第3話.あたいと殿方のトライアングルレッスン
「ゆいこ……どうかしたか?」
たくみの腕に抱かれたわたしの目からは、知らぬ間に涙がこぼれていた。
花魁たるもの、まことの涙など流してはならないというのに。
「ちょいと、目にほこりが入っただけでありんす」
たくみは、わたしの涙をそっとぬぐった。
そして、わたしをまっすぐに見つめる。
「殿方にそんな目で見つめられたら、あたいの心が揺らいでしまうでありんしょう」
わたしは、笑みを浮かべ、たくみに言った。
「あたいに、身請けしたいという申し出がありんしてなぁ」
「な、なんだって!?」
「もうじき、こちらとも、おさらばでありんす」
「そんな……、嘘だ!!」
「まことでありんす。殿方とも、今夜が最初で最後かもしりんせん」
「ゆいこ……」
「あたいはやっと、この籠の鳥から解放されるのでありんすよ」
「ゆいこは、それでいいのか?」
「その方は、殿方と違って財力のあるお方、あたいはどうやら、玉の輿でありんす」
わたしは鼻で笑って見せた。
突き放さなければ、たくみを、すぐにでも突き放さなければ……!!
本当はお金などいらない。愛が欲しい。
そんなこと言えるわけがなかった。
× × ×
「おい、ひろし! お前、聞いてんのか?」
「聞いてるよ!」
「だったら、なんでさっきから冷静な顔してんだよ!」
「あのなぁ、身請けの話が出た以上、これは俺達がどうにかできる問題じゃないだろ!」
「ここで諦めるのかよ!!」
「たくみも落ち着け! ゆいこにとって何が幸せなのか考えてやれよ!」
「わけ分かんない野郎に請け出されて、ゆいこが幸せだっていうのか? 本当にそう思うのか?」
「少なくとも、俺達よりは金がある。一生困ることはないだろう」
「ゆいこは、お金なんて求めてない! 俺の前で涙を流したんだぞ? なぁ、どうにかできないのか?」
「ああ、もう! 手立てがないわけじゃない。でも、そいつは覚悟が必要だ」
× × ×
「ゆいこ、迎えに来たよ」
その日、わたしの前には、二人の殿方が立っていた。
「ひろし……! たくみ……!」
わたしは、着ていた着物を脱ぎ捨て、結っていた髪をほどいた。
二人が用意した男物の羽織を身にまとい、ペラペラのわらじに足を通す。
ひろしとたくみが、それぞれ、わたしの手を握る。
「行くよ!」
わたし達は、一目散に走り出した。
華やかで色に満ちた遊郭を、わたしは飛び出した……。
そう、それは身請け前の脱走だった。
世話になったおやじ様の顔も潰し、何もかもを捨てて。
やっと、わたしは解放された……。
体の力が抜け、顔がほころんだ。
「やっと笑った。ゆいこは、その笑顔の方がいい」
「へっ……」
「ゆいこには、本当に笑っていてほしいから」
どうやら、たくみには、わたしの作り笑顔も初めから見抜かれていたようだ。
「かないませんなぁ」
「言っとくけど、この馬鹿げた脱走計画は、俺の提案だからな?」
「ひろしの?」
「たくみが、どうしてもゆいこの身請けを阻止したいって泣きついてきたからな」
「はっ? 泣きついてなんてないだろ! だいたいお前は、ゆいこが身請けされても構わない様子だったじゃないか!」
あたいの横で、二人の殿方が何やら言い合いをしている。
実に滑稽な光景でありんす。
そう、あたいを迎えに来てくれる殿方は、いつもこの二人と決まっている。
なんだか江戸の町に、トライアングルの音色が響き渡った気がした。
おしまい
ご覧頂き、ありがとうございました!
これからも、またいつかのトライアングルレッスンのために妄想しておきたいと思います!!(°▽°)