第116話:聖女神国
「そうですか。すでに魔眼は、その力を失っていた、と」
「はい。遺体から摘出して調べてみましたが、どこにでもあるただの目でした」
「……わかりました。下がってください」
では失礼します、と頭を下げた神官が部屋を出て行く。
その背中を見送り、部屋の男……聖女神国教皇グレゴリアはため息を吐いた。
「流石に簡単な話ではありませんでしたね。持ち主本人が死ねば魔眼そのものも死ぬ。記述の通りでした」
手にした本を開き、目当ての記述があったページに目を通す。
それは一般には出回っていないとある人物の書記。
ある旅路の中でその人物が見聞きした、あらゆる内容が記された記録であった。
「桃色の瞳を持つ魔眼の一族……探し出すのにあれほど苦労したというのに結果がこれとは。その力がどのようなものであるか、それくらいは知りたかったものですが……まぁまだ一人残っているようですし、後はレオタイガに任せましょう」
己が配下に任せた魔眼の一族の生き残りの確保。
子供一人が相手とは言え、どんな魔眼を持つかわからない。だからこそ、彼が従える親衛隊の中でも腕の立つ者を任務にあたらせたのだ。
少々凶暴ではあるものの、己の任務には忠実であるが故の人選である。
そして彼は、手にしていた本を……聖女の旅の書記を閉じると、今度は懐からもう一冊の本を取り出す。
「ふーむ……勇者召喚に際して、召喚陣に組み込むものによって勇者の性質が変化する……謂わば触媒ですね。グレーアイル王国は王族の血と善人の魂、そして大量の魔力を陣に注いだことで、力を持った極めて善良たる勇者をこの世界に呼び出した」
当時の世界は世界中で魔物による大暴走が起きていた時代だ。
各国はそんな魔物の対応に追われ、しかし必死の抵抗も延命にしかならず、徐々に魔物の物量に押されて滅亡の危機に瀕していた。
そんな状況を打開するために、グレーアイル王国が開発したのが勇者召喚の召喚陣であった。
異世界から強大な力を持った者を呼び出し、魔物の大暴走の原因を解決するための儀式。
「苦肉の策だったのでしょう。善良な国民を犠牲にして呼び出さなければならない、しかも成功する保証もない一か八かの大博打。しかし彼らは成功し、そして勇者は魔物の大暴走の原因であった魔王を倒した。実に素晴らしい」
そして同時に反吐が出る。
グレゴリアはキヒッ、と口を歪めた。
「強大な力を持った勇者を有しておきながら、何故魔王の討伐で留まったのか。理解しかねますね。力があるなら使うのが基本。力は使ってこそでしょう。私なら、そのまま勇者の力を使って世界そのものを掌握したというのに」
なんてもったいないことを、とグレゴリアは深く、深く、ため息を吐いた。
そして再度、キヒッ、と不気味な笑みを浮かべる。
「だからこそ、こうして私が利用できるんですがね」
大切なものを愛でるように、優しく手にした本を撫でるグレゴリア。
「召喚陣に捧げるもので勇者が決まるのなら、私の目的に合わせた勇者を呼び出すのは容易いこと。善良過ぎれば離反される可能性もあるでしょうし、贄には重犯罪者の死刑囚でも使いましょうか。魔力は集められるだけ集めましょう。あとは魔眼があればなお良しですね。きっと、魔眼を宿した勇者が生まれるに違いない」
「失礼する、グレゴリア教皇殿!」
「……おや?」
キヒッ、キヒヒッ、と聞けば誰もが不気味に思う笑い声をあげる中、突然ノックもなく扉が開かれた。
グレゴリアがそちらを見れば、入ってきたのは輝く銀色の鎧を身に纏った一人の女騎士。
見知ったその顔を見たグレゴリアは、「これはこれは」と先ほどとは打って変わった優しい笑みを浮かべた。
「どうされましたか、聖女親衛隊序列10位、ローゼリアン・シルダ」
「その名ばかりの役職名で呼ばないでいただきたい。私の剣は教皇殿ではなく、聖女様に捧げている」
名を呼ばれた女騎士――ローゼリアンが不機嫌そうに眉を顰めると、グレゴリアは「そう言われましてもねぇ」と困ったように笑って見せる。
「あなたが聖女様の護衛を担い、そしてその役に付いていることは事実ですから。それで? 普段は聖女様の傍を片時も離れないはずのあなたがどうしてここへ?」
「とぼける気か、教皇殿。あなたがどのような行いをしているか、私達が……聖女様が気付かないと思ったか……!」
声を荒げるローゼリアン。しかしグレゴリアは、それでもわからないと言った様子で首を傾げてみせる。
そんな様子を見て、ローゼリアンの声は怒声へと変貌する。
「知らないというつもりか!? あなたの手の者が、他国からも無辜の民を攫っていると調べはついているんだぞ……! それも魔力持ちばかりをだ! 言え、教皇殿! あなたは何を企んでいる……!!」
「おお、怖い怖い。そんなに声を荒げないでください。そのような剣幕で来られてしまうと、弱い私は恐ろしくて涙が出そうになってしまいますよ?」
「っ……あ、あなたは……! それでもこの国の教皇なのか!? 遍く全ての人々に癒しをもたらす、この聖女神国の教皇が! どうして人を攫うような真似ができる!?」
「どうして、などと言われましてもねぇ? これは世界を救済するために必要なことなのですよ、聖女親衛隊序列10位、ローゼリアン・シルダ。キヒッ……ご安心なさい。あなたが慕う聖女様にも、ちゃんとその一助になってもらいますからねぇ?」
嫌がらせのつもりか、再度同じようにローゼリアンを呼ぶグレゴリア。
そんな彼の態度に声を震わせたローゼリアンは、いよいよもって腰の剣を抜き放とうと柄を握った。
「そこまでだ、ローゼリアン」
「っ……! ギリウス殿……!」
にこやかな笑みを浮かべるグレゴリアに向けて振るわれた、『聖鎧』で強化された神速の抜剣。
どんな強者であっても、初見での見切りが難しいほど洗練された刃はしかし、両者の間に現れた男によって容易く受け止められてしまった。
「……退いてくれ、ギリウス殿!」
「それはできない。俺には、グレゴリア様を守る義務がある」
「聖女親衛隊は、聖女様をお守りするのが任務だろう!? なぜこのような男を守る……!」
ギリリとローゼリアンが握る剣に力が入るが、それでも刃はグレゴリアに届かない。
だがしかし、ローゼリアンがいくら力を入れようとも彼の刀は微動だにしない。
「……なんであれ、今ここでグレゴリア様への狼藉を許すわけにはいかない。この方は、この国の教皇なのだ」
「無理矢理のし上がった地位だろう!? それに教皇殿は、無辜の民を……!」
「それでも、だ。俺はこの方の剣であり盾でもある。お前が剣を抜くというのであれば、こちらも抜かなければならない」
「庇うというのか!? この男を……!」
「……」
無言と共にローゼリアンの剣が斬り払われる。
それが彼の答えなのだと、ローゼリアンはギリリと歯噛みした。
「いやはや、流石は聖女親衛隊序列1位、そして私が最も信頼する剣。助かりましたよ」
そしてギリウスの背後からゆっくりとした歩みで出てきたグレゴリアは、悔しそうな表情を浮かべるローゼリアンに向けてにっこりと笑みを向けた。
「聖女親衛隊第10位、ローゼリアン・シルダ。先ほどの私に対する無礼は不問にしてあげましょう。ただ……あまり深入りはしない方がいいですよ? あなたが敬愛する聖女様のためにも……ね?」
「……失礼する」
剣を鞘に戻し、歯を食いしばりながら頭を下げたローゼリアン。
そんな彼女が退室したのを見て、グレゴリアはやれやれと肩を竦めてため息を吐く。
「やれやれ……国の象徴でしかない小娘にも、その子守にも困ったものですね。大人しく私の言うことを聞いていていればよいというのに……」
そう思うでしょう? とグレゴリアは剣を鞘に納めたギリウスに問う。
彼はその言葉に対し、何も答えずただ一礼を返すのだった。




