時間移動
静まり返る我が家。
ドアが閉まると俺は床に崩れる。今までの緊張が音を立てて体から出ていくようだった。こんなに神経を使ったのはいつぶりだろう。剣道の団体戦で、自分の試合でチームの勝敗が決定してしまうといったような状況と同等に気を張っていた気がする。
「おーい、もういいぞー」
俺が声をかけると二階に隠れていたらしいミアが降りてきた。
「ちゃんとやったか?」
「たぶん大きな間違いは無かったと思う」
俺はよっこらせと立ち上がりリビングへ向かいながら続ける。
「ほら、終わらせたんだから説明を頼むぜ」
「そうじゃったな、まあそう焦るな……って、このソファふかふかじゃない……」
ミアは裏帰宅部のソファと座り心地が違うことに頬を膨らませる。
「安物で悪かったな」
簡単にミアをあしらうと俺もソファに座る。……確かに微妙な座り心地ではある。
「確かに、時間は戻したぞ」
「それは大体分かる。ただなんでもう一回同じことをさせたのか聞きたい」
「ふむ。……大哉、お前のイメージする時間移動はどんなのじゃ?」
「え?」
ふとミアにそんなことを尋ねられる。時間移動……考えたこともなかった。
「……一番に思い浮かぶのはタイムマシーンだな。行きたい年代と時間を打ち込んでさ」
青いタヌキのようなロボットを想像する。
「まあ一般的に見られる回答じゃな」
納得したように軽く頷くミア。
「大哉の考えるような時間移動がデジタルだとしたら、私たちの使う時間移動はアナログなのじゃ」
ミアの説明がイマイチしっくりこない。
ミアもそれを察したのか、付け加えるように説明を続ける。
「ええとじゃな……要はお前たちの時代で言うブルーレイやDVDと、ビデオテープみたいなものじゃ」
余計に分かりにくくなった気がする。
「ちょっと待て、理解出来そうだったんだけど今のでおかしくなった」
「えぇっ!」
怒りの視線を向けてくるミアからすっと目を逸らす。
そんな時、俺の携帯が音を鳴らした。これはメールの着信音だ。
ミアが依然として放ってくる高圧的な視線をよけるようにメールをチェックする。
『とうちゃ~く! 五分ぴったしでしょ?』
メールは文子からだった。そういえばこんなメール来たっけなと小さく笑みを浮かべる。
「弁当女からか」
「弁当女って……まあそうだけど」
「そうか。それはいいとして……なんで私がそんな例えをしたかというとじゃな――」
俺は携帯を閉じ、出来る限り理解に努めようとする。正直ついていくのがやっとだ。
「巻き戻しと早送りの仕方の違いじゃ」
「巻き戻しと早送り……」
俺は復唱しながら考える。
「ブルーレイやDVDはパッと見たい場面に飛べるじゃろ?」
「そうだな」
シークバーのようなものを想像する。
「これがデジタルな時間移動じゃ。例のタヌキ型ロボットはそれで移動している」
「じゃあお前のはビデオテープなのか?」
「そうじゃ。一時間前に戻りたかったら、巻き戻しボタンを押して、その時間になるまで待つしかない」
実際に私にボタンがあるわけではないからな、と体を手で隠すミア。どうでもいい。
「――あ、もしかして俺が酔ったのって」
「うむ、世界が回転してたんじゃない。ビデオテープの巻き戻しのように目まぐるしい速さで時間が戻っていたのじゃ。普通なら目を閉じるはずなのじゃがお前は馬鹿正直にそんな世界を凝視していたんじゃろう」
呆れてミアは言った。
「申し訳ない……」
「まあいいじゃろう。……大体、さっきお前の言っていたタイムマシーン、あれはまだ私の世界には無い」
「どういうことだ?」
「好きな時間にパッと移動できるなんて芸当は、まだ私の時代では実用化されていない。というより、してはいけないんじゃ」
「してはいけないって。そんな便利なこと、早いとこ実用化しちまえよ。酔うやつもいなくなって万事休すじゃないか」
「使い方おかしいじゃろそれ……」
「え?」
ミアは俺に憐れみの視線を向ける。なんだ急に人を馬鹿にしたような目で。
「まあいい……大哉、お前の話していたタイムマシーンじゃが、それはどんな機能があった?」
「……過去や未来の自分に会いに行ってみたり、歴史上の事件に介入してみたり……」
気を取り直して俺は思いつくことを並べてみた。
「残念じゃが、今お前の言ったことは全部出来ない」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げざるを得ない。
「いやいや、今してるじゃん。こうして昨日に来てるわけだし」
「これは違う。私のこの能力はあくまで自分自身を過去に戻すものじゃ」
「ちょっと待て考えさせろ」
「時間切れじゃ」
「間髪入れずに!?」
俺が理解しているかどうかは関係ないのか? ただ知識をひけらかしたいだけなのか?
「タイムマシーンに乗って過去の自分に会いに行くのと、自分自身が過去に行く。ここに存在する決定的な違いは何か。……はい、時間切れ!」
「ナメてんのかこのクソガキ……」
味をしめたらしいミアがイジってくる。冷静に、冷静になれ俺。
「それは、自分が複数人いるか、いないかじゃ」
「……つ、続けてくれ」
俺のキョトン顔を確認してミアは続ける。
「例えば、この四月十九日にタイムマシーンで来てみたとしよう」
「おう」
「四月十九日の午後六時、私たちは大哉の家に到着した」
「それで俺はうどんこねてるんだろ」
「過去の大哉はな。じゃが未来のお前は別にこうしているんじゃ」
「あ……」
うどんを必死にこねている俺を、こっそりどこからか覗いている俺を想像した。
「な? 二人いるじゃろう。これは非常に危険なんじゃ」
「何がだ」
「これは過去の大哉がこうしている間に未来の大哉が別行動出来るから便利と言えば便利じゃ。アリバイも完璧じゃろ」
過去の俺がうどんをこねている間に、未来の俺がこっそりと家を抜け出して何か行動を起こす。未来の俺の行動によって未来を良い方向に改変していく。こういった類の話におけるセオリーだ。
「じゃがな、これはばったりお前が何かの拍子で過去の大哉と遭遇してしまう可能性があったり、同時刻に別々の場所でお前を見かけたという目撃証言をされてしまう可能性もあったりと、色々とリスクも高いのじゃ。その場合は大概悪い方向に未来が改変されてしまってめんどくさいったらない!」
ミアは気だるそうにソファーに寝そべりパタパタと両足を動かす。
「しかも同時刻に存在することが出来る数は言わば無限大じゃ。未来の大哉として過去の大哉を見ているお前は、もしかしたらそれも過去の大哉で、どこか物陰からもう一人の、さらに未来から来た大哉に見張られているかもしれん。これを私たちの間では『同時刻同時存在』と言う」
「お、俺が無限に増殖していく……」
――見る人は見られる人。そんな構図に血の気が引いていく気分だった。
「なぜあそこで大哉にもう一度同じことをさせたか。それは、あそこでもしもお前が全く違うことをしていたら、時間を明日に戻した時、未来は何か違うことになっていたかもしれないからじゃ」
「過去の俺がいないから……というかそれが俺自身なわけだから、自分で過去を再現しなけりゃいけないってことか」
「そうじゃ」
ようやく話の要領を得た気がした。胸につかえていた何かがスッと取れたようだ。
「二人が帰った時間とかはさすがに違うと思うぞ」
「ほんの少しのずれなら問題はない。物の配置が変わってるくらいじゃろう」
「そういうもんか」
「うむ。同時刻同時存在を危険だと判断した私たちの捜査機関は、このようなタイムマシーンの類は作ってはいけないと謳い、国、いや世界を股にかけた大プロジェクトであるタイムホール計画は建設の途中で打ち切りになった。その代わりとしてずっと使われているのが――」
これじゃ、と右腕にしている腕時計のようなものを俺に見せてきた。見せびらかしているような気がしてなんだか気に食わない。
「ちょっと見せてくれよ」
「はい」
俺に向かって右腕を大きく掲げる。
ひとしきり掲げていると、
「……はい見せたっ!」
元気にそう言って後ろの方に手を回してしまったのだった。
「ほんっとうにガキだなお前は……」
今まで散々知識をひけらかされた挙句、こうしておちょくられるなんて……。俺はふつふつと沸き上がる感情を出来るだけ押し殺して言った。
「んふふ~、だってぇ~、見せてくれって言ったのは大哉じゃろぅ~?」
ニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべて挑発してくる。
「ほらっ何度でも見せてやるぞ!」
ソファーで飛び跳ねながら何度も右腕を高らかに上げては隠し、上げては隠すミアに俺はいよいよ我慢がならなくなった。
「…………このクソガキっ! いい加減にしろよコラアァァッ!」
俺はへらへらと舞うミアの懐に飛び込んだ。完全に虚を突かれたミアは為すすべなく俺に押し倒される。
「ふ、ふえええええぇ!? なんじゃ! なんなんじゃ!?」
「うるせえ! ちょっとその右腕貸せ!」
じたばたと暴れるミアを力でねじ伏せる。
勝負はほんの数秒で決着がついた。
ソファーにうつ伏せにさせたミアに馬乗りになる形で俺は腰を降ろし、謎の腕時計のようなものが付いている右腕を引っ張った。凶悪な銀行強盗を拘束している特殊部隊をイメージして欲しい。
「あだっ! あだだだだだ! 痛いから! そんなふうに腕を背中に持っていったら痛いから!」
鬼ぃ! 鬼畜ぅ! と数々の罵声を浴びせてくるミアを適当に流しながら右手のものに目をやる。
見た感じはただのデジタル時計だった。違う点があるとすれば、日付、曜日、現在時刻の表示されたデジタル画面の下に、三つのボタンがあるくらいである。
――俺がひとしきりこの腕時計のようなものに夢中になっていると、
「……ひっく……もうしませんから……調子に乗って見せびらかしたりしませんから……ううう……」
ミアのすすり泣く声が聞こえた。途端、俺は我に返る。
いくら年上だという事実があるにせよ、姿かたちは女子小学生のものとなんら変わりがない少女を、俺はこんなにも無理な体勢で拘束していた。俺はそんな事実にものすごい罪悪感に駆られてしまったのだ。
こんな小さな女の子に手を上げる大人がどこにいる。
そう考えると俺はすぐさまミアをもとの、普通の状態に戻して座らせた。
そして一言。
「すまなかった。俺はロリコンじゃない」
俺の顎に鮮やかな蹴りが飛んできたのはその直後である。




