第94話:あなたが止まるまで私は!
「アア!? アァァァァ!!」
「ワンダ! 待って! 止まって!」
周りと隔離された壁の中で、ティラは必死になって叫んでいた。
次々にティラに向けて放たれる『水槍』の魔法の数は尋常ではなく、元のティラの実力では間違いなく体にいくつもの大穴が開いていただろう。
しかしそうなっていないのは、突然の暴走で放たれた魔法を木剣で凌ぎ、以降は『分隔』の壁で己を守っているからに他ならなかった。
「いったい何がどうなって……!!」
壁の向こうがどうなっているのか、その様子も声も何もわからない。
ただ彼女にわかるのは、自分が暴走状態にあるワンダと共にこの壁の中に捕らわれてしまったこと。
そしてそのワンダが自身に殺意を向けていることだった。
「グゥゥッ……!? ガッ、アアアァァァァ!?!?」
「くっ……!」
魔法を防がれたことを目にしたからか、続けて『水進』の水で足を覆ったワンダがティラに向かって直進する。
その速度は常人であれば避けられなかっただろうが、幸い『纏い』の発動が間に合ったティラは間一髪でこれを回避。
ワンダが土埃を上げて壁に衝突するのを横目に、内心で『纏い』を教えてくれたトーリに感謝するのだった。
「グゥゥゥゥ……!」
「ワ、ワンダ……」
ワンダの体から漏れ出る異常な魔力は、特別な目を持たずとも視認できるほどのものであった。
目を真っ赤に充血させて息を荒げているその様は、見ているだけでも苦しそうなことがわかる。
それでも、そうなりながらも、何故ワンダが己に殺意を向けてくるのか。それがティラにはわからなかった。
舞い上がる土埃の向こう側で、ゆっくりとワンダの影が動き、赤く光る眼がティラを見据えた。
「ティ……ディィラ……」
「っ! ワンダ! 私です! わかりますか!?」
「ティ、ディ……ガァァァァァァッ!!」
「ダメっ、ですか……!」
一瞬、ワンダの目に理性が戻ったような気がして語り掛けるティラだったが、その目もすぐに狂気に呑まれてしまう。
「(何が原因で、あんな状態に……!)」
決闘が始まると同時に周囲に壁ができ、それと同時にワンダがおかしくなったことを考えれば、この二つは関係あると考えてもいいはずだ。
いったい彼に何があったのか。何故あんなにも苦しそうに、殺意を向けるのか。
その理由まではわからない。しかし、外がどうなっているのかわからない以上、今のワンダを何とかできるのは自分しかいない。
「待っていてください、ワンダ! 必ずあなたを助けて――」
「っ……!?!? ガ、グァァァァァッァア!?!?」
必ず助ける。
そう口にした直後、ワンダが呻き声を上げてティラに向かって一直線に飛びかかった。
「っ!? 『断――」
咄嗟のことに指を差し向けたティラは、己の師匠から教わった魔法を放とうと構える。
しかし、それはできなかった。
「(ダメ……!!)」
暴走しているとはいえあれはワンダであることに違いはない。
空間そのものを断裂させてしまうこの魔法を使えば、それは確実に致命傷だ。こんな異常事態で『写し身の聖杯』が正常に作動しているという保証はない。下手をすればワンダが大怪我を負うことになる。
血だらけになるワンダを想像して一瞬硬直したティラ。そんな彼女に向けて水を纏った拳が叩き込まれた。
手にした木剣を強化し、拳と打ち合わせるように振るう。
「グゥッ……!?」
しかしそれでも、その威力は計り知れるものではなく、強化したはずの木剣を容易破壊し、彼女を撥ね飛ばしてしまった。
「ハァッ……ハァッ……た、たったの一撃でこうなるなんて……いつから、体も鍛えてたんですかあなた……!」
「フゥゥッ……! フゥゥッ……!!」
ゴロゴロとステージを転がりながら、途中で起き上がって体勢を立て直したティラはワンダを見据える。
『纏い』によって軽減したとはいえ、それでも先程の攻撃で既にティラの体はボロボロだ。どれだけ強化したところで、先程のように動くことは困難だろう。
手にした木剣がすでに使い物にならないのを見て、「ダメですね……」と放り捨てる。
「ガッラァァァァ!!」
「くぅっ……!?」
むちゃくちゃにワンドを振るったワンダの周囲にいくつもの水の槍が展開されると、それらが一斉にティラに向かって放たれた。
直進するだけではなく、四方八方から包囲網を敷くように襲い掛かる魔法。
ティラは『分隔』の壁を周囲に張り巡らせることで何とかこれを凌いでみせるのだが、その壁に拳が打ち付けられた。
「ワ、ワンダ……」
己の魔法を阻む壁を何とか破壊しようと、次々に魔法が降りかかる中で躍起になって拳を振るうワンダの姿にティラの言葉が震えた。
どうしてそこまでして、自分に殺意を向けているのか。
「何で……そんなに私が憎かったから、ですか……? あの日、君を連れ出して森に行ったことをそんなに恨んで……?」
ガンガンと、目の前で拳を叩きつけているワンダの姿を見て不意に涙が零れる。
もしあの日の出来事が原因であるのなら、ワンダがこうなっているのは自分のせいではないだろうか。
「私の……せい、なんですか……?」
涙交じりに零れた言葉は魔法の衝突音により掻き消されて宙に消えていく。
あの日、自身とワンダを助けてくれた宮廷魔法使いの姿を見て、誰かを助けられるようになりたいと願った。
宮廷魔法使いになるというのも、より力をつけた魔法使いになれば、より多くの人を助けられると思っていたからだ。
あの時の宮廷魔法使いのように、幼馴染を守れると思ったから。
ミシリ、と『分隔』の壁に罅が入る。
師が最強の盾だと豪語した魔法は、ティラの精神的な揺らぎと、強化された攻撃に晒されたことで崩れ始めた。
「ごめんなさい、ワンダ……ごめん……ごめんね……」
これほどまでの殺意を抱かせた自分が、そんな願いを抱いてよかったのだろうか。
何度目かの拳が振るわれた直後、ティラの『分隔』の壁が破壊される。
破壊による衝撃で後方へと倒れたティラは、目の前に立つ幼馴染の姿を見た。
拳を阻んでいた何かがなくなったことに気付いたのだろう。ワンダは眼下のティラに一度だけ視線を向けると、巨大な水の槍を形成する。
そして槍の先端が真っ直ぐに向けられたのを見て、ティラは力なく微笑んだ。
「ねぇ、ワンダ。私、どこかで間違えてたのかな。誰かを守れる魔法使いになるのは、駄目だったのかな……」
ティラは静かに目を閉じる。
もうこの目を開けることはないだろうと覚悟を決め、しかし少しだけの恐怖と罪悪感を抱きながら、ただただ魔法で貫かれるのを待った。
だがしかし、頭上に構えられた槍は一向にティラを貫こうとはしなかった。
「な、にを……! してるんだ、君は……!」
「……え」
苦しそうに名前を呼ぶ声に目を開けてみれば、そこには魔法を放つ寸前で静止したワンダがいた。
狂気に呑まれていた眼は、片方だけ本来のワンダの持つ淡い青色に戻っている。
「ワ、ワンダ……ワンダ! 無事なんですか……? だ、大丈夫なんですか……!?」
「こ、の……状態を、見て……! どう、無事だと、思うんだ……! おそらく、だが……ゥッ……!? 魔力、暴走と、洗脳に似た、何かだ……!」
苦しそうな表情には変わりはないものの、それでも受け答えは彼のもの。
そんな彼を見て思わず彼の傍に近づこうとしたティラだったが、「来るな……!」という彼の怒声にその足を止めた。
「自分の、体、なのに……! 自分で、制御もできないとはな……! 自業自得とはいえ、情けないにも程がある……!」
自嘲しようとしたが、顔を歪めた程度で終わる己に嫌気がさすワンダ。
今こうして、自分の意思に反して勝手に動く体を止めていられるのも時間の問題だろう。
もう間もなく、自分自身の行動を止められなくなる。
「ティラ! すぐに、逃げろ! 今、すぐに……!」
「む、無理なんです……! 周りは壁で囲まれて……魔法も通じなくて……」
おそらく『写し身の聖杯』に込められた強大な魔力によるものなのだろう。
そう当たりを付けたワンダは、狂気と理性の交じる目で天井の魔道具を睨みつけた。
「っ……そこも、対策済み、か……! グゥァッ……!? クソッ! ティ、ラ……!」
ティラの顔を見て殺意の衝動に呑まれそうになるが、何とか持ちこたえてティラの名を呼んだ。
「な、何ですかワンダ! 何か私にできることは……!」
「殺せ……! 僕を、お前の魔法で……! 今の君ならできるんだろ……!?」
ワンダが叫んだ言葉の意味が一瞬理解できず、「な、なにを……」とティラは言い淀む。
「それ、しかない……! はやくしろ……!」
「そ、そんなことできるわけが……」
「できなければ、君が死ぬ……! 僕が殺しにかかる……! 僕に君を、殺させないでくれ……!!」
「い、嫌です……! そうするくらいなら、私が……!!」
「っ……そういう、ところだぞ……! 何故いつも、自分を犠牲にしようとする……!?」
聞いたこともないような怒声に、ティラの方がびくりと跳ねた。
「いつも昔から、勝手ばかりで……! そのくせ、誰かのために傷つくことを良しとする……! それが君の美徳であることも知っている……! だが僕は、そんな君が嫌いだ……!」
呻き声を上げて、苦しそうにワンドを振り下ろそうとする手を抑えながらワンダは続ける。
「何故傷つこうとする……!? 何故自分を大事にしてくれない……!? あの時も、これからもだ……! グゥッ!? 利己的なことも、自覚はしている……だけど、頼むから……! 僕、に……好きな子を殺させないでくれよ……! 守りたいと思った人を、この手で傷つけさせないでくれよ……!」
「え……」
叫ぶように言い放った言葉に、ティラの動きが一瞬止まる。
そしてワンダは、形成していた巨大な水の槍をティラとは全く別の方向に向けて放つと、やがてその動きを停止させた。
「グゥッ……!? 今まで、ごめん……あとはたの……ん……だ……っ!?」
「ワ、ンダ……」
ティラに向けていたワンダの目が狂気に染まりきった。
そして再び呻き声を上げたワンダは、魔法を展開させてティラへと向ける。
「……わかりました、ワンダ」
そんな狂気の目をティラは真っ向から見据えた。
弱音を吐いていた少女の姿は、もうそこにはない。
ゆっくりと、しかし力強く立ち上がった少女に向けて、正気を失った少年が大量の水の槍を差し向ける。
「殺すなんて、そんなことはしません」
けど、と魔力を全身に巡らせた少女は一足でその場から飛び退いて飛来した水の槍を躱すと、今度は宙に展開した『分隔』の壁を足場にして少年の背後へと跳んだ。
『纏い』による身体強化と『分隔』を足場にした三次元の移動により、虚を突かれた少年が背後へと振り返る。
しかし、その前に少年の胴体に力強い蹴りが叩き込まれた。
少年の体がステージ上を舞い、勢いよく転がっていく。
「でも、あなたも人殺しになんてさせません……! 言いたいことだけ言って終わりなんて許しません! そもそも! 自分の中だけで完結しないでください! 話してくれないと、何もわかりません!」
彼は己の状態を魔力暴走だと言った。
幼い子供が体躯に見合わぬ程の魔力をその身に宿した際に起こる現象。それが何かによって意図的に引き起こされているのが目の前のワンダだ。
であるならば、その魔力を発散させればいい。
どれほど時間がかかるかも不明だ。
もしかしたら、永遠に続いてしまうのかもしれない。
それでも、と彼女は己の拳を握りしめる。
「昔みたいに泣いて倒れてごめんなさいするまで、とことん付き合ってあげます! 話はそれからです!」
お姉ちゃん、前よりずっと強いんだから! と『纏い』による強化で再び接近したティラは、その拳を容赦なくワンダの顔面に叩き込むのだった。




