43,☆無期限の愛
「もう寝たんですか?」
仕事を終え帰宅すると、おじちゃんだけが居間でくつろいでいた。
「ああ。疲れたんだろ」
おばちゃんは寝るのが早いけど、清彦はこの時間はいつも起きているのに。
「なにかあったんですか?」
おばちゃんが用意してくれた夕食を温めながら、おじちゃんの前に座った。
「トレーニングしたり、プールで泳いだり、ま、いろいろな」
「そうですか」
私が一緒じゃなくても清彦は出来ることが増えてきているし、運動は回復を早めてくれそうだもの、ヘトヘトになるまで頑張って偉いな。
なんだか私が誇らしくなってしまって、つい笑みがこぼれた。
「亜子ちゃん、一つ訪ねてもいいかな?」
真剣な面持ちに、背筋が伸びた。
「はい」
「清彦は元の生活を取り戻そうと、意思を持って頑張っている」
「はい」
「だが、それがいつになるのか、はたまた適うのかすら現段階では不明だ」
「そうですね」
「亜子ちゃんは、あんな……清彦といつまでなら一緒にいられる?」
思ってもみない事を聞かれて、呆然としてしまった。
「……いつまで、ですか」
「一生あのままかも知れない」
「私は……今の清彦も好きです」
にっこりと答えた。
なんだ、そんなこと決まってるじゃないか。
「今も昔も清彦は清彦です。もちろんレスキュー隊の清彦は本当にかっこいいから、本人の夢でもあったわけだし、心から復帰を願っています。でも、適わなかったとしたら……そんな時こそ、側にいてあげたいです。一緒に頑張りたいです。無期限で」
昔から強面で、いかつい印象のおじちゃんだが、最近はこの人の涙をよく見る。
「泣かないでください。清彦はあんな事故から生還して、精一杯頑張ってるんです。めっちゃかっこよくないですか?」
「ああ、ああ、そうだな」
清彦に事故になんてあって欲しくなかった。
だけど、その回復過程で得ている様々な感情は、思わぬ副産物として私は享受出来ている。
ずっと素直になれなかった自分を戒め、こうして愛を隠さず語れるようになれたのは、『失う怖さ』を知ったが故だ。
あれ以上に怖いものは、もう無いと知ったんだ。
「何度言わせるんだ!」
おじちゃんの怒号が飛んできた。
「おはようございます……どうしたんですか?」
何事も無かったかのように、鍋に味噌を溶かしているおばちゃんに話しかける。
「昨日から、あの調子なのよ。スパルタでいくんですって」
よく見るとおばちゃんは笑いを噛み殺して、肩が震えていた。
「こんな初歩的なロープワークに何秒かかってんだ!こんなのは瞬きしたら出来上がってるくらいのスピードでやれ!」
「はい!」
清彦の目の色が違う。
ああ……二人は明らかにギアを一段階、いや、二段階かな、上げたんだね。
「亜子ちゃん、あの野蛮な男たちのことは放っておいて、私たちは朝ご飯にしましょう」
「うふふ、はい」
おばちゃんは『野蛮な男たち』と言ったけど、私には『勇ましい勇者たち』に見える。
楽しい気持ちで眺めていたら、清彦と目が合った。
「亜子」
「こら!よそ見してんじゃない!この馬鹿!」
昨夜のおじちゃんとのギャップが激しくて、つい声を出して笑ってしまった。
「はい!」
「そこは、『はい』じゃない!『すみません』だ!」
「すみません!」
おお……おばちゃんと目が合った。
「指摘された傍から言葉を返せるようになってるわね?」
「はい。驚きました」
本当に、普通に言っているようにさえ見える。
表情は乏しいことに変わりないけれど、僅かに感情も漏れ始めているようだった。
「さ、亜子ちゃん、ここは私に任せてお仕事行ってらっしゃい」
「はい。ありがとうございます」
席を立って、清彦に「行ってきます!」と言った。
おじちゃんが「行ってらっしゃい」と言うと、清彦も「行ってらっしゃい」と続いた。
完全復帰の日も近いんじゃないかと、浮かれながら会社に向かった。
「亜子先輩、なにか良いことあったんですか?」
「やば。にやけてた?」
香保里ちゃんと惟子ちゃんにバレてしまった。
「なんかさ、真壁さんと犬の散歩して、公園で人目も憚らずチューなんてしちゃって、もうラブラブオーラに酔いそうなんですけど」
げ。見られてたの?
「えー、亜子先輩、路チューとかしちゃうタイプだったんですね。意外」
「ち、違うの、あれは、なんかちょっとそういう雰囲気になって……あんなことしたの初めてだし、本当だよ?普段はしない、信じて」
「まあまあ、隠さなくたっていいじゃないですか。そもそも相思相愛だったわけだし、めでたく納まるとこに納まって良かったですね、って話です」
化粧が崩れるんじゃないかってくらいの汗をかいて、焦った。
慌ててティッシュを当てて、ファンデが浮かないよう抑える。
「ちょっと、私語が多いんじゃないのかしら」
聞き覚えのあるピリッとした声に、全員シャキーンと気をつけをした。
私達は採用の前と後、この『厳しい』で有名な佐伯さんの面談を受けている。
「申し訳ありません。私が余計な事を言ってしまいました」
香保里ちゃんが積極的に謝った。
「いえ、佐伯さん、私が浮足立って仕事に身が入っていなかったせいです。すみませんでした」
「いやね……冗談よ。ムスッと突っ立っているだけの店員に化粧品の話なんて聞く気にならないんだから、あなた達の仲良さそうな姿は傍から見て悪くなかったわよ」
ほっと息をつく。
「あの、先日は、お電話でのご対応ありがとうございました」
この人が退職の希望を一蹴してくれなければ、私は今、ここにはいない。
「『二度と電話してこないで』なんて酷いいい方したから、嫌われたんじゃないかと思って、謝りに来たのよ」
佐伯さんはとても柔和な表情で、私に向き合った。
「残ってくれてありがとう。あなたのような社員が我が社には必要なのよ。これからもよろしくお願いします」
私は持っていたティッシュで、今度は涙を吸い取った。




