第十三話 釘は嘘をつきません
釘は、嘘をつかない。
兄上がそう言った時、私は少しだけ大げさではないかと思った。
釘である。
細く、小さく、地味な鉄。
刀のように人目を引くわけでもない。
槍の穂先のように戦場で目立つわけでもない。
火器のように轟く音を立てるわけでもない。
ただ、木と木を留めるもの。
家を支え、船を直し、荷車を組み、戸を留めるもの。
だが。
その日、承鋼と承明が打った釘を見た時、私は兄上の言葉の意味を知った。
釘は、嘘をつかない。
清洲城内の一角に、仮の鍛冶場が設けられた。
もちろん、御殿の近くではない。
火を扱ってもよいように土を均し、水桶を置き、周囲を竹矢来と白い布で囲う。
道具は、使う時だけ渡す。
槌。
火箸。
小さな砧。
鉄。
炭。
すべて数を改める。
火を入れる前にも数え、終わった後にも数える。
鉄片一つ、釘一本、失わせてはならない。
兄上の命である。
当然、見張りもついた。
明の一団のうち、仮の鍛冶場へ入ることを許されたのは、承鋼と承明、そして少し離れた場所で見守る陳宗鉄だけであった。
女たちと幼子、身重の李雪蘭は、白い布で隔てられた休み場に残された。
火と鉄の近くへは近づけない。
木下藤吉郎は、鍛冶場の外でそわそわしていた。
自分が拾った者たちが、本当に腕のある職人なのか。
それが分かる場である。
落ち着かないのも無理はない。
だが、兄上に叱られたことがよほど効いているのだろう。
走らない。
勝手に近づかない。
勝手に口も出さない。
たいへん努力している。
権六は、腕を組んで立っていた。
顔が怖い。
いつも怖いが、今日はさらに怖い。
藤の方が夜通し問いの紙を作った件で、まだお怒りなのだろう。
ただし、その目は承鋼と承明の動きを逃していなかった。
怒っていても、見るべきものは見る。
権六は、そういう方である。
義銀殿は、紙と筆を手に控えていた。
必要があれば土に文字を書く。
返ってきた文字を紙へ写す。
言葉が足りなければ補う。
まさに、この場に欠かせない役であった。
私は、その様子を見ながら、兄上のそばに控えていた。
兄上は楽しげだった。
だが、ただ楽しんでいるだけではない。
見ている。
承鋼と承明の手。
陳宗鉄の目。
藤吉郎の顔。
権六の警戒。
義銀殿の筆。
場の空気。
すべてを。
「始めさせよ」
兄上が言った。
義銀殿が土に書く。
釘、作。
少。
見。
承鋼が、それを読んだ。
承明を見る。
陳宗鉄を見る。
陳宗鉄は静かに頷いた。
承鋼と承明は、深く頭を下げた。
そして、火の前に立った。
承鋼は、火の前に立つと別人のようになった。
それまでの彼は、常に周囲を窺うようにしていた。
言葉の分からぬ異国の地。
白い布に囲われた場所。
見張り。
武士たちの視線。
すべてが彼に緊張を強いていたのだろう。
けれど、火の前では違った。
鉄を見た瞬間、目が定まった。
炭の火を見る。
熱の色を見る。
鉄の赤みを見る。
槌を握る手に迷いがない。
派手な打ち方ではない。
力任せでもない。
必要なところを、必要なだけ叩く。
承明は、隣でよく動いた。
火の様子を見る。
鉄を差し出す。
承鋼の打ったものを受け取り、向きを変える。
水に入れる時も、ただ投げ込むのではない。
音を聞き、湯気を見て、また取り出す。
二人は言葉少なだった。
こちらには分からぬ言葉で短く声を掛け合い、あとは手の動きで通じている。
兄弟なのだと、改めて思った。
陳宗鉄は、少し離れた場所で見ていた。
年老いた身体で、もう自ら槌を振るうことは少ないのだろう。
だが、その目は鋭かった。
承鋼の打ち方を見ている。
承明の動きを見ている。
時折、短く何かを言う。
すると、二人の動きが少し変わる。
父なのだ。
鉄を教えた父なのだ。
やがて、最初の釘が出来上がった。
承鋼はそれを地面に置いた。
承明が枝を取り、土に書く。
釘、成。
義銀殿が紙に書き写した。
釘、成。
釘が成った。
出来上がったという意味だろう。
藤吉郎は、今にも飛び跳ねそうな顔をしていた。
だが、飛び跳ねてはいない。
よろしい。
「持て」
兄上が命じた。
こちらの鍛冶に慣れた者が、慎重に釘を手に取る。
まず、まっすぐか。
次に、太さは揃っているか。
頭は潰れすぎていないか。
先は鋭すぎず、鈍すぎもしないか。
板に打ち込む。
一本。
もう一本。
さらに一本。
釘は、すっと入った。
木を割らずに入る。
曲がらずに入る。
打ち込んだ後、木を揺らしても緩まない。
試しに、わざと横から力をかける。
折れない。
抜こうとする。
抜けにくい。
兄上の目が、細くなった。
「ほう」
たった一言。
だが、その一言で十分だった。
権六も釘を見ている。
眉間には皺がある。
だが、その目には、先ほどとは少し違う光があった。
「良い釘ですな」
私が言うと、権六が短く頷いた。
「うむ」
兄上は釘を指でつまみ、しばらく眺めた。
「釘は嘘をつかぬ」
そう言った。
昨日と同じ言葉だった。
「曲がらぬ。折れぬ。留まる。これならば、使える」
承鋼と承明は、兄上の言葉の意味までは分からなかっただろう。
しかし、空気は伝わったらしい。
承明の顔が少しだけ明るくなる。
承鋼は、深く息を吐いた。
陳宗鉄は、目を閉じた。
その顔に浮かんだものは、安堵に見えた。
その後も、何本か釘を打たせた。
一本だけでは偶然かもしれない。
二本、三本、四本。
火を入れ直す。
鉄を変える。
太さを変える。
それでも、大きな乱れはなかった。
もちろん、尾張の職人とは打ち方が違う。
癖もある。
だが、使える。
それは明らかだった。
「よし」
兄上が言った。
「釘はよい」
藤吉郎が、ぱっと顔を上げた。
「殿!」
「猿、まだ黙れ」
「はっ」
藤吉郎はすぐに黙った。
顔はまったく黙っていない。
その時だった。
承明が、何かを思いついたように顔を上げた。
そして、枝を取る。
土に書いた。
荷車、作可。
尾張来時、乗、車。
良品作。
義銀殿が、土の文字を見て眉を寄せた。
「荷車、作れる。尾張へ来る時に乗った車……良い物を作る、でしょうか」
「荷車」
兄上が繰り返した。
承明は、強く頷いた。
そして、昨日と同じように身振りを始める。
両手で車輪を示す。
木の枠を示す。
荷を乗せる仕草。
人が引く仕草。
それから、馬を指すように、首の前で手綱を持つような動きをした。
さらに土に書く。
馬、牽引可。
馬で引ける。
私は、その文字を見て目を瞬いた。
荷車を、馬で引く。
もちろん、荷を運ぶ車は尾張にもある。
人が引くものもある。
牛馬を使うこともある。
だが、承明の言い方は、ただの荷車ではないようだった。
「来る時に乗った車」
私は呟いた。
知多から清洲へ連れてくる時、藤吉郎が村から借りた荷引き車。
古く、潮と魚の匂いが染みつき、車輪がぎしぎし鳴っていたという。
あれを見て、彼らは何か思ったのだろうか。
自分たちなら、もっと良い物を作れると。
兄上の顔が、面白そうに変わった。
「作らせてみよ」
即断だった。
私は思わず兄上を見た。
「兄上」
「何だ」
「釘の確認だけではなかったのですか」
「釘は見た」
「はい」
「ならば、次は車じゃ」
「早すぎます」
「面白い」
「兄上」
「信行」
兄上は、目を細めた。
「荷を運べる車は、戦にも政にも使える」
私は黙った。
それは、分かる。
兵糧。
矢。
槍。
鉄。
米。
塩。
材木。
何をするにも、運ぶ力が要る。
人の背だけでは限界がある。
道と車と馬が噛み合えば、動かせるものが増える。
兄上がそこを見逃すはずがない。
「ただし」
兄上は承鋼と承明を見た。
「城内の仮鍛冶場で作らせる。外には出さぬ。火も鉄も、必要分だけ。木材もこちらで用意する。勝手は許さぬ」
当然、言葉は通じない。
義銀殿は、まず自分たちの足元を指し、土へ書いた。
清洲、此城。
それから、囲いの内側を指す。
作、可。
清洲内。
見守有。
承明は、それを読み、承鋼を見た。
承鋼は頷いた。
陳宗鉄も頷く。
そして、三人は深く頭を下げた。
こうして、釘の試しは終わった。
けれど、その小さな釘は、ただ職人の腕を示しただけではなかった。
次に作られるもの。
馬で引ける荷車。
その言葉を、兄上の前へ引き出したのである。
釘は嘘をつかない。
そしてどうやら、釘は時に、次の扉まで開くらしい。




