43 またね
「我らは、一〇〇幾年前に人間の勇者と名乗るものたちの襲撃を受けた!例え二〇〇年経とうが、愛する家族や同胞を殺されたものたちの無念が、晴れると言うことはないだろう!」
王の声が、闘技場に響き渡っていた。
観客席には、殆ど全ての国民がいた。
王の号令があったことも勿論だが、オーク襲撃のせいで中心街に住んでいなかったものたちは帰る家がなくなってしまい、ここに残っていたことも大いに関係しているだろう。
そうでなければ、戦いがあるわけでもないこの王の演説に国中の獣人が集まることはなかったかもしれない。
いや、少し前の出来事を考えればそうではないかもしれないが。
「しかしだ、一〇〇年よりもっと前には、我らと人間は手を取り合って生きていた。憎しみあうことも、殺しあうこともなかった」
万に近い数の獣人が集まっているというのに、王の声以外には物音一つ聞こえなかった。
皆が王の言葉に聞き入っていた。何か非常に重大な決断を王がすると感じ取っているのかもしれない。
「元をたどれば、我らは知恵ある数十の獣と人間の子供だ。人間がいなければ、我らは存在することもなかった」
王の声は、静かだった。
もしここにいる全員が、よく耳を澄ませて一言一句もらさぬように聞き取ろうと考えていなかったならば、聞こえないような声だった。
「その人間を、たった数人の愚か者の所為で我らは一〇〇年もの間憎み続けなければならなかった。恨み続けなければならなくなった」
王の声には、悲しみの感情がこもっていた。
それと同時に、怒りや憎しみも、こもっていた。なくなりはしなかった。
「だが、我らは此度、一人の人間に救われた!彼女がいなくとも、国が滅びたとは思わん。我らはみな勇敢な戦士だ、オーク共が束になろうとも負けはしない。だが、もし彼女がいなければ、少なくない数の同胞が傷つき倒れただろう。再び癒えぬ傷を獣人は負うことになっただろう」
王の声は大きくなり、熱がこもっている。
獣人たちは、さらに熱心に王の声に聞き入る。
「人間を憎むようになったのが数人の人間の所為ならば、人間を許す理由を、一人の人間に求めても構わないのではないか?」
国民たちは、無言で以って肯定の意を示した。
彼らは、一〇〇幾年前からこれまで、人間との交流を断ってきた。
故に憎しみや怒り、恐れを含んで人間の虚像は際限なく膨れ上がった。
そんなとき、ロリンが現れた。
決闘で王を下し、オークを蹴散らし、強靭な化け物を呼び出し消し去った。
正に獣人たちが恐怖する人間の勇者像だった。
しかし、蓋を開けてみれば中身はただの子供だった。
かつて侵攻して来た勇者のように、絶大な力を持ってはいる。
だが、オークの処分を通じて見えたその精神性は、見た目相応のただの小さな子供だったのだ。
それを知った獣人たちは、こんなものを恐れ憎しみ、警戒してきたのかと拍子抜けするのと同時に、自分たちがそれに守られたのだと言う事実を深く再認識した。
そして、勇者といえどただの個人だという当たり前のことに気づいたのだ。
人間だから悪でも、勇者だから邪でもない。
ただ、一〇〇年前の勇者たちが、邪悪だっただけなのだ。
もちろん、ロリンが特殊と言う可能性もある。
人間全体を見れば、一〇〇年前の勇者に近い精神性を持っているものが多数派ということも考えられる。
だが、もう彼らには人間だからと憎むことは出来なかった。
王は国民たち全員を見渡し、誰も異存がないことを確認し、続けた。
「勿論、一〇〇年前のあの出来事を許すと言っているのではない。あの勇者たちの犯した罪は、忘れてはならん。許すと言うのは、人間という種を憎むことをやめるということだ。そして、人間を許すならば勿論」
一度溜め、隠れ里のあるほうを見てから、王は言った。
「臣民等級制度も廃止するべきだろう」
そしてその日、獣人の国から差別は消えた。
人間であるならば、制度がなくなったからといって感情が直ぐについていくことはないだろう。
ロリンの元いた世界で奴隷解放が行われても黒人差別が残ったように。
だが、ロリン曰く脳筋の獣人たちは、さっぱりと謝罪し、手をとり、水に流した。
ユームのように個人的な恨みが残るものは勿論いる。
だが、全体の感情は驚くほどあっさりと正常化した。
こんなんでいいのかとロリンが里の住人たちに詰め寄るほどに、すっきりきっぱり仲直りしたのだ。
ロリンは王の言葉を思い出した。獣人は馬鹿だ、と。
隠れ里はなくなった。
王が直接訪れ謝罪と説明を行い、国に対するわだかまりもなくなり、最早存在する意味がなくなったのだから当然と言えば当然かもしれないが。
しかし隠れ里の住人たちは離れ離れになったわけではなく、中心街近くに新しく里を作って共に暮らすことになったのだ。
だが、例外もいた。
ユームとシャロである。
二人はユームがもともと住んでいた道場に戻った。
その時ユームとクーガが一戦試合を行い、これまでのわだかまりを解消した。
倒れたユームが差し出されたクーガの手をとり立ち上がり、何の含みもない笑顔を浮かべながら抱擁を交わしたところを見て、やっぱり脳筋だ、とロリンはこぼした。
シャロは道場に住むことになったが、門下生にはならなかった。
やはり獣の血が薄いのが原因なのか、戦いを好きにはなれなかったのだ。
それを知った王は、将来優秀な文官になると考えたようで、ユーム伝いに勧誘を行っている。
肝心のシャロは薬師などの治癒職になりたいとロリンに言っていたが。
臣民等級制度がなくなったことによる労働力の問題は、豚太郎たちオーク軍団とアークトスでなんとかなっている。
もとより考えられていた吸血鬼オークだけでなくアークトスが参戦している理由は、ロリンがシャロの母親のことを許せていないからである。
ユームも許してはいないが、罰を与える気がないようだったので、ロリンがアークトスに命令したのだ。
十傑はクーガやユーム、フォウを除いて普段は職なしなので、進んで立候補したアークトスを王も笑って許可した。
アークトスは笑いながら肥溜めに飛び込んだ。
王やクーガが懸念していた、十傑と王の求心力の低下による国の崩壊は、起こらなかった。
相手がロリンなら仕方ない、と国民全員が考えたからである。
一つの大きな問題が解決し、新たな日常を緩やかに歩き出した獣人たちの国で、ロリンもここ数日だらりと過ごしていた。
シャロと遊びアークトスで遊び偶に道場の門下生たる忍者たちに試合を挑まれ、と悠々自適な生活を行っていた。
そんなある日のことである。
ロリンとシャロ、それに豚太郎は、三人で中心街をぶらぶらしていた。
豚太郎たち吸血鬼オークは、最初はその姿から警戒されたものの、やはりというかなんというか数日であっさりと馴染んだ。
いまではこのように街中を堂々と歩いていても気にするものはいない。
どちらかと言えば問題なのはロリンのほうである。
「たのもう!」
「たのもー!」
「また来たか…」
ロリンがうんざりといった様子で声がしたほうに顔を向けると、そこには予想通り小さな子供の獣人数人が木刀を持って立っていた。
ロリンは有名人になった。
その力も知れ渡っている。
だが、子供たちにとってはロリンの姿が同じ子供なので、勝てると考えているかは知らないがもし倒せたら次の王になれるのでは、とよく挑まれるのだ。
いつかユームは言った。
獣人に子供だからと言って侮るものはいない、と。
だが当の子供は例外であるようだった。
最初は子供たちと戯れられると乗り気のロリンだったが、子供とはいえ本気で向かってくる獣人相手に、怪我をさせないように負けを認めさせるのはひやひやもので精神的にきてしまうので、今ではできればこないでほしいと思うようになっていた。
「あーじゃあ広いとこ行こうねー」
獣人の子供たちを笛吹きのごとくわらわらと引き連れて近くの訓練場に向かうロリンの姿は、一種の名物と化していた。
ロリンは非常に面倒くさそうだが、子供たちの目は輝いている。
プロ野球選手とキャッチボール、に近い感覚なのかもしれない。
向かう途中で更に引き連れる数を増やしてから、ぞろぞろと訓練場にロリンたちは入っていった。
その様子を、シャロは豚太郎の影から寂しそうに見ていた。
「…中に入りますか?」
「…ううん、ここで待ってる」
豚太郎はシャロに気づかれないように、一つため息をついた。
その夜、豚太郎は意を決して自らの主に訊ねた。
「我が主様、お訊ねしたいことがございます」
「…うん、こっち来て」
後は寝るだけ、という状態だったロリンは、豚太郎を自分用に用意された寝室に招いた。
特に飾り気のないその部屋で、二人は机を挟んで座って向かい合った。
まず口を開いたのは、ロリンだった。
「わたし、明日国を出ようと思ってる」
「それは…突然ですな」
豚太郎は自分が聞こうと思っていたことも忘れて、驚いた。
ロリンは淡々と理由を説明した。
「まず大星…はぐれた仲間たちが流石にそろそろ心配だから、西にある人間の国に行ってみようと思ってる」
すでにロリンからゲームのことを除いて説明を受けていた豚太郎は、納得した。
「それに、シャロのことがね…」
寂しげに言ったロリンの言葉は、豚太郎が聞きたかったことでもあった。
シャロは、ロリンと豚太郎以外に友人を持とうとしなかった。
自分に自信のないシャロは、二人友達がいると言う現状に満足し、停滞していた。
しかしそれではいけないのだ。
ロリンと豚太郎は、同年代ではない。
豚太郎は勿論だが、ロリンも中身は高校生なのだ。
それゆえに、喧嘩もしなければ、シャロを悲しませるような行動も極力とらないようにできる。出来てしまうのだ。
シャロは五歳だ。そして、つい最近まで友人はいなかった。
この時期に同年代と関わりを持たずにいた場合にシャロの精神の成長に及ぼす影響について、ロリンと豚太郎は考えずにいられなかったのだ。
傷つかずに、やさしいゆりかごのような環境で生きてほしいと願うのは、エゴに他ならない。
悲しい思いをしなければ、悔しい思いをしなければ、得られないものもあるのだ。
そして、ロリンはきっと、その時直ぐに手を差し伸べてしまうだろう。
だが、それではいけないのだ。
「わたしは国を出る。シャロが大好きだから。いつか、分かってくれるかな」
ロリンは、泣きそうだった。
ロリンも本当は分かれたくはないが、大星たちのことも本当に心配であるし、シャロのことも心配だったのだ。
オークの襲撃を含む国の色々をしているときは忘れてしまっていたが、大星たちがもしあのオークたちに巻き込まれていたらと考えると、ロリンは気が気ではなかった。
両方とも大切な友人だが、どちらを優先するかは明白であった。
片方はただ自分が共にいたいから。もう片方は命に関わる可能性があるから。
豚太郎は少し悩み、言った。
「シャロは賢い子ですから。それに、この豚太郎がおります。四六時中は無理ですが、離れいていても簡単に言葉をやり取りできるではないですか」
豚太郎は、自らの主が自分を連れて行かないことは分かっていた。
仕事の問題もあるし、足手まといでもある。
「そう、だね」
ロリンはそれだけ言って、ベッドに横になった。
豚太郎は無言で部屋を出た。
翌日日が昇る前、ロリンはシャロの部屋に忍び込んだ。
そっとシャロをゆすって起こし、寝ぼけ眼のシャロに
「大好きだよ、またね」
とだけ言って額に軽く口付けし、部屋を出た。
「ロリンおねえちゃん?」
その日ロリンは国を出た。
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