赤ペン先生も赤ペンをへし折るレベル
「ええと、もうちょっと分かりやすく言ってくれると嬉しいんだけど」
「俺もだ」
「なんじゃ、言ったとおり時空を探検するのじゃ。分かりやすすぎて赤ペン先生も赤ペンをへし折るレベルじゃぞ」
「どういうことだよ」
読んで字の如くだ、とミアは腕を組んだ。
俺は昨晩の夢の中で軽く説明はされているから受け入れることは出来るものの、大月からすればミアの言っていることは世迷言としか聞き取れないだろう。
大月は呆れるかと思いきや、これまでにこやかだった顔が少しだけ眉をひそめたように見えた。
「要するに、時間を行ったり来たり出来るってことか?」
「おお! それじゃそれじゃ! 美小夜はどこか探検したい時間はあるか?」
「いや……」
大月の顔つきは変わらない。こいつもこんな顔するんだな、と様子を伺ってしまう。
「私は特に思いつかない。ただ、イマイチ信用に欠ける」
「な……!」
「いや仕方ないだろ。信じろって言うほうが無理だし」
ぷるぷると震えるミアを適当に制する。
「本当じゃ! 本当に行ったり来たり出来るんじゃ!」
涙目になってミアは主張する。
「それじゃあ、私が今履いてるパンツの柄を当てられたら信じてやるぞ」
「よし分かった!」
ミアは打って変わって満面の笑みに。
「えええ! おつかいにでも行くかのように!?」
「大哉、ちょっとこっち来い! いやむしろ私が行く!」
「ちょっ……! パ、パンツってお前――!」
ミアはこちらに乱暴に歩み寄り、俺の手に触れる。
次の瞬間。蠱惑的に微笑んでいた大月の顔はものすごい回転とともに消え、洗濯機に放り込まれたように俺の見る世界はぐしゃぐしゃに四散していくのだった。
……止まったのか?
まだ目は回っているが、どうやら回転は止まったらしい。なんだこの展開は。
……油断したのもつかの間。安堵すると同時に襲われる強烈な吐き気。遊園地のコーヒーカップのアトラクションで限界まで回したあとのような気分だ。
しかし……吐きそうなのに。今にも胃袋にあるものを全て戻してしまいそうな勢いなのに、なぜ俺はテーブルで何かをこねているのだろうか。
「――ふんっ! ふっ! とりゃっ! せいぅうぷっ……!」
ダメだ。この状況が全く把握出来ないが、今はとりあえずトイレに駆け込みたくて仕方がない。
「どうしたの大哉? 顔色悪いよ?」
文子がいる。
「そ、そうか? それじゃちょっとトイレ行ってくるわ」
「なんだ、うどんこねただけでもうギブアップか。だらしないなおい」
陽介もいる。
「ほ、ほっとけ……!」
そう言うと俺はあくまで冷静にリビングを出る。……リビング?
無心だ。無心になれ。どうして文子や陽介がいるのかなんて二の次だ。
俺はリビングのドアを閉めた瞬間、猛ダッシュでトイレへと走った。
「なんじゃ顔面蒼白になって。戻している間目を瞑っていなかったのか」
するとどこからともなくミアが姿を現した。
「戻すって……ど……どういうことだよっ……おえぇ……!」
便器に顔をうずめながらミアに尋ねる。まさか俺がミアを見上げることになるなんて思ってもみなかった。こんな惨めな形で。
――よく見るとこのトイレ、壁紙、フローリングの床……間違いない。俺の家だ。つい数秒前まで裏帰宅部の部室にいたはずなのだが何かがおかしい。
「時間を戻して自分自身も戻すとは……傑作じゃな。ぷふふっ」
「何わけ分かんないこと言ってんだ。状況を説明してくれ」
「そんなもの自分で確認するがいい」
「……どうやってだよ」
ただでさえ、プロ野球選手が俺の頭に向かってフルスインングしたような頭痛と吐き気なのに。ミアの突き放すような態度が俺をさらにイライラさせた。
「携帯を確認してみろ」
「そんなの確認したところでなんの意味が――」
力に任せてぶっきらぼうに携帯を開く。
「……」
――待受画面を見た俺は、完全に酔いが覚め、ミアへのイライラも吹き飛んでいた。
四月十九日(火) 十八時二分
携帯電話は何か声を発するわけでもなく俺にそう教える。だがこれだけで十分だ。さすがの俺でも分かる。
これは昨日だ。昨日の夕方だ。
「お前……本当に時間を」
「あー説明はあとじゃ! とりあえず明日に影響が出ないように、十九日にお前がした行動と出来るだけ同じことをやってくるのじゃ」
「な、なに……?」
「ったくこれだから頭のアレな奴は……」
カチンと来たが自覚があるので何も言い返せない。
「お前は昨日、四月十九日の夕方六時辺り、ああやってうどんをこねていたじゃろう?」
「ああ、こねてた」
「そのあとは何をしたのじゃ?」
「ええと……カレーうどんを食った」
「そのあとは!」
「陽介の課題を写した」
「で!」
「解散した」
「それを今もう一度してこいと言ってるんじゃ!」
「しないと?」
「お前の未来が狂うし、それを元に直すのがめんどくさくなる」
「はぁ……」
分かったようなそうでないような。とにかく早く行けとミアが背中を押すので俺は頭上のクエスチョンマークが取れないままリビングに入ったのだった。
リビングに入ると文子が落ち着かない様子で俺を見てきた。
「大丈夫だった?」
「ん、全く問題ない。このとおりスッキリだぞ」
「ふーん、ならいいんだけどね」
文子は安心したようでカレー作りを再開する。
「よーし、引き続きうどんこねるの頑張れよー」
陽介は俺には目を合わせず、課題に目を落としてぷらぷらと手を振った。
「言われなくてもやるっつーの」
とりあえずミアに言われたとおり昨日やったこと……いや今日か? ……ああもうややこしい! とにかくあのカレーうどんパーティをもう一回忠実に再現しろってことなんだな? 話はそこからだ!
俺は記憶の引き出しを開けに開けまくって、何をしたかを必死に思い出した。
体重を乗せてうどんをこね、二人から怒られ――
そんな俺のこねたうどんを散々に言われながらも食べ――
陽介のやった課題を写し――
玄関で二人を見送った。
「……送ってこうか?」
あの時は無意識に言っていたけど、いざもう一度言うとなるとなんだか恥ずかしくなってしまう。
「……え? 私に言ってんの? なんで急に?」
「いや、もう夜だし物騒かなーって」
確かこんな風なことを言ったと思う。
「ぷっ……今更何言ってるんだよー! まぁ確かに陽介とは真反対の帰り道だけど、五分も歩けば着いちゃうから心配ないって! それと近所の人は知り合いばっかりだし、もしもの時は適当に叫べば助けてくれるさ!」
「まあそりゃそうか」
そう言って文子と陽介は俺の家を後にした。




