第110話:少女の名は
『ピューリス! あなたはここからすぐ逃げなさい。ここの家は床下から外に逃げられるよになっているわ。急いで!』
『ま、待ってほしいのだわ!? おか、お母さんはどうするのだわ……!?』
『大丈夫よ、お母さんこれでも強いんだから! それにお父さんが言ってたのよ。あなたがここから逃げれば、最後には二人で助かるって!』
力こぶを作って威勢よく笑って見せた母親は、だから行って、と少女の肩を優しく叩く。
その言葉に頷いた少女は、床の扉をくぐる前に母を力いっぱい抱きしめた。
『本当は離れたくないのだわ……けど、お父さんがそう言ったのなら、わたしも信じるのだわ』
『大丈夫。お父さんは嘘を言わないって、お母さんが一番よく知ってるんだから』
包み込むように少女を抱きしめ返した母親であったが、外から響く怒声を耳にして少女を離した。
そして少女は母親の言う通り床下へ飛び降りる。
そんな彼女の背に向けて、最後には母親は言葉を投げかけた。
『ピューリス。あなたならきっと……いえ、絶対に大丈夫。お父さんを信じて』
少女が返事を返す前に、扉が締められる。
その直後、頭上の家に複数人の男たちが押し入ってくるのが隙間から見えた。
そして少女は、その中で一際体の大きな男を目にして……
『っ……!?』
一目散に、音をたてないように急いで逃げた。
逃げて逃げて、言われたとおりに逃げて、そして小さな路地裏へと身を隠して何日かを過ごした彼女だったが、小さな体は精神的な疲労と空腹には耐えられなかった。
ふらふらと何か食べるものを探そうと路地裏を離れようと歩き出した、その直後に頭上から袋を被せられることになる。
だが結果、彼女は救われた。
そして開けた視界で彼女が眼にしたそれは、天を突くほどの巨大な力なのだった。
◇
「……ん……ぁれ……ここ、どこ……なのだわ……?」
朝
窓から差し込む陽の光にうっすらと目を開いた少女は、周りの景色を見て小さく呟いた。
見たことのない部屋の中ベッドからゆっくりと起き上がった少女は、何故こんなところにいるのか思い出そうとする。
がしかし、ズキズキと痛む額を思わず手で抑えたところで、思い出した。
「そう、なのだわ。確か、頭を打って……それから……」
不意に男の顔を思い出した。
「っ!? まさか、誘拐されたのだわ……!?」
あり得ない話ではない。
一度助けられたことは事実であれど、それは自身を油断させるために仕組まれた罠だったのではないか。
助けてもらったからこの人は安全だと、そう思わせるための作戦。
だとすれば、ここは自分を誘拐した者たちのアジトで間違いないだろう。
「た、大変なのだわ……! すぐにここから逃げないと……!」
急いでベッドから飛び出ようとする少女だったが、再度痛む額に顔を顰めて動きを止める。
きっとこれも、あの嘘つきの剣士によって負わされたものなのだろう。いくら誘拐犯とは言えども、子供の顔に気絶するほどの一撃を食らわせるとは何事か。
「つぁ~……! やっぱり、嘘つきはダメ! ちょっとでも頼ろうとしたわたしがおバカさんだったのだわ! 誰もいないうちに、こんなところから逃げ――」
カタン、と扉の向こう側から音がした。
「っ――!?」
その瞬間、少女は己の手で口をふさぐ。
それと同時にしまったと己の行動を悔いていた。
これからこの場所から逃げようというのに、一人で騒ぎ過ぎた。もしこの扉一枚を隔てた向こう側にあの男がいたのであれば、さっきの声が聞こえていても当然のことである。
「(どうするのだわ……! い、今からでも寝たふりを……で、でもでも、目が覚めたことがバレてるなら、それも意味がないのだわ……!)」
どうするどうすると思考を巡らせる少女だが、いくら考えたところで案が思い浮かばない。
痛む額とこんがらがる思考によって、目を回しそうになる少女。
しかし時は少女を待つつもりなどなく。
やがて静かに、その扉が開かれた。
そして扉の向こう側から顔を覗かせた自身よりも幼い自分の顔を見て、少女は――ピューリスは思わず目を見開いてしまう。
バチリと、赤色と桃色の視線が合わさった。
「あー! おきてる! じいじ! ばあば! あのこ、おきたよー!」
そんなことを叫んで扉の向こう側へと駆けて行った少女を見て、ピューリスはただ呆然とする他なかった。
彼女の誤解をマーサが解くまで、残り数分。
◇
「おはようございます、マーサさん」
起床して朝飯を済ませた俺は、ギルドに寄る前にリップちゃんの家を訪ねた。
昨夜預けた少女がどうなったのか、その確認のためである。
一夜明けて目を覚ましていればいいのだが、と扉の前で待っているとギィッ、という音をたてて扉が開いた。
そして開いた扉の隙間から電球が差し出された。
「来たか小僧」
朝日に照らされたゴーザさんだった。
「はい。おはようございます、ゴーザさん。その後の様子は如何でしょうか?」
「うむ。今日もワシの孫は可愛い」
「そうじゃねぇよ」
「全部本気だ。……昨日の子供なら、朝に目が覚めた。今はマーサが世話をしている」
思わず出た言葉に一瞬しまったと思ったが、ゴーザさんはそこまで気にして……いやマジだったわ。
それはさておき、そして少女が目を覚ましたことを聞いてとりあえずホッと息を吐いて安堵する。
「よかった……後遺症などは? 記憶がなかったりとか、頭を打って気分が悪そうとか……」
「落ち着け小僧。今のところその様子はない。記憶喪失ということもなく、おでこにたんこぶがあるくらいだ」
とりあえず上がっていけ、とゴーザさんに招かれる形で家に入れば、俺の姿を見たリップちゃんがこちらへと駆けてきた。
そして俺の足にしがみ付くと、ニコリと笑って俺を見上げる。
「おはよー! おにーさん!」
「おはよう、リップちゃん。今日も元気だね」
「うん! あさはね、ばあばがおいしいごはんつくってくれたの!」
嬉しそうに教えてくれるリップちゃんの頭を「よかったねぇ」と言いながら撫でる。
「……ずいぶんと楽しそうだな、小僧」
「ハッ……!?」
足元で猫のように目を細めているリップちゃんに癒されていると、背後からの声によって引き戻される。
見れば、目を見開いて真顔のゴーザさんがそこにいた。
心なしか、頭頂部の光に陰りがあるようにも見える。
「……さ、さてリップちゃん。昨日の子とは何か話せた?」
背後の修羅を誤魔化そうと話題を変え、昨日ここに連れてきた少女のことをリップちゃんに尋ねてみる。
するとリップちゃんは「あのねあのね!」とピョンピョンと飛び跳ねながら俺のローブを引っ張った。
「リップとそっくりなこね、ピューリスちゃんっていうんだって!」
リップちゃんのその言葉に「そうかそうか」と彼女の両手を取った俺は、飛び跳ねているリップちゃんがより高く跳べるよう補助をしながら考える。
俺だけではその名前を聞くことすらできなかったんだ。このままマーサさん達に任せていた方がコミュニケーションは円滑に進むだろう。
何せ嘘つき呼ばわりされた挙句、ピューリスちゃんとやらには逃亡を図られたのだ。顔を見せない方がいいのかもしれない。
「あはは! たかいたかーい!」
「…………」
「……ハッ!?」
高く跳び上がって喜ぶリップちゃんに、その役目はワシのだと言わんばかりに俺を見るゴーザさん。そして無意識にお兄さんムーブをしていた俺である。
三者三様。うち一人は他二人の心境など知る由もなく、ただただ楽しそうに飛び跳ねる。
「あら、トーリさん。来てたのね」
「っ! どうも、マーサさん。お邪魔しております」
そんな折、奥の部屋からマーサさんが現れた。
これ幸いとリップちゃんを降ろしてあいさつを交わした俺は、「それで彼女は?」とピューリスちゃんとやらの様子をマーサさんに尋ねた。
「汚れも落としていっぱい寝てたから、今はもう落ち着いてるわ。最初はちょっと取り乱しちゃったみたいだけど、もう問題ないし、トーリさんのことについても誤解が解けたわよ」
「俺の……誤解?」
「誘拐犯だと思われてたみたいだったからねぇ」
その言葉に、ああ、と納得する。
気絶して目が覚めたら知らない場所にいるのだ。起きてすぐならそう考えても仕方がないことだろう。
「おでこも今冷やしてるところよ。ただあなたの話だと、思い切り打ち付けたみたいだし……もう少しの間は安静にしてた方がいいかもねぇ」
「わかりました、ありがとうございます。それで彼女について、名前以外には何かわかりましたか?」
その言葉に、マーサさんは首を横に振った。
「名前以外だと、最近この街に来たばかりってことくらいよ。他は話してくれなくて……せめて、親御さんの名前だけでもわかればいいのだけどねぇ……」
「最近来たばかり……そうなると、街の人たちへの聞き込みも難しそうですね」
「そうなるわ。困ったわね……」
どうしたものかと頭を悩ませる俺とマーサさんが黙り込む中、背後で孫と遊んで上機嫌なゴーザさんの声だけが家に響いた。
そして「こんなときにあんたは!」とマーサさんに沈められたゴーザさんを放置し、俺とマーサさん。そしてリップちゃんの三人で席に座って案を出す。
「とりあえず俺はこの後ギルドへ行く予定なので、人探しの依頼が出ていないかどうかを確認してみます」
「そうねぇ……私もお友達に聞いてみるわ。いくら最近街に来たばかりとは言っても、まったく見ていないなんてことはないだろうし……」
「お願いします」
「リップも! リップもなにかする!」
はいはい! と自ら手を上げて主張するリップちゃんの姿に、俺とマーサさんはほっこりしながら「それじゃあ」とお願いをすることにした。
「リップちゃんはあの子とお話してあげてくれないかな?」
「おはなし?」
「うん。ピューリスちゃんはきっと今、一人で怖いだろうし、不安だと思うんだ。だからリップちゃんが話しかけてあげてほしいな」
もちろんリップちゃんが相手であれば何かしら口が緩くなるのではないか、何て打算もある。
しかし知らない場所で一人という状況は、心的負荷も高いはずだ。彼女よりも小さいリップちゃんが相手であれば、多少はその負荷も軽減できるかもしれない。
「頼めるかな?」
「わかった! リップ、おはなしがんばる!」
「よし、いい子だぞぉ~」
頭をわしゃわしゃと撫でてやれば、上機嫌にキャー! と声をあげるリップちゃん。
そんな俺たちの様子を微笑ましく眺めたマーサさんは「本当の兄妹みたいだねぇ」と笑った。
「ばあばちがうよ! リップはおにーさんのおよめさんになるの!」
「あらまぁ……!」
「なっ!? なにぃぃ!? そ、そんなのじいじは許さな――ぶげらっ!?」
背後でゴーザさんが起き上がったと思ったのだが、直後にマーサさんから放たれた何かが俺を横切り、カコーンッ、という音を響かせておじいさんが再度沈んだ。
チラと見ればゴーザさんの顔のすぐそばにボタンが落ちていた。
「ふふ……狙いは外さないの」
「そ、そっすか……」
「ふおぉぉ……! ばあば! リップも! リップもそれやる!」
「あら、じゃあ今度練習しましょうね?」
うん! と嬉しそうに頷くリップちゃんを見て、将来のガンマンに余っているボタン差し出すマーサさん。
聞けばマーサさんは服飾関係の仕事をしていたらしく、今でもお手伝いとして働きに出ることがあるそうだ。
ちなみに、ゴーザさんは大工らしい。
「それじゃ、俺はこの辺で。また依頼を終えたら訪ねます」
「わかったわ」
「おにーさんいってらっしゃーい!」
「うん、ありがとう。マーサさんも、彼女のことは頼みます」
荷物を持って家を出ると、見送りにマーサさんとリップちゃんが出てきてくれた。
そして二人に挨拶を交わしていると、その二人の奥の扉が少しだけ開いた。
見れば昨夜見た桃色の瞳がこちらを見ている。
「またね」
「っ……」
此方の声が聞こえたのかはわからない。
しかし彼女に向けて手を振れば、途端に部屋の奥へと引き下がってしまった。どうやらまだ俺とのコミュニケーションは難しいのかもしれない。
難儀なものだと苦笑し、そのままギルドへと向かうのだった。




