水曜日の人
時間法という単語を聞いた時は少し焦った。だがすぐさま弾丸の如く迫ってくるミアという少女に意識を集中させようと努力する。
そういえば今日塾はあったっけ。そんなことを考えながら小刀を抜き出す自分はもう立派にこの時代の人間だなと自嘲する。
当時、タイムホールを使ってこの時代に来てみたのはいいが、そう簡単に帰れないだろうということは自分自身分かっていた。おそらく未来は自分のせいでてんやわんやだろう。そんなところへ今更帰ってもどうなるか分かったものではない。ならばもういっそこの時代に潜伏し、逃げられるだけ逃げてみよう。そう考えたのだ。
大月美小夜という人間には本当に悪いことをしたなと今でも思っている。
この時代で生きていくにはしっかりとした寝床が必要だった。ひもじい思いはしたくないし、これから何年も生活していくであろう時代だ。それなりの環境は整えておきたい。そんな中、偶然にも目に飛び込んできた大月美小夜という人間は、残念ながら不幸という言葉で片付けるしかなかった。
それまで犯罪といった犯罪なんてしたことがなかった。せいぜいどこかのコンビニで万引きをするかしないかで、怖くなって結局しなかったくらいである。当時の自分はそれさえ重大な犯罪に入ると思っていて、もしかしたら逮捕されるのではないかとビクビクしていたというのに。
一人のなんの罪もない女の子の人生を無かったことにすることは、まさに断腸の思いだった。新しくその子の姉妹という設定で潜り込むという考えは浮かばなかった。妙なところで几帳面な性格が災いし、もとは存在しない席を作り上げ、そこに座るという自分の行動にどうしようもない違和感を覚えたのだ。だから最初から存在した「大月美小夜」という席に座らせて貰ったということだ。これは同時に彼女がもともとこの時代にいるはずのない存在だという事実を、この時代の人間になることで消し去るということにもなり、妙な達成感に陶酔していた覚えがある。
しかし一人の女の子を消してしまったという事実は、大月に罪悪感を植え付けることとなる。
日々どうしようもない罪の意識に頭を悩ませていた大月は、どうにかしてこの気持ちを晴らすことが出来ないかと模索した。その結果行き着いた考えが、誰かの夢を叶えてあげることである。道行く子どもたちの願いごとを聞き、叶えてあげることで以前大月美小夜〝だった〟子へのせめてもの罪滅しとして。
全くの見当違いではあるが大月にはそれが正解だと思ったのだ。
そんな中で出会った市川大哉という人間は極めて異質だった。
これまで「○○が欲しい」「○○になりたい」という願い事は時間操作で大抵なんとかなってきたが、この子どもの言う「夢が見られるようになりたい」とはどういうことなのか。
聞けばこの男の子は生まれつき夢を見ることが出来ない体質らしい。その体質のせいで友人との会話に入ることが恥ずかしく、苛立ちを覚えている。
別にいいじゃないか夢くらい見られなくたって。これだからこの時代の連中は。
そんな子供の話を無関心に聞いていた大月だったがふと思い出したことがあった。
まだタイムホール建設が順調に進んでいた頃、大月はある職員同士の会話が耳に入った。
――今建設中のタイムホールだけどな、実はアレ、時間の移動が出来るだけじゃないらしいぞ。
――え、そうなの?
――ああ、これは総監のデスクに広がっていた書類にたまたま目が行っちゃった時なんだけど、時間移動の他に人間の思考への移動が出来るようなことが書いてあったんだ。
――ウソ!? 思考って……想像もつかないけどとにかくすごいね……。
――なんの意味があるか知らないけどな。
これだ。大月はこの会話を覚えていた自分自身に感謝した。
この少年の思考内――特に無意識下においてその〝穴〟はタイムホールとの連結が成功しやすいらしい。ならば少年の夢の中と繋げてしまおう。
そうして何度か時間をやり直した末、少年に夢を見させることに成功した大月は、タイムホールとの連結にも成功した。これが事実最初で最後の成功例となる。
となると、大月はこの少年から目を離すわけにはいかない。ならばどうする?
考えた末、大月はこの存在を『大月美小夜』に返すことにした。
次は女にはならないようにしよう。もとより大哉と仲良くやっていくつもりはないし、遠巻きから観察するくらいの、たまに会話するような、そんな関係が望ましい。女として近づいたら妙な危機感を与えてしまうかもしれないから、今度は男がいい。
そうして彼女とも、はたまた彼とも呼ぶことの出来るこの人間は、また一人の存在を抹消し、その席に座る。
丹波陽介として。




