44,☆「あうん」の呼吸で
まさか佐伯さんの方から会いに来てくださるなんて思っても無かった。
あんな風に評価していただけて、私ってば本当に幸せ者だな。
今日も帰ったら、清彦とおばちゃんは寝ていて、おじちゃんと夜を過ごした。
「おじちゃんって鬼教官なんですね」
「ははは。あんなの、現役の時と比べものにならないよ」
「今日はあの後、どんな特訓したんですか?」
「基本的なことだ。動作には問題が無いように思うが、いかんせん言葉がな。後は感情が表に出ればだいぶマシだと思うがな」
私もそう思う。
明日は休みだから、清彦の好きな物でも食べに行こうかな。
「おじちゃん、明日も特訓しますか?」
「本人次第だが、おそらくな」
「私が清彦をお借りできませんか?ちょっと、デートに……」
「それは最優先事項だな。どうぞお好きなところへ連れてってやってくれ」
清彦の部屋に忍び込む。
一気にカーテンを開け、「おはよー」と叫んだ。
「おはよ」
眩しそうに目を細める清彦に抱き付く。
「今日は、私が鬼教官だから。ちゃんと耐えてね」
「はい!」
清彦は跳び起きて、パジャマにしていたシャツを脱いだ。
(キャーッ)
両手で顔を覆って、指の隙間から覗き見る。
(ヒャーッ)
声にならない叫びを胸いっぱいに溜めて、ゴロンと倒れる。
幸せ過ぎて、もう何もしたくない……
出掛ける準備が出来たらしい清彦に引っ張り起こされた。
さて……スパルタのお時間です……
「どこに行きたい?」
『はい』か『いいえ』で答えられない、二択じゃない質問。
自発的に言葉を発するのは、考える負荷が大きいとは承知している。
だけど、大丈夫。
清彦はこんなことでへこたれない。
「ぱ」
清彦が何かを言った。
「ぱ?」
続きを待つ。
「ふぇ」
あー。なるほど。
「パフェ、で合ってる?」
「はい!」
「よく言えました!」
両手をかざすと大きな手でハイタッチをしてくれた。
「おじちゃん、おばちゃん、行ってきまーす」
まだ朝の8時だ。
こんな時間に開いてる店が無いことは分かっていたけど、じっとしていられなかった。
「はい。気を付けて行ってらっしゃいね」
おばちゃんが玄関まで出てきてくれた。
清彦は振り返り「行ってきます」と言った。
泣き出したおばちゃんのお世話はおじちゃんにお任せすることにして、清彦と家を出た。
習慣なんだろうな。
足が勝手に公園に向かっている。
今日は福ちゃんを置いて来たけど、あの公園は大好きだから、何度行っても飽きない。
「清彦は甘いものが好きだよね」
「うん」
「他には何が食べたい?」
沈黙の時間を計る。
「め」
「し」
よし。だいぶ早くなってる。
「こら、二文字で済まそうとしないのー!」
言い当ててしまったのだろう。
清彦の目は斜め上を向いていた。
新緑の時期。
もうすぐ梅雨が開ける。
「夏が来るね」
「うん」
「また誕生日が来ちゃうね」
2日違いの8月生まれの私たち。
「亜子」
「ん?」
「いっしょ……」
「おお!一緒に過ごすって言ってくれたの?」
「うん」
去年の誕生日から始まったこの一年は、私と清彦の物語りの第二章って感じだ。
「ねえ。ファミレス行こうっか?」
こんな朝でもパフェが食べられるところを思い付いた。
「うん!」
付き合っていた高校生の頃よく来たファミレス。
「内装は変わったけど、雰囲気はそのままだね」
清彦はつかつかと奥の窓際のテーブルに進んだ。
そこはかつて『私たちの指定席』となっていたところ。
覚えてたんだ、と嬉しさが込み上げてくる。
私は当時のように、向かい合ってではなく並んで座った。
メニューを開いて二人で持つ。
顔をくっ付けて、一緒に覗く。
くすぐったい。
こういうの大好き。
大きなメニューに隠れて、ほっぺにキスをした。
大大大好き。
清彦がこっちを向いて、唇にキス。
あまりにニヤケてメニューを下ろせなくなった……
「亜子」
あ……
え……
うそ……
清彦が笑ってる。
10代の私をメロメロにし、20代の私に勇気と励ましをくれた、そして30代の私を人目も憚らず泣かせてしまう……
「笑ってる……」
「うん」
「好きだよ、清彦。ずっと言わないでごめんね」
「亜子……あ、い、し、て、る」
清彦が親指を立てた。
あの日、ICUでガラス越しに叫んだ私の告白。
「愛してる。愛してる。ずっと側にいて。離れないで」
微笑む清彦と、号泣する私。
いつだって心は通じ合っている。
セミすら鳴かないうだるような暑さの中、いくつもの段ボール箱が部屋から運び出される。
「なにも、誕生日に行かなくてもいいじゃない?」
おばちゃんは口を開くとそればかり言っている。
「仕方がないだろ。今月からあっちでの勤務って辞令なんだから」
8月1日。
清彦の誕生日。
本来4月に異動になるはずだった清彦の配属先への移動は、4ヵ月遅れで実施される。
「亜子!じゃな」
泣いちゃいけない、って分かってるのに……
おじちゃんの陰に隠れながら、小さく手を振る。
さっきまでの美味しい食事が嘘のように、遠い記憶になっていく。
「泣くなって、亜子!明後日はこっち来いな!」
「うん!」
8月3日。
私の誕生日。
一緒に過ごす約束をしている。
引っ越し屋のトラックに乗り込んで、清彦は行ってしまった。
「ほら、亜子ちゃん、元気出して。おばちゃんまで泣きたくなってしまうわ」
「ごめんなさい」
ここから2時間も離れてる新しい勤務地の近くに、清彦は部屋を借りた。
一時だって離れたくないのに。
「そんなに気を落とさなくても……」
おじちゃんが心配してくれている。
「どうせ、来月には亜子ちゃんも引っ越すんだから……」
そうなのだ。
佐伯さんに頼んで、私も店舗の異動を願い出たのに、人事異動は9月からなのだ。
「だって……一緒に行きたかったのに……」
メソメソが止まらない。
一カ月も離れて暮らすなんて、嫌なんだもん。
「大丈夫よ、ね?おばちゃんがついてるから」
もう、私と清彦は対になっていて、どちらかが欠けるのはほんの一瞬だって耐えられない。
絶望的な気持ちになって、庭を眺める。
流れる涙にも構わず、清彦を思い出す。
もう恋しい。
今すぐ会いたい。
ドタドタと足音が聞こえて、パシンと襖が開いた。
「亜子!」
清彦が息を切らしている。
「言い忘れた!愛してる!」
私は跳び上がって、大好きな胸に飛び込んだ。
完




