大月家侵入
「ここじゃな」
「俺んちからは遠いな。普通に登校してる気分だった」
俺たちは普段の通学路を通り、山王学園を通り過ぎて五分ほどのところに来ていた。二人の前には一軒の民家。表札には大月の文字。間違いない。ここが大月美小夜の家である。一般家庭におけるどこにでもありそうな二階建ての家だった。
「美小夜は帰っているのか?」
「分からん。でも夜だし、いるんじゃないか」
民家の一階は明かりがついているので誰かがいるということはわかるが、大月がいるのかはこの時点では分からない。
「おい、ちょっと時間止めて見てきてくれよ」
「嫌じゃ! 一時停止は私の給料が減ってしまう!」
「ケチめ……」
「何とでも言うが……ん?」
ミアがふんぞり返っている途中で何かを察知した。
すぐさま反らした上体を起こし行動に移す。
「誰か来る。隠れるぞ」
「え、まじ?」
「マジも大マジじゃ」
俺とミアは足音の主に気づかれぬよう抜き足差し足で近くの電柱の影に身を潜めた。幸いこの日は上空の雲が厚い。この暗さではよほどの至近距離でなければ俺たちの存在に気づくこともなく行ってくれるだろう。しかしこの雲の厚さじゃあ近いうちに雨でも降りそうだな。
「せ、せまい!」
……さすがに電柱に二人が隠れるのには無理があった。だが大声でクレームを言ってくるミアの神経はいかがなものか。
「うるさいわ! なんのためにこっそり隠れたか分かんねえだろ!」
そう言って俺はミアの口を無理矢理塞ぐ。
俺はもちろんしっかりと囁き声、ウィスパーボイスでお届けしています。
「もがが! もがもが!」
「だから静かにし――」
一瞬、雲の切れ間から月明かりが地上を照らした。俺はその瞬間を見逃さなかった。
山王学園の制服、腰まで伸びる艷やかな黒髪――あれは大月美小夜だ。
「大月が帰ってきたぞ。チャンスだ」
「むむ、あれは美小夜なのか?」
「ああ、一瞬顔が見えた」
大月美小夜と思われる人物は確かな足取りで大月家に向かっている。制服を着ている辺り、学校が終わってからまだ家には帰っていないのだろう。
大月が家の敷居をまたぐ。
ドアに手をかける。
家に入る。
ドアが閉まる。
鍵を掛ける音がする。
その一連の動作を俺たちはただ見ているだけだった。
「――はっ! これじゃ家に入れない!」
「あ! ホントだ!」
俺たちは大月の下着、もといパンツを拝まなければいけない。これはどういうことか。大月の無防備な姿――つまり着替えを覗かなければいけないということである。大月は道のど真ん中で突然着替えを始めるような変態ではない……と思うので彼女の着替えシーンを拝むためには家に潜入しなければならない――というのが俺たちの至った考えである。
……ただ、お分かりいただけただろうか。たった今がちゃりと閉まった施錠の音が。
「ホントだ! じゃねえ! さっさと時間戻せよ!」
そう。鍵を閉められては潜入することが出来ない。
「そ、そんなに怒ることはないじゃろう」
そんな時に駆使されるのがこの時間時計だ。
肩をすくませながらミアは時間時計に触れる――
俺たちは普段の通学路を通り、山王学園を通り過ぎて五分ほどのところに来ていた。二人の前には一軒の民家。表札には大月の文字。間違いない。ここが大月美小夜の家である。一般家庭におけるどこにでもありそうな二階建ての家だった。
「……と。ここか、ちょうどいいな」
ミアは俺たちが大月の家の前に来たときに時間を戻したようだ。
「さすがにもう酔わなかったか」
「馬鹿にすんな」
俺たちはこれから起こることをおさらいする。
俺たちが会話をしていると数分後に大月が来て、家に入り鍵を閉める。それまでに家に入ってしまえばこっちのものだ。
ただどうやって入るかが問題だ。
「めんどくさいからもう一時停止使って入ろうぜ」
「だから嫌じゃと言っているじゃろう! ちょっと止めるだけでも馬鹿にならないんじゃ」
なんだかデジャヴを感じるやりとりをしていると、
「――っ! 来たぞ」
「えええ! 何も対策練ってないんですけど!?」
これまたデジャヴを感じるものだった。
徐々に大月の履いているローファーの靴音が大きくなっていく。考えている暇はない。さあどうする。
「よし! お邪魔するぞ!」
「すぐ後ろに来てるんだぞ! デタラメ過ぎる!」
「大丈夫じゃ、暗くてよく見えんじゃろう」
ミアはそう言って爽やかに親指を立てる。一体どこにそんな自信があるんだ。
「ほら、ついてこい!」
「……ああもう! 分かったよ!」
すでに大月家の敷地に足を踏み入れてしまっているミアに俺はついていくしかなかった。
とにかく迷っている暇はない。思ったことは即行動に移さなければ美小夜に気づかれてしまう。
俊敏かつ穏便に行動するミアはさすがに時空Gメンを名乗っているだけのことはあった。多分こいつを尊敬するのはこれが初めてだろう。今までのアホ面は演技だったのだろうかと思ってしまう。本人曰く、切羽詰らなければ本気が出せないのだそうだ。
ミアはアメリカの特殊部隊よろしく音を立てないようにドアノブを回す。俺が入ったのを確認してドアを閉めた。
「靴は持って来るんじゃぞ」
「おっと、そうか」
ひょいと自分の靴を拾い上げ、俺は家の中を見回す。
廊下は暗くて何も見えなかった。ギリギリ分かることは玄関からまっすぐ行った突き当たりに二階へ通じる階段と、左右に部屋が二、三あることくらいだ。リビングか居間と思われる部屋には明かりがついていて、ドアの隙間から光と小さくテレビの音が漏れている。
静まり返る廊下に、音を立ててはいけないと自然と緊張感が増してくる。自分の鼓動の音が外に漏れているようだ。
「お邪魔しま~す……」
緊張を紛らわすためにそんなことを言ってみる。
「なに悠長なことを言っている。あと十秒くらいで美小夜がドアを開けるんじゃぞ」
「わ、悪い……なんか今のお前、頼もしいな」
「……っ! そ、そうじゃろそうじゃろ! 何回もやり直すのはめんどくさいからな。何度も失敗して同じ時間を繰り返していると、そのうち一番最初にどうしてたかあやふやになってくるんじゃ。伝言ゲームみたいなものじゃ」
大概、伝言ゲームは一番最初に伝言を伝えた人の言ったことと、最後に伝言を受けた人の聞いた内容に差異が生じる。これがこのゲームの面白い所なのだが、そんな伝言ゲームと、何度も時間をやり直すことは同じようなものだとミアは言う。
「まぁそんな話はどうでもいいじゃろう。今は美小夜の部屋を探すことが先決――」
「ただいまー」
「…………あらみーちゃんおかえりなさい、遅かったのね。今日は捗った?」
「国語は普通かな。数学は学校で分からなかったところが解決出来てよかったよ」
「よかったわね。夕ご飯温めるから先に着替えてきちゃいなさい」
「うん」
ばたん。
「……………………」
――か、間一髪だった。今のはヤバかった。
体中の毛穴から寒いものを感じた。
ミアが喋っている最中、こともあろうか大月が帰ってきたのだ。俺はその瞬間、この世の終わりを感じたのだが、ミアが玄関の開く音とほぼ同時に一番近くの扉を開け、動けずに狼狽している俺を蹴っ飛ばして部屋に入れ事なきを得たのだった。
「さ……サンキュー……全く動けなかった」
蹴られた腰をさする。
「気にするな。ホームランバー一本で許してやろう」
「調子に乗んな」
一瞬和やかなムードになったがすぐさま状況を確認する。
「で、ここは……?」
「なんの部屋かは知らないけど、おそらくクローゼットの中じゃろう」
暗くてよく分からないが大量の布に圧迫されている感じから、クローゼットの中にミアは逃げ込んだらしい。ミアとの距離もやたらと近く、体を密着させている状態なので、俺としては大月のことよりも今のこの状況をどうにかしたい気持ちでいっぱいだった。
「こ、これからどうするんだ?」
もはやミアの頭頂部に話しかけているようなものだ。
「むう……そばにあった部屋に入ったは良いのじゃが、こんな玄関の近くが美小夜の部屋なはず無いじゃろうし、二階に行きたいなぁ」
「そうか、じゃあとりあえず出てみるか――」
早々にこの密着状態を脱したい俺は言いながらクローゼットを開けようとした瞬間。
「!」
ドアの開く音、電気を付ける音がして慌てて開きかけた扉を元に戻す。
クローゼットの細い隙間から光が差した。大月がこの部屋に入ってきたのだ。
明かりがついたことで部屋の全景が姿を現す。ベッド、机、パソコン……無駄なものが一切無い部屋は、女子高生にしては少々堅苦しいがどうやらここが大月の部屋らしい。
「な、なんという偶然……」
「うむ。結果オーライじゃな」
ふんふんと頷くミア。この会話はもちろんウィスパーボイスでお届けしています。
「さて、では美小夜のおパンツを拝むとしよう、うへへうへうへ」
「オヤジかお前は」
そう言いながら俺とミアは隙間に目を寄せた。
――俺たちの期待に応えるかのように大月は臙脂のネクタイを軽く緩め、ちょっとした吐息を漏らしながらするすると馴れた手つきでブレザーのボタンを外していく。
脱いだブレザーをハンガーに掛け、続いてスカートに手を掛けた。いよいよ待ちに待った瞬間である。
「……おい変態。貴様の荒い鼻息が私の頭に当たってとても気持ち悪い。もしかしたらハゲるかもしれんから息を止めろ」
「無理言うな! 俺の鼻息には抜け毛作用があるのか!?」
……悔しいが息遣いが荒くなっていることは認めよう。
話している間にも大月は着替えを続けている。スカートのホックを外し、そしてファスナーの音が嫌に大きく響いた。
瞬間、ふわりとスカートが床に落ちた。
さあパンツ! パンツはどうなんだ!
俺とミアはすぐさま視線を落ちたスカートから上の方にずらす。
そこには。
「ワイシャツ……」
純白の鉄壁。ブレザーの下に着ていたワイシャツが見事に大月の下着を見えなくしており、俺たちの行く手を阻んだのだった。ワイシャツ仕事しやがった! しかしそのワイシャツから見える二筋の光――もとい脚は世界の絶景百選に推薦したくなるほど神々しいものだった。
「くうう……! 焦らしおってからにぃ……」
ミアはぎりと親指の爪を噛む仕草をする。
俺たちは固唾を飲んで大月がワイシャツを脱ぐのを待った。
が。
大月は一向にワイシャツを脱ぐ気配を見せない。
それどころか机の方に向かって歩き出したのだ。わけも分からず俺たちが困惑していると、机の引き出しに手を入れ何かを取りだした。
楕円形の木の棒のようなものだった。
よく分からないまま大月の行動を見ていると、次の瞬間、俺は思考が一瞬止まった。
木の棒が分裂したのだ。今大月は両手に棒を持っている。
しかし右手のものだけ違う。棒の先に何かが付いている。
すごく鋭利で、黒く光って……
「ナイフ……?」
あの和風な感じは小刀と言った方がいいだろうか。
そんな小刀を舐めるようにして眺める大月。刃が照明に反射して醜悪に光る。
大月はひとしきり小刀に見蕩れると、一度だけ真一文字に空を切る。
小刀の乾いた音が部屋に響いた。
「明日は水曜日か――」
余韻に浸るように目を閉じていると、やがて小刀を左手の鞘に収めカバンにしまったのだった。
そんな過程を挟んだ後、大月はようやくネクタイを解き始めた。俺とミアは安堵の溜息をついてしまった。
今さっきとは違う緊張感が俺たちを襲う。
「う、うおおおお……」
いよいよパンツを拝めることに俺は無意識に唸ってしまった。
「き、気持ち悪い……」
頭しか見えていないが、おそらくミアはゴミクズを見るような目で俺を見ているだろう。そんなもの、この際どうだっていい。
ネクタイをブレザーの掛かっているハンガーに通す。そしてワイシャツのボタンを外していく。
一つ、二つ、三つ――
ごくりと唾を飲み込む。瞬きをすることも忘れていた。
そして最後のボタンを外した時。
「だ、だだだだめじゃあああああ! 大哉は見ちゃだめじゃああああ!」
何を思ったか、今まで背を向けていたミアが突然こちらに振り向いた。
「は!? 今更何言って……うわ!」
ミアは俺の両目を小さな手で覆った。
「わははは! 私に任せておけ! どれどれ……」
頭だけ後ろに向け大月の着替えを観察する。
「――きた! しましまじゃ! ストライプパンティじゃ!」
「ま、マジか! 俺にも見せろって!」
「だから嫌じゃああああ!」
この時の俺はただの欲望に素直な野獣だったと思う。
「……?」
いくらウィスパーボイスでお届けしているとはいえ、さすがにうるさくしすぎた。
「だめったらだめ――ふぇ!? うわぁこっち来た!」
「なんだとおおお!?」
目隠しされているから状況が把握出来ないが、おそらくこのままでは数秒後、大月にクローゼットを開けられてしまうだろう。
「しのごの言ってる場合じゃねえ! ここは時間を止めろ! 今が使い時だろ!」
「ア、アアアアイアイサー!」
大月がクローゼットに触れる音がする。
――その時。世界が止まった。
「――ハッ!」
まず目に飛び込んできたのは雲のかかったどこまでも黒い夜空。そして辺りを見回す。アスファルトが俺に寄りかかっている――いや、俺がアスファルトに倒れているのか。
目に入る私立山王学園高等学校の文字。俺は山王学園の校門前で倒れていた。
そして校門にもたれ掛かっている少女――ミアが肩で息をしながらこちらを睨んできた。あんなに汗をかいて、せっかくの美少女が台無しである。
「大月には気づかれなかったか?」
俺は体を起こしミアに尋ねる。
「……それは全く問題ない。ただな……」
「ただ、なんだよ」
「貴様をここまで運んでくるのにどれほど体力を使ったか……!」
「大変だったのか? ……運ぶ?」
「この疲労困憊ぶりを見てわかんないのかお前は! ほら体中びちゃびちゃスプラッシュじゃぞ!」
ミアは汗でずぶ濡れのワイシャツを自分の体に張り付かせた。
「やめろ! 分かった! お前の頑張りは分かったから!」
透けるから。というか透けてるから。
「む、そうかならいい」
分かっていないらしく、ミアは先程の顛末を話し始めた。
「美小夜がクローゼットを開ける前に時間を止めることには成功した。……問題はそのあとじゃ。止まった世界で身動きが取れるのは私だけ。時が止まり固まっているお前をここまで運んでくるのはまさに地獄だったぞ」
「なるほどな、それはご苦労だった。運ぶってそういうことか。ところでどうやって運んできたんだ?」
「襟首を掴んで引きずってきた」
「な……!」
よく見れば俺の制服は前方は特に何も気にするようなことはないが、背後はズタズタにやられてしまっていた。
「買って一ヶ月もしてない俺の制服がああああ!」
「なんじゃ制服くらいでわめいて」
「母さんに殺される……」
「では私はお前をあのままクローゼットに置いてくればよかったのか?」
ミアに置いていかれ、クローゼットに一人入った俺をあられもない姿の大月が見ている光景が頭に浮かんだ。そして直後通報される俺も容易に……。
「いえ、ありがとうございました……」
次から粛々とスペアのブレザーを着させていただきます。
「分かればいい……もう疲れたから家に帰るぞ」
「え? 時間を明日に戻さないのか?」
「今戻したら、この帰り道の間に何かイレギュラーが発生してしまうかもしれないのじゃ。だから時間操作は極力安全な場所でしなければいけない」
「まあそうだな」
「うむ、では行くと――っくし!」
突然かわいらしいくしゃみをするミア。汗で体が濡れてしまっている上、季節は四月中旬。まだ夜は少々涼しすぎるかもしれない。
「ん……変じゃな……っきし!」
生まれたばかりの小鹿のように体を震わせている。あぁもう見ていられない。
「とりあえずこれでも着ておけ」
俺は誰かさんのおかげでズタズタに変わり果てたブレザーをミアに掛ける。
「ん……す、すまん。大哉は寒くないのか?」
「お前みたいにずぶ濡れじゃないからな。涼しいくらいだ」
「そうか……ほんとにボロッボロじゃな」
「誰のせいだか」
ミアは何やらもじもじとしながら俺のブレザーにくるまる。
「まあ気にすんな」
四月十九日――俺にとって初めての時空探検は、こうして口数少ない夜の帰り道で幕を閉じた。




