30 決着
決闘が始まったとき中天に座していた太陽は、あまりその位置を動かしてはいなかった。
戦う二人にとっても、見守る者たちにとっても、それは驚くべきことだっただろう。
濃い時間というものは、実際の時間よりも長く感じられるものなのだ。
だが、実際には太陽はほぼ真上。始まりのときからほとんど変わらぬ位置におり、その猛威をまだまだ振るっている。
そんな太陽によって地に濃く黒く写されたロリンの影は、その主をまね続けるのをやめ、動き出していた。
それは水面のように、などと形容できる動きではなく、もっと艶かしく不気味で気持ち悪い動きだった。
生命を得たように蠢いていた、と表現するのが、この場合は最も正しかった。
そしてロリンの影は、王や観客たちが感じたよりもずっと早く、その変化の全容を見せ付けた。
それは翼を持ち夕闇を飛ぶ不吉の象徴。
蝙蝠だった。
普通の蝙蝠と違う点を挙げるならば、その色。
黒い、などというものではない。まさに影から切り抜いたように、凹凸を判別できないほどの漆黒。
普通の蝙蝠と同じ点を挙げるならば、その数。
住処とする洞窟から一斉に飛び出してきたかのように、空をその色に染め上げられるような圧倒的な群れ。
そんな蝙蝠の軍勢が、ロリンの影から現れた。
質は分からない。
だが、完全に数の優位は逆転した。
まずそれが蝙蝠だと最初に判別できたのは、観客の一人だった。
遠くから見ているからこそ分かったのだ。それが生き物であり、自分の知識にあるものだと。
ロリンと間近で相対する王には、すぐには分からなかった。
王からしてみれば、漆黒の波が襲い掛かってきたようにしか見えなかったのだ。
「おおおおおおおおおおお!!!?!?」
驚愕の声を上げながらも、王はその黒に向かって技能を放った。
近づかれる前に消そうと使ったそれは、拳から衝撃波を放つもの。
王の右拳から生じた不可視の一撃は、確かに蝙蝠の波を削った。
壁のように近づいてくるそれの一部を貫き、何匹もの蝙蝠を文字通り消した。
だが、それだけ。
漆黒の大波は容易く王を飲み込んだ。
王から生み出された三匹の獣たちは、ひたすら暴れた。
腕を、頭を、尻尾を、爪を、角を振るい、黒に呑まれながらも襲い来る蝙蝠たちを蹴散らしていった。
獣たちの毛皮は厚く、いくら漆黒の蝙蝠たちが突撃しても噛み付いても傷一つつけられなかった。
だが、それでも衝撃は通る。
影から生まれたはずなのにきちんと質量を持っている蝙蝠たちの衝突は、少しずつ、少しずつ三匹の体力を削っていった。
猛獣たちも、蝙蝠たちを確実に減らしていっている。
しかし襲い掛かる蝙蝠の数は一向に減る様子が見えなかった。
数の暴力。
まさにそれが闘技場で行われていた。
人間の体になろうとも、王は王である。
実はロリンの一撃を何度も弾いた毛皮の異常な硬さは、技能によるところも大きかった。
獣拳王という彼の職業は、戦士系統の中でも素手で戦う職業の上位職である。
そう、素手で戦う職業なのだ。
この世界の戦いというのは、試合ではない。
ルールに守られた技術と心と体の比べ合いではない。
魔獣や敵対する生物との文字通りの命の取り合いなのだ。
負ければ全て終わりのこの世界で、素手の戦闘職というのは、なんと頼りなく見えることだろうか。
なぜ人間が武器を持って戦うようになったかといえば、素手では獣に歯が立たなかったからだ。
勿論、素手の戦闘も極めれば熊だって殺せる。
だが、銃を使えばもっと安全に熊は狩れるのだ。
この世界に銃が存在しているかはさておき、武器というものは鋭い爪や牙を持たぬ人間が、それに対抗するために手に入れた知恵の産物なのである。
確かに獣人には爪や牙を持つものもいる。
だが、十傑たちを見れば分かるようにそれでも武器を使ったほうが強いのだ。
しかし、素手の戦闘職は存在している。
それは何故か。
それは勿論、この世界の素手は武器に劣らないからだ。
正確には、素手の戦闘職を鍛えることによって得られる技能が、己の体を武器に劣らぬ、むしろ勝るようにするからだ。
人間の素手の戦闘職がそうである。
人の柔肌を刃を弾くほどに変えるのだ。
なら元から強固な獣人の、それも王がそれを極めたなら。
結果はご存知のとおり、オークの首を一撃で落とすロリンの攻撃で傷一つつかぬようになるのだ。
今、王は人間の体である。
しかし職業は獣拳王のままである。
すなわち技能はそのまま残っているのだ。
今でも王の体は、並みの刃など通さず、むしろ欠けさせるほどの硬さを持っている。
王は三匹の獣たちのように毛皮はなかったが、それでも蝙蝠程度には傷一つつけられなかった。
確かにぶつかれば衝撃は受けるが、獣と違い王は手も足ももっと自在に扱えた。
「ふっ!はっ!やっ!」
襲い来る蝙蝠の壁を、頭や股間などの急所に当たるものは出来るだけ蹴散らし、碌なダメージを受けずに耐え切っていた。
無茶をして負った腕の負傷も、原初の型という更なる無茶で回復し、王は今無傷といっても過言ではなかった。
黒い波に飲まれ、観客たちは声からしか王の無事を確認できないような状態に合っても、王は健在だった。
数の暴力、それは非常に有効な力である。
しかし、この世界には一騎当千の猛者がいる。
ロリンのもといた世界では、敵兵の数が一〇倍の平地での戦いで勝つのは不可能に近かったが、この世界にはそれを可能にするものがいるのである。
数か、質か。
永遠の疑問ともいえるそれは、今回は質に軍配が上がった。
そう、質に。
王がそれに気づけたのは、正に野生の勘としか言いようがなかった。
音も、匂いもさせず近づくそれに気づけたのは。
「かあっ!」
「うっそん!?」
王は全力で横に飛んだ。
体中を蝙蝠たちが打ち付けるのも気にせずに。
そして背後から放たれたロリンの斬撃をよけた。
驚愕に目を丸くするロリンだったが、すぐに追撃に入った。
不可能と思われた回避を可能にした王にも、それを喜ぶ様子など一切ない。
元より、一対一であれば容赦のなくなったロリンに軍配が上がっていたのである。
その上今は蝙蝠の群れの中。
視界を埋め尽くすように存在する蝙蝠はすべてロリンの味方、ロリンの邪魔はしないが王の邪魔はする。
だが、それでも、王はあきらめなかった。
「だぁ!オラアァ!イネヤァ!」
暴言を吐きながら襲い来る少女の攻勢を凌ぎに凌いだ。
並みの刃なら欠けさせる王の肌も、獣状態の毛皮すら切り裂いた並でない刃相手では勝負にならない。
故に、よけ、かわし、回避し続けた。
蝙蝠が頭にぶつかっても気合で意識をはっきりと保ち、足に衝突しても気にせずに動いた。
しかしそれでも、その時は来た。
「くっ!」
「シャオラァ!」
ついにロリンの一撃がよけきれぬ軌道で、横一文字に王を切り裂こうと迫った。
だが、それでも、王はあきらめなかった。
「があアアッ!」
限界を超え、火事場の馬鹿力と呼ばれる力で以って後ろに跳んだ。
闘技場の床に足がめり込みかけるほどの跳躍は、王の体が上半身と下半身に分けられることを回避することに成功させた。
王にはまだ、勝利の光が見えていた。
こんな物量をいつまでも保つことは出来まい、そして俺の分け身の獣たちもまだ健在。
ならば、この波が引くまで耐え続ければ、俺の勝ちだ。
そう考え、あきらめなかった。
まさに獣人の王に相応しい勝利への執念だった。
しかし、現実は残酷であった。
紐か何か、長いものの端を顔の前に持って後ろに跳んでみて欲しい。
そうすると、持っていない地面に近い方の端が、遅れて着いてくるのが分かるだろう。
これは慣性の法則が働いているから起こる現象である。
これと同じことが、王におきた。
限界を超えた後ろへの跳躍に、遅れた一部分があったのだ。
王は、原初の型を使ってからこのかた全裸であった。
王の間に合わなかった部分は、正に王たるサイズであった。
ロリンの手に、肉を断ち切る感触が伝わる。
「アアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
闘技場全体に響き渡る絶叫は、ロリンのものであった。
アドレナリンが大量放出されていた王はロリンのその叫びで自らの半身の不在に気づき
「おオオオオオオオオオオオオおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉおおオオオオおおおおおおぉぉぉお!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
やはり絶叫を上げた。
蝙蝠の群れは霧のように一瞬で消え去り、闘技場は久方ぶりにその全容を観客たち、国民たちに晒した。
歴史に残る決闘は、歴史に残せぬ終わりを迎えた。
勝者はロリン。
世継ぎなき王の息子を葬った、人間の勇者である。
一日一話。
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