第93話:ワンダ・ケセラ
「ほらワンダ、ご挨拶なさい」
「……は、はじめ……まして……。ワ、ワンダ・ケセラといいます」
「ワンダくん、初めまして。娘共々、仲良くしてくれると嬉しいよ」
そう言って、父さんが連れてきた男は微笑みかけてくるのだが、僕にはそれが少し怖くて、すぐに父さんの背後に隠れてしまう。
そんな僕の様子を見た父さんは「こらこら」と苦笑交じりに笑った。
「さぁ、ティラも挨拶しないとだ」
「はい! ティラ・ミラディンガです! よろしくおねがいします!」
「ほーう? なかなか元気な娘さんじゃないか。この娘が噂の才媛かね?」
「ああ。きっとミラディンガ家の歴史に名を残すはずだ。……にしても、少し元気がありすぎて困っているくらいだけどね」
「ハッハッハ! いいじゃないか! むしろ、ワンダにもその元気を分けてもらいたいぐらいだよ」
楽し気に言葉を交わす父さんの後ろに隠れながらそっと顔を覗かせれば、同い年くらいの女の子がジーッと僕のことを見つめていた。
慣れない視線にすぐ体を隠そうとしたが、その前に彼女は一歩前に出ると僕の腕を掴んでしまった。
突然のことに訳が分からず、「え、え……?」と彼女の顔を見れば、目の前には満面の笑みが浮かんでいた。
「ワンダくん! いっしょにあそぼ! あとおねえちゃんって呼んでね!」
「え、いや……僕は本を――」
「いっくよー!」
まだ読み終えていない本があることを伝えようとしたが、そんなことはお構いなしに彼女は僕を引っ張って庭へと連れ出した。
何をするつもりなのかと涙交じりに聞いてみれば、彼女は一言「おいかけっこ!」と楽しそうに言うのだった。
「じゃあわたしがおいかけるから、ワンダくんはにげてね!」
「え、待って、僕走るのは苦手で……」
「よーい、どん!」
聞く耳持たずな彼女は止まることなく、まるで獲物を見つけた魔物のような目を僕に向けた。
その目が怖くて必死になって逃げだしたが、普段から部屋に引きこもって本ばかり読んでいる僕が逃げ切れるはずもなく、背後から飛びかかられる形で捕まってしまった。
服も体も、彼女が帰る頃にはボロボロになっていた。
またくるね! と彼女の父と共に笑顔で去っていくのを見送った僕は、二度と来ないでくれと心の中で叫んでいた。
読みたい本も読めずにこんなに疲れるのなら、会わない方が自分のためだ。
でも、そんな僕の願望に反して、彼女は以降うちに良く来るようになった。
父さんが僕を連れて相手方の家にお邪魔したこともある。
何でも、僕と彼女は婚約者であるらしい。
正気ですか父さん、と作った泥団子を笑顔で投げつけてくる女を見て思った。
それからというもの、嫌だと言っているのに無理やり手を引かれて遊びに連れ出された。そしてその度に泣かされ続けた。なんで僕の愛読書を奪って逃げるんだ。悪魔かあの女と文句を言いたくなるが、あれで僕よりも頭がよい。
僕の部屋で勝手に本を読んでは、すぐに読破して僕より理解できるほどだ。
運動もできて頭もいいのに、何故いつも僕を泣かせに来るのだろうか。
数々の僕に対する所業を父さんに報告しても、「仲が良くていいじゃないか」といつも笑顔。父さんはもうダメみたいだ。僕が早く当主になって休ませてあげないといけない。
でも人間、怖いもので数年もすると慣れてしまう。
ティラと出会って三年ほど……八歳にもなると、そんな彼女との時間も楽しいと思えるようになっていた。
彼女に何度も外に連れ出されて、体力がついたこともあるのだろう。
でも一番の理由は、そんな彼女を僕が好きになったからだった。
自由奔放で元気が良くて、頭もいいのにやることなすこと頭がいいようには思えない少女。
だが自分にはない色々なものを持つ彼女と、婚約者としてだけではなく、一人の女の子として一緒に居たいと思った。
きっと彼女は、これからも僕にはない何かを教えてくれる。
「ねーワンダ! 次はお姉ちゃんとどこに行く?」
「僕の姉を気取るのはやめてね。それにティラが行きたいところなら、僕はどこでもついて行くよ」
「えへへー! ありがとっ」
いつもの笑顔を向けられて思わず僕は視線を本に落とした。
これだけは、まだ慣れそうにはなかった。
「っ……うん、何せ僕たちは、こ、婚約者だからね」
「お姉ちゃんでもいいよ?」
「姉気取りはやめてくれないかな?」
気恥ずかしさでゆで上がりそうになりながら言ったのだが、そんな僕の言葉を軽く流すティラにため息を吐きそうになる。
「あ、そうだ! ワンダワンダ! 確かワンダって、魔法を覚えたんだよね? すごいね! どんな魔法? 私見たい!」
「……漸く、だよ。ティラは二年前には使えてたじゃないか」
「ふっふっふ……お父様も、『宮廷魔法使いは夢じゃない!』って褒めてくれたよ! それより、ワンダの魔法だよ! ワンダの! みーたーいー!」
駄々をこねるようにティラが僕の体を揺すってくる。
わかっていたことだけど、かなり力強く揺すられているせいか少々気持ちが悪い。視界がグワングワンしてる。
「わかった、見せる。見せるから止まってよティラ」
「やった! みるみる!」
パァッ! と表情を明るくして行儀よく隣に座ったティラが、キラキラとした目を僕に向ける。
そんな中で、一度自分を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐いた僕は、魔法が使えるようになった記念に、と父さんにプレゼントされたワンドを腰から抜いた。
そして近くにあった木を狙い、ワンドの先から水の弾を撃つ。
飛んでいった水は、パシャンッ、とそれなりの音を鳴らして弾けた。
「わぁ……! すごい! ワンダすごい!」
「ま、まぁべつに、これくらいは……」
すごいすごいと立ち上がって飛び跳ねているティラの様子を見ていると、僕の方まで嬉しくなってしまう。
ティラの今の笑顔を僕の魔法で作れたのなら、それはとても嬉しいことだ。
「そうだワンダ! 私行きたいところがあるの!」
「うん、どこに行く? 一緒に行こうよ」
「森! 実はね、秘密の抜け穴があるの。そこから森まで遊びに行けるんだ!」
こっちこっち! と僕の手を引くティラだったが、その言葉に僕は思わず待ったをかけた。
森は魔物の生息域で危険な場所だ。本にもそう書いているし、父さんたちからもそれは教えられていることだった。
それを理解していないティラではないはずだ。
逆に彼女の手を引いた僕は、それは危険だからダメだよと諭した。
けど彼女はこれから行くのは森の浅瀬で危険な魔物は出ないこと、そして魔法が使える僕らであればすぐに逃げられることを理由に駄々をこねた。
めちゃくちゃこねた。
「で、でも……」
「やだー! ワンダといっしょに、だいぼうけんするの! いってくれないなら、私ワンダのこと嫌いになる!」
「っ!?!?」
それは、嫌だ。
結局、その一言で僕は折れた。
けどついて行く代わりに、万が一にでも危険を感じたらすぐに逃げるようティラに言い聞かせた。
そこが僕たちの分岐点だった。
◇
「ガァッ……!? グ、グゥゥゥ……!?」
「ワンダ! ワンダ、しっかりしてください!」
声が、聞こえる。
知っている声だ。よく知っている声だ。
ずっと聞きたいと思う声だ。
体が痛くて、暑くて、苦しくて。
頭が痛くて、割れそうになる。
僕は今、どうなっているのだろう。
何が起きているのだろう。
いや、そもそも
僕は誰なんだろう……?
この子は、誰なんだろう……?
「ア、アアァア、アアアアアァァァァァァアアアア!?!?」
「ワンダ!!」
思い出そうとするたびに体中がミシミシと悲鳴を上げ、考えることを止めたくなる。
けれども、それでも、僕はそれを思い出さなくちゃいけなかったはずだ。この子のことだけでも、思い出さなくちゃいけないはずだ。
……いけない、はずだ。
……思い、出さなくちゃいけない……ような……?
……なんで?
『それは、彼女を殺すためですよ』
……なんで?
違う、ような気がする。
いや、そうだったかもしれない。
『君が願ったことですよ? 君が彼女を、殺したいと、そう願ったからです』
また、別の声が聞こえる。
はっきりと、隣で声をかけてくれていた女の子よりも頭に響く声。
『君の望みは、彼女を自分の手で殺すこと。殺さなければ、彼女はまた自らの身を危険に晒してしまいますよ? あなたの知らないところで死んでいるかもしれませんね?』
さぁ思い出してみなさい、と声が響いたと同時に何かが脳裏をよぎった。
血を流す女の子だった。
僕の上に覆いかぶさって、何かから守った女の子の姿だった。
よく知った女の子だ。
そしてその女の子は「大丈夫?」と僕に手を差し伸べる。
誰が見ても女の子の方が重症だというのに、それでも彼女は僕へと手を伸ばして笑うのだ。
その光景を、僕は恐ろしいと感じてしまった。
きっと彼女は、また同じことをする。
誰かのために、きっと自らを傷つける。
そして彼女は、そんな生き方を変えないだろう。こうと決めたら曲がらないことを、僕は知っている。
彼女の生き方は、きっと彼女を傷つける。例え止めても、最後には自ら危険に飛び込んで、誰かを助けるだろう。
だから僕は、その手を取らなかった。
その生き方を肯定することになるような気がして、僕はその手を拒んだ。
その時に、決めたのだ。
強くなろうと。
強くなって、その生き方を否定する。
自己犠牲なんて認めない。他の誰かなんて知るものか。
例えどれだけ苦しい思いをすることになったとしても、強くなった僕がこの手で、今度こそ彼女を『守る』ために。
『ええ、期待していますよ』
姿の見えない誰かが笑ったような気がした。




