幕間 異なる歴史の記録 三
永禄四年、夏。
尾張に、二つの命が宿った。
一つは、木下藤吉郎の妻、寧々の腹に。
もう一つは、柴田勝家の妻、藤乃の腹に。
それは、ただの祝い事ではなかった。
本来の歴史において、のちに天下人となる羽柴秀吉と、その正室である寧々との間に実子はない。
秀吉は多くの側室を持ち、後継ぎを求め、やがて生まれた子の存在が、豊臣家の未来を大きく揺らすことになる。
だが、この物語では違う。
木下藤吉郎は、寧々の心を失わずに済んだ。
寧々もまた、自分だけが耐えればいいという道から引き戻された。
夫婦は向き合い、話し合い、そして寧々の腹には子が宿った。
それは、木下家にとって初めての実子となる。
そして、もう一つ。
本来の歴史において、柴田勝家にも実子はいないとされる。
しかし、この物語では、柴田勝家にはすでに藤七丸がいる。
藤乃との間に生まれた嫡男。
そして、この夏、藤乃の腹には第二子が宿った。
柴田家に、さらに命が増えたのである。
この二つの懐妊は、ただ母たちを喜ばせただけではない。
織田家の家臣団において、柴田家と木下家は、それぞれ異なる形で存在感を増していく。
柴田勝家は、織田家を支える重臣として。
木下藤吉郎は、信長のもとで頭角を現す新参の才として。
柴田家の子。
木下家の子。
斯波家に連なる藤乃。
織田家から斯波家へ嫁いだ琴。
斯波を支える毛利と服部。
そして、信長のもとに集う子らと家臣たち。
まだ名もなき胎の子らは、この時点ではただ守られるべき小さな命にすぎなかった。
けれど、戦国の世において、子とはやがて縁となり、血筋となり、家と家を結ぶ柱となる。
この時、誰も知らない。
柴田邸で重なった二つの祝い事が、やがて織田家の勢力図を変える一手となることを。
そして、母たちが守ろうとした小さな命が、戦国の世の縁と血筋を、大きく塗り替えていくことを。
ただ、この日。
柴田邸は騒がしかった。
祝いの声があり。
慌てる声があり。
走るなと叱る声があり。
それでも、そこには確かに、明るい未来を願う人々がいた。
永禄四年、夏。
異なる歴史は、また一つ、静かに枝を伸ばした。




