第42話:王都にて待つ者
「食事のご用意ができました、姫様」
「そう、すぐに行くわ」
侍女の言葉に淡々とした口調で反応した少女は、つい先ほどまで手にしていた本を閉じてベッドから立ち上がる。
「お父様は?」
「バンデラン子爵とお話があるそうで……」
「……わかったわ」
グレーアイル王国王都
その中心に位置する王城のとある一室。
少女、リュミネール・オ・グレーアイルは憂鬱な表情で溜息を吐く。
この顔を見るのは何度目だろうかと侍女は考えた。
「姫様、やはり陛下に直接申し上げましょう。今回の話はお受けしないほうがいいと愚考いたします」
「あら、そう? お父様が決めたことよ?」
「それでも、です。あの方とのご結婚が決まってから、姫様の明るかったお顔は曇るばかりではありませんか……!」
例え斬り捨てられることになろうとも私は……! と興奮気味の侍女。
しかしリュミネールは、そんな彼女の肩に手を置いて「落ち着きなさい、ね?」と語りかける。
「しかし……!」
「いいの。ありがとう、アネット。そこまで私のことを考えてくれることが私には嬉しいんだから」
私のことは大丈夫、とリュミネールは小さく笑った。
「姫様……でも、姫様には夢が……」
「もう、いつの話をしてるのよ。私も子供じゃないんだから」
一度振り返り、ベッドに置かれた本に視線を向けたリュミネール。
そして何かをあきらめるように深紅の目を閉じた彼女は、次には再びアネットへと笑いかけるのだ。
その笑顔が、アネットにとっては悲しかった。
「……姫様。例えこの身がどうなろうとも、私は姫様の幸せを願います。どうか、どうか私にできることがあるのなら、命じてください……!」
「アネット……」
「なら、素直に俺とリュミネールの結婚を祝うことだな」
「「っ!?」」
突如として響いた第三者の声に、リュミネールは驚き、アネットはそんなリュミネールを庇うように前に躍り出る。
そんな彼女らの様子を見て、扉の前に立っていた男は「そう警戒するなよ」とにやりと笑って見せる。
そんな男の顔を見てアネットは更に身構えた。
「無礼ですよ、バンデラン卿。ここはリュミネール様の自室です。例えあなたであっても、婚姻前の淑女の部屋に無断で入るなど許されることではありません」
「問題ないね。俺とリュミネールはもうすぐ夫婦になるんだからな」
現れたのは今王都でも話題の中心となっているシルヴァ・バンデラン。
バンデラン子爵家の嫡子であり、二体の竜種を討伐した英雄。
そしてその功績により、リュミネールの夫となる予定の相手だった。
「それでも、です。そもそも、卿は姫様に相応しいとは――」
「あ?」
「っ……!? くっ……!」
轟音と共に、彼自身の体から吹き荒れる風が部屋中の物を巻き上げていく。
魔法でもない、ただ彼の体から漏れ出た風の魔力だけでこれなのだ。実力はあるのだろう。
「ただの侍女が、この『竜殺しの魔法使い』様に意見しようってのか? 宮廷魔法使いの奥の手すら超えた俺を? いいぜ、文句があるってなら相手になってやるよ。無様に俺の風で斬り刻んで、裸で飼ってやってもい――」
「バンデラン卿。ここは私の部屋です。魔力を抑えてください」
「――あ? ……チッ、まぁ未来の妻がそう言うんだ。命拾いしたな」
その言葉と共に先ほどまでの風が嘘だったように静まった。
宙を舞っていた物がバタバタと落ちていく中、シルヴァはまるで自分の部屋であるかのように歩を進める。
そしてリュミネールとアネットの二人を横切ったシルヴァは、我が物顔でリュミネールのベッドに腰を下ろした。
「っ、無礼者! バンデラン卿、いくら何でも――」
「いいの、アネット。気にしないで」
「っ、しかし姫様……!」
「おーおー、流石は俺の妻。わかってるじゃねぇか。カカッ! 初夜にはこのベッドでたっぷり可愛がってやるからな?」
「っ……」
嫌悪感で眉を顰めたリュミネールの顔を見て、さらに笑みを深めたシルヴァ。
そんな彼はふとベッドの上に落ちていた本を手に取った。
「なんだこれ? 『勇者物語』?」
「それはっ……」
「何だリュミネール! こんな子供騙しの話が好きなのか? 助けてください勇者様~って?」
パラパラと中身を流し読む。
何度も何度も読まれているのだろう。中の紙が草臥れているそれを見たシルヴァは、「フンッ」と鼻を鳴らした。
「安心しろよリュミネール。こんないたかもわからねぇ御伽噺の存在じゃない、俺がお前を守ってやる。何せ、竜種を二体も討伐した『竜殺しの魔法使い』様がお前の夫になるんだ。カカッ! 何なら、こんな勇者なんてもんよりも俺の方が強いんだ。そんな夫を誇ってもいいんだぜ?」
大口を開けて愉快そうに笑うシルヴァ。
しかしそんな彼とは対照的に、リュミネールは冷めるような声で言い放つ。
「バンデラン卿。その本からすぐに手を放しなさい」
「……気に入らねぇな。こんな眉唾の奴の方がいいってか? あ?」
「少なくとも、物語の勇者様はあなたほど下品ではないわ」
「……」
途端に不機嫌になったシルヴァは、「はいはい」とその本をリュミネールに向かって放り投げる。
リュミネールが反応するよりも前に、その本を落とすまいとアネットが動いた。
だがしかし
アネットが受け止める直前、宙で放物線を描いていた本は風によって切り刻まれた。
思い出が、バラバラと部屋に舞い落ちていく。
「本が……」
「っ、バンデラン卿!!」
「うっせぇな、たかが本じゃねぇか」
アネットの怒声を聞き流して面倒くさそうにベッドから立ち上がったシルヴァは、部屋の外に向かって歩き出す。
そしてリュミネールの隣を横切る際に一度立ち止まると、その耳元に口を寄せた。
「一週間後の初夜、楽しみにしてるぜ? リュミネール」
シルヴァの指がリュミネールの金髪を撫でると、そう言い残して部屋を出て行った。
そして、シルヴァの不快な笑い声が外の廊下に響き渡る。
「姫様……」
「……アイシャには、今度謝っておかないとね」
アネットの腕に抱えられたバラバラの本を見て、リュミネールは小さく呟くのだった。
◇
「カカッ! 最高だ! ああ、最高だ!!」
自宅の一室でワインの入ったグラスを片手に、シルヴァは今日のことを思い返す。
「カカッ! 見たかあのリュミネールの顔を! あれは傑作だった! ああ、本当に最高だ! それもこれも、全部こいつのおかげだぁ!」
掲げた右手
その中指に嵌められたシンプルな真っ黒の指輪。
「闇市でこんなものが売っているとはなぁ……きっと俺にはこの指輪を手にする資格があったんだろう! そういう運命だったにちがいない! カカッ! 俺を馬鹿にしていた奴らをぶっ殺したときも最高だったが、それが今や英雄、『竜殺しの魔法使い』だぜ!? 宮廷魔法使いのエリート共も、今の俺にとってはただの雑魚に成り下がった!」
いつの日かふらりと訪れた裏通りの闇市場。
違法なものも含めて何でも揃うとされるその場所へと足を踏み入れたシルヴァは、とある店で異様に目を引く指輪を購入することになった。
店主曰く、その指輪は人伝に流れてきたものらしく、見た目がいいから売っていたらしい。
だがしかし、その指輪を嵌めてからシルヴァの人生は大きく変わったのだ。
何気なしに使った魔法が信じられない程強化され、岩をも斬り裂く刃と化した。
ただ体からあふれた魔力の風が竜巻を起こし、周囲の木を巻き込んで空高く舞い上げた。
強くなったのだと、そう実感した。
あり得ない程の強化を果たしたシルヴァは、かつての魔法学校時代に落ちこぼれだと馬鹿にした者たちを訪ねると、その魔法で秘密裏に斬り刻んで殺していった。
どうだみたかと、誇るように、見せつけるように、彼はその力を誇示した。
そんな息子のあり得ない程の力をみたバンデラン子爵は、落ち目であったバンデラン家を建て直すいい機会だと、彼の犯行を偽装した。
むろん、それもいつかはバレる。しかし、計画を成功させてしまえばそんな些事はどうとでもなるだろう。
そのための計画。
それこそが、竜種討伐の名誉をシルヴァが横取りし、その功績を持ってシルヴァを王女リュミネールと結婚させることであった。
討伐した本人が名乗り出なかったことから、名誉には興味が無いのだろうと判断したのだ。ならその名誉を有効活用してやろうと、先に名乗り出てしまえばこちらのものだと、二人は笑った。
有象無象の嘘つき共とは違う。
現に彼は、その証明として宮廷魔法使い達の奥の手すら圧倒して見せた。
自分こそが『竜殺しの魔法使い』であると、力を手にした彼は声を大にする。
「カカッ! 楽しみだ……リュミネールのあの肢体も、髪も、爪の先に至るまでがこの俺の物になる!! いや、リュミネールだけじゃねぇ! 世界中の女が! 俺の物だ!! この力さえあれば、それも不可能じゃねぇ!! 俺こそが最強! 俺こそが本物の『竜殺しの魔法使い』だ!! カカカカカ!!!」
窓の外に上る月の光。
その光が指輪を照らすと、その色が少しばかり深紅に染まっているのだった。




