雨
四月二十一日、木曜日。
今日は起きた時から雨が降っていた。近いうちに雨が降るだろうという俺の予感は見事に的中し、雨粒が屋根をしとしとと叩く音で目が覚めた。
七時十五分。珍しく目覚まし時計に勝利した朝だった。
俺の手には野球の硬球が握られていた。何を隠そう今朝の出土品ならぬ出夢品である。相当使い込まれたのか、表面はボロボロで本当に元は白い球だったのかと思うほどに茶色い。
そんなボロ球を両手でキャッチボールしながら窓へと近づく。カーテンを開けるとグレーのどんよりとした景色が窓の外に広がっていた。雨の強さは強くもなく弱くもなく、登校に支障は出ないだろうといった量だった。
小さく溜息をついてカーテンを閉める。そして冷えた床で寝ている少女を一瞥してさらに深く溜息を漏らした。
フローリングの床に敷布団も敷かずに寝ている少女――お分かりだろう、ミアは床の固さなど気にもせずすやすやと寝息をたてている。
敷布団も敷かずに。この言葉から察しがつくように、俺とミアは昨晩別々の部屋で寝たはずだったのだ。自分だけの時間を作ろうと二人の間で決めたことだったのに。こいつのことだ。きっと暗い部屋に一人で寝ることが怖くなったのだろう。
とりあえず俺は先に着替えよう。目覚まし時計が鳴る前に起こしてしまってはかわいそうだ。というか、この寝顔を見せられてしまうと起こすことに気が引けてしまう。
そうこうしているうちに目覚まし時計が鳴り響いた。俺は早起きしてしまったということで時間に余裕が出来たからキッチンで朝食の準備をしているのだが。
「……………………」
一向に目覚ましの音が鳴りやまない。
まさかとは思うがこの大音量で……。まさかな。
痺れを切らした俺は二階に上がる。
鼓膜を直接叩くように響くベルの音。そんな騒音をまき散らしている俺の部屋で、なおもミアは熟睡をキメていたのだった。
とりあえず目覚ましを止める。
「んむにゅ……」
なんでこの音量で起きないんだ? 結構大きい音の出るやつを選んで買ったんだけど。
「おい、時間だぞ。起きろ」
相変わらず広めの額を数回叩く。
「…………うえぇ……? 今日は日曜日でしょ……?」
起きた瞬間これである。いつまでこの家に居続けるのかは知らないが、こいつの寝起きの悪さには何も感じないようにしよう。そう、無心を貫くのだ。
……今日を最後に!
「木曜だよどんな間違え方だ!」
そう言って俺は強硬手段に出る。
ミアの両脇を抱え軽々と持ち上げる。ミアはされるがままに運ばれていた。手から枕は離していない。
「なんで俺がこんなこと……」
ミアと迎える二日目の朝は、昨日と変わらず慌ただしかった。
「おかしいな」
「なにがじゃ」
「来ないんだ」
「誰がじゃ」
「文子が」
「ああ、弁当女か」
八時。何とか支度を済ませた俺とミアは玄関前に立ちインターホンが鳴るのを待っていた。誰の? 八時と言えば鳴沢文子だろう。
普段なら八時〇分〇秒にインターホンが鳴るはずなのだが。
一分、二分と時間は刻々と過ぎていく。
「ところで、その廃れたボールはなんじゃ」
「え? ああこれか。今朝の夢から出てきたんだよ」
俺はなんとなしに硬球を手の中で転がしていた。不思議と今までのものとは違う何かを感じてカバンに忍ばせようと思ったのだ。
「ちょっと貸してみろ」
「ん」
硬球だから気をつけろよ、とミアに球を放る。
「っと。これまた随分と汚いなぁ……」
ミアは眉間に皺を寄せながらその手には余りある大きさの球の感触を確かめていた。
「なあ、あの眼鏡も待っているんじゃろう?」
「確かにそうだよなぁ……」
眼鏡――丹波陽介もいつもの交差点で俺たちが来るのを待っているはずだ。普段八時に来るはずの文子が来ないんだ。きっと先に行っていてくれという合図なのかもしれない。
「……じゃあ行ってみるか。……っておまえ! 今ボールカバンにしまっただろ!? どさくさに紛れやがって!」
ミアの体がギクリと跳ねる。
「い……いいじゃろが! 私にくれ! な! こいつとはただならぬ運命を感じるんじゃ。なんというかだから、こいつとはただならぬ運命を――」
「分ぁかったよ何回も言うな面倒くさい! ったく……」
そう上目遣いでお願いされると断れるものも断れなくなるだろ。言葉遣いは最悪だけど。
「うへへー」
俺は軽快に玄関を飛び出すミアに頭を掻きながら家を出た。
雨のせいで鴬張りの床ように甲高く音を鳴らす廊下を滑らないよう慎重に歩き教室へ。
朝早くに学校で何か用事があったんじゃないかという陽介の推理は当たらず、文子の机にカバンは掛けられていなかった。いないかぁ、というよりやっぱりいなかったかぁ、というのが今の俺の心境としては近かった。
異変を感じたのはそれだけではない。教室にいた生徒のほとんどが、俺たちが教室に姿を見せるなりこちらを凝視してきたのだ。謎の威圧感にどう反応を取っていいのか困る。
しばらくすると視線は俺たちから外れ、それぞれがそれぞれの会話に戻っていった。何なんだ一体、と席に着こうとすると、
「ねえ、市川君」
女子二人組が話しかけてきた。こいつらはええと……文子と席の近い、文子とは比較的仲の良い子たちだ。なぜか二人とも浮かない表情だった。
「ん? どうかした?」
「市川君は聞いてない? 昨日のこと」
「昨日? 何かあったのか?」
特に思い当たる節もなく俺は質問に質問で返した。すると二人の表情は一層陰りを増す。
俺の知らないところで、ただならない事態が起きている気がした。
「え、ええとね……でも私の口から言っていいのか……」
ねぇ、と女子たちは顔を見合わせる。
「いいから、ほら」
俺は促す。すると女子はあくまで噂だからね、と念を押しながら答えた。
「うーん、いいのかなぁ……あのね、文子ちゃんがね、襲われたの。水曜日の人に」




