レーザービーム
「くそっ……あいつどこまで走っていったんだよ……!」
俺たちは逃走した文子の後を追った。学校を飛び出してから数分。一体どこにそんな体力があるのか、彼女の姿はどこにも見えなかった。
「まずいな……完全に見失った」
「……お? あの本屋に入っていくの、弁当女じゃないか?」
肩で息をしながらミアの指差す方向に目を凝らす。
あの軽く天然パーマの入ったポニーテール、間違いない。文子だ。
「よし、あいつが出てくるまで待つぞ」
そうして俺たちは本屋の入口が見える生垣に工作員よろしく身を潜めた。
「――おい、文子が出てきた! 後を追うぞ!」
「むむむ……あ! 超速スピナー!」
「コロコロマンガタイトル山手線はもういいから! しかもそれ最初に言ったし!」
「え!? そうだっけ!?」
ミアが暇だからと言って始めた山手線ゲームは俺の完勝だった。しかしミアよ、自分からお題を振っておいて一ターン目から長考とはどういうことだ。結局三ターンくらいしか回らなかったじゃないか。
現在俺たちは市街地を抜け、歩道を歩く文子とは十メートルくらいの間隔で尾行している。
しかしあいつ、こんなに歩くスピード遅かったっけか。普段三人で登校している時はもう少し速く歩いていたと思うのだが。
「そんなことも分からんのかお前は」
ミアが馬鹿にした口調で俺を見上げる。
「なんだよ」
「あいつも不憫な女じゃ」
「……はい?」
「よよよ……」
そう言ってあからさまにハンカチで目尻を拭うミア。全く意味が分からん。
「時に大哉、今何時じゃ」
と思ったら何事もなかったかのように時間を聞いてきた。時間なんて自分で見ろっつの。
「……四時五十五分」
俺は不満気味に返す。
「そろそろじゃな。弁当女が襲われたのは自宅近くの公園辺りなんじゃろ。その公園まではすぐなんじゃな?」
「ああ、すぐというかもうあそこに見えてる」
「ぬ?」
今度はミアが俺の指差す方向に目を凝らす。五十メートルほど先には信号の設置されていない十字路と、その手前に例の公園があった。
俺たちは公園近くの自販機の影に隠れる。時刻は五十九分。いよいよ犯人とのご対面だ。
文子が公園入口を通り過ぎる。
するとそれを見計らったかのように人影が一つ、公園から出てきた。
――右手に握られている小刀。
――そして山王学園の制服。あれは……
「なん……で……」
「……ほう、あいつが水曜日の人か」
後方から魔の手が迫ってきていることなんて知るはずもない文子は呑気に十字路で車の往来を確認している。そんな文子に軽い足取りで小刀が迫る。
二人の距離はもうあと数歩歩いてしまえば小刀の有効射程距離となる。
「なあ大哉」
「どうした」
「もうじきに五時になる。あいつの他に弁当女に危害を加えられそうな人間はいない。それと、凶器を持っているという時点で明確な襲撃意思があると見ていいんじゃないか?」
「まあ確かに。で、それがそうしたんだよ」
第一、現に文子が襲われるという事実を俺たちは知っている。
「よーし! じゃあちょっといいか」
「え、ちょっと何を……」
ミアはそう言うとおもむろに自販機から離れ、道路の中央に仁王立ちする。そして大きく深呼吸。
右手には……
「野球……ボール……ってまさか――」
気づいた時にはもう遅かった。
俺はミアの新たな一面を垣間見ることとなる。
――突如として始まるワインドアップ。それは正直あの小さな体からは想像もつかないダイナミックなもので、周辺の空気がミアに取り込まれていくような、ミア自身が台風の目になったかのような威圧感があった。この瞬間だけ、ミアの体が一回りも二回りも大きく感じられてしまった。
そして振りかぶった両手を胸の辺りまで移動させる。と同時に左足を軽く上げながら体を捻る。
興味の無い人間でもあれで何をやっているのかくらいは分かる。ミアの動作は野球投手のそれだった。
一瞬停止したミアはまさに限界まで弓を引かれた弦のようだった。聞こえるはずはないのだがミシミシと軋んだ音がこちらに聞こえてくるようだ。
ミアが口を真一文字に食いしばる。そんな一連の動作の後、ミアの右手からボールが離れた。
例えとかではなく、風が吹いた。
俺は勢い良く放たれたボールを必死に目で追った。ボールの行く先は今まさに小刀を振りかざさんとする背中に向かって一直線。二回の攻撃のうちの一発目のはずだから、背中を切りつけるつもりなのだろう。
小刀が真上に掲げられる。
――瞬間、鈍い音が響いた。
瞬きをするのも惜しい。世界が一瞬動きを止めたように感じる。
「……っ!」
見事、ミアの放ったレーザービームは背中にクリーンヒットしたのだ。小刀は依然高く掲げられたまま動かない。
文子は自分が危険な目に遭うはずだったなんて露知らず、後ろを振り返ることもなく十字路を抜けていったのだった。こっちは時間を戻してまで来てやってるんだぞ。お気楽な奴め。
すると仕事を終えたみすぼらしいボールが転々と俺の前に転がってきた。
「……なんというか、お疲れさん」
俺は苦笑を漏らしながらボールに労いの言葉をかける。そして今朝の時点では気づかなかったあることに思わず息をのんだ。
「え……このボール――」
――数秒後、大袈裟な咳とともに小刀がアスファルトに落ちる音がした。
夕方五時を告げる音楽が鳴り響いたのはそんな時。空はいつかのように鮮やかな朱色だった。




