タイムホール
ミア
ボールにはそう書かれていたのだ。上手い下手で言えばそれほど上手くないが、妙に愛着の持てるこの字にはすごく見覚えがある。
「おいミア! なんでお前の名前が……!」
「え! 私の名前書いてあるの!?」
「ほら! よく見てみろ!」
そう言ってミアにボールを突き出す。
ボールはもう何度も言っている通りボロボロで、いくら洗っても汚れは落ちそうにない。そんなジャンク品の表面にかすれて見えなくなりそうな文字が二つあった。
「ほ……ホントだ……」
「なんで俺の夢からお前の私物が出てくるんだよ……」
「そんなこと私が知るか――」
そこまで言いかけてミアは石のように固まってしまった。
「どうした」
「……いや、なんでもない。今のことは忘れろ」
「は!?」
見ればミアの額には大量の汗が滲んでいる。
「ふっふー、ふふっふー」
「吹けもしない口笛を吹こうとするな」
「うぐっ……」
体に何かが刺さったようにミアはうずくまる。
「うぅ……思い出したんじゃよ。なんで私が大哉の夢に来てしまったか」
「ホントか!?」
「ああ、きれいさっぱり思い出した」
「使い方おかしいだろ」
「気にするな……まあ簡単に言うと、私の物置とお前の夢が繋がってたってことじゃ」
「……はい?」
俺の頭上には大量のクエスチョンマーク。こいつの物置と、俺の夢――なるほど、分からん。
「じゃろうな。これ以上難しいこと言ってもしょうがないし、とりあえずそういう風に思っててくれ」
「ちょ、おま!」
「――今はそんなことより、じゃ」
ミアは顎をしゃくってその方向を指す。
「……ごほっ……! かはっ……!」
「ど真ん中ストライクじゃったろう?」
「……そ、そうだな」
ミアは左手を右の力こぶに添えてガッツポーズを決めた。
そうだ。今はミアの記憶の話なんて二の次。前方の敵に集中しろ。
小刀は文子を傷つけることなくアスファルトに転がっている。そして四つん這いになりながら大きくむせている光景を見て、俺は酷くいたたまれない気持ちになっていた。悪いのはお前だけど、なんかご愁傷さまです。
「しかし凄い球だったな。百四十キロくらい出てたんじゃないか?」
「そうじゃろうそうじゃろう! もう現役は退いてるけど、全盛期の私はこんなもんじゃなかったぞ! 超中学生級じゃった!」
「現役って、野球やってたのか」
「はぁー? なにを言ってるんじゃ。ボール当て鬼ごっこに決まっているじゃろが」
「え」
言われて俺は思い出した。そういえばそんなことを言っていた気がする。
「中学生じゃ普通硬球は使えないんじゃがな、私はリトルシニアに所属してたから硬球が普通じゃったんじゃ」
「本当に野球みたいなシステムだな……」
ていうか、何度も言うけど危険すぎるだろそれ。あんな血の気の引く剛速球を鬼は本気で当てに来ようとするんだぞ。逃げる方からすればそれはもう鬼にしか見えないだろうよ。そして当てられた奴は苦悶の表情と共に復讐を誓い鬼に変貌する……これじゃあ憎しみが憎しみを生むだけだよ! 良いことねえよ! 教育に悪すぎる!
「なにをぶつぶつ言ってるんじゃ気持ちが悪い」
ミアはじっとりとした目でこっちを見てきた。こんな競技がミアのような狂った人間を作り上げてしまうのか。
「お、俺のことはいい! それよりあいつをどうするんだよ」
「ふぅむ……どうしたものか。ボールをぶつけられた奴が鬼だというのに動けなさそうじゃしなぁ……」
「ボール当て鬼ごっこから離れろ!」
俺が盛大にツッコんでいると、
「な……なんでお前たちがここに……部活を探しているはずじゃ……」
ようやく咳が止まった水曜日の人はよろよろと立ち上がった。普段のクールな表情は消え、明らかに狼狽している。
「それはこっちのセリフじゃ。なんで今学校にいるはずのお前がこんなとこで人を襲撃しようとしてるんじゃ」
「……」
「なんとか言えよ!」
「……その様子だとお前たち、もしかして……未来から時間を戻してきたのか……?」
「「な……!?」」
まさかの言葉に二人して同様の色を隠せない。
「ま、まさかとは思うが……」
俺は顔をひくつかせながら尋ねる。
「ほう?」
そこで見せる不敵な笑み。
「――っ」
真っ赤に染まる夕焼け、どこまでも黒い笑み――
俺の記憶のどこか奥底で仕舞われていたものが今、大きく開け放たれた瞬間だった。
思わず頭を押さえる。
「お前も、未来から来たのか……?」
俺の言葉に一瞬目を大きく開いて驚いた素振りを見せたが、やはりといった様子で答える。
「ふっ、『も』ってことはお前たちもそうなのか」
「おい大哉、なんだか具合が悪そうじゃが」
「……いや問題ない。それどころか色々と思い出してスッキリした」
「スッキリ……? 賢者タイムなのか?」
「ん……まぁ大体そんな感じか」
それネタで言ってんのか? いちいちツッコむのも面倒だ。
ふう、と息を吐いて話を続ける。……いやだから賢者タイムじゃないから!
「ああ、確かに俺たちは明日――四月二十一日の木曜から時間を戻してきた。こいつの力で」
そう言うと俺はミアの頭にポンと手を乗せる。誇らしげに腕を組むミアの様子を見て、なんだかうまく飼い主の言うことを聞いたペットを褒めているような気分だった。
「……ハッ! 手を乗っけるな! んもう!」
素早く横にスライドして俺の手をよける。
「楽しそうにしているところ悪いんだが、それでこのあとどうするつもりなのかをお聞かせ願いたい」
勝ち誇ったように人を小馬鹿にした口調で聞いてくる。
「そんなもの決まって……あれ?」
俺は当然のようにお前をどうしてやるつもりなのかを言おうとするが。
……ちょっと待て。よく考えたらもう何もすることはないんじゃないのかこれ。俺たちの最大の目的は文子を水曜日の人の凶刃から守ることだ。それは現在をもって無事成功している。ならば次は何をする?
「……も、もちろんお前を捕まえ……る」
俺は弱々しく答えた。
すると向こうは待ってましたとばかりに腕を組む。
「ふっ、証拠なんて何も無いじゃないか。被害者になるであろう鳴沢文子がこれに気づいていたのなら、ちょっとは証拠になり得たかもしれないけれど、そんな彼女さえ気づいていない。つまり、今回の行動は犯行未遂にさえなっていない。そうだろう?」
「ぐ……」
当たり前のように反論が返ってきた。正論過ぎて何も言い返せない。
確かに、事件の目撃者は俺とミアの二人だけ……いや、こいつの言った通りこれは事件にすらなっていない。例えば文子が襲われた直後にミアがボールを投げて、倒れている犯人を確保、通報すればそれは確固たる証拠のバーゲンセールとなるわけだが、そんなことをしては本末転倒であることくらい俺でも分かっている。
「……今までの水曜日の一連の犯行は、お前の仕業なのか?」
「ご明答」
「なんでまたそんなことを」
「……かない」
「え?」
なんだ? なんて言った?
「思いつかないな」
「思いつかない? じゃあなんだ、お前は特に理由もなくいろんな人たちを襲っていたって言うのか?」
「え? まあ、うん。そうなるのか。一応ちょっとした理由はあるがこれは別に言ったところでって感じだし」
まるで他人事のように俺から視線を外し答える様は、さながら早く帰してくれといった様子だ。
「……文子もか」
「いや、それは違う」
「どういうことだ」
「……だから言っても仕方がない」
「なんなんだよ……」
「――鳴沢文子はお前に似てなんだか馬鹿というか、かわいい言い方をすればドジって言うのか……まあそんな感じで」
「馬鹿……ドジ……」
ここにきて俺への悪口ですか!
「……今のは聞かなかったことにしておいてやる。ただな――」
俺の体は熱く、自分でもよく分からないイライラに支配されているんだ。今、このよく分からないイライラはお前に向けるのが一番だと思う。だからそうさせてもらう。
「そんな理由で――」
「そんな? 理由があるだけで良かったじゃないか。お前の好きな人は、今まで襲われた連中よりも遥かに明確……でもないか。まあ目的があって襲われたんだ。言ってしまえば鳴沢文子は物語におけるメインキャラで、ほかの連中はモブみたいなものだったよ。正直なところ、こんなつまらないこと、もう止めようかと思っていたんだがな。彼女のおかげてモチベーションが上がったよ。あ、でも襲われてないか」
水曜日の人は乾いた笑いを漏らす。
「す、好きとかそういうのは関係ない! 現にそういうのは無いし……」
「ん? ぶつぶつ言っても聞こえないな」
「うるさいっ! とにかく、俺はお前を許さない!」
「ほう? じゃ、捕まえるのか?」
「それは……」
だからそれが出来ないから困ってるんだって。
結局話は振り出しに戻ってしまった。俺たちは今まさに目の前にいる諸悪の根源をみすみす見逃すしかないのか。
「くそっ……」
俺が地団駄を踏んでいるところで不意にミアが尋ねてきた。
「なあ大哉、お前が今さっき思い出したことは、こいつに関係のあることなのか?」
「……俺にこの能力をくれたのは大月だ。気味の悪い笑みを見た瞬間思い出した」
「……えええっ!? 美小夜が!? うっそだーん!」
「そこで否定しちゃいますか! ちょっとは俺の話を聞け!」
「本当だったら逆立ちしながら鼻からナポリタン食べて町内一周してやる!」
「いや別にそんなことしてくれなくても……なんか聞いたことあるなその罰ゲーム……」
なんだっけっかなそのネタ……ハッ! そんなことは割とどうでもいい! 割と? 最高にどうでもいいわ!
俺たちが最高にどうでもいい話に花を咲かせていると、
「……それは、夢の中のものを具現化する能力か?」
「やっぱり知ってたか。そんな気がしたんだよ。ならお前も知っているはずだ。俺はただ夢を見られるだけでよかったのに、どうしてこんな能力を付属したのかを」
俺はさながら異議あり! といったようにズビシィッと人差し指を向けた。
「……未来からこの時代に来やすくするため」
「「……?」」
俺とミアは水曜日の人の発言に二人して首を傾げた。傾げた方向が同じだったものだから笑われてしまい気恥ずかしいったらない。
「ふっ、お前たち相当お似合いなコンビだよ」
「そ……それほどでもないわ!」
「なに嬉しがってんだお前は」
俺は嘆息してミアにツッコむ。ていうかお前が喋ると必ず話が脱線する。あれか? 線路に石置いてヘラヘラしてるクソガキなのか?
「――こんな話を聞いたことがある」
そう言うと水曜日の人は公園の低い石垣に腰をかけた。ミアはごくりと喉を鳴らす。これは俺には到底ついていけない話だ。その手の話は二人でやってくれ。
「……タイムホール」
その言葉にミアがすかさず反応。
「な……タイムホールじゃと!? あれは建設中止になったって――」
「そう。確かにタイムホールは二八一一年時点で、二〇一一年のところまで建設され中止になった」
「二八一一……二八一一……」
ミアはボソッとそう呟き話に耳を傾け続けた。
「それが好都合でね。国民の血税を使って建設されたタイムホールは志半ばで放置された。国民からは当然のように非難轟々だったわけだが、数ヶ月もするとそんな話はどこ吹く風といった感じで忘れ去られていた。それが格好の遊び道具になったわけ」
税金とか、なんだ……インフラっていうんだっけ? そういう問題は今も未来も何も変わってないんだなあと辟易すると共に妙な親近感が湧く。
「ただ、遊び道具って言っても建設がストップしてるタイムホールなんて、開通してないトンネルとなんら変わりはない。それじゃあ意味がない」
「じゃあどうしたんじゃ」
「さすがに厳しいかなぁと思って諦めていたんだが、なんと奇跡的にも勤めている会社が研究のためにタイムホールを買い取ってしまったんだ。そんなことするものだから会社の資金は無くなってしまい、またたく間に火の車。いやぁあの時は貧乏だった」
目を閉じてしみじみと昔を……いやこの場合は未来か。未来を思い出しながら目を閉じる。
「会社……?」
ミアはその一言を復唱する。
「その会社って――」
「さすが未来から来ているだけある。察しがいい。そう、日本私設時空警察――それが会社名だ。厳密には勤めていた、の方が正しいが」
「……え、おいミア、その会社って」
「お前は黙っていろ」
「っ……」
ミアに制されてしまった。なんだ真剣な顔して。
「ふむ。続けるのじゃ」
ミアは腕を組み促す。なんか知らんけど偉そうだなこいつ。
「これによりそれはもう乞食同然の生活を強いられることになったというわけだ。でも半年くらいでローンは払い終わったな。一応世界中に会社があるからそこの社員にも協力してもらったらしいし」
ミアみたいなヤツが働いている会社なんて胡散臭さしかなかったが、世界中に支社が存在する辺り意外とちゃんとした会社なのかもしれない。
水曜日の人は組んでいた足を今度は逆に組み替えた。
「会社にとっては結構な損失だったが、それがこっちとしては更に好都合だった」
「というと?」
ミアは何かにウズウズしている。
「もう研究の価値が無いと判断したスタッフたちはタイムホールから一切の手を引いて文字通り手を付けなくなった。その際タイムホールの活動維持装置を切ったんだが、こっそりと二〇一一年のところだけそのままにしてやった」
「なんで二〇一一年なんじゃ? それと、時間移動するなら時間時計で十分じゃろうが」
「二〇一一年にしたのは、ただ単にタイムホールの一番奥だから見つかりにくいかなあと思っただけだ。あと時間移動に関しては、時間時計って移動する度に会社に記録が飛ぶだろう。それが嫌だったからさ」
「それでタイムホールでの時間移動に成功したと。大した度胸じゃな、失敗していたら時空の狭間を永遠と漂い続けるところだったんじゃぞ」
「お褒めに預かり光栄です。その辺の神経は他人より図太いと自負しておりますので」
水曜日の人は恭しく頭を下げる。さながら仕事の出来る執事のような振る舞いだ。
「……この時代は最高だ。あの時代のように常に気を張っている必要も無くて自由極まりない。人間たちも当たり前のように平和を享受している――馬鹿馬鹿しい、自分の周りだけは何も起こらないと思っているのだから。ぬるま湯に浸かるのもいいところだ。今回はこれに便乗してそのぬるま湯につからせていただいているわけだ」
ああ、まさにあの笑顔だ。温かい表情の裏に隠れる底なしの暗闇。
俺は自然と自分の鼓動が速くなっているのが分かった。
「――大月美小夜には悪いことをした」
少々の静寂の後、醜悪に歪む唇から発せられた言葉は俺たちの思考を停止させるには十分なものだった。




