プロローグ
柴田のお藤の方。
『永禄五年。
前年の夏に宿った二つの命が、相次いで産声を上げた。
まず、後に羽柴秀吉と名乗る男――その頃はまだ木下藤吉郎殿と呼ばれていた男に、後に秀信と名乗る嫡男が生まれた。
信長公が、猿と呼んだ男である。
無論、その頃の秀吉殿は、まだ羽柴ではない。
木下藤吉郎殿。
それが当時の名であった。
けれど、今の私には、木下藤吉郎殿という名よりも、秀吉殿という名の方が先に浮かぶ。
それほど長い時が流れたのだと思う。
その秀吉殿と寧々殿の間に、嫡男が生まれた。
出産祝いを持って秀吉殿の屋敷を訪れた折に聞いた幼名を、私は今でも覚えている。
猿丸。
あまりにも秀吉殿らしい名で、正直なところ、その場にいた者たちは皆、少しだけ言葉を失った。
だが、寧々殿は笑っておられた。
お前様らしい名でございますね、と。
ならば、それでよいのだろうと、私は思った。
その三月ほどのち、叔母は柴田家の姫を産んだ。
紫乃。
藤の色を映したような、柔らかな名であった。
その頃、叔母の膝元には、すでに後の勝信がいた。
まだ藤七丸と呼ばれていた、柴田家の嫡男である。
勝信と紫乃。
そして、秀吉殿と寧々殿の子、秀信。
名は似ていたが、血筋も家も違う。
けれど三人は、不思議と兄妹のように育った。
紫乃と秀信は同じ年であった。
勝信は少し年上の兄として振る舞おうとし、紫乃はそれを当然のように受け取り、秀信は猿丸の名にふさわしく、よく動き、よく笑い、よく叱られた。
三人は時折、私のもとへ来た。
難しい字を見つけては、読んでくれとせがんだ。
故事の意味を聞き、書物の名を聞き、読めぬ字を指差して、これは何と読むのかと尋ねた。
そのたびに、私は叔母の言葉を思い出した。
教養は、腹を満たす米にはならぬかもしれない。
けれど、腹を満たす米を守る力になる。
叔母は、貧しい斯波家でそう言った。
そして私は、勝信、紫乃、秀信の三人に字を教えながら、その意味を少しずつ知っていった。
家は血で繋がる。
だが、家を守るのは血だけではない。
言葉。
礼。
数。
帳面。
そして、学ぶことを怖がらぬ心。
それらが、家を支えるのだと、叔母は私たちに教えていた。
だからこそ、私は書き残しておきたい。
生まれた子らは、ただ家の跡継ぎとして生まれたのではない。
尾張が変わる時代に、学び、繋ぎ、次の世を受け取る者として生まれたのだ。
そして、永禄五年。
尾張の海には、もう一つの家族が流れ着いた。
明国より逃れてきた鉄匠一家。
陳宗鉄の一族である。
彼らは、言葉も通じぬ異国の者であった。
倭寇と関わりがあるかもしれぬと疑われ、石を投げられかけた者たちであった。
だが、秀吉殿は見捨てなかった。
子を抱く母。
腹を庇う女。
老いた父母。
その姿が、己の妻子に重なったのだろう。
そして叔母もまた、彼らを見捨てなかった。
彼らが鉄を扱えるからではない。
釘を打てるからでもない。
馬で引ける荷車を作れるからでもない。
もちろん、それらは後に尾張を変える。
だが、叔母が最初に見たものは、技ではなかった。
子を抱く母。
腹を庇う女。
老いた父母。
疲れ切った者たちの顔。
叔母は、そこで言った。
まずは飯にしましょう、と。
織田信長公は、彼らの技を見た。
柴田勝家殿は、彼らの危うさを見た。
羽柴秀吉殿は、彼らに己の妻子を重ねた。
そして叔母は。
柴田のお藤の方は、まず彼らの腹が空いていることを見た。
それが、叔母であった。
後に、陳一家の技は尾張の荷を変えていく。
よい釘。
鉄の輪を嵌めた車輪。
馬で引ける荷車。
それらは、刀や槍のように華やかではない。
だが、兵糧を運び、材木を運び、塩を運び、鉄を運ぶ力となった。
戦を支えるものは、戦場にだけあるのではない。
蔵にあり、道にあり、荷車にあり、釘一本にすらある。
叔母は、そのことを誰より早く知っていた。
いや。
叔母自身は、そう大きく考えていたわけではないのかもしれない。
ただ、目の前の者を放っておけなかっただけなのだろう。
泣きそうな女がいれば、茶を出す。
冷えた者がいれば、身体を温める。
腹を空かせた者がいれば、飯を食わせる。
言葉の通じぬ異国の者であっても。
火器の知識を持つ危うい者であっても。
そこに子を抱く母がいて、腹を庇う女がいて、老いた父母がいるなら、まず食わせる。
それが、柴田のお藤の方であった』
――斯波義銀晩年記『藤乃叔母上覚書』より
まったく。
義銀は、本当に何でも大げさに書く。
私は写本の文字を指でなぞりながら、小さく息を吐いた。
飯を出しただけである。
粥を炊かせた。
湯を用意させた。
眠る場所を整えた。
幼い子と、腹の大きな女と、年老いた夫婦がいたのだから、当然のことをしただけだ。
それを、尾張の荷を変えた始まりなどと書かれては、こちらが困ってしまう。
けれど。
私は、そこで指を止めた。
義銀の文字は、いつも少し痛い。
私が忘れかけていたことを、私以上に覚えている。
私がただ必死だっただけのことを、ずっと後になって意味のあるものとして書き残してしまう。
困った甥だ。
本当に、困った甥だった。
けれど、あの夏のことは、私もよく覚えている。
永禄五年。
前年の夏に宿った命が、春から夏へ移る頃、相次いで産声を上げた。
まず、木下藤吉郎殿と寧々殿の間に子が生まれた。
義銀の筆に倣えば秀吉殿と呼ぶが、その頃のあの方はまだ木下藤吉郎殿である。
幼名は、猿丸。
あまりにも木下殿らしい名に、柴田邸の者たちは皆、少しだけ苦笑した。
寧々殿は、笑って受け入れたという。
ならば、きっとよい名なのだろう。
その三月後。
私もまた、勝家様との間に姫を産んだ。
紫乃。
藤の花の色。
紫の色。
そして、私の名から少しだけ繋がる音。
この子が、ただ誰かの娘としてだけではなく、己の名を持って生きていけるように。
そう願って名付けた。
勝信は、小さな妹を見て、たいへん真剣な顔で言った。
「あにうえ、だぞ」
まだ、藤七丸と呼んでいた頃の幼い声を、私は今でも覚えている。
小さな手。
眠る紫乃。
それを見守る勝家様の顔。
鬼柴田と呼ばれる方が、赤子を抱く時だけ、壊れ物に触れるような顔をする。
その穏やかな日々が、しばらくは続くのだと思っていた。
思っていたのだ。
だが、尾張という場所は、どうしてこうも人を休ませてくれないのだろう。
紫乃が生まれて二月ほどが過ぎ、ようやく私も少し起き上がれるようになった頃。
柴田邸の廊下に、聞き慣れた騒がしい声が響いた。
ああ。
また、何かが始まる。
そう思った。
そして、その予感は。
たいへん残念なことに、よく当たったのである。




