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鬼柴田と忙しない姫 〜守護邸が燃えたので、柴田勝家の妻になりました〜  作者: まるちーるだ
第四章 鬼柴田の妻と海を越えた鍛冶師

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第十五話 柴田邸預かり


清洲城内の仮鍛冶場には、まだ鉄の匂いが残っていた。


火。


炭。


鉄。


木。


油。


半月ほど続いた音は、今日ようやく一つの形になった。


馬で引ける荷車。


ただの荷車ではない。


車輪の縁に鉄が入り、軸に工夫があり、重い荷を載せても動かせる。


尾張の者たちだけでは、まだしばらく手間取ったであろうもの。


それを、明の鉄匠たちは半月で形にした。


もちろん、尾張の鍛冶師たちも働いた。


木を扱う者も、馬を見る者も、数を記す者も動いた。


だが、中心にいたのは、あの異国の一団だった。


陳宗鉄。


陳承鋼。


陳承明。


名を聞き、続柄を聞き、作れるものと作れぬものを分けた。


釘を打たせ、手を見た。


火器へすぐ飛びつかず、まず暮らしの鉄を打たせた。


それでも、結果は出た。


兄上は、荷車の報告を聞き終えると、しばらく黙っていた。


その沈黙が、むしろ怖かった。


兄上が黙る時は、ただ考えているだけではない。


すでに何かを決めていることが多い。


その場には、私、柴田権六、義銀殿、木下藤吉郎がいた。


藤吉郎は、少し離れたところで控えている。


いつもなら、隙あらば前へ出て何か言いそうな男だが、今日は大人しい。


あの明の一団を拾った者として、気持ちは前へ出ているのだろう。


だが、兄上に何度も釘を刺されているので、身体だけは控えている。


成長したのか。


それとも、叱られ慣れてきただけなのか。


判断に迷うところである。


義銀殿は、兄上の近くで記録を整えていた。


初め、私は義銀殿を「義銀様」と呼んでいた。


元は尾張守護家の若様である。


私より年下とはいえ、軽く呼ぶにはためらいがあった。


だが、義銀殿はそのたびに困った顔をした。


「信行様、どうか様付けはおやめください。私は今、織田家に仕える身でございます」


そう言われた。


しかし、こちらにも礼がある。


元守護家の若様を、いきなり呼び捨てにはできない。


義銀殿もまた、私を呼び捨てにはできない。


結局、少しずつ譲った。


私は義銀殿と呼び、義銀殿は私を信行殿と呼ぶ。


礼を崩しすぎず、距離を置きすぎない。


今の私たちには、それくらいがちょうどよかった。


その義銀殿が書き留めた紙の上には、荷車の試験結果が並んでいる。


載せた荷。


動かした距離。


車輪の軋み。


軸の緩み。


馬の疲れ。


人の数。


途中で直した箇所。


どれも細かい。


藤の方様が作られた確認票に、義銀殿がさらに手を加えたものだ。


兄上は、その紙を指で叩いた。


「使える」


短い言葉だった。


けれど、その一言で場の空気が締まる。


藤吉郎の目が輝いた。


権六の眉間に皺が寄った。


義銀殿は、筆を止めずに次の言葉を待っている。


私は、兄上の横顔を見た。


使える。


兄上がそう言う時は、同時に危うさも見ている。


「だが、危うい」


やはり、続いた。


「はい」


私は頷いた。


誰も反論しない。


明の鉄匠たちは、荷車を作った。


半月で。


つまり、こちらが思っていたよりも手が利く。


そして、火器を見たことがある。


解いたことがある。


作ろうとしたことがある。


完成はしていない。


だが、未成と答えた。


未成。


その二文字が厄介だった。


完成していないなら、放っておけるか。


違う。


完成していないからこそ、こちらで育つ可能性がある。


そして、こちらで育て損ねれば、他へ流れる可能性もある。


兄上は、紙から顔を上げた。


「清洲に置き続けるには目立つ」


「はい」


私は答えた。


「城内で異国の者を囲い、火と鉄を扱わせております。すでに噂は出ているかと」


「出ておる」


兄上はあっさり言った。


「ならば」


権六が低く言う。


「別の場所へ移すおつもりで」


「そうだ」


兄上は頷いた。


「だが、外へ放るには早い」


それも、その通りだった。


言葉が十分に通じない。


地の名も、家の名も、まだ一つずつ覚え始めたばかりだ。


村に置けば怯えられる。


町に置けば噂になる。


寺に預けても、火と鉄までは見られぬ。


誰かが奪いに来るかもしれない。


彼らが逃げるかもしれない。


逆に、彼らが騙されるかもしれない。


「猿」


兄上が呼んだ。


「はっ」


藤吉郎が勢いよく返事をする。


「声」


「はっ」


少し小さくなった。


「お前が拾った」


「はい」


「だが、お前の屋敷で預かるには狭い」


藤吉郎は、悔しそうに唇を噛んだ。


「……はい」


寧々殿と猿丸殿がいる。


産後の寧々殿を思えば、明の一団を木下家で預かるのは無理がある。


それに、藤吉郎はまだ新参である。


あの者たちを守り、囲い、使うには、家の力が足りない。


兄上の目が、権六へ向いた。


権六は、すでに察していたのだろう。


顔が怖い。


普段から怖いが、今日はまた格別である。


「権六」


「はっ」


「明の鉄匠たちは、お前のところで預かれ」


場が、静かになった。


分かっていた。


おそらくそうなるだろうと、私も思っていた。


それでも、兄上が言葉にすると重い。


柴田邸預かり。


それは、ただ住まわせるという意味ではない。


守る。


囲う。


見張る。


使う。


そして、万が一の時には斬る。


そのすべてを、権六に預けるということだ。


権六は、深く息を吸った。


「殿」


「何だ」


「お藤は産後にございます」


「知っておる」


「紫乃もおります。藤七丸もおります」


「知っておる」


「腹の大きな女もおります。子もおります。年寄りもおります」


「それも知っておる」


兄上は平然と返す。


だが、権六の声は低いままだった。


「危うい技を持つ異国の者を、柴田の屋敷へ近づけよと」


「屋敷の中へ入れよとは言わぬ」


兄上は言った。


「離れを使え。囲いを設けろ。火と鉄を扱う場所は別にしろ。女と子は休ませる。腹の女には産婆をつける。道具は数えろ。鉄も数えろ。火は尾張の者が見る」


「……」


「お前の屋敷なら、守れる」


「守るだけならば」


「於光もいる」


権六の眉間の皺が、わずかに動いた。


兄上は続けた。


「八右衛門もいる。すぐ隣に斯波邸もある。お前の家なら、柴田と斯波、二つの目が届く」


「殿」


「そして」


兄上の声が、少しだけ低くなった。


「お藤がいる」


権六の顔が、本日一番怖くなった。


藤吉郎が、そっと視線を伏せる。


義銀殿は、筆を止めた。


私は、思わず口を挟みそうになって、やめた。


権六が言うべきことだと思ったからだ。


「お藤を働かせるおつもりですか」


権六の声は、怒っていた。


静かな怒りである。


「働かせるな」


兄上は即答した。


「そこは、お前が止めろ」


「止めます」


「ならばよい」


「よくはございません」


権六は、珍しく引かなかった。


「お藤は、止めても紙を書きます」


「であろうな」


「殿」


「分かっておる」


兄上は、そこで少しだけ表情を改めた。


「だからこそ、お前のところへ置く」


権六が、黙る。


「清洲に置けば、あれこれ聞きに来る者が増える。火器だ、倭寇だ、明だと騒ぐ者も出る。誰かが勝手に近づく。勝手に聞く。勝手に欲しがる」


兄上は、紙を指で叩いた。


「柴田邸なら、お前が門で止められる」


「……」


「お藤が無理をすれば、於光が止める。お前も止める。八右衛門も止める。清洲より、よほど止めやすい」


理屈は通っていた。


悔しいほどに。


藤の方様を働かせるためではない。


藤の方様を守りながら、必要な知恵だけを借りるため。


そして、明の者たちを清洲の好奇の目から遠ざけるため。


兄上は、そう言っている。


権六も、それを理解しているのだろう。


だからこそ、顔が怖い。


否定できないからだ。


「権六」


兄上が言った。


「これは、客ではない」


「はっ」


「ただの職人でもない」


「はっ」


「尾張の荷を変える者かもしれぬ。火器を変える者かもしれぬ。だが、同時に火種でもある」


「……はっ」


「ならば、信じる前に囲え。使う前に守れ。守るために縛れ」


権六は、深く頭を下げた。


「承知いたしました」


決まった。


明の鉄匠たちは、柴田邸預かりとなる。


ただし、兄上の命はそれだけでは終わらなかった。


「条件をつける」


兄上は、指を一本立てた。


「一つ。屋敷の内には入れるな。離れを使え。囲いを設けろ。女と子は休ませる。腹の女は特にだ」


「はっ」


二本目。


「二つ。火と鉄を扱わせる時は、必ず見張りを置け。火の始末は尾張の者が見る」


「はっ」


三本目。


「三つ。道具と鉄は数えよ。渡す時に数え、戻す時にも数えよ。釘一本、鉄片一つ、余らせるな」


「はっ」


四本目。


「四つ。勝手に外へ出すな。柴田邸から清洲へ連れて来る時は、権六、義銀殿、猿。この三人のうち、誰か一人を必ず伴わせる」


義銀殿が、少し目を瞬いた。


「私も、でございますか」


「そなたは字が読める」


「はい」


「猿は拾った」


「はっ」


「権六は怖い」


「殿」


権六が低く言った。


兄上は気にせず笑う。


「事実であろう。この三人の誰かがいれば、逃げもせぬ。奪われもせぬ。言い分も拾える」


兄上は軽く言った。


だが、その配置は的確だった。


権六は、力で守る。


義銀殿は、文字で繋ぐ。


藤吉郎は、情で近づく。


三人のうち誰か一人がいれば、明の者たちは完全に孤立しない。


同時に、勝手に動けもしない。


守るための鎖。


使うための橋。


兄上は、その両方を掛けようとしていた。


「五つ」


兄上は続ける。


「お藤には、直接命じぬ」


権六の顔が、少しだけ動いた。


「……はっ」


「必要な問いは、権六か於光を通せ。紙が必要なら、太田に書かせろ。お藤が口を出すなら、まず寝かせろ」


「承知しました」


「できるか」


「やります」


権六の声は短い。


しかし、先ほどより少しだけ落ち着いていた。


兄上も、それ以上は言わなかった。


藤吉郎が、そこで頭を下げる。


「殿」


「何だ、猿」


「某も、責を持ちます。拾ったのは某にございます」


「当然だ」


兄上はあっさり言った。


「柴田邸へ移すまでは、お前も動け」


「はっ」


「ただし」


「はっ」


「勝手に約束するな」


「……はっ」


「勝手に泣くな」


「はっ」


「勝手に走るな」


「はっ」


「声」


「はっ」


少し小さくなった。


私は、思わず口元を押さえた。


笑っている場合ではない。


だが、藤吉郎は本当に忙しい男である。


兄上は立ち上がった。


「では、伝えるぞ」


白い布で隔てられた場所へ向かう。


明の一団は、すでにこちらの動きを感じ取っていたらしい。


陳宗鉄が、静かに顔を上げる。


承鋼と承明も、少し緊張した様子で座っている。


林玉蘭は、幼い阿春を抱き寄せていた。


王明玉は、そのそばに控えている。


李雪蘭は、腹を庇うように座り、産婆が近くについていた。


彼らには、まだ何が決まったのか分からない。


義銀殿が、枝を取った。


まず、土へ大きく書く。


此地、移。


承明が眉を寄せる。


義銀殿は、今いる場所を指し、次に外を指した。


移る。


そう示す。


次に書く。


柴田屋敷。


承鋼が、その文字を見る。


当然、分からない。


義銀殿は権六を指した。


「しばた」


ゆっくりと発音する。


権六は、腕を組んだまま立っている。


たいへん怖い。


いや、本人はいつも通りなのだろう。


だが、異国の者から見れば、ただ大きく、ただ怖い武将である。


承明が、ごくりと喉を鳴らした。


無理もない。


鬼柴田である。


義銀殿は、さらに土へ書いた。


柴田、此人家。


守有。


害無。


これで、少し伝わったのだろう。


陳宗鉄が、権六をじっと見た。


長く、静かに見た。


それから、ゆっくりと両手を胸の前で組む。


右の拳を左の掌で包むようにして、深く身を折った。


日本の礼とは違う。


けれど、感謝と恭順を示すものだということは、こちらにも分かった。


承鋼も、承明も同じように両手を組み、身を折る。


林玉蘭も。


王明玉も。


李雪蘭も。


阿春は、母の袖を握ったまま、よく分からない顔で小さく真似をした。


義銀殿は、次に条件を書いた。


屋内不可。


別屋。


女子、休。


子、休。


雪蘭、休。


火鐵、勝手不可。


道具、數。


鐵、數。


見守有。


働、後。


承鋼は、一つずつ読み、承明と顔を見合わせた。


陳宗鉄が、短く何かを言う。


承鋼が頷く。


承明も頷く。


義銀殿は、さらに書いた。


清洲来時。


権六、義銀、藤吉郎。


一人、共。


不可独行。


清洲へ来る時は、権六、義銀、藤吉郎のうち一人が共に来る。


独りで動いてはならない。


承明は、少し考えてから頷いた。


陳宗鉄も、静かに頷く。


そして、土に書いた。


願守約。


願働。


願生。


約を守りたい。


働きたい。


生きたい。


あの日と同じ言葉だった。


だが、今日は少し違って聞こえた。


あの日は、彼らが尾張にしがみつくための言葉だった。


今日は、こちらが彼らを尾張の中へ入れるための言葉になっている。


兄上は、土の文字を見下ろした。


「よし」


短く言う。


それだけで、決まったことがさらに重くなる。


権六は、陳宗鉄たちを見た。


しばらく黙っていた。


それから、低く言う。


「守る」


当然、言葉は通じない。


だが、権六は自分の胸を叩き、次に明の一団を指した。


「守る」


もう一度。


陳宗鉄は、その動きを見て、深く頭を下げた。


承鋼と承明も。


藤吉郎が、少しだけ目を潤ませている。


兄上が、すぐに見た。


「猿」


「はっ」


「泣くな」


「泣いておりませぬ」


「では、その顔を直せ」


「はっ」


藤吉郎は慌てて顔を引き締めた。


あまり引き締まってはいなかった。


だが、努力はしていた。


その後、移動の手順が決められた。


女と子は先に休ませ、日を選ぶこと。


荷は少なくすること。


鍛冶道具は清洲で数え、柴田邸でまた数えること。


火種は持たせないこと。


移動中は権六の者が囲むこと。


義銀殿は、それらをすべて書き留めていく。


私は、その筆の動きを見ながら思った。


これは、保護である。


同時に、囲い込みである。


そして、始まりでもある。


尾張は、異国の鉄匠を抱える。


柴田邸は、その最初の器になる。


どれほど忙しないことになるか。


考えるだけで、少し頭が痛くなった。


兄上は、権六へ向き直った。


「権六」


「はっ」


「これは、ただ預けるだけではない」


「承知しております」


「守れ。使え。だが、呑まれるな」


権六は、深く頭を下げた。


「はっ」


「それから」


兄上は、少しだけ口元を上げた。


「お藤には、まず休めと伝えよ」


権六の眉間の皺が、さらに深くなる。


「伝えます」


「効くと思うか」


「効かせます」


兄上は、そこで初めて声を立てて笑った。


「ははははは! ならば任せたぞ、鬼柴田」


権六は笑わなかった。


だが、その背はいつも以上に大きく見えた。


私は、藤の方様のことを思った。


この知らせを聞けば、まず驚くだろう。


次に、於光殿に止められるだろう。


それでも、どこかで帳面を作ろうとして、きっと取り上げられる。


そこまで想像できてしまい、私は少しだけ口元を押さえた。


笑っている場合ではない。


ないのだが。


どうしても思ってしまう。


柴田邸は、また忙しなくなる。


その予感だけは、間違いなかった。

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後の世の柴田保育園の始まりとか?ちびっ子達は元気が一番。
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