭を乗せた。


李雪蘭は腹が大きい。


そのため、荷台の中でも揺れが少なそうな場所に座らせた。


林玉蘭がその身体を支え、王明玉が阿春を抱く。


阿春は、まだ幼い。


母の袖を握ったまま、不安そうに周囲を見ていた。


承鋼と承明は歩いた。


荷車の左右を離れず、時折、車輪を見る。


軸を見る。


荷の傾きを見る。


馬の歩みに合わせて、何か短く声を掛け合う。


藤吉郎も同行した。


あの者たちを拾った者として、柴田邸へ移すまでは責を持てと殿に命じられたからである。


もちろん、走ってはいない。


ただし、何度か走り出しそうになった。


「猿」


儂が呼ぶと、藤吉郎はすぐに止まる。


「はっ」


「走るな」


「走っておりませぬ」


「足が走ろうとしておる」


「……気をつけまする」


本当に、騒がしい男である。


だが、あの明の一族を見る目は悪くない。


心配している。


それは確かだった。


道中、荷車は思っていたよりよく進んだ。


清洲城内での試しとは違う。


道は平らではない。


小さな石もある。


轍もある。


ぬかるんだ跡もある。


馬が嫌がる場所もある。


それでも、荷車は大きく崩れなかった。


ぎしぎしと嫌な音を立てることも少ない。


車輪がぶれることもない。


軸もよく耐えている。


もちろん、完全ではない。


道が悪いところでは揺れる。


李雪蘭が腹を押さえた瞬間、承明が顔色を変えた。


儂はすぐに止まらせた。


「止まれ」


馬が止まる。


藤吉郎が顔を青くする。


「権六殿、李雪蘭殿は」


「騒ぐな」


「はっ」


産婆も同行させていた。


清洲から柴田邸まで、腹の大きな女を動かすのだ。


何もつけぬはずがない。


産婆は李雪蘭の顔を見て、腹の様子を尋ねるように身振りをした。


李雪蘭は首を横に振る。


痛みではないらしい。


揺れに驚いただけか。


それでも、しばらく休ませた。


承明は、地面に膝をつき、車輪と軸を見ていた。


それから土に書く。


道、悪。


緩行。


義銀殿がいれば、すぐに読んだだろう。


だが、この場にはいない。


儂は文字を見た。


道が悪い。


ゆっくり行け。


おそらく、そういうことだろう。


「ゆっくり進め」


儂が言うと、承明はぱっと顔を上げた。


通じたわけではない。


だが、儂が馬方へ命じ、荷車がゆっくり動き出すと、承明は深く息を吐いた。


自分たちの作ったものに、己の家族を乗せている。


それがどれほど重いことか、あの兄弟も分かっていたのだろう。


儂も、見る目を変えた。


彼らは、自分たちの腕を見せるためだけに作ったのではない。


妻を乗せる。


腹の子を乗せる。


老いた父母を乗せる。


幼い子を乗せる。


そのつもりで作った車である。


雑なはずがない。


柴田邸が見えてきた頃、馬はまだ大きく疲れてはいなかった。


荷車も壊れていない。


車輪も外れていない。


軸も折れていない。


李雪蘭の顔色も、悪くはなっていなかった。


少なくとも、清洲から柴田邸までの道には耐えた。


殿は、これを見ろとおっしゃったのだ。


使える。


確かに、使える。


そして同時に、危うい。


改めてそう思った。


柴田邸へ着くと、すでに準備は始まっていた。


先触れは出してある。


離れを使うこと。


屋敷の内には入れないこと。


火と鉄を扱う場所は別にすること。


見張りを置くこと。


女と子を休ませること。


病があればすぐ知らせること。


殿の条件は、すべて伝えてある。


当然、姉上も知っている。


知らぬはずがない。


門をくぐった瞬間、姉上の気配がした。


見えぬのに、圧だけで分かる。


後で、儂も叱られるだろう。


いや、もう叱られることは決まっている。


お藤を巻き込むな。


お藤を働かせるな。


お藤を寝かせろ。


姉上の声が聞こえるようだった。


だが、儂がまず向かったのは、お藤のところである。


お藤は、座って待っていた。


布団ではない。


きちんと衣を整え、背を支えられるようにして座っていた。


産後三月ほど。


二月の頃よりは、確かに顔色も戻っている。


少し歩き、少し座り、少し笑う余裕も出てきた。


だが、紫乃はまだ小さい。


藤七丸も、ようやく兄らしい顔をし始めたばかりである。


その柴田邸に、明から流れ着いた鉄匠の一族を預かることになった。


怒るかと思った。


いや、怒ってよいと思っていた。


「お藤」


儂が声をかけると、お藤は顔を上げた。


「お帰りなさいませ、勝家様」


「うむ」


「皆様は」


「離れへ移す」


「荷車で?」


「うむ」


お藤は少し目を瞬いた。


それから、すぐに何かを察した顔になった。


「……その荷車で、連れてこられたのですか」


「うむ」


「信長様ですね」


「うむ」


「耐久試験も兼ねておりますね」


「分かるか」


「分かります」


お藤は、少しだけ困ったように笑った。


「清洲で試しただけでは、道で使えるかは分かりませんものね」


「そうだ」


「妊婦の方や幼い子、年配の方を乗せても耐えられるか。馬の負担はどうか。揺れはどうか。車輪は外れないか。軸は折れないか」


「……そこまで分かるか」


「信長様ですので」


それだけで片付けるのは、どうなのだ。


だが、間違ってはいない。


殿である。


そして、お藤は殿の考えをよく読む。


「それで」


お藤は、儂を見た。


「柴田邸で、お預かりすることになったのですね」


「ああ」


「期間は」


「まだ決まっておらぬ」


「条件は」


「屋敷の内へは入れぬ。離れを使う。火と鉄は別の場所。見張りつき。道具と鉄は数える。清洲へ行く時は、儂、義銀殿、猿のいずれかを伴う」


「なるほど」


「お前は動くな、とも言われた」


お藤は、少しだけ視線を逸らした。


「藤乃」


「はい」


「紙も書くなと」


「……努力します」


「お藤」


「止められる範囲で」


「お藤」


「……できるだけ」


儂は黙って見た。


お藤は、ようやく小さく息を吐いた。


「分かりました。勝家様と於光様と八右衛門殿に従います」


「本当だな」


「本当です」


少し怪しい。


たいへん怪しい。


だが、今はそれ以上責めなかった。


すると、お藤はすぐに表情を切り替えた。


「では、まず事情を聞きましょう」


「うむ」


「ただし」


お藤は、少しだけ首を傾げた。


「その前に、ご飯を食べさせましょう」


儂は、思わずお藤を見た。


「飯か」


「はい」


お藤は、当たり前のように頷いた。


「知らない場所へ移されるのです。怖いでしょう。疲れてもいるでしょう。腹の大きな方もいらっしゃいます。幼い子もおります。まずは温かいものを食べてもらいましょう」


「……」


「話は、それからでも遅くありません」


そう言って、お藤は明るく笑った。


明るく。


本当に、明るく。


その笑みを見た瞬間、儂は思い出した。


守護邸から連れ帰った時も、そうだった。


この女は、怖がりもした。


戸惑いもした。


泣きもした。


それでも、誰かを前にした時、まず食わせることを考えた。


冷えているなら温める。


腹が減っているなら飯を出す。


子がいるなら寝かせる。


女が弱っているなら休ませる。


それから話を聞く。


儂が好いたのは、そういう女だった。


華やかな言葉を並べるからではない。


強がるからでもない。


何かが起きた時、命を先に見る。


腹を満たし、身体を温め、人を座らせてから、ようやく事情を聞く。


そういうところを、儂は好いたのだ。


気づけば、儂は笑っていた。


「勝家様?」


お藤が、不思議そうに儂を見る。


儂は短く答えた。


「ああ、飯にしよう」


お藤の顔が、少しだけほころんだ。


「はい」


その声は、穏やかだった。


けれど、次の瞬間には、もう柴田邸の女主人の顔になっていた。


「於光様」


「分かっております」


姉上が、すでに襖の向こうにいた。


やはり。


「粥を用意させています。急に重いものは食べさせません。薄めに、温かく。幼い子には少しずつ。腹の大きな方には、産婆に確認してから」


「ありがとうございます」


「藤乃様」


「はい」


「あなたは座っているだけです」


「……はい」


「指示も短く」


「はい」


姉上は強い。


お藤も、そこは逆らわなかった。


「八右衛門」


儂が呼ぶと、八右衛門が控えていた。


「はい」


「離れは」


「整えてございます。寝具、湯、衣、すべて分けております。火と鉄を扱う場所とは離しました」


「見張りは」


「置いております」


「道具は」


「まだ渡しておりません。必要になれば、数を改めてから」


「よし」


本当に、柴田の家は動き出すと早い。


それを支える者たちがいる。


だから、お藤が無理をしようとしても止められる。


……止められるはずだ。


たぶん。


しばらくして、陳一族が離れの前へ案内された。


彼らは、まだ緊張していた。


当然だ。


清洲から、また別の場所へ移されたのだ。


しかも、目の前にいるのは儂である。


怖かろう。


儂は慣れている。


怖がられることには慣れている。


だが、お藤は違った。


お藤は、すぐには近づかなかった。


決められた距離を守り、椅子に腰かけたまま、ゆっくりと陳一族を見た。


阿春が、王明玉の袖を握っている。


李雪蘭は腹に手を当てている。


林玉蘭は、そのそばで静かに支えている。


陳宗鉄は、お藤をじっと見ていた。


清洲の庭で、土に文字を書き交わした相手だと分かっているのだろう。


承鋼と承明も、少しだけ背を伸ばした。


お藤は、少し考えるように口を動かした。


「吃飯……」


陳宗鉄の目が動いた。


お藤は、言葉を探すように眉を寄せる。


「飯。食べる」


そして、自分の手で椀を持つ仕草をした。


「吃飯。飯。食べる。可以?」


発音は、たどたどしい。


おそらく、正しくはないのだろう。


けれど、意味は伝わったらしい。


承明が、はっとしたように顔を上げた。


承鋼も、李雪蘭を見た。


林玉蘭が、胸の前でそっと手を重ねる。


阿春は、粥の匂いに気づいたのか、小さく鼻を動かした。


陳宗鉄は、お藤を見た。


それから、ゆっくりと両手を胸の前で組み、深く身を折った。


日本の礼とは違う。


だが、感謝であることは分かった。


お藤は、静かに微笑んだ。


「先に、食べましょう」


言葉は通じない。


だが、その声の柔らかさは伝わったのだろう。


陳一族の顔から、ほんの少しだけ力が抜けた。


粥が運ばれてくる。


温かい湯気が、離れの前に広がった。


まずは、少しずつ。


阿春には、さらに少しずつ。


李雪蘭には産婆が確認しながら。


陳宗鉄は、最初、女たちを先にと手で示した。


お藤は、それを見て少しだけ笑った。


「皆、食べます」


そして、椀を示す。


「皆。吃飯」


正しいのか、間違っているのか。


儂には分からぬ。


だが、陳宗鉄は目を細めた。


承鋼が父に何か言う。


承明も頷く。


やがて、陳宗鉄も椀を受け取った。


その様子を見て、儂は静かに息を吐いた。


この家に預かることになった以上、守らねばならぬ。


火も。


鉄も。


技も。


そして、この者たちの命も。


それは厄介事である。


間違いなく厄介事だ。


だが、お藤が飯を出すと言った。


ならば、まずは飯でよい。


飯を食わせてから、話を聞く。


それが、柴田の家の始まりでよい。


隣で、お藤が小さく息を吐いた。


「勝家様」


「何だ」


「荷車も、後で詳しく聞かせてください」


「寝てからだ」


「……はい」


「今日は飯までだ」


「はい」


「紙は書くな」


「……はい」


少し間が空いた。


儂はお藤を見た。


お藤は、粥を食べる陳一族を見ている。


目が優しい。


それでいて、もう何かを考えている顔だった。


やはり、止めねばならぬ。


儂は、改めて思った。


この妻は、目の前に命があると、すぐ動こうとする。


だからこそ、儂はこの女を好いた。


そして、だからこそ、止めねばならぬ。


柴田邸は、今日からさらに忙しなくなる。


それでも、湯気の立つ粥を前に、陳一族の顔が少しずつ和らいでいくのを見ていると。


不思議と、悪い気はしなかった。


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